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第三十九話

三月九日、卒業式の日。

対して、思い入れのない生徒達に「卒業おめでとう」と次々に言い、マスコットのように写真を撮られる。逃げ込むように職員室へ戻って、隣りのデスクに座ってこんな日まで熱心に仕事をする先輩に話しかけた。


「碧先生、最後のホームルームをするなら、生徒達に何て言いますか?」


「聞いてくれるのか?塩 蜜柑」


何気なく振った話題だったし、適当に受け流されると思っていたけれど、予想に反して、彼は話す気満々で、一つの授業でも始まる気がした。


「まあ、時間が潰せるなら」


泣かせ話でも綺麗事でも何でも受け入れられるのが、卒業生への最後のホームルームだと思う。学期末の仕事もほぼ終わらせて、やることがない俺は、無意味に時間を拘束されている気分だったので都合が良かった。仕事をしている手を止めて、俺の方に向き直り、目を見て話し始める先輩に、少し物怖じしてしまった。


「それほど良い話じゃないんだ。泣かせるつもりもない」


と柔らかに笑うから、安心した。


「そうですか」


「俺は今まで違うことは違うと、ちゃんとお前たちに叱ってきたつもりだ。けれども現代社会は、多様性の時代だ。何が良いか何が悪いか、判断が難しくなっている。もしかしたら俺のやり方は、お前たちの目には悪く写ったかもしれない。相手も自分も尊重することが大切だ、と説かれて、その公平さにお前たちも悩んだことがあるだろう。教師が生徒に一方的に怒るのは時代錯誤だと言われる。じゃあ、俺と一緒に悩んで欲しい。例えば、お前たちが教師で、もし生徒が目の前で死のうとしたら、どのように対処すべきなのか」


と教壇に立って、生徒に語りかける碧先生が見えてくるみたいだ。


「ふふっ、それ、私の話じゃないですか。私が"生きるのも死ぬのも個人の自由"だって言っちゃった、間違えた話」


優等生かぶりの俺は先生に意見した。


「あれからずっと考えてたんだ。お前が間違えたかどうかを。もしかしたら、お前のその言葉で、その生徒は死ぬのをやめたんじゃないかって」


「そんなことないですよ、あいつまじで飛び降りようとしましたからね」


あの時のことを思い出して、何だか虚しくも綺麗な記憶で、笑えた。


「ああ、そう」


あまり他人に干渉したくない。この世界に縛り付けられる気がして、今よりも怖くなって死ねなくなるから。なんて、あの時の俺は思っていた。それで、あの時の馨はたぶん母親から干渉されすぎて、死んで逃げたかったんだと思う。その凸と凹がパズルのようにハマった。馨が俺に惹かれた。そうやって、言いたい。けど、惹かれたのは俺の方。無意味な死に、意味を付けてくれる、と言うのだから。彼の虚勢だったとしても、「死は美しいです。」その言葉に賭けた。


「でも、生きる意味を見つけるってのは良いものですね」


「ふふっ、俺は仕事が生きがいだ」


「碧先生らしいですね。私は甘いものが生きがいですよ、何かありませんか?」


と冗談で隣りの机を覗き込む。


「チョコレート食うか?」


引き出しからブランド物のチョコレートが箱ごと出てきたのでビクッた。


「まじですか」


「ああ、それで、このホームルームの終盤は、正解がわからなくとも真摯に向き合うことの大切さを説きたいんだ。意見を押し付けるのではなくて、まずは自分の考えを提案して、一緒に悩んでみること。それでそれぞれの問題解決の糸口が見つかればいいと思ってな、どうだ?」


チョコレートのことは構わずに、プレゼン方法を語られた。けれど、気持ち的に話半分になってしまって、終わったあとで何かもったいなくなった。


「いや、それは素晴らしいと思いますけど」


「けど?」


と眉を顰める。


「こんな高級チョコレートもらっていいのかなって」


「はあ、そんなことかよ」


プレゼンの改善点かと期待されたんだろう。


「だって」


と反論しよーと思ったところを遮られて、


「塩 蜜柑、お前の誕生祝いだ」


と顔を見せずに言われて、何処かへ行ってしまった。は?今日、俺の誕生日、覚えてくれてたんだ。というか、知ってたんだ。今まで一度もなかったのに。待って、俺が今年度で辞めると思われてるんじゃない?だから、こんな高級チョコレートまで。考えている暇もなく急いで追いかけた。


「碧先生、待ってください!俺、やめるんじゃなくて、非常勤講師として、ここ続けますから、えーと、その、何てゆーか、忖度しないでもらえますか?」


馨が使っている教室、碧先生のクラス。そこで碧先生を見つけて、俺の感情をぶつけた。


「は?」


理解ができないと言った様子で、黒板に触れたままのチョークが止まった。


「困っちゃいますよ、こんな高価なものを頂いても。その、お返しに」


「別に返さなくていい」


とまた黒板にチョークで書く音が教室に響く。カッカッと迷いなく書いていく音。それに俺の声が負けてしまいそうで、こっちを見てくれないのが怖かった。


「じゃあ何で、今になって、くれたんですか?」


と聞くと、カタンとチョークを置いた。


「塩 蜜柑の生きがいなんだろ。それ食って、生きててもらわなきゃ、こっちが困るから」


後ろにある教壇に少し寄りかかりながら、教室のドア付近で立ち尽くすこちらを見て、くしゃっと笑った。胸の中がほんのり痛くなった。


「ふふっ、三者面談の季節ですね」


黒板に書かれたタイムスケジュールを見て、笑みがこぼれた。これも最後なんだと。


「憂鬱か?」


「まあでも、生徒の成長を親にプレゼンする良い機会ですよね」


馨の机にさりげなく座って、何か面白いものはないか探った。机の中身まで綺麗に整頓されていて、あの子らしいという感想だ。


「つくづくお前の成長を感じるよ。酒飲みまくって、モンスターペアレントだって、愚痴ってたのが嘘みたいだ」


とチョークの粉のついた手を叩く。


「それ何年前の話ですか?」


「ついこの間だよ」


いつも通りに意地悪く笑う。



「お誕生日おめでとうございますっ!」

「お誕生日おめでとーっ!」


という声が重なって、玄関を開けた瞬間にクラッカーが鳴らされた。陽気な二人に出迎えられた。


「ありがとう」


歳を重ねるのはめでたいことだと、一度も思ったことはない。死期へのカウントダウンをしているに過ぎなくて、謎に祝われるのがおかしくもあり、悲しくもある。


「兄ちゃん、はいプレゼントっ!馨くんと一緒に選んだんだあ」


と妹から紙袋を渡されて、中にはバケツハットやサングラス、ジャケットなどの洋服がトータルコーデで入っていた。


「僕からはコレです。あまりお金をかけないように言われたんで」


と恋人からは握りこぶしを手に置かれて、その手が退けると、手の上にルリボシカミキリが乗っていた。


「ふふっ、ルリボシカミキリだ」


「チョコエッグ食べて手に入れました、三百円です」


と笑う恋人。三百円でも何でも、恋人から貰うものが一番嬉しい。


「ありがと」


「ほんと、大変だったんだよっ!東京で買い物してたんだけど、馨くんにスカウトがたくさん来ちゃって、私よりも大人気でさあ」


「僕は檸檬ちゃんの方に来てるかと思って、すごい焦ったんですけど、檸檬ちゃんはプライベートだと、全然気づかれなくて」


「それで、気疲れした馨くんが『一億円くれんなら考えます』って、それがめっちゃ面白くって」


「ふふっ、めんどくさかったんです。でも、檸檬ちゃんの大人っぽい格好には驚きました」


「可愛さ満載のモネを封印するにはそれぐらいしないとなのっ!」


「東京デート、二人とも楽しかったみたいでなによりだよ」


と玄関で靴も脱げない状況で、その時の思い出話を二人で報告してくれて、ちょっと中に入れて、座らせて欲しいなあって。


「そう、めっちゃ楽しかったのお」


と能天気に話す妹は、まあ、可愛いから許せる。


「檸檬ちゃん、みかちゃんにアレを見てもらわなきゃじゃないですか?」


俺の思いを受け取った馨が檸檬に示唆して、


「あっ、そうそう!兄ちゃん、はやく中入って!」


と言わせた。やっと靴が脱げて、中に入ろうとすると、すっと後ろから手を出した馨に両目を覆われた。


「この方が楽しいでしょう?」


と耳元で囁かれるとゾクッとした。


ジャーンっ!、という妹の声で視界が開けると、輪飾りや風船、モールなどで飾り付けされた部屋を見せられた。その華やかな部屋の中心に、横断幕で「塩 蜜柑 二十六回目のおめでた生誕祭」と習字で書かれていて、相変わらず、楽しんでふざけてるなあ、と元気が出た。


「ふふっ、凄いなあ。こんなことまでわざわざありがとうね」


「これが今日の私の集大成っ!」


誇らしげに妹が腕を組んだ。休みだったのか。でも、これが妹一人でやったとしたら、馨は?


「それに、今夜のディナーは何だと思いますか?」


と馨が腰にエプロンを巻きながら、聞いてくる。俺、今日の朝、何て言ったっけ?


「あっ、寿司?」


「正解です」


だとしたら、何で部屋を飾り付けしてんの?今から食べに行く?馨がエプロンしてるけど?


「え、待って、嘘。その、まさか?」


「はい、そのまさかです。僕が握らせていただきます」


と爽やかに笑う、板前の馨。


「まじで?やばっ、楽しすぎる」


お金をかけないようにと釘を刺したらこんなことになった。外食はできないから、自分で作っちゃえっていう発想。物よりも経験のプレゼント。お金はかけれないので時間をかけましたって言い訳されそうだ。


「私は昼に試食させてもらったけど、めっちゃ美味しいから」


妹が太鼓判を押してから、役目を終えたように、「じゃ、またねっ☆」と帰って行った。壁に貼られたメニューも習字で書かれていて、本物の寿司屋のようだった。

イカ、オオトロ、ミル貝、中トロ、ホタテ、テッカマキ、イクラ、〆サバ、サーモン、エンガワ、ハマチ、マグロ、ズワイガニ、生ウニ、など、本当に色んなネタを仕入れてくれたものだ。


大トロや中トロは目の前でブロックから切ってくれて、適温に冷ましたシャリとともに握ってくれる。その流れるような手さばきに感心しながら、その寿司の美しさにも、うっとりする。今日の馨の集大成がこれか。


「馨も食べな?」


テーブルを挟んで向こう側に立っている馨に、マグロに醤油を付けてから食わせた。


「我ながら、ふふっ、美味しいですね」


と板前をやりながら、もぐもぐしている馨を見れて、俺はつい頬が緩んだ。


「んー、ここのお寿司はみんな美味しいっ!板前さんが愛を込めてお寿司を握ってくれるからだろうね」


「ふふっ、ありがとうございます。お誕生日の方限定で、デザートもご用意しておりますが、いかがでしょうか?」


「それじゃあ、いただこうかな」


というと、冷蔵庫からチョコレートケーキが乗ったプレートを取り出してきて、「お誕生日おめでとうございます」という言葉と共に差し出された。


「わあ、すごっ!これ、馨が描いたの?」


プレートにはチョコペンで笑顔の塩 蜜柑とセンスあるHappy Birthdayとたくさんのハートが描かれていた。めっちゃ可愛い。思わず写真を撮った。


「はい、みかちゃんを想いながら」


「ふふっ、幸せ♡」


そのチョコレートケーキも甘くて、幸せの味がした。


「僕もひとくち」


とキスをしてくる馨も、俺の幸せを膨張させる。死んでもいいほどの幸せな日。ケーキを食べ終わって、お酒もかなり回って、俺の話をうんうん、とずっと楽しそうに聞いてくれる馨。至れり尽くせりといった感じ。かなり満たされている。これ以上、満たされたら死んじゃうくらい。


「それでさあ、裏メニューって頼んでもいい?」


酔った勢いで、幸せに溺れる決意をした。もう俺が壊れてしまいそうだ。


「来店初日なのにですか?」


と意地悪く言ってくるが、期待してるような目を見せて笑う。


「馨とたっくさーんまぐわう、って書いてあるけど」


メニューの一段目、二文字目の列。こんなところにまでネタが隠されている。それを聞くと、自分でやったのにも関わらず、手で顔を覆って恥ずかしそうにする。そして、また見せたと思えば、赤面していて、かーなり可愛い。


「ふふっ、お愛想をお願いします」


身体で払えって?愛想を見せろと?ああ、やってやるとも、愛してんだから。


「もっと俺を満たしてくれたらね」


ただひたすらに可愛い。


恋人は天井を見ながら、俺に読み聞かせをするように話し始める。


「最近は、死にたいって思うことよりも、この瞬間まで死ななくて良かった、って思うことが多くなりました。僕はこの幸せを最大限に享受したいから、狂ったように死にたいって思うんでしょうね。だって、普通の人の幸せを、僕の場合は生きていることの喜びプラス幸せ、で受け取れるんですよ?この予想外の思考は、みかちゃんのおかげです」


「ふふっ、嬉しい。馨には予想外の経験をいっぱいして欲しいなぁ。だいたい、この世界は将来が見えすぎるんだよ。こうしたらそうなるでしょ、って、それが当たり前でしょ、って。良い大学に入ったら、良い就職先が見つかるとか、お金持ちになるとか、そういう統計までも得られる時代だから、何だろう、ウザったいね」


その敷かれたレールの上を歩かないといけないのもウザったいし、レールから外れた瞬間に落ちこぼれと思われるのもウザったい。


「ふふっ、みかちゃん好きです。僕の思ってることそのまんま。現実ってそんな統計的推論だけの問題じゃなくて、簡単じゃないです」


「うん、いつ死ぬのかわかんないのに、みんな将来のことをまだ生きている(テイ)で考えてるの。ちょっぴり滑稽に思っちゃう。でもいつ死ぬかがわかってても、俺は将来のことなんて考えられないや。そんな俺のがよっぽど滑稽に思われるかな?」


日々を淡々と過ごしていて、死期がだんだんと近づいてきて、人生は無意味だし、将来を考えるだけ時間の無駄だし、一生懸命になっても、死んだらみんな終わり。そんな冷めた考え方で生きてきて、将来の夢も希望も人生に対する熱も何もなかった。だから今になって、馬鹿みたいに、馨と永遠に一緒にいたいと強く願っては、現実を考えろって、一蹴されて終わり。熱を帯びた瞬間、将来のことを考えるのって、難しいんだってわかったよ。


「まあ、僕はみかちゃんの味方しますし、将来の見方も同じですよ。だから、みかちゃんもみかちゃんの味方してください。そしたら間接的に、みかちゃんが僕の味方になります」


馨には隠しているけど将来の夢も希望もまだあって、俺に合わせてくれているだけに思う。だって、馨に目標がなければ、あんなに死ぬほど苦しまなくて良いじゃん。廃人ロードを歩けば逃げれば良いんだもの。でも、馨は良いなぁ。つらいことや苦しいことがあっても、最悪は死んじゃえばいいと思っている。自分の意思で死ねると思い込んでいる。つらくても苦しくても、まだまだ生きていないといけないと叩き込まれるよりは良い。


「でも、俺の人生は無計画すぎじゃないかな?」


「確かに、健康は害するし、生徒と恋するし」


「今はその生徒の腕の中だし?」


「はい、それでも今が楽しいんだからそれで良いんですよ。今日死ぬと思ったら、僕だって、なりふり構わずにみかちゃんとずーっと一緒にいると思いますし、甘ったるくて吐きそうなくらいのあまーい言葉をかけますし、最大限の幸福を得ようと努力しますから」


「ふふっ、楽しみ。だけど、みんなはその最大限の幸福を得ようと計画的に生きるんじゃないの?馨だって、将来のために勉強してるじゃん?」


「うーん、僕の場合は学生という立場にかまけてたいからなんですけど。将来の希望は見えなくても、ちょっと未来の幸せが見られれば、それで良いと思ってますよ。みかちゃんもちょっと幸せになりたくて、僕の傍にいることを選択したんじゃないですか?あはっ、調子乗っちゃいましたあ♡」


「良いよ、それで。こんなの無計画だけど、楽しいんだからこれで良いんじゃないかなって思えてるよ。それに、人生が計画通りに進んでもそれはそれで、絶対につまんないじゃん!」


俺の人生、馨と恋に落ちるまで、めっっっちゃつまんなかった。総じて悪い過去に良い思い出が点々とあるんだけど、毎日が死を待っている日だった。だから、断言していい。無計画でも予想外でも、楽しければ何でもいいってこと。展開が読める映画がつまらないのと同じだ。


「あははっ、みかちゃんのことずーっと愛せますね♡」


「その場限りでも嬉しいもんだね」


「酔ってくださいよお、これは永遠の愛だと確信を持った馬鹿が言っているのに」


と甘えるように抱きついてくる。その可愛い顔を撫でて、一音一音を大切に愛の言葉をプレゼントした。


「馨、やばいくらいに愛してるよ♡」

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