第二十六話
生死の狭間に立たされた人間にとって、事物は全て無に見える。
表情も感情も動かないようにフィルターがかかったみたいだ。
「みかちゃん、僕は愛されてますか?」
「愛されてるよ」
「僕に愛を教えてくれませんか?」
「うん、良いよ」
「愛って何なんですか?」
「損得勘定が狂っちゃった状態のこと」
「ふふふっ、ああ、そう言ってくれると、気持ちが良いですね」
「人間はセロトニン、テストステロン、ドーパミンなどの所謂幸せホルモンを分泌させてくれる相手に恋してしまうわけだけど」
「それを超えて、依存してしまうのが愛ってことですか?」
「そう、苦しくても痛くても愛しちゃうんだよ」
「さすが経験者ですね」
「経験させてくれたのは誰だよ」
「え、僕ですか?」
「君以外、誰がいるの」
「あははっ、みかちゃんは僕を普通にしてくれますね」
「どういうこと?」
「ちゃんと笑えました」
心から笑えた。驚いた。感動というやつが少しだけ理解できた。
「馨、つらいの?」
「つらくないですよ、今は」
「じゃあ、過去を話して」
「んー、ああ、僕、母さんに見捨てられちゃいました」
自分の過失を笑った。
「え」
みかちゃんも驚いてるみたい。
冗談なら笑えるけど、今は全然笑えない。
「どうしよう、みかちゃん」
不安から涙が出てきた。情けない。
「大丈夫、俺がついてるよ」
と抱きしめてくれる。
「ふふっ、なんか格好良いですね」
「いつもそうでしょ?」
「そうでした」
みかちゃんが冗談を言った。僕にはその通りだが、みかちゃんにとっては冗談なんだろう。
「母さんに、もう顔も見たくないって言われちゃいました」
「そんな酷いこと言われたの?」
「僕の顔が馨琉さんに似てるから、綺麗な過去を僕に汚されるのが嫌なんでしょうね」
母さんは本当の僕を見ようとはしてくれなかった。理想の息子を演じている僕しか見てくれないから。僕のことなんて、あの人には何一つ分からないと思う。
「馨」
「僕のこと、もう嫌いみたいです。僕が悪い子だから、追い出されました」
「良い子だよ、君は。俺の目から見える君はとても良い子だ。だから、あまり自分を責めないで」
と頬を触られる。
「ああ、不思議だ。みかちゃんって不思議な力でも持ってるんですか?」
父さんに蹴られても何も感じなかったのに、痛みや苦しみが全部涙になって、流れて零れてしまいそうだ。
「そんなの持ってないよ」
「嘘だ、絶対に持ってるって」
「じゃあ、愛の魔法かな?」
そんなファンタジーみたいなことを言われて、納得するはずないのに何故かそうであって欲しいと願った。
「僕の傷を癒してくれる回復魔法」
「加えて、ちょっぴり攻撃魔法も」
「え」
「俺は馨が傷つけられるのが許せない」
「いや、ダメです、言わないで」
「何で?」
「これ以上、僕を理想から遠ざけないでください。お願いです。みかちゃんなら、わかってくれますよね?」
嫌いだけど、何も言いたくない。もう永遠に関わらないから。
「わかったよ、馨が一番だから」
「ありがとうございます」
「だけど、馨が傷つけられるのは嫌だ」
「そんなこと」
「俺は馨の痛みも苦しみもつらみも悲しみも全部もらいたいよ」
「ふふっ、何言ってるんですか?」
「ごめんね、俺は何もできなくて」
「謝らないでください、みかちゃんがいなければ僕は死んでますから」
「まだ死にたいと思うの?」
首を一回縦に振った。
「でも大丈夫、僕が死ぬのはみかちゃんが死んでからだから」
「それ、全然大丈夫じゃない」
と笑われる。
「みかちゃん、本当に迷惑じゃない?」
一緒に生活することに馨はまだ気を使っている。これまで散々泊まりにきてたくせに。
「迷惑じゃない、それに俺がそうしたいから」
「……かかった生活費は、出世払いします」
「ふふっ、馨が出世するまで生きてるかな?」
「生きててくださいよ」
「うん、生きて馨の成長が見たい」
「僕もみかちゃんが老いていくのを見たいです」
「あははっ、禿げたらどうしよ」
「どんな姿でもみかちゃんは格好良いですよ」
冗談じゃない言葉に少し戸惑ってしまっている。
「……そんなことないよ」
「言葉足らずでしたか?僕はみかちゃんの顔はもちろん好きですけど、もっと好きなのはその心です」
「心?」
「もしかして、心を知らないロボットですか?」
「ふふっ、そうだったらおもしろいけど。ちゃんと人間だった」
「僕はロボットは愛せません」
「へえ、便利なのに?」
「冗談が通じない相手は難しいです」
「確かに、それは言えてるね」
「嘘、冗談ですよ」
「俺、自分では冗談が通じてると思ってたんだけど?気使ってくれてる?」
「あははっ、冗談に冗談を重ねないでください。本質を見失っちゃいそう」
「んー、心が見えてれば安心なのに」
「それ、プライバシーも何もないですよ」
「侵入者が何言ってんの?」
「略奪者が何言ってんですか?」
「ああ、もう俺は馨しか愛せないよ」
「僕もみかちゃんしか愛せません」
「まだまだ経験不足じゃないの?」
「感覚的に分かります、僕の運命の相手は貴方だって」
「運命の相手、ね」
「ふふっ、子どもっぽいですか?でも、それを信じちゃうくらい最高の恋人です」
「ふふっ、俺は馨にあと何回惚れれば良いんだろう?」
「永遠に終わらせません」
そう、俺も永遠に終わって欲しくない。
よく自分の好きなことを仕事にできた人が、死んだ目で通勤している大人にはなりたくなかったから、なんて言っているけど、僕にはその大人達でさえ羨ましく思う。
立派にお金を稼いで生活して、仕事以外の時間は遊んでいられる。僕は勉強してるだけで稼げないし、勉強に終わりはないから遊んでいても気が引ける。
大人達には死んだ目で通学している学生達にもその死んだ目を向けて欲しいと願う。スマホ以外に。
そもそも、通勤通学が楽しくてしかたがないなんて奴がいたら頭が狂っている気がする。
「あーあ、ユーチューバーにでもなりたーい」
「生活が厳しくなるよ?」
「お砂糖ちゃん、シュルレアリストだあ」
「まあ、やってみなくちゃわかんないけど」
創造の世界で活動するよりも就職のが格段に楽だし稼げるし安定していると思う。
けれども、そんな大人みたいな言葉、僕は嫌いだ。
何事も挑戦してみなければ、正確な結果は得られないし、結果が分かれば改善点だって見えてくる。
創造の世界は自己の能力をある程度のレベルまで磨かないと、やっていけない。個性と言って、やり過ごせるものではない。自分の好きが売れるのではなく、大衆の好きが売れるのだから。
評価される基準が無いようで、きちんとあるというのを知るのが創造の世界への入り口の第一歩。
「お砂糖ちゃん、一緒にやらない?」
「カメラマンなら良いけど」
「ほぼ固定カメラじゃん、ユーチューバーなんて」
と的確なツッコミをしてくれる。
「ふふっ、収入は五分五分で」
「いやそれは、ちゃっかりしてるわあ」
なんて笑われた。
「そういえば、もうすぐで修学旅行じゃん?」
飴ちゃんが突然そんなことを持ち出してきたので少し戸惑った。
「……修学旅行?ああ、修学旅行か」
「何?お砂糖ちゃん、忘れてたの?」
「うん、ああ、ちょっとだけね」
「んー?楽しみじゃない感じ?」
「いいや、楽しみだよすごく」
「……一緒に行けるよね?」
「うん、行くよちゃんと行く」
「遅刻しないでよ?」
「ふふっ、寝坊するかも」
「怖いなあ、モーニングコールしないと」
「嘘、大丈夫」
「本当に?」
「勿論」
「俺、お砂糖ちゃんがいないと楽しめないからさあ」
「え?」
「頼りにしてるよ、お砂糖ちゃん」
「あはっ、すごい圧力かけてるでしょ?」
僕が休まないように。
「うん」
「どうしよっかな、人間関係ってのは損得勘定で変わっていくものじゃん?」
「え」
「冗談、本気で捉えないでよ」
「ああ、あはは」
と乾いた笑みを見せられる。
「僕、霰のこと大好きだから」
「……それは、冗談じゃない、よね?」
「勿論、霰は僕のこと楽しませてくれるでしょ?」
「ギブアンドテイク?」
「ううん、そうだけどそうじゃないんだ」
「どういうこと?」
「一緒にいれるだけで楽しいから、飴ちゃんを享受してるって感じかな?何か気持ち悪いくてごめんだけど」
「……お砂糖ちゃん、俺も大好きだわ」
と突然顔を両手で挟んで掴まれた。
「ありがと」
「このままキスできるくらい」
「それは、やめとこっか。教室だし」
というと、手を離して、でも向き合ったままで
「ふふん、俺さあ、友達とか恋人とかは全て一時的なもので、その瞬間さえ楽しければそれで良くって、何か卒業したら、どーせ離れるんだろうとか思ってたんだけど、お砂糖ちゃんとは卒業しても、ずっと友達でいたいなあって心から思ってるよ。その、綺麗事じゃなくて、俺の本心だから、何か恥ずいけど、伝えておきたかった」
とはにかみ笑いをされた。
「飴ちゃん、僕の目をよく見て」
不思議そうに見つめてくる飴ちゃん。
「どう見える?」
「んー?綺麗な灰色の目だけど」
「ふふっ、呪われちゃうよ?」
「えー、何の話しぃ?」
「ザキに聞いて」
「ザキぃ、お砂糖ちゃんがなぞなぞ出してきたあ」
と飴ちゃんがザキを呼んでいる。
あーあ、何か僕の消したい過去まで知って欲しいよ。
課題が終わっていないザキが面倒くさそうにこっちにきて、飴ちゃんから話を聞くと驚いた顔で僕を見てから、話しづらそうにしている。
「馨がその、な、目が灰色だから」
「ああ、ごめんザキ。やっぱり、思い出したくないかも。席外させてもらうね」
と当時の記憶はしっかりと思い出して泣きそうになったから席を外した。
何気なく、立ち入り禁止の屋上にきてしまう。
みかちゃんもいないこの場所は、冬のせいでとても寒い。
「涙が凍りそう」
階段を上りながら、涙を零していた僕にはこの痛いぐらいの寒さがちょうどいい。
小さく蹲るのも、鼻が赤くなるのも、鼻水が出るのも、全部寒さのせいにした。
「あーあ、家帰らないと」
父さんにまた殴られ蹴られる。僕はストレス解消グッズみたいだ。母さんがいなくなって暴力がさらに悪化した。
顔以外のところにしてくるから、きっと意図的にやっているんだろう。昨日は家を空けたから今日はさらに酷くなっている。そう考えては余計に憂鬱になった。
「お前が悪いんだ」
なんて言われたって、何も言えないから、僕が悪いんだと思う。しんどいしんどいしんどい。
「しんどいよ」
声に出して、吐き出せば、少しは楽になると思ったが、全然、逆に身体が重くなった気がする。
もうすぐ教室に戻らないと、五限が始まってしまう。修学旅行準備とか面倒なんだけど。
そんなことを考えてしまう自分に嫌気がさした。大切な友達がいるのに。
「みかちゃん、いないんですか?」
赤い鼻に擦って赤くなった目。不格好なまま屋上から帰る途中に美術室に寄った。
見た通り、と言われて帰ろうとすると、
「どうかした?のは分かってるんだけど、君は俺に話してくれんのかなあ?」
と笑っているのが聞こえた。
「もう貴方で良いですよ」
「何その消去法」
「貴方になら嫌われても構わないですから」
案外、適任かもしれない。
「別に君自身には興味無いけどね」
「聞いてきたくせに」
「余計に傷抉ってやろうかと思って」
「ああ、どうでもいいわ」
もう何もかも面倒。
「あれ?優等生捨てちゃった?」
「貴方に優等生ぶっても意味無いでしょ?」
「一応、教師なんだけど」
「じゃあ、僕を助けてくださいよ」
なんて笑いかける。どうせ無理だろうと、シニカルに。
「じゃあ、何をすればいい?」
その言葉を聞いて、思考が暫く停止した。
「……僕を逮捕してください。そういうの、得意じゃないですか?」
「え、そういうプレイをお望み?」
「あははっ、話になりませんよ」
「話はしてんじゃん」
「衝動的に父親を殺しそうだから、どうにかしてください。お分かりになりました?」
「ああ、よーくわかったよ」
というと、彼は鞄から取り出した手錠を僕にかけて、美術準備室の机に括りつけた。
あの人はなんで手錠を持っているのか、という疑問よりも、五限が受けられなくなった、という後悔が募った。
授業始まりのチャイムが鳴る。
隣りの教室に生徒が次々に入ってくるのが分かる。
さっきまで鍵かけてたんだろう。
「はーい、始めて」
という適当な彼の声が聞こえた。
美術準備室のドアが開いて、「来い」と指図される。「手錠、かけたの自分でしょ」と言いたげに見せつけた。
「めんどくせえ」
と怠そうに歩いてくる。
「何するんですか?」
「俺の代わりに教師やって」
「え、無理なんだけど」
「蹴られたいの?」
と生徒に聞こえないように耳元でそう言われた。
「パワハラじゃん」
「ご褒美あげるから」
「それより、単位くださいよ」
なんて愚痴を言いながら、教室に連れていかれる。
「特別講師、砂糖 馨くんでーす」
と知らない一年生達に紹介される。
「よろしくお願いします」
と不満を持ちながら、軽く頭を下げた。
「じゃ、俺、忙しいからあ」
って言い残してから教室を出て行く仕事放棄駄目教師。
「僕が教師とか破綻してるでしょ」
まあ、生徒達も各自で作品制作してるっぽいし、見守るだけで良いか。と思いつつ、教師っぽく教壇の椅子に座り、窓の向こうに広がる空を見つめた。
綺麗に青く染まっているが、冷たくて痛くて乾いた空。なんか好き。
死にたいと殺したいがルーレットみたいにグルグルと入れ替わる感情を抱えつつ、表面は教師兼生徒兼人間のレッテルを貼られて僕は隠されている。
絞殺、焼殺、殴殺、刺殺、毒殺、轢殺、手札は六枚。
賽の目と同じ。どれが出ても、間接自殺は決定事項。
嫌いな奴を殺して、自分を殺しているんだ。笑える。
細胞が死にたいに侵されて、プチプチと死んでいく。
僕は今でも死んでいるのに、今も生きている。
生徒達は死んでいる僕が見えているのだろうか。
機械的に一定の間隔でナイフを突き刺し、ベルトコンベアに流れる紙を貼られた自分を殺して殺して。
終わりのない四コマ漫画のできあがり。
題名は、刺殺。あと五つ。
「先輩、何してるんですか?」
一人の生徒が絡んできた。
「あ、えっと、これは、落書き」
咄嗟に手に持った紙を隠して僕を隠した。
「えー、見せてくださいよ」
「人に見せられたもんじゃないから」
こんな歪んだ僕の思想。非難の声で刺される。
「へえ、余計に気になります」
「君は、作品制作は終わったの?」
「いや、行き詰まりました」
「見せて」
テーマは、空想上の生き物。
あらゆる動物や植物などを参考にオリジナルの生き物を考える。
「猫をベースに水生生物を作ろうと思うんですけど、何かわからなくなっちゃって」
と紙に描かれた案を渡される。
上半身が猫で下半身は人魚みたいなどっかで見たことあるやつから、よくわからないものまで。
「君は猫のどこが好き?」
「んーやっぱり、この可愛い顔ですね」
「じゃあ、水生の哺乳類を参考にすると良いよ。顔のパーツのズレが少ない」
「でも、そうするとありきたりになっちゃいませんか?」
「だからプラスアルファ、タコの吸盤とかサメの歯とか蛙の足とか、自分の好みを付け足して、より空想上の生き物にしていくんだよ」
「へえ、翼は駄目ですか?」
「良いんじゃない?」
「僕は先輩に翼を付けてみたいです」
「え?」
「天使みたいなの、可愛いじゃないですか」
「そんなの、つけられないよ」
「似合うと思いますけどね」
そんなのあったら、飛び降り自殺とかできなくなるじゃん。そもそも天使の翼なんて、似合うわけない。「まあ、頑張って」と言って自分の椅子に戻った。
終わりのチャイムが鳴る。あの教師は帰ってこない。
「僕は、帰っていいのかな?」
と悩んでいると、またあの子に絡まれた。
「見てください、最高傑作です」
と角が生えた猫とアザラシが合体した生き物を見せられた。
「可愛い」
「この角で獲物を刺殺して食べるんですよ」
「へえ、面白いね」
若干、ドキッとした。僕の考えていることを見抜かれたみたいで。
「先輩の落書きはどうなりました?」
「もう捨てた」
と嘘をついた。
「え、もったいない」
意外にも驚いたリアクションをとられた。
「何で?落書きだよ?」
「先輩の絵、見てみたかったのに……」
とゴミ箱の中を覗き込んでいるのが可笑しかった。
「そんなに僕の絵が気になるの?」
「はい、見てみたいです」
と真っ直ぐな目を向けられる。
「じゃあ、また今度」
「やった、約束ですよ?」
「ん」
なんて約束、嘘になりそう。悪いのは僕だけど。
上機嫌で美術室から出ていく彼の名前すら知らない。
「最低」
全部全部、面倒だから、全部全部、無くなっちゃえば良いのに。人間関係とか、もうどうでもいい。消えてしまえ。
「馨、バイト代だって」
と机の上に千円が置かれた。
「あ、みかちゃん」
「どう?教師は?」
「ほぼ自習監督でしたよ」
「そっか」
と言うとタバコを一本取り出して、ライターで火をつける。
「みかちゃん」
「何?」
「これも燃やしてください」
と落書きした紙をくしゃくしゃに丸めて渡した。
「見ていい?」
なんて言いながら、丸めた紙を広げ始めている。
「駄目」
と紙を奪い取ろうとして失敗した。
「見せるために渡したくせに」
と笑って、僕が取れそうで反射的に取れない位置で紙を持っている。
「……じゃあ、聞かないでよ」
とその場に膝を抱えて座り込んだ。
何で僕は怒っているのか、自分でもよく分からない。
分からないままイライラが募るばかり。
「ふふっ、ちょっとばかし意地悪したくて」
「最低」
人の心を弄んで。
「ごめん、悪かったね」
と少し反省の色を見せられたが、
「……許しませんから」
と小さな声で子供っぽく拗ねてみた。
「ああ、やっぱ好きだわ」
「え」
顔をあげると、
「馨の絵」
と笑顔でくしゃくしゃの紙を見ているみかちゃんが見えた。
「落書きですけど」
「父親のこと、殺したいんだって?」
「それ、聞いちゃったんですね」
とまた僕は俯いた。
「まずい?」
「まずくてもどうにもならないじゃないですか」
「確かに。でも、安心した」
「何が?」
「馨がちゃんと相談してくれて。まあ、俺に直接してくれなかったのはちょっと悲しかったけど」
「みかちゃん、いなかったから」
「でも、粥川だから気軽に話せたのかもね」
「ああ、それはありますね。みかちゃんには嫌われたくないから」
「どんなことあっても嫌わないのに」
「僕が父親を殺してもですか?」
「もちろん、馨のこと庇うよ」
「じゃあ、貴方のことを殺そうとしたら?」
「馨が殺したいのなら殺して、それで俺は幸せだから」
「あーあ、みかちゃんってつくづく僕を甘やかしますね」
「駄目?」
「ちゃんと叱ってくださいよ、僕は悪い子ですから」
「え?俺には良い子にしか見えないけど?」
「父親、殺そうとしてるんですよ?」
「俺も、自分の父親のこと殺したかったから」
「ふふっ、同じですね」
「だけど、自分の人生を蔑ろにしてはいけないよ」
「それって、殺すなって言ってるのと変わらないですよ」
「君がそう受け取るならそうだろうね」
「みかちゃんも自分の健康を蔑ろにしてはいけないですよ」
と吸っている煙草を見つめた。禁煙はどうなったことやら。
「ふふっ、俺は悪い子だから」
と天使スマイルで言われるともうどうだか分からなくなる。
「煙草、やめろよなあ。美術室で」
美術室のドアが足で開けられる。たくさんの本を手に持った美術教師が現れた。
「お粥、ご苦労さん」
「で、どうなった?」
大量の本を机に置くと、開放感で頬が緩んでいる。結論を急ぐように話を聞いてきた。
俺が目で馨に話すように合図すると、
「まだ確定では無いですけど」
と考えているプランが述べられる。
「へえ、君のことだから完全犯罪にでもするのかと思った」
なんてお粥の感想に少し背筋が凍る。
君って、どっちのこと言ってんの?
「それもありですね」
と笑う馨、きっと冗談。
「まあ、可愛くて良いんじゃん?」
という総括を俺の隣りでひっそりと話した。
大量の本の殆どは人を簡単に殺すためのもの。絞殺から毒殺まで。
その中の本を読んでいる馨に
「お粥って、案外良い奴でしょ?」
と聞いてみた。
「そうですか?」
と疑いの目で本人を見つめる馨。
「馨くん、俺のこと嫌ってるんだよ」
「分かる、俺も嫌いだったから」
そう、殺しそうになるくらい。
「でも、今は好き?」
とお粥が誘導してくるが
「普通」
と答えた。
「素直じゃないなあ」
なんて笑ってるけど、シリアスに普通。たまに嫌い。ごく稀に好き。
「とびきりに素直なんだけど」
「ふーん、どうでもいいわあ」
とお粥はまた笑った。
「僕は何がしたいんだろう?」
本を見つめていた馨が深く考え込んでいる。
「ん?」
「わかってますよ、復讐だって。だけど、復讐して心が晴れるのかと聞かれたら分からないんです。人を物理的に攻撃したことも無いですし、喧嘩したこともあまり無いですから」
「あはっ、リアルに怖気付いちゃったんだあ」
お粥はそうやって馨を嘲笑うが、馨の優しさというか自己犠牲的というか、そんなところに俺は惹かれちゃったんだなと思った。
「違います、衝動が抑えられたんです」
と嘲笑ったお粥に反論してる。
「それはどうして?」
「それは、何か嫌いな奴に労力を使うのが無駄な気がしてきて。それだったら、僕は好きな人とキスしてたいです」
「ああ、心臓に悪いよ馨は」
本当に突然、俺を口説いてくる。
「俺はセックスしてたーい」
と隣ではお粥が不満そうな顔している。
「ふふっ、随分と疲れてますね」
「いや、お粥は万年発情期だから」
「ひでえよ、お前らカップルで」
用が済んだのなら、さっさと出ていけ、と言わんばかりに手を払われた。
美術室から出て、お互いに顔を見つめ合う。
「「あははっ」」
そうして、キスをした。




