第三十六話
「ありのままの自分を受け入れてもらおうなんて、僕から言わせれば傲慢ですよ」
と可愛い教え子に言われて、社会のために自己犠牲的に生きていることを伝えられた。そんなのしてるから、人生が無意味に感じるんじゃないかって思うけど。過去の自分にそっくりだった。
「麗さん、来ちゃいましたあ」
って昼間に猫カフェを満喫してきた恋人が夜中に遊びに来た。インターホン越しだけど、殴りたかった。
「ああ、寒っ。今さあ、彼女とやってんだけど」
怒りに任せて咄嗟にバスタオルを腰に巻いて、冬に玄関ドアを開けるなんて馬鹿な真似をしてしまった。
「わお、タイミング最高だ!」
とわざとらしく口元を手で隠して、うふふなことでも考えているお花畑脳味噌を察した。
「もう寒いからじゃあね」
とドアを強引に閉めようとすると、力負けして部屋の中に入ってきて、浮かれた顔して
「俺も交ぜて」
って俺の少し濡れてる裸体を抱きしめてくる。ダウンジャケットそのままだし、手は冷たいし。
「離して、まじで嫌だ」
心理的に服の汚れとか、逆に服に水を吸わせるのとかがめっちゃ嫌で、さらに、疲れてるから触れられるのにも神経質になってる。
「ごめんなさい」
とパッと手を引っ込め、素直に言うことを聞いてくれるのはさすがは俺の恋人だと思う。
でも「そんな格好で出ててきて、変に嫉妬させといて」とごちゃごちゃ愚痴ってくるのは面倒くさい。
「疲れてるから無理なの、帰って」
頼み込むように言葉を吐いて、玄関先で軽い貧血から座り込んでしまう。おえ、気持ち悪いいい。
「そんな状態を見せられて、帰れるほどヤワじゃないです」
何言ってんの?もう無理なんだって。帰れよ、馬鹿。俺は何もできないんだから。
「じゃあ、死んで」
口先だけの言葉が口から零れて、膝を抱えて頭を埋める。最悪。
「それも、無理っすね〜」
って朗らかに笑う。そしてダウンを脱ぎ始めて俺に中に着てたパーカーをかけた。さっきまで着てたから温もりがある。きっしょ。
「猫の毛付いてんだけどお、汚ねえ」
玄関タイルのところに猫の毛を捨てて、これだから、ペットとか生き物とかは嫌いなんだと思う。服の麗しさが損なう。
「コロコロしたんですけどね」
「やめて、服が可哀想」
「こだわり強っ!」
彼が驚いてるのに驚いた。俺の普通は彼の普通とはやはり違う。
「俺にとっては、俺を表現して魅力的に見せてくれる武器だから。大切にしてるの」
猫の毛を取りながら、好みじゃないパーカーを愛おしく思う。
「そうなんですね、でも俺は麗さんの裸も好きですよ?」
「鑑賞料取るぞ、バーカ」
とイーって口を真横に広げて歯を見せた。
「触れてもいいですか?」
と許可を求めているが、触れる気満々で両手を俺の方に差し出した。
「お姫様抱っこならいーよ」
って言った瞬間にヒョイっと軽々持ち上げられて、「いつも運んでる荷物より軽い」なんて脳筋バカも少しは役立つと思った。ベッドまで運び込まれて、
「嘘つきました?」
と彼女なんていないことを確信したみたいだ。本当は風呂上がりでボーッと寛いでいるときに君が来たんだ。
「君を傷つけると思っての優しい嘘」
「嘘つかれる方が傷つきますよ、それにかなり嫉妬したから優しくはない、かな」
彼は布団をかけてくれるけど、まだボディクリームもパックもしてないから寝れない。
「君も優しくない」
「えー?」
と優しくしてるはずなんだけどみたいな表情で、俺の我儘に付き合ってくれてるってことを感じ取ってしまう。
「猫カフェに行った」
「猫に嫉妬でもしたんですか?」
犬みたい、いや、熊みたいな君が小さい猫を撫でている姿を想像しては滑稽だと笑ったが、君にとっては、恋愛感情もない相手、ましてや猫に嫉妬してる俺のが滑稽だろう。美麗なものに心惹かれる身としては、人間も動物も植物もすべて同じに感じられて、人間だから好きというのはあまりない。
「嫉妬とゆーか、ああそうだろうなあって感じ」
俺は君を癒してあげられないし、満たしてあげられない。それでいて、愛されたいなんて傲慢だけれどそれが俺だ。恋人同士なんて、幾つもある欠けた部分を何箇所か補う関係で、俺が補えない部分は他の何かで補うしかないもの。特段、君が何をしようと俺にはどうでも良いこと。
「んー、もっと聞かせて」
「最近何もかもうまくいってなくてさあ、綺麗なものが描けなくなっちゃった。理想なんて描くだけ、自分の手が汚れてくんだから、苦しい」
自分の想像を超える創造をしたいのに、自分の想像範囲内でしか創造はできないから、何者かになりたい。最高傑作でも数時間後には破り捨てたい衝動に駆られる。理想に不安を煽られて、現実逃避した場所で安心感が欲しい。理想がすべて歪んで溶けて、熱を持たない無機質なものだけが残る。魅力的に感じる嘘が見えなくなった。嘘つきにもなりたくない。
「麗さんはお綺麗ですよ」
と横向いて寝てる俺の背後から、肌と肌が直接密着してそのままくっ付いて混ざりあってしまうほど力強く抱きしめられた。彼の体温が心地良くて、何処かシェルターみたいな場所で、外的攻撃からすべて守られている気分がした。どっと涙が溢れてきて、それを隠せないでみっともなく号泣した。嗚咽して、何も考えられずに、頭の中が真っ白になっていく。そして、何もなくなったとき、俺の頭を撫でる君の手を感じて、「こいつ、生きてるんだなあ」って嬉しく思った。
一人で黙々と絵を描いていたら、いつも間にか夜中になってて、それでも結局寝られないから絵を描いていた。みかちゃんは今頃、オタク友達とライブの余韻に浸って、語り合ってるんだろうなあ、なんて考えて寂しくも思いながら僕が望んだことだから何も言えない。
静かな部屋でピコンとスマホが鳴った。みかちゃんからかと思いきや、檸檬ちゃんが僕の連絡先を追加して、メッセージを送ってきた。
「馨くん、おひさ!檸檬だよ!」
って可愛らしいよろしくスタンプまで送ってきてくれてる。
「お久しぶりです!」
とそれに比べて僕の文章は何だか無愛想で送った後で大丈夫か考えては不安になって、そんなことしてると返信が遅くなるし、いまだにチャットに葛藤してる。
「いきなりでごめんね!馨くんがもし興味あればなんだけど、明日のライブ良かったら来てみない?誰か招待して良いよってチケット貰っちゃって」
と絵文字をうまく使った可愛らしい文章を送られてきて、絵文字初心者の僕はこれは絵文字を使った方が良いのか文章の内容を考える前に悩まされた。
「お誘いありがとうございます!ぜひとも行ってみたいです!」
びっくりマークしか使えない自分を恨みながら熟考した後で返信した。返信遅いよな、って自分でも思った。
「わあ、嬉しいっ!こちらこそありがと〜♡明日、会場で待ってるね!」
気を遣わせたかな?僕が行くかどうか迷ってて返信が遅くなったと思われたかな?そんなことないのに。
「楽しみにしてます」
んー、即返信するとやっぱり無愛想だなあ。
「私も!また明日ね☆」
とおやすみスタンプを送られて、僕もそういう感じのスタンプを探して、また時間が経つ。二分後、僕もおやすみスタンプを押せた。全然、チャット慣れてない。みかちゃんとは基本直接話すし、電話かけるし、絵文字使わないし。友達とも、そんな感じだ。なんて考えてると、檸檬ちゃんから電話がかかってきて、突然のことに戸惑いながらもボタンを押した。
「もしもーし」
と軽い感じの彼女に
「もしもし?」
と何を話せばいいのか不安な僕。
「いきなり電話かけてごめんね、何かあ、話したくて」
突拍子もない彼女の行動に
「ふふっ、何ですかそれ。じゃあ夜中ですけど、天気の話でもしますか?」
ついつい笑ってしまって、冗談で返した。
「あはは、良かった。まじで馨くんだあ」
「こっちの台詞ですよ、まじで檸檬ちゃんなんですね」
芸能人と知り合いだなんてなったことないし、ましてや連絡先を交換するなんて考えもしなかった。
「うん、兄ちゃんから連絡先教えてもらったの」
「それなら間違いないです。みかちゃんとは会いました?」
「みかちゃん?」
「あ、塩先生?」
「ふふっ、兄ちゃんのこと、みかちゃんって呼んでるんだあ」
「ダメでした?」
「ううん、仲良しだなあって思っただけ。みかちゃんねえ、ライブ終わったらそのまま帰っちゃったよ」
と僕がみかちゃん呼びしてるのをからかって、檸檬ちゃんまでみかちゃんって言ってる。
「そうなんですか」
「何?帰ってこないの?」
「あー、はい」
「たぶん、呑んでんね」
「でしょうね」
「それで、馨くんは何してたの?」
「僕は、絵を描いてました」
「絵かあ、見してくんない?」
「えー、恥ずかしいですよ」
「え、まさか、そうゆう絵なの?」
「いや、それとはちょっと違うですけど、ヘタクソなんで」
「それでも見てみたいなあ、最近絵に興味あってさあ。ああでも、無理強いはしないよ。全然、断ってくれて大丈夫だから……」
その言い方が何かみかちゃんみたい、って思った。
「分かりました、ちょっと待っててくださいね。最高傑作を探してみます」
「さっき描いてたのは?」
「未完成なので」
「そうゆうの見てみたい」
「変わってますね」
「そうかな?だって、馨くんの今が表れてるでしょ?同じものを共有してみたいの」
「……グロいかもしれないんで、指の隙間から見てください」
作品は猫かぶり。線画と下塗りが終わった状態で躍動感のない絵。固唾を呑んで、中途半端なその絵の感想を待った。
「うわあ、可愛い!この女の子は馨くん?」
「えっ!まあ、はい、何でわかったんですか?」
「顔がそのまんまじゃん、しかも猫ちゃん付けてるし」
正確には大きな猫の生首をかぶってるボブの女の子。血塗れ。
「あはは、確かにそうですね」
「それに、めっちゃ上手いよ。すごいポップで可愛くて綺麗な絵だからびっくりしちゃったあ」
「綺麗ですか、最高の褒め言葉です」
理想に隠れている現実の暗さが好き。でも綺麗さに欠けてたら、目も当てられないからやっぱり嫌い。
「でも、何処となく虚しい感じだね。笑ってるけど泣いてるみたい」
未完成で露骨な絵だから、暗さが顕著に現れているんだろう。
「恥ずかしいですよ、そんなに汲み取られると」
「ふふっ、素敵な絵!」
「それで、檸檬ちゃん?檸檬さん?モネちゃん?塩さん?……」
「檸檬かモネで良いよお」
「ふふっ、分かりました。それで、檸檬ちゃんは何してたんですか?」
「ホテルでゴロゴロかなあ、つまんなくて。それに……」
「それに、何ですか?」
「馨くんって、チャット苦手なんだなあって」
「あ、ばれてました?」
「うん、だから早めにやめようと思ったんだけど、何か寂しくなっちゃって」
「それで、電話してきたんですか?」
「ごめん、迷惑だったよね?」
「いいや、僕も一人で寂しく絵を描いてましたので」
「そうなの?」
「はい、みかちゃんが帰ってきませんから」
「そっか、何かね、ライブ終わりってファンのみんなと会えて、すっごい幸せな気分になれるんだけど、ふと、東海林 蒙寧から塩 檸檬になると、私を理解してくれている人って世界にどれほどいるんだろうって思っちゃって」
「モネちゃんは分かりませんけど、檸檬ちゃんは無理して笑わなくても良いと思いますよ。通話中、ずっと気になってて、いつも明るく元気になんて、誰だって疲れちゃいますよ」
「ふふっ、ありがと。何だか君と話して、君の絵を見てたらさあ、私みたいって安心しちゃった」
「それじゃあ、完成したらまた見せますね」
「うん、楽しみにしてる」
「それと、檸檬ちゃんのすべてを理解するのは難しいですけど、愚痴られたら共感はしますよ。あと慰めるのも、できる範囲で」
「馨くん、無駄に優しくないから優しいね」
「檸檬ちゃんは疲れた脳に優しくないですね、こんがらがりました」
「ちゃんと距離感あるなあって思って」
「あー、嫌でした?」
「ううん、寧ろ嬉しいよ。ドラマで覚えたようなロマンチックな台詞を言ってくれなくて、そうゆう男に飽き飽きしてたから」
「そりゃあ、檸檬ちゃんに手出しなんかしようもんならみかちゃんに蹴られますよ」
「じゃあ、何処まで行っても友達?」
「はい、永遠に友達で終わりますね」
「馨くん、冷たーい」
って満更でもなさそうに言うくせに。
「ならば、ロマンチックな台詞でも言いましょうか?」
「うん、あ、ドラマで聞いたようなものはなしね」
と彼女は条件付けをして、僕のオリジナルの台詞を求めている。突如、とんだ難問を投げかけられて、
「これ、まじでやるんですかあ?」
って若干やめたい気持ちを込めて言うと、
「君が言ったんじゃん!」
なんて意地悪く楽しそうに笑う声が聞こえる。漫画でもアニメでもドラマでもフィクションの大体は模倣作。定番から外れられない。だって、その方が作者も書きやすいし、視聴者も安心するでしょ?これが理想だって。でも、僕は心を抉るような展開が好き。
「そうですね、冗談を逆手に取られるとは思いもしませんでした。これがドラマだったら展開も台詞も読めるんでしょうけど、檸檬ちゃんの言動は本当、予想不可能ですよ。かなり心臓に悪いです」
「それが君のロマン?愚痴じゃなくて?」
「酷いですね、列記としたロマンですよ」
「そっか、可愛い。じゃあ、逆に言って欲しい台詞は?」
「んー、なんでしょうね?」
死んでいいよ、って真っ先に思いついたけど当然却下で。普通を探している。
「私はね、ありがとうって言われるのが最高に好き」
「良いですね、すごい素敵です。でもやっぱり僕は言葉には懐疑的なので、行動で示してくれた方が好きです」
「ああ、チャット苦手なわけだあ」
「言えてます、電話のが声色が分かるのでまだ良いです」
「確かに、あれ?もう十二時かあ。つい楽しくて、つい長電話しちゃった」
「そうですね。僕も楽しくて、時間なんか忘れてました」
感覚的に空気も時間も何もかも止まっている気がしてたけど、そんなことは現実的に有り得なくて、非現実的な考えの中にいたことに気がついた。
「今日はありがと」
「こちらこそありがとうございます」
「また明日ね」
「はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
離れた場所でも、おやすみなさい、が言える文明の利器に感謝した。けれど、通話終了してしまうと、結局は一人なので空虚感に襲われた。




