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第四十四話

「みかちゃん、おはよ。体調は大丈夫?朝ごはん作ってあるからちゃんと食べてね。僕は学校に行ってくるから……何?」


みかちゃんがベッドの中で丸くなって、声を出しにくそうにして、口を動かしているだけだが、僕に何かを伝えようとしている。


「(ごめんね)」


嗄れた声でそう言っている気がした。初めはただの花粉症だと思っていたのに、全然治らなくて、鼻水というより咳が酷くて、医者に見せると喘息という診断が下った。それからというもの、煙草を控えるというか、禁煙に努めているのだけれど、あまり改善されない。むしろ、この春休みの間に悪化している気すらする。

僕の春休みは春期講習で埋まっていたから、みかちゃん、僕がいない間に煙草吸ってたんじゃないかな?という不信感が募るばかり。

だから、その聞き取りにくい謝罪をわざと聞き間違えた。


「僕も、愛してるよ」


そう微笑むと、少し目を丸くしてから、みかちゃんの頬が緩んだ。じゃあ、行ってくるね。みかちゃんを家に残して学校へと向かう。みかちゃんは非常勤講師として学校で働くから、授業があるコマだけ学校に行けばいいらしい。今時に言うと、かなりフレキシブルな働き方をなんじゃないかな。当然、その分、収入は減るのだけれど、お金なんてどうでもいい。自分の体調に合わせて、できる範囲で仕事をするみかちゃんは、正直、かなり格好良いと思う。今までよりも忙しくないからって、教材研究に時間を多く割いてるし、そのおかげでおそらく授業の質も高まってると思う。晩御飯は手料理を用意してくれるし、たまにお菓子作りもしている。でも朝は相変わらずで苦手で、僕に時間の余裕がある時はみかちゃんに簡単なものだけど、朝ごはんを作ってあげられることが幸せだ。今日はみかちゃん、四限からいるのか。


「お砂糖ちゃん、春休みはどうだった?」


って新学期早々、飴が聞いてきたけど、特に何もない。絵を描いて、春期講習を受けて、みかちゃんの看病をしてたぐらい。それに、三年生になったところで変わらない。結局、ザキと飴と僕の三人でいる。


「変わんねえな」


「変わらないね」


「俺は変わったよ」


と恒常の退屈の中でそう言ってきたのは、やはり飴 霰。


「何が?」


「もう歩夢ちゃんを弄るのはやめることにした」


「え、何があったの?」


あんなに歩夢ちゃんのこと好きだったのに。僕は飴のその宣言が聞き捨てならなくて、しつこめに聞いてしまった。


「何かね、歩夢ちゃんが霰は彼女いないの?って聞いてくるから、今のところはいないですね、なんて答えたら、あの人、なんて言ったと思う???」


と霰は拗ねたように質問してくる。


「霰が大人になっても彼女できなかったらなってやるとか?」


ザキがわかんねえを行動で表しながらそう言う。


「それはないでしょ、嘘の告白でもされたとか?」


と僕も試してみる。


正解はぁ、と溜めてから霰が話し始めた。



「じゃあ、キスでもしてみる?」


なんて言うからさあ、俺もキョドって


「え?」


って情けない声出しちゃって、


「嘘だよ嘘、エイプリルフール」


と誤魔化したように笑われるから、


「俺も男だからそう言われるとドキッとすんだけど」


なんて拗ねてみれば


「え?私に?ふふっ、有り得ないよ。だって、教師と生徒だなんて、無理だもん」


と一刀両断、


「へへっ、そうっすよね」


って言うしかなかったの。まじで、つらかったあ。



「霰、四月一日に学校行ったん?」


「え、ザキそこまず突っ込む?」


と僕が言うと、何か違う?と言いたげな顔をするからもう何も言わなかった。僕的には教師と生徒との恋が無理だって、思われていることを再確認させられて、若干悶えている。


「だからぁ、俺が三年生の間は引いてみて、卒業式でキスしてやんのぉ、あははっ」


と失恋のショックからか、自暴自棄で妄想の世界へと昇華している飴ちゃんはかなり精神的にすり減っている。


「確かに、卒業しちゃえば生徒じゃないもんな」


「……確かに!!!」


僕の中で、みかちゃんへのプロポーズの日程が決まった。いやぁ、でも嫌がる?嫌がりそうだなぁ、どうしよ。でも、一緒にいて暮らしてれば、もう事実上結婚してるも同然じゃん?だけどなぁ、おそろのリングが羨ましい、金ないけど。


「お砂糖ちゃん、どったのぉ?」


「いや、何でもないよ。まじで何でもない」


「卒業に合わせて、プロポーズ大作戦☆とか考えてんじゃないだろな?」


悪そうな笑みを浮かべたザキが肩を組んできて、冷や汗が止まらない。


「まず指輪を買えるほどのお金がないよ、給料三ヶ月分も」


「だよなぁ」


本当、貴方を喜ばせるためのお金がない。



「うわぁ、サムネに釣られたぁ。まだえちえちシーンが来てないのに終わりやがってぇ、このぉ」


「お粥さん、学校でエロ漫画の試し読みするのやめてください」


美術室の教師用の大きな机の上で、両肘を付きながらスマホを持った腕に、がっくしきたというように頭を乗せる。


「違う違う違う違う、違うんだよ!!!ね?だってさぁ、検索してるじゃん?出るじゃん?クリックしちゃうじゃん?ね?」


と駆け寄られて熱弁されても「ふーん」としか言葉が出なかった。


「はぁ、冷たっ!!!みーちゃんならぁ、『じゃあ、俺が抜いてやろっか?』ぐらい言うよ???」


「ふふふっ、もう絶対に言わなそうな台詞、言わないでくださいよぉ。笑って描けないじゃないですかぁ」


僕の脳内でみかちゃんがそう言っていて、似合わなすぎて笑えてきた。絶対に言わない。笑ったせいで手が震えて、筆が定まらない。


「だいたいさぁ、みーちゃんが学校いな……いるじゃん!!!何で来ないの???」


「さぁ?」


と言っているとドアがガラガラっと開いたので、急いで描いていた絵を隠して、用具を片付ける。


「あー、やっぱ、ここにいたぁ。ザキ、お砂糖ちゃん、見っけたぁ」


「ちぇっ、みーちゃんじゃないじゃん」


とスマホを弄り始めるお粥さんに、不安で心がぐちゃぐちゃな僕を少しは助けて欲しいと思った。美術室に、ザキと飴が来た。

今までの昼休み、彼女に会ってくるという口実で干渉されてこなかったのに、何故か、今日は、今日だけは、僕を探しに来た。


「どうしたの、二人とも」


「いや、何かね。探るつもりはなかったんだけど、碧ちゃんが、いや、まじでごめんなんだけど、激おこで」


と飴がめっちゃ申し訳なさそうに言ってくる。


「え?何で碧先生、怒ってんの?」


「お砂糖ちゃんの鞄から、その、煙草が出てきて……」


「ぶふっ」


口元を腕で覆って、吹き出すのを何とか堪えようとしているお粥さんが目に入った。完璧に、アウト。


「お粥さん、笑わないでください。こっちは真剣なんですよ。貴方が笑うと、ふふっ、こっちも笑っにゃ、あぁ、もうダメだわ。ふふっ、笑えんね、それ」


緊張の緩和が笑いのツボに入って、碧先生の前でも笑いそうだから今のうちに笑っとこ。飴は苦笑い、付き合わせてごめん。


「馨、何笑ってんの?」


ザキが真面目モードで真剣に僕に怒ってくるのでさえ、笑えてくる。もう僕はダメだ、クズだ。


「ごめん、それ僕のだから、本当にごめん」


と笑いながらだけど、精一杯に謝った。笑った顔を隠すために両手で覆った。


「とにかく、今すぐ謝りに行かないとやばいよ。めっちゃ怒ってた」


と飴が僕の腕を引いて、早足で歩く。ごめん、ああ、何て言い訳しよ。なんて考えちゃうのもごめんね。じゃあさ、真実を言ったら、楽になれるのかな?でもどーせ、どっちも苦しいままでしょ?だったら、僕が苦しいだけでいい。



「碧先生、それ、俺の煙草ですよ。何で持ってるんですか?」


職員室から聴こえる僕の愛しの恋人の声。


「違う、これは砂糖 馨のだ」


「えー?まじで俺のっぽいですけどね。捨てんなら、吸っていいですか?」


「はぁ、塩 蜜柑。何でお前は、何でそうなんだ?」


その声を聞いていたくて、職員室のドアを開けでもなお、名乗り出せずにいる。笑っちゃいそうだ、退学かな?


「すいません、失礼します」


「砂糖 馨、こっち来い」


手招きかあっち行けか、分かんないような仕草で僕を呼ぶ。


「碧先生、ちょっと俺が説教してみてもいいですか?」


碧先生の隣りに座っている僕の恋人が楽しそうに笑って、そうふざけたように問いかけている。


「はああ?」


聞いたこともないような、覇気と怒気のこもった声。周りを一瞬で凍りつける。


「いっつも言ってるじゃないですか。俺が説教できなくて舐められてるって」


そんな中で、僕の恋人だけは酔ったようにそんな風に、朗らかに話している。


「お前が叱っても意味が……」


「一生のお願い(?)」


か、可愛い。可愛すぎるじゃん、え?何それ、碧先生にはそんなことすんの?狡い、意味わかんない。僕にはそんなことしてくれないのに、まじ意味わかんない。とゆーか、僕は何見せられてんの?


「どっちでもいいから、結論は?反省文ですか、退学ですか?もうどれでもいいですよ」


「はあ?あははっ、ああ、そっかそっか。わかった、ちょーっとこっちおいで」


とみかちゃんに連れられて、職員室を出ると、一発殴られて、みかちゃんは僕を捨てたように職員室へと戻っていった。は……?職員室へと追いかけてみると


「ああああ、煙草」


と碧先生の机から煙草を奪う、イラついているみかちゃんが見えた。


「ねえ、煙草やめんじゃないの?」


「ん?誰だよ、知らねえな」


みかちゃんの優しい目が、口調が、すべて壊れた。僕をぶっ刺して、抉って、殺してくる。堪えていた涙が止めどもなく溢れてきて、そのまま座り込んで泣いた。恥も何もかも捨てて泣いた。何でそんな酷いこと言うの?貴方が僕を横目に通り過ぎていく。殴られた頬が痛い。


「おい、塩 蜜柑」


そんな碧先生の声も無視して、貴方は煙草を吸いに行くんだな、クソ野郎。クリップを外して、前髪も下ろして、ああ、貴方も苦しんでいるといいなぁ、なんて願った。願いながら、泣いた。


「ああもう、何したんだ、アイツ。砂糖 馨も、反省してんのは分かったから、十分分かったから、泣きやめよ」


「あはっ、本当、すいません。涙が、止まんなくて、ふふっ、止めたいんだけど。ウザいじゃん」


たじろぐ碧先生も涙が一向に止まんないのも全部全部おかしくて、泣きながら笑って、無理矢理にでも立ち上がって、職員室から自分から出て行く。精神分裂してんだな、知ってるよ。笑ってる自分も泣いてる自分も全部ウザイんだよ、消えろ。みかちゃんが好きな自分も、───。


すれ違う人達も、僕のこの口元の気持ち悪い笑顔で安心させて、気味悪がらせて、避けさせる。目元を隠すなんて、得意中の得意なんだよ。授業なんて席に座ってれば、勝手に始まって勝手に終わる。それで、単位がもらえるなんて、楽なもんだ。


二時間ほど、声を殺して泣き続けて、下校の時間(?)。ああ、そっかそっか。わかった、ずーっと待ってたんだよ。この時を。


「みーかちゃん、カラオケ行こ?」


生物準備室に引きこもっているみかちゃんを見つけて抱きしめて、あっち行けと肘を当てられる。まじ可愛い。泣いてるのがバレないように、マスクして目元も伊達メガネでしょ?可愛すぎるじゃん。


「ん"ん"、喉死んでんの」


「泣きすぎて枯れちゃったの?可愛い」


「はあ」


「もっと顔見せてよ」


と眼鏡を取って、マスクも取ろうとすると嫌がられて、腕を掴まれるけど、左腕しか掴まれなくて、右手でマスクのゴムの片側を外した。僕が得意気に笑うと、唇を尖らせて、不満そうにしている。


「嫌」


「僕は好き」


とキスすると、また右手だけで嫌がられる。まさか?はあ?馬鹿じゃん、可愛いけどさ。さらにキスして、意識を逸らして、右手でその左腕を掴む。前髪ウザい、かきあげてから、その左手首を凝視する。赤く丸くはっきりと、ただれた火傷跡。恥ずかしそうに決まり悪くそっぽ向かれる。


「ごめん、ごめんな"ざい"」


右手だけで流れる涙を拭う態度があまりにも可愛くて可愛くて、僕にしかこれを見てないのは、何とも、何とも言えぬ、幸福感で満たされる。忘れることはないけど、録画しておきたい。


「僕の方こそ、ごめんね」


こうやって、好きな人を慰められるのってすごい幸せ。僕にしか弱いところを見せてくれないから、これができるのは僕の特権。


「全部、全部俺のせ"い"」


「みかちゃんは僕を救ってくれようとしたのに、ごめん。僕が生意気な態度を取ったから、だから、みかちゃんは僕を殴ってくれたんだよね?」


もう大好きな気持ちで溢れてて、気持ち悪いほど殴られても何されても嫌いになれてない。本当に僕を殺してくれないと離せない。


「……ごめ"ん"」


「良いんだよ、全然大丈夫だよ」


「嘘、嘘だよ。全然大丈夫じゃない」


僕が全然大丈夫だと言う時は、全然大丈夫じゃないということを知っているのが、分かってさらに嬉しくなる。


「碧先生が、毎日の持ち物検査で済ましてくれるって」


「俺は?」


「ふふっ、説教されてください」


と可愛がると、嬉しそうに微笑む。嫌だぁ、なんて言いながらも、可愛く甘えてくる。めっちゃ可愛い。


「馨」


「大丈夫、言わなくてもわかってる」

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