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第五十話

「My angle. Sweetly sweet honey~♡ あははっ、らびゅ〜♡♡」


と俺に対して、ハートを飛ばしているこちらの美術教師は、馨くんによると、粥川 麗さんというらしい。教師というラベルへの冒涜行為を容易くするこの教師は、俺と仲が良かったそうな。いやいやいや、有り得ないだろ。なんて、拒否したいのだけれど、俺も俺で生徒の馨くんが恋人だ。


「大人の俺はどんなでしたか?」


「んーっとね、ニコチン中毒の酒クズでセックス依存症なのに他人に興味がほとんどない自己中の死ぬために生きてる腹黒天使」


なんか悪い所だけピックアップされたような言い草。良く言ってくれてるところは、天使(?)という抽象的すぎるところしかない。


「わかりました、これからはそうならないように気を付けますね」


「えーっ、俺、そのみーちゃん好きだったのにぃ」


とあからさまに落胆されては仕様がなかった。「今のみーちゃんはぁ、馨くんそっくりぃ」と文句っぽく言うし、この人の感覚はよく分からない。



「おぉ、粥川、お前が職員室に来るなんて珍しいな」


知らない大人達ばっかのところをズカズカと入っていく粥川さんを盾にして、その背後に小判鮫のようにくっ付いて歩いていく。


「あはっ、貝原じゃん!見て見てー、みーちゃん高校生ver.!!」


なんて背後に隠れていた俺を押し出して、知らない大人に見せつける、ほぼ初対面の男、粥川 麗。最悪。何でややこしい紹介するんだよ。とりあえず、会釈。


「ど、どうも」


「うっわ、似てんなぁ……じゃない、校舎内に勝手に連れ込むなよ」


そっか、そうだよな。いくら何でも、俺が塩 蜜柑だって、信じるわけないもんね。そんな魔法みたいなもの。


「連れ込んだんは馨くんだしぃ、俺この子預かっただけだしぃ」


「砂糖 馨が?」


怪訝そうな表情を浮かべる貝原さんに、言い訳を並べるように粥川さんは俺の肩を持ちながら、他己紹介をリズミカルに次々としていった。


「馨くんの従兄弟」


合ってる。


「十六歳」


合ってる(?)


「学校には行ってない」


まあ、合ってる。


「京都から来た」


は?


「ははは、おおきに」


変なキャラ付けをされてしまった。


「要するに、学校見学ってことか?」


「そっ!」


言いたいことを言い当てられたように気持ち良く返事している粥川さんは何処か誇らしげだった。


「そういや、名前は?」


「えっと……砂糖 ミカエルです」


従兄弟だから同じ苗字を使った方が良いか、それとも母方の従兄弟だから違う苗字に、ああ、あと馨くんがみかちゃんって呼べる名前にしないとだから……と考えている内にずっと名前を言わないのも怪しまれるので、思い付きを咄嗟に言ってしまった。


「は、ハーフなのか??」


困惑気味の貝原さんに、笑いを堪えられなくて肩を震わせている粥川さん。よし、やり直し。


「あっ、すんません。関西人の悪いクセが出てしもうてましたね」


「あははっ、まじ天使ぃ」


と呑気に俺の肩を叩いて笑ってる粥川さんは、俺のこの焦燥感を知らない。


廿楽(つづら) 美香(はるか)と言います。美しい香りと書いて、美香です」


ささっと紙にで俺の偽名をメモされてしまった。聞き流してくれればありがたかったのに。


「わかった、こうゆうことは事前に連絡するように。砂糖 馨にもよく言っておく。それと、学校のパンフレットなら……」


とパンフレットを渡されて、転入希望だと思われてるのがわかった。馨くんと一緒の学校に通いたくて、みたいなことを言う機会があれば言っておこう。俺の高校はこんな、のびのびとした校風じゃなかったな。先生は良かったけど。


「ねえ、それよりも、みーちゃんは?」


「塩 蜜柑か?体調を崩したらしい、休みだ」


塩 蜜柑、自分の名前にドキッとしてしまう。朝に馨くんが学校に送るメールの文面を考えていた。指紋認証で開くスマホは、今の俺の指紋でもロック解除した。指紋って変わらないんだという気付きよりも、今の時代にはSFファンタジーか、金持ちの豪邸なんかでよく見ていたような指紋認証が、気軽に生活に取り入れられているという驚きのが強かった。「メール以外は開かないからね〜」とスマホに言い聞かせるように話しかけていた馨くんは、死体を前にした解剖医のようだった。


「ここ、みーちゃんの机?」


「そうだ」


「ねえ、みーちゃん、ここに座ってみて」


粥川さんに手招きされて、自分のデスクと思われる、若干、物が多い、机を前にして座った。なんだろう、このフィギュア。イグアナ?


「おい、何して……」


「わあ、めっちゃみーちゃんじゃん!!」


止めようとする貝原さんにお構いなしに、調子に乗って粥川さんは写真を撮り続ける。この二人、性格合わないだろうなあ。言い争いになる前に帰りたい。


「瞳と髪の色が違えば、塩 蜜柑だな」


「え?」


貝原さんまでそんなことを言い出して、そろそろ冷や汗をかいてきた。俺は塩 蜜柑だけど、今は塩 蜜柑って認識されたら、ダメなの。


「みーちゃんのマグカップどれ?」


「いや、帰りましょう」


席を立って、粥川さんの袖をつまんで引っ張った。この人は服を引っ張られるのが弱点のようで、なされるがまま、


「えー、何でー?」


と言いつつも


「失礼しました」


って職員室から二人で脱出することができた。


「ねえ、どうしたの?」


「俺だって、塩 蜜柑だって、気付かれるのが怖い……」


粥川さんの胸元のシャツをキュッと両手で掴んだまま、引き寄せて近付いて、耳元で小さな弱音を吐いた。


「大丈夫、大丈夫。長年の付き合いの俺でさえも、最初は目を疑った。でも、馨くんがあんなに真剣に話すもんだから、ああ、そうなんだろうなぁ、って何となく思えただけで」


「そんなに馨くんの信憑性、高いの?」


「あははっ、さあね?」


きっと、あんな顔の馨くんは見たことがなかった、というのが、その信憑性の裏付けなんだろう。聞こえちゃったんだ、"悔しい"って泣きそうになりながら感情を顕にする馨くんの声が。俺には、一切、見せなかった、あの仮面の裏側を。きっと、この人は目の当たりにしたんだろう。それがつらくて、苦しくて、やるせなさでいっぱいで。だから、俺は塩 蜜柑じゃない。



チャイムが鳴る。授業からの解放の合図だ。


「お粥さん、今どこにいますか?」


なんて休み時間が始まった直後にチャットしては、飴ちゃんに含みのある笑いをされる。どうも気になってしまって、「何?」と聞くと


「いや、何も?楽しんできてね」


と素っ気なく言われるだけだった。


「何があ?」


「だって、愛しの彼に会いに行くんでしょ?」


飴ちゃんは顔をほころばせて、ネタバラシのようにそう告げた。毎回毎回、みかちゃんと会う時もこうしてたと、思い出して、あはっ、バレていたんだ、と可笑しくなった。霰の"愛しの彼"って、言葉濁されたけど、何処まで知ってんだろ?


「ぷふっ、まあね」


「俺は誰か知ってんけどぉ、ザキには言わないであげて。彼奴ん中ではまだお砂糖ちゃんは美少女と付き合ってるテイだから」


そうやってザキに対してちょっとしたマウントを取っているようにみせて、実際には、自分しか君の秘密を知らないから、親しい奴にだって口外なんてしないから、傷つけないから、安心して相談してもいいよ、ということを強調しているようだった。


「僕が好き好んで地雷を踏みに行くとでも?」


「いやいやいやいや、そんなことぜーんぜんっ、思ってないよぉ?」


自分の盲点を付かれたように、こそばゆく笑ってる飴ちゃんは、言ってることが胡散臭くなってしまうほど、笑っていた。


「じゃあ、誰と付き合ってるのか、当ててみて」


「耳貸して……粥川さんでしょ?」


耳打ちでそんなことを言われて、思わず吹き出してしまった。違う違う、ないないないない、あんな人、友達で十二分、間に合っている。いくら間違っても恋人なんかにしない。


「ふふっ、ああ、笑うことしかできないね」


「正解??」


「ほぼ間違ってるけど、半分正解、かな?」


「なにそれー?どゆこと?」


「この意味がわかんなかったら、僕の恋人はわかんないかもね。あっ、だからって、付けてきたりしないでよ?」


「そんなプライバシーが欠如した行動とりませんんん」


若干、煽りすぎて怒られた。


「ふふっ、やっぱ僕は、いい友を持ったね」


「……え?」


ポカンと開いた口元に、可愛らしさを覚える。見蕩れるようにこちらを見つめる瞳にも。


「それじゃあ、行ってくるよ」


「あ、ずるぅ、逃げた。……あはは、そんなん狡いじゃん。かっこよすぎ」



「みーかちゃん♡♡」


後ろから抱きしめて、髪の毛の柔らかい良い匂いを嗅いで、「やめてよ」と思春期男子のごとく嫌がられるのもセットで自分の大好きを享受する。


「馨くん、その子の名前なんだと思う?」


ニヤついて、自慢したくてしょうがないの顔でそんな話題を振ってきた。


「え?塩 蜜柑じゃないんですか?」


その振りに呼応するように、敢えて、普段通りの返しをする。会話がスムーズに進むように。


「ちょっと粥川さん、トップシークレットって……」


人差し指を立てて訴えかけているみかちゃんの指を、この指とまれの要領で捕まえて、「どうぞ話してください」と目線でお粥さんに伝えた。


「貝原に名前ゆうときね、この子、砂糖 ミカエルだって、名乗って、あははっ、砂糖 ミカエルだよ?あははははっ」


空気を読まずに一人で笑い倒して悪目立ちしている。


「何がおかしいの?みかちゃんは天使だよ?」


そう僕が言って、みかちゃんの肩を持つと、ため息混じりに


「君さあ、ほんっと、みーちゃんに妄信的だよね」


と皮肉を込めて言われる。僕の言っていることを何かおかしな冗談のように扱って。


「ふふっ、可愛いでしょ?」


「馨くん、俺、廿楽 美香って偽名になったけど、その、みかちゃん呼び、やめないでね」


気分良く、みかちゃんを盾にして(?)肘置きにして(?)いやいや、みかちゃんを軽くバックハグしながら、おどけていると、彼は急に照れくさそうに、みかちゃん呼びを要求してきた。なにそれ、可愛い


「わかったよ、みかちゃん。何千回何万回と君を、その名前を呼ぶよ」


「……バカ、浮かれんな」


独り言のように呟いて、肩に置いていた僕の腕を払い除けた。その手を逆手に取って、取り返して、逃げようとしてできた距離をまた詰める。


「そりゃ浮かれるよ、歯が浮いちゃうくらいにはね。みかちゃんと一緒なんだもん」


社交ダンスするみたいに手を取り合って、腰に腕を回して、どんどんと距離を詰めていく。


「なっ……ちょっ、離してよ」


軽く僕の胸を押すみかちゃんの嫌がる素振りは、ただ羞恥心への言い訳が欲しいみたいだ。


「え、高校時代のみーちゃんってツンデレなんだあ。めっちゃ可愛いじゃんね」


僕達のイチャコラ空間に水を差してきたのは、悪気がなさそうな顔したお粥さん、というか観客はこの人しかいない。


「いつものみかちゃんならば、デレデレツンデレですからね」


「俺、そんなデレてんの?」


デレてるか聞いてくるの可愛い、恥ずかしがってんの可愛い。


「勿論」


「馨くん、嘘偽りはダメだよ?」


「嘘じゃないですぅ」


お粥さんは僕達がラブラブなのが腹立つらしい。恋人とうまくいってるにも関わらず。



「馨くん」


「何?みかちゃん」


勉強している途中にみかちゃんが思い詰めたように声をかけてきた。問題集を開きっぱなしで椅子の背もたれに寄りかかって、肘をかけてみかちゃんに向き合う。


「ごめん、忘れちゃってごめんね……」


泣きそうな声でそうやって謝っているみかちゃんは、痛々しかった。


「何でそんなこと言うの?」


考えなしに浮かんだ言葉をそっくりそのまま口にしてしまって、空気が凍り付くのを感じて後悔する。


「だって、こんなに、愛されてるのに、裏切ったも同然じゃん。君の中に俺はいるのに、俺の中に君は、まだ……」


「そんな斬首刑みたいなこと、わざわざ言いに来たの?」


まごつくみかちゃんを見て、悦に浸るような感覚で微笑んで、首の印を指さした。


「違う違う、もっとこう、なんて言えばいいんだろう、ああ、不甲斐ないよ、俺は、不甲斐ないことこの上ない」


記憶喪失も退行性変化も、みかちゃんの意図したことじゃないだろう。それならば、そうであるならば、僕はただこの謝罪を受け入れることさえできない。


「それじゃあ、その代償にキスしてくれない?」


おどけて、ふざけて、真剣味を抉りとって、僕らは塩味と砂糖味なんだから、しょっぱいか、甘ったるいかで生きていよう。


「んーと」


「みかちゃんから、僕に、キスしてよ」


リップクリームで唇を艶めかせて、わざとらしく、色っぽい仕草で誘ってみる。胸が苦しい、痛い、しんどい、全部全部、忘れさせて。真実味なんていらないから、このお巫山戯に付き合ってよ。


魔法を解く王子様のキス、あーあ、ダメだよそんなんじゃ。燃えるような色情も灰塵になるようなグロテスクも、一切、入り込む余地がない。切り捨てられた身体の痛みは脳で受容して、動けもしないのに解決策を探しては誰でもない誰かに訴える。


「……許してくれる、かな?」


「ふふっ、許せるはずがないよ。僕が与えた一言一句まで脳に刻んでいて欲しかったんだから」


「ごめん」


「いや、僕の方が、方こそ、ごめん。ごめんね、我儘なんだ」


どうしようもないことを蒸し返して掘り起こして、感傷に浸って、悲劇のヒロインぶるのがこの僕だ。タチの悪さなら、あのネコにだって負けない。バリタチを貫き通してって、何の話してたんだっけ?ああ、僕が悪いって話か。


「立って」


「え?」


半泣きになりながら立ち上がると、みかちゃんが真正面から抱きしめてくれた。あの命令口調からのこのデレ、ギャップに悶え苦しんだ。可愛い。


「俺、馨くんのこと、好きになるから泣かないで」


「無理に好きにならなくていいよ」


その気持ちだけで十分だった。無理に縛って、みかちゃんを苦しめるのは嫌だから。みかちゃんの頭を撫でる、いつもよりもちょっと小さくて、高校時代にも伸びたんだなって謎に成長を感じた。


「そっか、馨くんは、大人の俺のが良いもんね」


拗ねた。可愛い。拗ねた。でも、みかちゃんだって、尊敬してる先生に会えなくて寂しいだろうな。


「いやぁ、どの時期のみかちゃんだって可愛いって」


「……馨くんのバカ」


僕の身体に顔をうずめて、こもった声でそう聞こえた。


「……あははっ、ごめんね。言って欲しかったよね」


君が一番だって。でも、ごめんね。


「別にぃ、そんくらい大人の俺を大切にしてたってことだよね?」


「うん、そうだよ。大好きで、愛してた」


そう言ってしまうと鼻の奥がツンとしてきて、桜の花びらが落ちるように、涙がゆっくりと流れてきた。


「良かった。俺、幸せになれたんだ」


そう将来に諦念しているみかちゃんは、柔和に笑った。ここから荒んで堕落的な大学生活を送ると思うと、安易に希望を持たせていいのだろうか、と葛藤がある。


「どうだろう?幸せにできてたかな?でも、絶対に幸せにするからさ」


一緒にいよう、ってこのみかちゃんに言ってしまうと、もうあの、僕の大好きな、愛しているみかちゃんを裏切ってしまう気がして、会えなくなってしまう気がして、言えなかった。


「未来の俺は任せたよ」


「うん、何だか夢みてるみたい。前にね、みかちゃんに話したんだ。若い頃のみかちゃんに会ってみたいって……」



朝起きると、みかちゃんが隣りにいて眠っている。身体をまさぐると、体格が僕の知っている塩 蜜柑で、本当に長い夢を見ていたんだと思った、気がした。


「なぁに?まだヤんの?良いけどさぁ」


と寝返りを打って向き合い、僕の輪郭を細い寝ぼけ眼で捉えると、頬を一撫でされてから、目を閉じたまま濃厚なキスをされる。


「ちょっ、んっ、みかちゃん……」


「えーっ、誰それ?俺、ミオだよ?浮気しないで♡」


ベッドの上で組み敷かれて、やけに積極的なみかちゃんを見上げる。髪をかきあげる仕草やほんのりと色付いた頬、潤んだ瞳が色っぽく、何から何までとてつもなく妖艶だ。呪いにかけられたように、こねくり回される間に僕もほだされてしまって、まだ朝なのにそうゆう気分になってしまった。


「ミオちゃん、?」


「ふふっ、君、随分と若いね。何歳?」


みかちゃんの方から、キスしてきて、服脱がしてきて、いつもと違う雰囲気で、心拍数がうるさくなる。ああ、ダメだ。理性、働け。


「17、高校生」


これだけ言えれば、みかちゃんの分別がつけば、僕は、無事に、学校に、


「へえ、なのに俺を呼んだの?悪い子だね♡」


無理無理無理、可愛すぎる。金のための色仕掛けなんだろうけど、めっちゃ可愛い。みかちゃんこんなの隠してたんだ、可愛い。別に、今日ぐらい、みかちゃんがこんなだし、ちょっとぐらい、


「うん、僕は悪い子だよ」


とガッツいてみかちゃんの首に腕を回し、グッと引き寄せる。そして、キスをしながら形勢逆転。今度は僕がみかちゃんを組み敷く。得意げにしてるとみかちゃんがいつも通り照れながらに微笑む。


「ふふっ、俺ら、何回目だっけ?」


「数え切れないくらいヤッてるよ」


覚えてない、というか、まだ記憶にない。過去の、大学生時代のみかちゃんだ。


「そっかぁ、今日は何て呼ばれたい?」


「いつも通りで」


と意地悪をしてみると、みかちゃんはちょっと目を泳がせてから、苦笑してキスして誤魔化した。


「ここ、君んち?親は?」


「みか、ミオちゃんと二人暮らし」


だいぶ痛い客みたいになってしまったけど、この状況で嘘を付くほど頭が回らなかった。ただただ真っ白になりそう。


「俺と、二人暮らしね、ダーリン♡」


うわっ、可愛ええええ!!名前、言わなくて良かったかも!?嘘、つかなくて良かったかも!?


「やば、最高に可愛い♡♡」


脳内が沸騰して、素の感想が漏れ出てしまった。恥ずかしすぎるから赤面を両手で隠した。


「ありがと、ずっと一緒にいさせてくれる?」


「勿論、ずっと……」


ずるいずるいずるいずるい、この人、ずるすぎる。こんなん、お金がいくらあっても足りないじゃん!!めっちゃ言わされた。いや、まず質問の仕方からあざといよな。小首を傾げて、捨てられた子犬みたいな潤んだ瞳で。


みかちゃんが目を見張る。僕の傷跡、初めて見た時と同じリアクション。無言でただ状況だけを飲み込んで、そして優しく唇で触れる。


「痛くない?」


「ごめんね、見苦しくて」


「そんなことない、愛おしいよ。今だけは、素敵な夢をみていようね」


この時のみかちゃんもそうだ。人の痛みがよくわかってしまって、それで心を痛めている。そんな心優しいみかちゃんが大好きだけど、傷つかなくてもいいんだよ、って言いたい。


「ありがとう、大好きだよ」



「それじゃあ、お泊まり込みで料金の方、十五万円、頂戴いたします」


やっば、みかちゃん、高っ!!これって、みかちゃんのクレカ使っていいのかな?怒られる?絶対に怒られるよな。でも、過去の自分に渡すだけだし、まあ、循環してるだけだから、でもなあ、みかちゃんが帰ってきたときにこの十五万何?、って絶対に言わなきゃいけなくなるじゃん。過去の俺と随分と楽しそうにとかって嫉妬されるか、一週間くらい口聞いてくれなさそう。よし、わかった。


「ちょっと、待っててもらってもいいですか?……もしもし、お粥さん?今、すっごい緊急事態で、至急十万円ほど頂きたいのですが……あの、土下座でもモデルでも、セックス以外なら何でもしますから!!」


「はあ?オレオレ詐欺ですかぁ?まだそんな歳食ってないと思うんだけどぉ」


「違っ!!高級売り専呼んじゃったんですよ!!」


「あははははっ、待って、今の録音してれば良かったぁ、めっちゃ残念!!」


「そんな悠長なこと言ってられ、ああっ、十万円、今すぐ家に持ってくれば、良いもの見られますよ?きっと超絶好みだろうなぁ」


とぶっちぎりすれば、大抵、あの人は単純で好奇心旺盛だから何があっても来るはず。……来た、五分で来た。久しぶりに走ったとか何とか言って息切らして。


「それで、良いものって?」


ワクワクしてるのが傍から見てわかるほどの落ち着きの無さに、笑ってしまいそうになりながら、ベランダに案内した。嗅ぎ慣れた煙草の香り。


「あっ、こんにちは〜」


と会釈をするみかちゃん。パーマをかけた黒髪に、緑色のカラコンで印象こそ違うけれど、姿形はみかちゃんのままだ。


「うっわ、みーちゃんじゃん!!まじ可愛いいい♡♡」


「あっ、ゼロさん!なんか雰囲気変わりましたね!」


ゼロって誰だ?って思っても、僕以外にはお粥さんしかいなくて、麗さんだからゼロって名乗ってんのも合点がいった。


「え、知り合いなの?」


「みーちゃん目当てで、たまーに使ってた」


「人の彼氏に、よくも……まあ、十万で許します」


お金を借りる立場で強くは出れないので、冗談みたくそう小声で話した。


「あの時は誰のものでもなかったけどぉ?」


……ムカつく。


「ゼロさーん、また呼んでくださいよぉ。貴方といる時が一番……素顔でいられるんです」


煙草を消して、営業スマイルで話しかけたと思いきや、ちょっぴり本音を混ぜて気を引く。そんなみかちゃんは罪深いほど色っぽい。


「ね、可愛いでしょ?」


ああっ、もう、何も言えないいい。堂々とマウント取られてるのに、何も反論できない。この人のが長い付き合いなのは事実だとしても癪に障る。


「馨くん、手持ちが五万しかなくて……」


これは、本当に、すみません。


「教え子が迷惑かけてごめんね」


クレカでサッと会計を済ませるお粥さんには感謝するべきなんだが


「は?」


と心の声が漏れてしまった。


「いえいえ、とんでもない。馨くん、また、楽しみにしてるね♡」


僕に向かって微笑みかけられて、その瞬間、胸をわしづかみにされたみたいで、咄嗟に彼の手を握っていた。いや、でも、本当に、今、外出てったら、みかちゃん、困惑するだろうし。


「いや、ちょっと待って、行かないで」


「延長?良いけど……あれ?携帯がバグってる。まあ、いっかぁ。ダーリンがいれば♡」


と僕を抱きしめてくる営業中のみかちゃん。これにもだいぶ耐性がついてきて、そうゆうことじゃないと軽く押し退けた。


「みかちゃん、もうやめてよ。無理しないで」


「えー?何言ってんの?意味わかんないんだけどぉ」


馬鹿っぽく笑って、誤魔化されるのも、つらい。


「貴方は、教師に憧れている塩 蜜柑じゃないの?」


「はあ?まじでわかんない、誰それ、知らない」


知らない、という最後の言葉が、氷柱のように冷たく胸に突き刺さる。


「僕は知っています、塩 蜜柑、三月九日生まれ。趣味はお酒と煙草と映画鑑賞、ホラー映画は苦手なのに、謎のオカルト好きで高校時代はオカ研に入っていた。料理は苦手、子供は好き、早起きは苦手で、夜更かしは大好き。そして、セックス依存症なのにセックスは苦手、違いますか?」


「きしょ、どこで知ったの?そんなこと。酒飲んでゲロった?」


軽蔑の眼差し、好きな人にやられるのが一番、心に堪える。


「馨くん、やめた方が……」


「そんなんじゃ、貴方の好きなとこも気持ちいいとこも、わかんないですよ。何回、身体を重ねたと思ってるんですか?」


傷付いた素振りを見せずに隠して、笑顔を貼り付け狂ったように、自身でも身の毛のよだつようなことを言った。


「ごっめん、覚えてない」


そんなの知ってる。嘲笑されることも含めて、百も千も万も承知だ。だけれど、こんなにも傷付いてしまう。一人で勝手に傷付いてしまう。唇を噤んで涙を堪えた。でも僕を思い出して欲しくて記憶を取り戻したくて、どうしようもない怒りをぶつけるように、彼の唇を食むようにキスした。


「ああもう、何で自分から傷付くようなことするかなぁ?」


お粥さんの声が聞こえる。馬鹿だからだよ、と脳内で答える。


「やめろ」


強く肩を押されて、突き飛ばされる。僕の知ってるみかちゃんよりも筋肉量が多い。鍛えてたんだ。そりゃ、鍛えてるよな。ああ、嫌になる。嫌われて当然のことをした僕は、クソ客に成り下がった。いくら大金を詰んだところでもう会ってはくれないだろう。だから、恐ろしいほどの喪失感に包まれて、今までの夢のような時間で忘れていた、あの感覚が蘇ってきた。


こんなにも好きなのに、こんなにも苦しいのは、僕が生きているからだろう。

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