第四十七話
「ねえ、ママ教えて?」
何で僕は、あんなにママがお腹と心を痛めて産んでくれた子のに、こんなにクソみたいな病気で容易く死にたくなっちゃうの?ママが僕のときは難産だったって、その思い出話をする度に、僕は何度も泣きたくなっちゃうんだ。だって、そんな大事にしてくれている、この身体を僕は僕自身で傷付けてる。傷付けたって、死にたい気持ちは治んないし、まだまだ生きたいとも思わない。ただ消えない傷がまた増えて、何重にも重なって、精神的だけでは飽き足らず、肉体的にも醜くなっていく。何のためにするんだろうね、きっとエンケファリンのせいだよね。他人の幸せをなぞっても、僕の幸せにはならなくて、ただ欲求不満を解消して、頭ん中をオキシトシンでいっぱいにして、何も考えなくさせて、それで幸せだと言いはる、金で買える安っぽいもの。まあ、金で買えないものもあるのは知ってんだけどさあ、人生たいていそんなもんじゃん。馬鹿みたいだよね、無意味な行為が幸せだなんて。みかちゃんがなんでチョコレート依存性か分かったよ。エンケファリンのせいなんだって。エンケファリンって鎮痛剤なんだってさ、嫌になるよ。ところでママ、僕を大切に育ててくれてありがとう。本当に、大切に育ててくれた。それだけは分かってんだけど、いまだにママとの関わり方はよく分かんないや。ママは僕が勉強してないと怒って、家事を手伝わないと怒って、でも、何したら褒めてくれんのか、まだあんまよく分かってない。成績が上がったとか、美味しい料理を作ったとか、そんなのはママにとってはもう目新しくも何ともないもんね。たまに気まぐれで褒めるから何が何だか分かんないんだ。何が良いのかは、僕が決めるよ。ママにばっか頼ってごめんね。それと、別居することになってから、あんまり連絡しないでごめん。みかちゃんとは、まあ、今も上手くやってるよ。上手くやってるってなんか言い方が騙してるみたいで嫌だけど。みかちゃんはありのままの僕を見て、僕の傷を見て、それでも「大好き」なんだって。意味わかんないよね、僕はこんなの、こんな自分、こんな馬鹿みたいな傷、全部全部「大嫌い」なのに。僕を甘やかしてダメ人間にさせようとしてるのかもしれない。みかちゃんが酒飲みの煙吸いだから。なんて、そんなわけない。みかちゃんは僕を少しでも生きやすくするために、肩の力を抜いてくれるだけ、それを肩肘張って、疑おうとする僕はやっぱ醜いよ。みんな僕のことを「綺麗だ」「格好良いだ」と囃し立てるんだ。口車に乗せられて猛スピードでトラックに突っ込んで炎上しそう。僕は僕のこの顔が嫌い。これは馨琉さんの顔できっと僕の顔じゃないからさ、僕の顔はもっと醜くて救いようがないような不細工のが納得がいくよ。こんなにも内面が醜いのだもの。それをこの薄皮一枚で騙して、みかちゃんから愛情をもらって、本当に僕はああ、なんて醜いんだろうか。これはママに宛てた手紙でも何でもない。第一、僕はママなんて呼び方しないし。なんかどうでもいいことばっか考えちゃう。僕の幸福も苦痛もよく分からなくなってきた。レグカも勉強も家事も全部、僕がやりたくてやってることだし、今の状況はかなり居心地がいいんだけど、何故か何処か息苦しさを感じてて、みかちゃんに無理させてる気がしてならない。みかちゃんを傷つけたくないな、僕が何処か遠くにいなくなればいいのに。
「麗さん、俺にまだ未練あるんじゃないですか?」
キスしてやっただけで目をキラキラ輝かせて、制服なのに関わらず、こんなところで油売ってる。仕事だろ。
「はあ?馬鹿言うなよ、哀れんでやっただけだしぃ?大体、俺じゃ満足しないから他行ったんでしょ?何度も同じ過ちは犯さないから、馬鹿じゃあるまいし」
そのキラキラに気圧されて、俺はそっぽ向いて、もう可愛がらないと心で唱えた。何度も。
「麗さんがキスもセックスも嫌いなこと、俺知ってますよ」
俺がそっぽ向いた方向に、彼は顔を持ってきて覗き込んでくる。相変わらず可愛い顔してる。
「それがぁ?」
「だからもうしないです」
「無理だよ、現実味がないもん」
俺がせせら笑うと彼は口を歪めて
「麗さんには俺がどう見えてるんですか?」
と言ってきた。
「性欲の権化、あははっ」
「違いますよ」
「違くないじゃん!だから、浮気した」
「それは、その、ごめんなさい」
やっぱりそうじゃん、素直に謝るなんて。
「何なんだよ、ほんと」
「でも、だから、俺は愛するという行為を勘違いしてたんです」
「へえ、で?」
「それで、麗さんと一緒にいれた時間のが、めっちゃ愛があって、楽しかったんです。今更だけど、すごい後悔してます」
俯いて謝罪するように、でも真っ直ぐな気持ちは変わらずに、毎度、俺のが照れる。
「めっちゃ愛があったって、具体的に何?」
「えー?例えば、漫画とか芸術とか、俺あんま興味なかったけど、麗さんが教えてくれて好きになれたし。もっと些細なこというと、麗さん俺にあーんしてくれたり、撫でてくれたり、本当、とにかく、一緒にいれて楽しかったんです!!!」
うまく伝えられないもどかしさと共に伝えられた言葉達は、俺を喜ばせるのには十分だった。
「その浮気相手よりも?」
「そりゃあもう、だって、俺が麗さんの惚気け言っちゃったから別れることになっちゃって……」
「あははっ、本当、馬鹿だね!」
嘲笑ではなく、喜色満面で笑った。人の不幸は元々大好きだけど、身近な奴であればあるほどもっと大好きだ。だって、その弱みに俺がつけ込めるでしょ?
「そいつ、麗さんみたいに可愛がってくんないから、俺、すごい寂しくて……ああ、抱きしめていいですか?」
「いいよ、おいで」
と両手を広げて待ち構えると、俺を食うようにガバッと両手で抱きしめられる。その背中を少し遅れて優しく抱きしめて撫でる。つらかった、寂しかった、甘えたかった、そんな感情をだらだらとこぼして、泣きじゃくる。
「ごめんなさい、好きです、大好きです、もう離れたくない、離れない、ずっとここにいる、麗さんと一緒にいる」
「そうだね、俺も一緒いたい」
「本当に?」
嬉しそうに顔を見合わせて、首を傾げてくる。
「うん、本当」
「麗さん、俺、やっぱ麗さんに何されても嫌いになれないですよ」
と目をうるませて、煌めかせて、そうやって微笑む。
「俺、何かした?」
「しました、たーくさんしました」
身に覚えがないような雰囲気でシラを切ろうとしても、彼の脳みそは俺との思い出を記憶しているようで、言いくるめられた。
「でもまだまだしたりないね、休みある?」
「休み、ありますよ!」
そんなにうきうきわくわく予定を合わせられると、その期待の裏切りたくて、申し訳なくて、しょうがなくなる。俺は仮面をかぶった般若。ああ、もう君にただ、俺を知って欲しいんだよ。
「俺さあ、小さい頃から他人が好きって感情は、その顔の良さに基づいてたんだよね。だって、周りの子が好きになるような子は大体、世の中で顔が良いと言われる子で、俺もそれを美的感覚として刷り込まれてたから、良いと思った、その感情が好き、っていう感情なんだと思ってた」
「それで、その好きは、変わりましたか?」
と手錠をつけられた君は余裕なさそうにガチャガチャしながらそんなことを聞いてくる。
「まだ後遺症みたいに引きずってるよ。だからぁ、俺は結構一目惚れするタイプかも。それに、偏った恋愛至上主義みたいなところもあるからぁ、すぐナンパする。でも絶対に、最後は酷い捨てられ方するよ。彼女はもれなく音信不通だね」
「何でですか?とゆーか、たぶん、これでしょうね」
手錠を外すのを諦めてため息混じりの言葉。
「そ。俺は他人を支配して、俺がいないと生きられない、って状況にものすごく興奮すんの。だってさぁ、俺の存在しない存在価値に、そいつの命の価値を加えることで、俺の存在価値が見い出せるじゃん?」
「大丈夫です、貴方は価値のある人間です」
「そんな言葉、信じられないしぃ、俺の存在価値なんか、どう考えてもわかんないから、こんなになっちゃってんの、馬鹿みたいに」
単純で明快で、支配して、命を授かって、やっと、俺は誰かと生きている、こいつのために生きているって感じられる。
「貴方はきっと清々しいほどに純粋なんですよ。純愛を求めている、セッしないで」
ドヤ顔でそんなこと言われても、滑稽に思う。お前じゃ俺の思考を落とせないよ。
「は?脳みそ下半身にしか詰まってないの?セックスなしの恋愛だからって、純愛になるとは限らないから間違えないで」
「どうゆうこと?」
「損得勘定なしの恋愛なんて幻想だったの、諦めたの。俺がエゴイストとして振る舞えば、皆逃げてゆくから……ありのままの自分を愛してもらおうなんて、やっぱり傲慢なのかな?意味わかんない、理解できない、だって、俺はそれを理想として生きてきたんだもん!!生きている意味がわかんない!!全然楽しくないもん!!つまんない!!」
駄々こねて手持ち無沙汰で近くにあるものを投げ付けて、避けられもしないアイツに当たってしまって、もっと不快指数が増してゆく。最初は「それでも好き」って言ってくれる。重度の愛だと感じてくれる。けれど終盤に差し掛かると、相手側の我慢の限界がきて、俺は「死ね」と言われて捨てられる。俺の愛は変わらないのに。俺が元々、博愛なのが悪いのかな?あははっ、なんてくだらない。博愛じゃなくて漂白の愛が欲しい。俺の前では表の顔しか見せないで。
「麗さん、俺好きっすよ、アンタのこと」
「ウザい」
「何で受け取ってくれないんすかぁ」
ボサボサの髪の毛に、痛んで赤くなった肌を見せて、ああ、何とも苦しそうだ。愛おしさが増していく。
「ごめんね。俺さぁ、好きな人のために、何でもはできないの」
「それで良いですよ、その麗さんが好きです」
なんなんだろうね、この表裏のない感じ。イラついてくると同時に恋に落ちていく。
「バァカ、俺のこと好きになんないでよぉ」
冗談半分で馬鹿にした。避けるためにそうした。でも、本当はもっと好きをアピールして欲しくてそうした。
「それだけは、譲れないです。好きになっちゃったんで、どうしようもなく」
何処にも行けないのに、そっぽ向いて照れんの?可愛いなあ、可愛い。俺が顎を掴んで、顔を引き寄せれば、その顔を拝めるというのに。無理矢理やられて不貞腐れた?ごめん、でも俺はご機嫌だからご機嫌分けに、キスして分かち合お?
「信じていい?」
「はい」
「俺のこと、傷付けない?」
「うーん、それは保証しない!」
という、とびきりの笑顔が何とも可笑しい。
「えー?」
「でも、離れないでいましょう」
「何で?」
「俺が貴方とずっと一緒にいたいからです」
君も俺と同じ、エゴイスト。
「恋人と離れたい欲求は、愛情ですか、それとも責任放棄ですか?」
「んー?俺はぁ、ずーっと一緒にいるけどね」
愉快げに意識半分でゆらゆらと惚気られる。
「いないですけど」
「わかんないなぁ、血液同士で繋がってんの」
別れた恋人とまた復縁したそうだ。
「あっそ、で?」
僕は、心底興味なさげに振舞って、他人の幸福を僻む。
「何で離れたいのぉ?意味わかんないね!」
そんな僕の足元を見るように、彼は僕の知らない世界の話をする。
「幸せそうで何より、も、ムカつきますね」
「あっそ、どーでもいっ♡」
と突き放されたので、独り言として話を進めた。
「みかちゃんのこと、傷付けちゃうんですよ、自分を傷付けても、結局、みかちゃんも傷付くんです」
「それならぁ、誰も傷付けなくて良くない?」
「は?」
「誰も傷付けなきゃいいじゃん!何でそれができないの?」
また僕の知らない世界のお話。現実味のないおとぎ話。
「それは、僕が、僕が、劣等感に陶酔的で葛藤ばかりしているからでしょうね」
「あぁ、実に馬鹿らしいね」
僕が悩んでいるのが馬鹿らしいと。
「僕は、子供なの、どーしても大人になれない、子供、子供のまんま。僕は、本当に、何もできないよ……」
子供のような純粋なものを失ってしまったのにも関わらず、大人になりきれなくて意味のないイタチごっこをいつまでも続けている。
「君はお母さんが欲しいんだ。みーちゃんみたいに、優しくて甘やかしてくれてヤレるお母さんが」
「そうですよ、そう、そうです。でも、みかちゃん、離れていっちゃう。僕が傷付けて傷付けるから、僕のこと、きっと、嫌いだ」
子供じみた癇癪と紡ぐのが精一杯の言葉。幼い頃、物語で見た家族像は僕の知っているのとは違っていた。誰かの怒鳴り声も泣き叫ぶ声も聴こえない家庭、そんなのは有り得ないと思いながらも、幼い僕に変に希望を抱かせた。だから今になって、その歪みでみかちゃんにそんな抑圧された希望を押し付けてるんだ。あーあ、嫌われる。
「あははっ、みーちゃんのことをもっと信頼してみなよぉ。馨くんはぁ、抉られるような深い傷を刻まれるのを、恐れてんの?」
「いや?みかちゃんに傷付けられても大丈夫ですし、寧ろ、その傷跡が愛おしくなりますし、そもそも信頼してますからぁ」
なんて強がってみせても、明日には捨てられてるんじゃないかと不安になる。
「ほんと?それなら何でそんな劣等感なんか抱いてんの?」
「えー?父親からの虐待、かなぁ?」
「今はもうないでしょ?」
「ふふっ、悪夢で見るの!」
楽しげに答えて、内心、悲しげだ。
「何が怖かった?」
「……罵声も殴打も絞首も、全部怖かったですよ」
音なく涙が流れて、笑顔がこぼれる。
「ごめん、思い出させた」
「何なんでしょうね、思い出したくもないのに。嫌でも脳裏に浮かんでくる不幸の呪縛みたいなの」
「トラウマでしょ?消せばいいよ。君は君が思っているよりもずっと、幸せ者だから」
そんな単純そうで簡単そうに、彼は微笑むけど、全然そんなことない。
「知ってます、仕合わせです」
「俺にないものをたっくさーん持ってる」
「病気の話?」
「あはっ、それもそうだろうね!」
「何なんですかぁ」
「君はぁ、絵の才能も、顔の良さも、頭の良さも、死ぬ勇気も、おまけにみーちゃんまでも、持ってんのに、なのに、俺の前ではべらべらべらべら不幸話に不幸面してんのが、まじで笑える」
この話の流れで、最も笑顔を消して、あぁ、皮肉って、そう言ってんだな。
「ふふっ、僕って、めんどくさい奴ですね」
「めんどくさいもめんどくさい!俺がこうやってよいしょしてやんないと、すぐ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬばっかで、かなりめんどくさい!それでよいしょしたらしたで、僕はめんどくさい奴だぁ、ってねちねちねちねち気に病むんだもん、もうどうしようもないね!」
次には意気揚々と平滑流暢に僕を愚痴った。
「ごめんなさい」
「ちょっとは笑えば?ジョーク言ったんだけど?」
まじめな顔して受け取った、僕の深刻そうな顔色伺い、彼は全てをジョークで飲み込んで、気狂いに笑う。
「ふふ、ああもう、お粥さん好きです」
突如溢れ出した感情、これが何だかわかんないけど、胸がキュッと苦しくなる。好きだけでは言葉足らずだけれど、それ以上に形容し難い何かだ。
「は?」
「恋愛的な意味なわけないですよ、人間としてはかなり好き」
「はぁー、わかんないわぁ」
「僕、幸せですぅ。みかちゃんが僕のことを好きなんです、恋愛的な意味で」
惚気けるお粥さんを真似て、どんどんとだんだんと心を溶かしていく。
「あははっ、うっざ!」
「それで、もっと良くなろう良くなろうって焦るんですぅ」
「ありのままの君を見せないからだよ」
「偽りの僕でも、僕がそうなれば、それは本物の僕ですよ」
「だから、苦しみに溺れるんじゃん」
「嫌われるのはわかりきってんのに、嫌われようとするのは何なの?」
「それ以上にぃ、そこに悦びがあるんじゃない?」
ありのままの自分を見せて、傷付けて傷付いて、それでそこに悦びがあるって言うの?エンケファリンみたいなもの?わかんない。雨降って地固まる、なんてことわざがあるけど、雨降って土砂崩れ、になりかねないんだよ。
「僕は嫌われたくない」
「みーちゃんはぁ、君の馨しい甘美を味わってんだから、滅多に離れないと思うけどぉ」
「よいしょしてますね」
「そこは信用問題でしょ。どんな頭脳明晰でも、事実は教科書よりも奇なり、覚えといた方が良いよぉ」
小説じゃなくて教科書よりも、奇なり。フィクションの奇天烈さじゃなくて、教科書を疑え、って?あぁ、なんともこの人らしい。
「……みかちゃん、殴っても蹴っても犯しても『愛してる』って言うんです。みかちゃんのトラウマ、古傷、弱点、抉り返して泣かせるんです。最低で最悪なのは百も承知。でも、どうすればいいのかわかんないんです」
「それが、本物の君?」
「そうだよ、クズでしょ?」
なんて、僕は小首傾げて悪びれもせずに笑うんだ。
「あはっ、後遺症は簡単には消えてくれないね」
「何?」
「ううん、あぁ、理想は捨てて、俺のとこに来れば?逃げてきて良いよ?」
「でも」
「自分で自分のこと縛んないの!俺が束縛できなくなるじゃん!」
「ふふ」
「余裕ないんでしょ?大丈夫、俺にだったら何しても気に病まないでいられる、君と同じクズだからさ」
「ああ」
「ね?」
「うん」




