第二十七話
みかちゃんが僕の部屋に来てくれた。
今日でお別れの僕の部屋。引き出しを開けると、思い出の品がたくさん閉まってある。
「エロ本見つけても、シカトしてくださいね」
とみかちゃんに忠告すると
「えー、何それ見たいんだけど」
と好奇心に任せて、本棚を探し始めてる。僕は電子派なのに。
スーツケースに大量の参考書や教科書を詰め込む。重量オーバーでスーツケースが歪みそう。
「みかちゃん、幸せの向こう側には何があるか知っていますか?」
買ってもらった参考書を見て、母の優しさを感じる。ああ、あの頃に戻りたい。なんて懐かしんでも、もう後戻りできないのは分かってるし、戻ったところで苦しそうだ。
「知らない、何があるの?」
僕に向けられる好奇の眼差し。
「賢者タイム、ですよ」
お眼鏡にかなう返答はできただろうか。
「ふふっ、確かに」
と笑うみかちゃんも僕もきっと疲れてる。
「セックスに限らず、みんなそうです」
勉強も睡眠も食事も運動も趣味も。
幸せを感じた瞬間、突如、虚無感に襲われる。
「ああ、死にたい」って。
だから、何もしないで何も考えないでいられる時間が最高の幸せだと思う。
「へえ、でも馨はヤッてすぐ寝るよね」
「それは、その、ごめんなさい。最高潮に浸りたくて」
死にたいと感じる間もなく、そのまま落ちてしまいたいから。
「それは嘘、疲れてるからでしょ?」
「ああ、そうかも」
ストレスフルで寝不足の日々。安心して寝られるのはみかちゃんの隣のみ。
「お疲れ様」
「いや、みかちゃんだって」
「俺は適当に生きてるからそんなに疲れないよ」
「ふふっ、そうですね」
「あれ?否定してくれないの?」
「あははっ、お疲れ様です」
何気ない会話でわざとらしく笑う。
この緊張感が不安を引き起こして、息苦しさを笑いで消そうとしているから。
「みかちゃん、隠れていてください」
クローゼットにみかちゃんを隠して、聞こえる足音とともに心臓が飛び跳ねる。
「おかえりなさい」
今まで通りにスーツケースに物を入れるが、手が震えてしまう。
「何の真似だ?」
不機嫌そうな声が上から聞こえてきて、目を合わせようにも合わせられない。
「何って、僕も引っ越そうと思って」
「で?」
「……それだけ」
「相変わらず、くっそ生意気な野郎だなあ」
と髪の毛を引っ張られ、顔を叩かれた。
でも、その台詞には共感するよ。笑っちゃいそう。
「扶養の存在でそんなこと言ってんじゃねえよ」
扶養と不要。掛けてんのか?と疑いたくなるくらい上手いことを言う。
「ふふっ、本当、そうだよね」
引っ越したところで僕がみかちゃんに迷惑かけるだけだ。やっぱ、やめておこうかな。
「ごめんね、父さん」
と素直に謝ると、面白くないという顔をされる。
「それでさあ、何でまた前髪上げてんの?不愉快この上ないんだけど」
さっきまでみかちゃんと一緒にいたから、前髪上げてるのが普通だった。けれど、この人の前では当然のように蹴られる。
痛いとは言わない、意味が無いから。
歯を食いしばって、ひたすら耐えた。
「その目、潰してやるよ。いらないだろ?」
そう言われて、顔を掴まれ、親指が近すぎてぼやけて見える距離。
咄嗟に蹴りを入れて、少し離れたところを、近くにあった分厚い参考書の角で顔を殴った。
「てめえ、何しやがんだ」
と怒鳴られてさらに状況が悪くなると脳内で想像がついていたが、悪い意味で最悪の状況になった。
「……ねえ、みかちゃん」
クローゼットに触れながら、助けを求めた。
「父さんが、動かなくなっちゃった」
自分の震える声が聞こえてきて、さらに震えてしまいそう。
「とりあえず、ここ開けて」
コンコンコンとクローゼットの中からノックされる。
みかちゃんの顔を見た瞬間、涙が溢れてきた。
「何泣いてんの?」
と笑われたが、笑ってる場合じゃないですよ、と必死に伝えた。
「僕は、人殺しですか?」
「まあ、可能性はあるね」
と落ち着いた様子のみかちゃんとは対照的に
「どうしよ、みかちゃん」
僕は慌ててばかりだ。
「一回、殴りたかったんでしょ?良かったじゃん」
「全然良くない!」
「裁判では良いように証言するから」
「ああ、またそうやって」
みかちゃんは当事者じゃないから冗談でも言えてしまうほどに明るい。
「ったく、痛えなあ」
突然、僕達とは違う声が聞こえる。
「やば」
僕はみかちゃんを慌てて隠した。この事件に巻き込んではいけない気がしたから。
「何?」
「いや、何でもない」
まだバレてない。僕の布団でみかちゃんを隠した。
「ああ、頭痛え」
「冷やしてきたら?」
「なあ、何か隠してるだろ?」
と僕の後ろの方を指さした。僕はとぼけてやり過ごそうとして、
「え、何のこと?」
と笑って聞き返した。
「うぜえ、殴るぞ」
怒りの籠った声で言われると、正直に言う他なくなってしまう。
「みかちゃん、起きて」
「何か恥ずかしいよ」
と今更ながらに出てくるのを恥じているみかちゃんに申し訳ないが出てきてもらった。
「……僕の、学校の先生」
「すいません、勝手に上がり込んで」
バツが悪そうに父さんに謝っている。
本当に謝るべきなのは、みかちゃんを隠した僕なのに。
「ああ、そういうこと。俺をしょっぴこうってわけか、教育委員会だか何だか知らんけど」
「へえ、悪びれはしてたんだ」
「馨、でもこれは言う事聞かないお前が悪いんだから」
「だから、何?」
「俺は正当な教育をしたまでで、しょっぴこうとしても無駄だ」
「笑った、体罰を正当化するとか」
「おいおい、口の利き方がなってねえなあ。イキってんじゃねえよ、クズが」
「は?お前よりはマシだと思うけど」
「馨、口動かす前にまずは手を動かそうか」
みかちゃんが荷造りをしながら僕に言う。
「……すいません」
目を丸くしながら訳も分からず謝った。
何故、みかちゃんはこの期に及んで荷造りをしているのだろうか。
「私は教師という仕事をしていますが、ここにいるのは馨の引越しの手伝いなので、別にご家庭の教育方針がどうであれ、私には関係ないです」
出た、冷淡なみかちゃん。仕事とプライベートで全然違うんだけど、今は仕事モードっぽい?なのに、生徒の家庭環境どうでもいい的なこと言っちゃって良いの?
「あっそ。でもそいつ、引越さないぞ。俺の餌だから」
「餌、と言いますと?」
柔和の笑みを保つみかちゃん。
「嫁と復縁すんのに必要なんだよ、ちょっと別居中でさあ」
正真正銘のクズ野郎、さっさと地獄に落ちてしまえ。殺意が溢れて、衝動的に殴りそう。今度は確実に殺す。だから、逃げた。
「ああ、お察しします」
何を察するかと言うと、その計画は完全に失敗に終わるということと、嫁に別居される明らかな理由。
「ん、そういうことだから」
「けれど、馨と貴方は離れた方が良いです」
「何だよ、先生。分かったような口聞きやがって」
「すいません、でもこのままではいずれ殺されますよ?」
「へえ、そう彼奴が言ってた?」
「はい、残念ながら」
「そっか、そうだよな。じゃあ、いらねえわ」
簡単に馨を捨てる父親。それくらいの価値しか見出していない。俺は殺されてみたいけど。
「それでは、ありがたくいただきます」
これでハッピーエンド、さらばヴィラン。
「準備は終わった?」
ドアの向こう側で聞き耳を立ててる馨に話しかけた。
「ねえ、みかちゃん。これ見てください、僕の幼い頃のアルバム。僕のお父さん、いや、みかちゃんの叔父さんも写ってますよ」
と入ってくるや否や、ここにいる元父親に聞こえる声でそう言った。
「馨、それは無理があるよ」
「あーあ」
とそのアルバムを床に投げ捨てて、玄関から出てすぐに目の前に広がる景色の中に飛び込もうとした。マンションの九階から。
「死ぬんじゃねえ、馬鹿」
その手を俺の方へ引きずり落として倒した。
「あははっ、みかちゃんらしくない」
と馨は自分の腹を抱えて笑う。
「ああ、少し我儘になった」
馨と重いスーツケースを手錠で繋げる。
これで一石二鳥。お粥に借りといて良かった。
「あんた、何者?」
馨が落としたアルバムを見ながら、落胆した様子のあの人に質問された。
「それ、どうでもいいですよね?」
とその人からアルバムを奪う。
「は?」
「もう会わないでしょうから」
「うっわ」
「どうかお元気で」
「ああ、おかげさんで」
馨は父親に似たんだろう。
スーツケースを転がしながら、馨を連れていく。
「馨、わざと準備が終わらないフリしてたでしょ?」
「さあ?みかちゃんがエロ本探してたからじゃないですか?」
「ふふっ、そんなの無かったね」
「見たいですか?」
「いや、ああ、やっぱ後で」
「もう、僕じゃなくていいじゃないですか」
「何勘違いしてんの?馨の性欲をより刺激してみたいから、なんだけど」
「うっわ、可愛いいいい」
と俺の頭を片手で撫でてくる。
手錠がガチャガチャを鳴っている。本当は両手で撫でたいと言っているように。
「馨、ごめんね」
「え、何がですか?」
本気で言ってるのか惚けてるのか、今も分からない。
「俺は馨が死にたくなくなるくらいの愛を与えたいのに、全然できてない」
「ふふっ、本当ですよ」
肯定されるとさらに自分を責めてしまう。
「冗談です、本気にしないでくださいね」
と後から冗談と言われても
「分かんない、馨が」
本音が先か嘘が先か、もっと分からなくなって、頭がこんがらがってくる。
「随分と僕の計画を台無しにしてくれたのに、よく言えましたねその台詞」
「怒ってるの?」
「そりゃ怒りますよ、何で共犯になってくれなかったんですか?」
「ふふっ、危うく殺しそうだったね。けど、馨には綺麗なままでいて欲しいからさ」
人生に汚点を付けさせるわけにはいかない。
トドメを俺にさせて罪の意識で縛るつもりだったのだろうけど。
「そうやって僕のこと……貴方が汚れたくないだけでは?」
「俺?俺は、もう手遅れ」
「え」
「馨さあ、そんなに殺したいのなら自分で殺れば良かったのに」
綺麗なままでいて欲しい、俺は唯相思相愛でありたいのだ。
「みかちゃん、手遅れってどういうこと?」
「答えて」
「……見物客には、逃げられるからです」
「信用無いね、笑えない」
「ごめんなさい、はい、みかちゃんの番」
「父親殺したんだ、事故に見せかけて。笑える?」
「笑えないです」
「つまんないね、やめよっか」
強制終了をかけると
「気になってはいるのに」
と微妙に拗ねた。
「それより、このお腹の刺し傷は?」
気になっていたが聞けなかった。新しい傷跡、まだ痛そうだから少し触れてみた。
「分かってて聞いてるでしょ?」
と二回目は触れられるのを避けて、俺から逃げるのを楽しんでいる。
「完全な答えが知りたいの」
「分かりましたから、一旦やめましょうね」
と片手でストップを合図をしている。
駐車場。スーツケースをトランクに積んで、運転席と助手席に座る。お互いに落ち着いてから、馨が話し始めた。
「母が距離的に離れて、見捨てられたので、もう死のうと思って、でもタダで死ぬのは嫌だったんで、父への復讐劇を企てたんです」
「うわあ、サイコパスだね。俺という存在がありながら、死のうとか」
「あははっ、だからみかちゃんとは連絡取らなかったんですよ。で、父に殺人罪を負わせるために包丁取り出して握らせてグサッと自分に、刺しちゃいました」
「ああ、痛そう。それで?」
「入院、アムカのせいで自殺未遂。本当、死にたかったです」
「んー、可哀想に」
と馨の頬を撫でて、キスをする。
「ずっと、そうやって慰めて欲しかったです。もう暇すぎて、ギリシャ語なんて勉強してましたよ」
「本当、何してんの」
と思わず笑っちゃう返答。死の決意が揺らぐから、俺には連絡をしてくれなかったんだ。
馨は自己犠牲を強いられてきて、自分の欲望を押し殺してきた。だから、自己犠牲と自分の欲望を同時に満たせる、死や自傷というものに強い魅力を感じるのだろう。
自己犠牲なんて、美徳でも何でもないのに。
「病室ではキスもセックスもできないから」
「ふふっ、退院できて良かった」
とまたキスをした。
「ああ、こんなにも幸せで良いのかな?」
「愚問だね、幸せじゃなきゃ生きてる意味なんてないでしょ?」
「そんなにハッキリとものを言うなんて珍しいですね」
「馨を幸せにする決意表明」
「あははっ、惚れちゃいます」




