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第三十八話

「今の時代さあ、何でもかんでも若い奴がもてはやされすぎだと思うんだよね。いやぁ、俺は若い芽を摘みたいんじゃあないよ?まだまだ俺も若いしぃ?新人いびりするおっさんにもなりたくないしぃ。でもさあ、この年齢で!?みたいなテロップに飽きるの通り越して、錆びるのを感じちゃうんだよ。嫌味に聞こえんの。みーちゃん、これって重症かなぁ?」


美術室へと煙草休憩をしに行くと、美術教師というより芸術家のような彼が、その繊細な神経と口を尖らせている。


「確かに若い年齢、イコール短期間で、それなりのものを作れるのは、褒めるのに値するよ。効率が良いってね。まあ、話題性もあるから、メディアが好むのも頷ける。けれど、それよりも褒め讃えられるべきなのは、洗礼されたオリジナリティ、じゃないかな?」


「みーちゃんってさあ、俺よりも狂っちゃってて可愛あい」


俺が言葉を取捨選択して導き出した回答を、そのひとことで片付けられるのは、何とも言えない憤りがある。笑顔が引き攣った。


「芸術家ってのは、こうも揃いも揃ってクズなのか?」


あーあ、一息遅かった。煙草の煙で肺の中を満たしていたら、先程の悪い言葉遣いをする吐息の空気ですら、煙で消してしまえただろうに。


「あはははっ!まぁだ、馨くんと喧嘩中?」


彼は自分が攻撃されたのも知らぬ笑顔で、もう一人の攻撃対象、俺の恋人のことを持ち出した。


「いいや、関係はかなり良好だよ」


「じゃあ、どうしてそんなこと言うの?」


笑顔が消え、ただ無垢な子供のように、俺を見つめてくる目が怖い。


「……ごめん、嫉妬だね。俺がこうして酒と煙を浴びているときに、君らはその苦悩を描いて昇華してしまうんだから、恐ろしく素晴らしいよ」


「そうしていないとつらいから、そうせざるを得ないんじゃないの?こう考えると、みーちゃんのそれも芸術じゃない?」


馬鹿にして、煙草を吸う仕草。


「はは、もうよく分かんない」


馨の絵は綺麗なだけじゃない、心が抉られるような絵だ。それをじーっと見ていると、つい酒や煙草に手が伸びてしまう。最初のひとくちは、誰でも味わえる甘い砂糖の味。でも、最後のひとくちは、俺しか味わえない苦い煙草の味。そんな絵なんだ。


「だって、人生の苦悩に対するみーちゃんなりの表現でしょ?生身の人間が芸術なのは革新的で、お偉いさんに褒められちゃうかもねぇ?」


と煙草を持つ手を掴まれて、キャンバスに煙草を押し付けられた。せっかく味わってたのに。焼け焦げた染みが付いたそれを、みーちゃんの作品と言われた。


「雑」


「あれー?創作意欲の火を付けちゃったかなあ?」


わざとらしさが際立つ演技で、煙草の灰のような俺の向上心を覗き込んでくる。


「俺はいいや」


火は消えている。



「馨くん、君と同年代の子がメディアで活躍してるんだけど凄くなーい?」


凄いか凄くないかなんてゴミほど興味ないが、この子の反応や意見には唆られる。シニカルな視点でコミカルに笑うんだから。


「そうですね」


んー、反応薄いなぁ。


「君も注目されたいとか有名になりたいとか思わないの?」


「いや別に、どーでもいいですね」


彼はひたすらにキャンバスと向き合って、絵の具を重ねていく。正解を炙り出したいようだが失敗しては唸っているだけ。集中力が途切れた瞬間、もっと深くに切り込んだ質問をした。


「君は何のために絵を描いているの?」


「貶してますか?失敗ばっかで、時間の無駄だって」


彼が椅子の背もたれに体重を預けて、仰け反るように座り、天井を見上げてため息を吐いた。


「そうじゃなくて、純粋な質問なんだ」


「何のために、と言われれば、僕のためですね。単なる自己満足です。猫踏んじゃったっていう残虐的なのにポップなメロディありますよね?それに猫のフン踏んじゃったを混ぜたものが僕の絵だから、おそらく、見世物じゃないですよ」


と鮮やかに笑う。


「俺には見せてくれんじゃん、可愛いね」


「それは貴方が僕の教師だからです、それ以上でもそれ以下でもありません」


「じゃあ、教師っぽいことを言えばいいのかい?洗礼されたオリジナリティ、の観点で評価すると君のはマイナス百億点っ!オリジナリティが強すぎてまじシュールストレミングって感じぃ」


「口調がそのそれじゃないですけど、ありがとうございます」


ディスっても笑って返されるから、絵に対しては我が道をゆくエゴイストだと思う。


「しっかし、みーちゃんに見せるのは高評価を押さざるお得ないわぁ。嬲り殺される感じがまじたまんなーい」


「そりゃあ、まず丁寧さが違います。みかちゃんに見せるのが宝石だとしたら、お粥さんに見せるのは愚痴と愛憎と寂寥の原石です。ああ待って、人間の醜くて汚い垢のが字面の不快感が良い」


「君の排泄物を俺は見せられているのかな?」


指で机を叩いて、トントンと鳴らした。


「あははっ、そうなりますね!」


意図的でなくとも、俺に嫌がらせ行為ができていることを、嬉々として笑う。


「なら死なないで、たぶん愛してるから」


それを見せられても冷めないって、たぶんそうゆうことだよね。きっと懇ろになれるよ俺達。それでいて、これからもずっと見ていたいんだから、はは、重症じゃないか。


「そんな浅薄な言葉で僕の十七年間で築かれた死にたがりな性格が変わるとでも?」


シニカルに死にたがりは笑う。



「俺もこうやって大金持ちになれないかなぁ?」


僕達と同年代の人で漫画家として活躍しているという記事を飴ちゃんが見せてきた。


「僕はモラトリアム人間だから、永遠に学生でいたいけど」


というよりも永遠にこの時の流れを止めて、閉じ込められていたい。


「俺も働きたくないからさあ、一発当てて、大金持ちになりたいの」


「じゃあ、一緒に詐欺でもしない?」


「お砂糖ちゃんって、突発的に人殺しても完全犯罪成し遂げそうだもんね」


なんて偏見を言われて、一発当てるって言っても、普通に宝くじとか芸人とかでだと補足された。


「まあ、お金がすべてじゃないよ」


「でもでも、若いうちに綺麗に着飾って、完璧に俺の人生は成功したって言いたくない?」


「んー、分かんないかな」


金持ちになって綺麗に着飾った自分が想像できない。ただ朝にコーヒーを飲んで、みかちゃんにキスできるこの人生がとても成功している感じがした。


「お砂糖ちゃんは、そーゆー社会的地位とか名誉とかには興味ない感じ?」


「ああ、ないわ。ないない」


「えー、何で?」


「だって、そんなのは神でも何でもない人間が決めたものじゃん。僕は愛している人に僕の存在が認められればそれで良い、というか、それが良い」


と自分の持論に満足げにニヤついていると、飴ちゃんは不満げに口を歪めた。


「それはロマンチストじゃない?だって、どんなに愛しても何しても人間じゃん。心が変わるかもしんないじゃん?もし社会的地位や名誉を手に入れたら、それは大多数の人間が否応なしに認める決定事項なんだよ?消えることのない肩書きってめっちゃ良くない?」


力説をされた。恋人は一人だけど、社会的地位や名誉を決める審査員に認められて、それをメディアで拡散されて、それは大多数の人間の共通認識となる。その人達がその地位や名誉を認めるかは置いておいて、覆すことはできない普遍的事実には近づく。まあ、普遍的事実というのは世の中には存在しない。ただの記号と同じだ。


「確かに。じゃあ、僕の消えることのない肩書きは"死にたがりのクズ人間"にして。これが僕の社会的地位と名誉だから」


「本当、お砂糖ちゃんは、どうも、んー、何か、変わってるとゆーか」


飴ちゃんを困らせてしまったようだ。


「社会的に褒められるような地位や名誉を手に入れると、数多の人間から尊敬されるかもしれない。お金も入るかもしれない。でもそれは、自分がその人間やその物を信用する重さの問題じゃないかな?」


「お砂糖ちゃん、わかんなーい」


拗ねられもした。


「例えば、ここにボールペンがあるじゃん。これは疑いの余地がない事実だって飴ちゃんが信じているから、このボールペンはボールペンとして存在しているんだよ。もしかしたらボールペンって名前じゃなくて、実際はボールポイントペンって名前かもしれないでしょ?」


ボールペンという名称で多くの人間の共通認識になっているから、ボールペンと言われているだけで、これの正式名称はボールポイントペンだ。これは僕がこう信じているだけかもしれないが。


「もっと砕いて」


と理解しようと真剣に聞いてくれるから、こっちもテンションが上がってくる。


「飴ちゃんは、女の子ですか?」


「違う」


「それは何を根拠に違うと判断したの?」


「チンコあるのと、まあ、見た目とか体格とか?」


生殖器の形状の違いが出るのは、生物の雄雌の区別みたいだ。突っ込む方が雄で突っ込まれる方が雌と、セックスで考えた場合、僕とみかちゃんでは、僕は雄になってみかちゃんは雌になる。けれども、みかちゃんは列記とした男性だから、この説は間違いになる。そんなことを繰り返して、普遍的に使える判断材料を炙り出すんだ。


「一般的に男性といわれる基準を満たしているからじゃない?」


「そうそれ」


「じゃあ、この写真は女の子?男の子?」


スマホであの写真を見せる。


「これ、お砂糖ちゃんが文化祭で女装した奴じゃん」


「そう」


「男の子でしょ?あっ、オトコの娘って」


娘って書く方で、言った方がいい?なんて聞いてきそうなので、食い気味で否定というよりも切り捨てた。


「そこはどうでもいいかな。でも、この写真を僕を知らない人にパッて見せたら?」


「それは完璧に女の子って答えるんじゃあ」


はてなマークを浮かべながら飴ちゃんが答えた。


「だからだよ、人間の認識能力には誤りがある。見た目に騙されて本質を見失ってしまう。それでもうまく機能する場合が多いから、わざわざ突っ込む必要もないんだけど」


人間の脳味噌は単純化が好きだ。この写真の人物を見聞した経験と情報から判断して、女の子だと認識する。これが間違いである可能性はそれが普通であれば低い。この普通も社会や人間毎に違うので何とも言えないが。


「んー?んー、猿でもわかるようにっ!」


さらに話を聞きたげだ。


「大抵の人間は、メディアの情報を鵜呑みにするんじゃないかな?自分の信念に則しているのは特に。この記事の漫画家、同年代でお金を稼いでいて凄いって、飴ちゃんは思ったんじゃん?」


「だって、そうでしょ?こんなに稼いでて」


特に年収のところを強調して書いたような記事だ。タイトルまでもお金のこと。漫画の内容をよく伝えようとはしていないみたい。


「その記事を書いたライターもそう思ってるんだろうね。でも僕は皮肉屋だから、勉強そっちのけで漫画を描いていられるそのメンタル凄いって思うんだ」


「あははっ、典型的なお砂糖ちゃんだ」


と笑われた。感じ方が人それぞれ違うのは、人それぞれに思考の偏りがあるからだ。


「飴ちゃんはお金に重きを置いているように、僕は勉強に重きを置いているんだ。そして、この記事の漫画家は漫画に重きを置いていて、この記事のライターはその漫画ではなくてお金に重きを置いて記事を作成した。だから、飴ちゃんが食い付いた。みたいな?」


自分でも言ってて、よく分からなくなりそうだった。僕の重きは勉強以外にもみかちゃんや絵や友達など様々あって、それらを肯定する意見には分別なしに頷きたいと思ってしまう。いまだにツイッターに絵を投稿するのをやめられないみたいに。


「俺がこのライターの撒いた餌に引っかかったってわけー?」


「ふふっ、まあでも、インターネットの凄さを感じるね。自分の興味に合わせてカスタマイズされて、一辺倒な意見の情報を提供してくれるなんて」


「お金持ち=凄い、の俺の思い込みを加速させられるってわけかあ。そーゆー意見しか見せてこないし、その意見数が多いと俺もこれが正しいって思っちゃうなあ」


「だから、僕は自分が信用している人の意見しか信用したくないの」


「結局はそんな簡単な話に収まっちゃうんだね」


どっかの誰かさんが言っていたような言葉を発したと僕自身も思って、虚しくなった。


「この複雑さが良いんだよ。理由もなしに聞いたのと、長ったらしい説明を聞いたあととでは、この言葉の重さが違うでしょ?」


「あははっ、押し付けがましぃ」


と、この意見は採用してはくれなかった。結局、僕が言いたいのは、赤の他人からの「死ね」の言葉よりも、みかちゃんからの「愛してる」の言葉のが強いということだ。結果が重視される世の中だけれど、それはただの上澄みみたいなもので、紙にしても言葉にしても薄っぺらい。お目を向けていただきたいのは、その下の深い泥沼みたいなところで、底に手が届いているのは、僕で言えばみかちゃんみたいなものだ。もし僕のことを研究する大学があるのなら、みかちゃんは博士号を取得レベルだ。



「みかちゃん、泣いている子供に『泣かないの、男の子でしょ?』っていう母親、理不尽じゃないですか?」


塾から家に帰ってきた途端にそんなことを言われた。帰り道に遭遇して、そのことをずっと考えながら帰ってきたんだろう。


「ふふっ、俺も言われたことあるよ。男だから強く育てないと、みたいな母親の使命感があるのかな?」


「僕は男とか女とかそういうフィルターを通して、人間を見ることにどことなく違和感を感じるんですよ。何故か、いらっとしちゃいます」


と愚痴りながらソファの隣に座られる。


「母親から一般論を押し付けられるのは、泣いている子にとっては、まさに泣きっ面に蜂みたいなものだよね」


と酒を飲んで、陽気に笑った。


「僕が一般論から逸れているから、こう感じるんでしょうか?」


懺悔でもするように、神にでも告白するように、膝を抱えてそう質問される。


「良いじゃん、逸れてて。それで、俺を愛してくれるんだから」


俺は神でも何でもないから、正しい道なんて分かんない。だけど、慰めるようにキスはできる。


「僕はみかちゃんをみかちゃんのまま、愛そうとしているんですけど、僕の理想像を押し付けているんじゃないかって、時々、怖くなるんですよ」


「ふふっ、それは否定しないよ」


というと、あちゃーってやらかしたみたいに苦笑いを見せる。


「けど、俺の許容範囲を広げてくれんのが愛じゃないかなって思うんだよ。これって、自己陶酔的?」


「ふふっ、そうですね」


酒もタバコも制限して、でも我慢できるのは馨がいるからだと思う。馨を愛してるからだと思う。


「酷いなあ、まじで愛してんのに」


「僕はいつまでもみかちゃんに愛される僕でいたいですよ。愛されてるのにかまけてないで、いつまでも魅力的な人間でいたいです」


高い向上心の裏返しで、死にたがりになってしまったような彼は俺を置いて、どっか遠くに行ってしまうような気がした。


「なーんか、俺がクズに思えてきた」


「そんなことないですよ」


と皮肉を込めて笑っているみたい。


「だって、馨は、、、ああもう、タイミング悪いなあ」


「勉強ばっかで、嫌いですよね?」


馨にも譲れないものというか、ちゃんと人生があって、それを俺が崩してはいけないって重々承知の上で、俺は愛しているんだけど、俺にも賞味期限ってのがあって、っていうのは俺の我儘か。


「いいの、その馨を愛してんの」


と甘えるように抱きしめて、この時間を大切に噛み締めた。


「みかちゃんとの子供が欲しいです、なんて、ああ、あははっ、疲れてんのかな?」


キスした後に顔を赤らめて、それ見せないように俺の肩に顔をうずめた。可愛すぎるなあ。いつもの判断が狂うぐらい疲れてんのか。今まで付き合ってきた人にも、子供が欲しいと言われて、ことごとく断って破局した。子供は嫌いじゃない、むしろ、好きだ。高校生の馨を俺の息子代わりに育てている気分にも、時々だがなっていた。だけど、俺の遺伝子を持った人間が誕生したとして、それは俺じゃない。馨は、一人の人間を俺というフィルターを通して見て育ててしまうのではないか。馨が母親にそうされたように。


「馨は、子供を何だと思ってるの?」


つっけんどんな言い方だと自分自身でも思う。けれど、子供からすれば迷惑だ。そんな、俺達の都合で、理想像を押し付けられて、この世に産み落とされるのは。


「冗談ですよ、本気にしないでください」


と力なく言われた。


「いいや、聞きたいんだよ。愛の結晶だとか性行為の結果だとか、子供に対して馨はどう表現するのかなって気になって」


「強いて言うなら、みかちゃんの肉片、ですかね?」


恍惚な表情で俺のことを誘う。可愛い。


「馨のも入ってるじゃん、純正の俺じゃない」


と意地悪を言うと


「じゃあ、歪な合作ですね」


と笑った。


「ふふっ、途端に愛が亡くなった」


「僕のが入ってると思うと、どっか気持ち悪いんですよ。でもかと言って、みかちゃんが他の誰かと子供を作ったら、それはそれで」


と悩んでいる。俺は、自分の遺伝子が入った子供は可哀想だと感じてしまうから、作りたくもない。


「腹立つね」


「ふふっ、そもそも僕が子供嫌いですしね。でも、みかちゃんとの子供はきっと、とても愛おしいものですよ」


と馨は俺と子供を作るような行為をする。もし俺が何の障害もなくて、ただ一般的な女性だったら、迷わずに馨との子供を産んでいただろう。いい父親になれるよ、って馨に言って、休日は三人で公園に出かけたりするんだ。理想的な家族を演じるんだ。でも、馨が子供に手を上げることもあるだろう。そんな時は俺が馨の傍に寄り添って、泣いている彼を慰めたい。俺も馨との子供を産みたい。

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