第十七話
「おー、馨ありがとー。」
部屋を開けるとクーラーがよく効いていて、冷気に包み込まれた。
そして、左手に持っていた唐揚げを手渡す。
「お釣りです。」
とポケットの中の小銭を取り出して、手のひらの上に乗せる。
「あげるよ。というより、お使い代かな?」
と彼がその小銭を見て、気を利かせてそう言った。
「じゃあ、ありがたくいただきます。」
とその小銭をまたポケットの中にしまった。
文化祭二日目。
廊下は人でごった返していて、さらにこの暑さで蒸し風呂状態だ。
九月下旬だとは思えない、残暑がずっと続いている。
そんな中、僕達は涼しい生物準備室で時間を潰していた。
「そのチーズハットグってやつ、美味しいの?」
と彼が興味本位でそう聞いてきた。
「え、食べたことないんですか?」
「うん。」
「へえ、もったいない。一口食べてください。」
と無理強いをして、一口食べてもらった。
伸びるチーズが噛み切れなくて困っている様子がいちいち可愛い。写真を撮る人達の心理がやっとわかった気がする。
「今それ流行ってるんです。インスタ映えするとか何とかで。」
と適当な理由をつけながら、写真を撮った。
やっとチーズを噛み切れて食べ終わったみかちゃんが
「俺なんか撮ってどうすんの?」
と声を発した。若干、不格好なところを撮ったせいか少し怒ってそうだ。
「僕だけで見て楽しむんですよ。みかちゃんとの時間は僕の宝物ですから。」
「じゃあ、選手交代。今度は俺が撮るから。」
とチーズハットグを渡されて、スマホを構えられた。
「恥ずかしいですよ。そんなに意気込まれたら。」
「大丈夫、馨は普通にしてて。」
何が大丈夫だかまったくわからないが、望み通りチーズハットグをかじった。
すると、カメラのシャッター音がカシャシャシャシャと連続で聞こえてくる。
「んー」
と食べている最中で声に出せないので、咄嗟に手でカメラレンズを隠す。
彼はとても満足気な顔をして、
「ふふっ、良い写真がたくさん撮れた。」
と独り言のように呟いた。
「連写は酷いですって。絶対に事故ってます。」
「どんな馨も可愛いよ。」
「払拭できてませんよ?」
「ったく、しょうがないなあ。こっち来て。」
と手招きされて、近づくと、首に手を回されて、唇同士で触れ合うようなキスをされた。
「ああ、悪い人ですね。キスで誤魔化そうとするなんて。」
「満更でもないって顔してる。」
と痛いところをつかれ、何も言えなくなってしまった。
チーズハットグを食べまくった。
「あっ。そういえばそれ、碧先生も食べてたな。似合ってなかったけど。」
「え、そうなんですか。見たかったです。」
「写真撮れば良かったかも。」
と笑って、一人で思い返している様子。
「みかちゃん、碧先生と仲良いんですか?」
「ううん、嫌われてるよ。昨日だって、あの格好で話しかけたら、叱られちゃった。」
「相変わらず、厳しいんですね。あの人。」
「けど、俺は良い先生だと思うよ。すごい生徒思いだから。」
「そうなんですね。叱られた記憶しかないです。」
「その分、可愛がられてるってことだよ。」
じゃあ、みかちゃんも可愛がられてるってことかな?
「そうですか。みかちゃんのあの格好は確かにやばかったですけど。悪い意味で。」
「うっ、辛辣。」
「ふふっ、似合ってましたよ。」
「ありがと。あれ、気づいたの馨しかいなかったよ。」
「みかちゃんのことはよく見てますから。一瞬でわかりました。」
「愛されてんなあ、俺。」
「それ、自分で言います?」
「えへっ。あーあと、動画ちゃんと見たよ。」
「面白かったですか?」
「馨がすんごい可愛いかった。女の子になれるよ。」
と冗談っぽく言うみかちゃんに
「みかちゃんって女の子の方が好きですか?性的に。」
と話の流れでずっと気になっていたことを聞いてみた。
「んー?どっちだと思う?」
と終始笑顔で答えるみかちゃん。
ニュアンスで読み取れってことか?
「やっぱり、女の子ですか?柔らかいですし。」
解答を濁すってことは僕に言いにくいってことだよね。
でなきゃ、わざわざこんな質問する意味が無い。
「ふふっ、可愛いなあ。馨は。」
「何ですか?いきなり。」
「馨が俺の一番の好みだよ。性別関係なしにね。」
ううっ、どストラーイク。…バッターアウト。
その一言で、僕は全身骨抜きにされて、脳内を好きで埋め尽くされた。
「ああああ、好き。大好きです。」
言葉にならない感情が、言葉となって溢れ出る。
膝を抱え、もうまともに顔も見れない状態。
「馨。ちゃんと俺の目、見て言って?」
と意地悪く、余裕の笑みを浮かべている。
「そうやって僕で遊んでると、あとで後悔しますよ?」
「遊んでないよ。言って欲しいの。」
と可愛く強請ってくる彼に負けて、彼の顔をちゃんと見てこう言った。
「大好きです。」
顔は真っ赤で、照れ笑いが表情に残ったままの不格好な僕はすぐさま何処かに隠れてしまいたかった。
「俺も。」
と王子様のようなハニカミ笑いを浮かべ、優しい声でそう言った彼を見られただけで、僕の恥は十分報われた気がした。
「今日、家行っても良いですか?」
「来ても良いけど、早く帰んないと親御さんが心配するよ?」
「今日はクラスの打ち上げって口実があるので大丈夫です。」
「それで、打ち上げは?」
「そんな団結力無いですよ。僕のクラスは。」
「ふふっ、用意周到だね。俺も早く帰れたら良いんだけど。」
「片付けですか?」
「そう。色々と面倒でね。」
みかちゃんが可愛いすぎるから襲いたい。という情動から僕が自分勝手にお願いしてしまったこと。
「無理しないでいいですよ。代わりにキスで。」
と唇を指さした。
「我慢できるの?キスだけで。」
「え?」
「俺はできないけど。」
と可愛く笑っている。
「ああ、もう、人がせっかく抑え込んだのに。」
とみかちゃんの手を掴んで、行き場のない思いを掴んだ手をゆらゆらと意味もなく揺らしてやんわりと伝える。
「馨、家で待っててよ。頑張って早く帰るから。」
と掴んだ手と逆の手で鍵を取り出して、渡された。
「鍵。僕が持ってて良いんですか?」
「うん。その代わり、俺が帰ったらちゃんとおかえりって言ってね。」
「もちろん言いますよ。おかえりのハグもしたいくらいです。」
「じゃあ、それもお願い。そしたら、もっと頑張れそ。」
「みかちゃんと一緒に暮らせたら良いな。」
そんな思いが募ったが、言葉に出したら困らせるだけなのでやめた。
僕は今の家が嫌いだ。だけど、逃げられないのも事実。
父は僕が帰ってくると嫌そうな顔をする。顔も見たくないなんて平気で言ってくる。
そんな家だから、僕がいないと母が可哀想だ。
僕が数日家を空けると、毎度の如く母が疲れきった顔をしている。
母は仕事に家事に大変なのだ。それなのに、あの男から愚痴を言われるのだろう。
僕の学費を払うためにあんな男と別れずにいる母には感謝している。
だから、僕はあの家から離れられない。
家事と父のご機嫌取りは僕の役目だし、母への恩返しだから。
みかちゃんの家で、みかちゃんの匂いに包まれて、みかちゃんの帰りを待つ。
「…幸せかよ。」
玄関から音がした。随分と早い帰宅だな。
片付けがなしになったとか。
急いで玄関へ向かう。
「久しぶり。元気してた?」
と現れたのは綺麗な女性。誰だろ?元カノか?
「黒髪にしたんだあ。よく似合って…あれ?背伸びた?」
とヒールを脱いで家の中にどんどん入ってくる。
しかも、僕のことをみかちゃんだと思ってる。
「いや、その…。」
「何?え?待って…顔変わった?整形?」
と僕の顔を掴んで、近くで見てくる。
「…別人、なんですけど。」
「は?いやいやいや、待って。馬鹿だから私。整理させて。君は塩 蜜柑では無いのね?」
「はい。砂糖 馨って言います。」
「ほおん。で、どーゆー関係?」
「先生と生徒ってところですかね?」
ここで恋人って言ったら余計に混乱させかねない。
無難に答えよう。
「あーはいはいはい、生徒さんね。ふむふむ。」
「ところで、貴方は…?」
「え、私?君、私のこと知らないの?」
と驚いた様子を見せた。有名人なのか?
「はい。申し訳ないですが、まったく。」
「へえ、私もまだまだってことかあ。私の名前は東海林 蒙寧。ちょっとぐらい聞いた事ない?」
「すいません、ないです。」
「じゃあ、アイドルグループの月花少女隊は知らない?」
「ああ、その名前だけは聞いたことあります。」
「あっ、私その一人。」
と自分をここぞとばかりに主張してきた。
「そうなんですか。凄いですね。」
よく分からないから、適当に褒めてみた。
「もう。結構、有名人なんだよ?」
と僕の反応が薄いからか、少し拗ねてしまった様子。
「それで、塩先生とはどういう関係性なんですか?」
「えっと、これ、本当にシーッだよ。シークレットで。内緒な話。本当に誰にも言わないでね。」
とここまで念入りに言われたら、そういう関係なのかと疑ってしまう。心が追いつかない。
「私…」
と続く言葉は聞きたいのか、聞きたくないのかよく分からない。
「本名、塩 檸檬って言うの。それで、塩 蜜柑は私の兄。」
「え、妹さん?」
と驚きがそのまま顔に出てしまった。あんなに溜めたってことは、それほど本名がバレたくなかったのか?
「そう。兄がいつもお世話になっておりますぅ。」
と茶化す感じでそう言われた。
ああ、だからこんなに綺麗なのか。と納得がいった。
「それで、君は?」
と何故かまた同じ質問をされた。
「僕は塩先生の生徒ですよ?」
「えー、兄ちゃんが家に生徒入れるなんて考えられないんだけど。本当は違うよね?」
確かにあの人、家に生徒なんて入れないだろうな。
僕が恋人だから入れるのであって。
さすが、妹さん。鋭いなあ。
と感心している場合では無い。
この状況をどうやって打破するかが問題なのである。
「あはは、ばれちゃいますか。本当は生徒兼、親戚です。」
「あっ、やっぱり?そうじゃないかって思ってたんだよ。じゃあ、ここで一緒に住んでるの?」
「ああ、そうだったら良かったんですけど。」
「ん?何かあんの?」
「僕の家で色々とあって。ここはちょっとした逃げ場所って感じですかね?」
「へえ、なるほどね。色々と大変なんだ。」
「でも、塩先生のおかげでだいぶ救われましたよ。ありがたいです。」
「そっか。それは良かった。」
と素っ気ない返事をされたと思ったら、今度はじっと顔を見つめてきた。
「なんですか?」
「いや、君ってどんな親戚かな?って気になって。」
「たぶん、近いとは思いますよ。母から聞いたんです。僕は塩さんって苗字の人とできた子供だって。」
「塩、何?名前は?」
と興味津々に聞いてくる。
「塩 馨琉って言ってました。」
これを聞いた時、僕は母を少し軽蔑した。
不倫相手と同じ名前を僕に付けるなんて、と。
何故なら僕への愛情が不倫相手へのと重なっていると思うと吐き気がしたからだ。
だから、この事を母はずっと言いたがらなかったのは理解できたが。
それと同時に、みかちゃんのことが心配になった。
みかちゃんの父親と同じ名前だったらと考えただけでゾッとする。だから、この答えを早く聞きたかったような気がする。
「へえ。」
とさっき興味が薄れた気がした。
「どんな人か、知ってますか?」
「え、全然知らない。君のお父さんでしょ?なんで聞くの?有名人?」
「いや、そういうことじゃないです。僕も一度も会ったことなくて。」
僕が生まれたからきっと逃げたんだろう。無責任な父親。
「おお、私と同じだね。私もさ、父親の記憶がさっぱり無いんだよね。私が超幼いときに死んじゃったからさ。」
とまた明るく話し始めた。
「…そうなんですか。」
「それも零歳のときだよ。私、目も開いてないような赤ちゃんだったの。それなのにお父さんって人がいなくてさ。最初は戸惑ったよね。なんで私にはいないんだろうって。君も無かった?」
「僕には義理の父がいたので、それは無かったですね。けど、その義理の父からずっと、今も嫌われています。」
「ああ、そういうこと。それでここが避難所。」
と納得がいったという様子だ。
玄関からガチャっと言う音がした。きっと今度こそみかちゃんだ。
と駆け足で玄関へと向かった。
「おかえりなさい。」
「ただいま。…誰かいんの?」
とヒールの靴を見て、不思議な顔をしている。
「ただいま、兄ちゃん。」
と後ろから元気な声がした。
「はあ、おかえりだろ。」
と深いため息の後、訂正が入る。
「そっかあ。ミスったミスった。」
と彼女は能天気に笑ってる。
「馨、ごめんな。俺の妹が迷惑かけて。」
「いえ、大丈夫です。随分と明るい人ですね。」
「いや、ただの馬鹿だよ。あれは。」
とからかうように笑った。
「おい、お前なんでいんだよ。」
とその笑顔のまま妹さんに話しかけている。
「撮影が近かったから、孤独で寂しい兄ちゃんのためにわざわざ寄ってきてあげたのにそれは無いじゃん。」
「はいはい、ありがと。でも、もう十分だから。」
と妹さんにカバンを持たせて、強制的に帰らせている。
「え、待って。私、まだ馨くんと話したい。」
「今日はもう遅いから早く帰んな。また今度会えるから。」
これが家族に見せる顔なんだってなんだか嫉妬みたいな感情が湧き上がってくる。
「わかった。馨くん約束ね。」
と小指を出されたので、
「はい。約束です。」
と僕も小指を出して、指切りをした。
「じゃあ、気を付けて帰るんだよ。」
と玄関前でお見送りをする。
「了解、また会おーね。」
と妹さんが手を振って、玄関から外へ出ていってしまった。
「女の子ひとりで大丈夫ですかね?」
「平気だよ。昔、空手やってたから。」
「ええ、凄いですね。僕もやろうかな?」
「ふふっ、やった方が良いんじゃない?馨、可愛いから。」
「からかってますか?」
「事実だよ。それよりも、ほら。おいで。」
と両手を広げている。
それに応えて、優しく彼を抱きしめた。
「今日も一日お疲れ様です。」
「ありがとう。馨のおかげで頑張れたよ。」
「もう我慢しなくて良いですか?」
「うん。」
とその返事を聞いて、胸の高鳴りに身を任せ、思うままにキスをした。
そして、ベッドに誘い、仰向けになっている彼の上に跨る。
「スーツ姿って、唆りますね。」
と彼のネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外す。
「俺も制服姿の馨、背徳感がたまらない。」
と恥ずかしいのか目元を腕で隠して、にやけている口元しか見せてくれない。
「塩先生、って呼んだ方が良いですか?」
確か制服を着ては初めてだと思う。
「あははっ、馨の好きな方で良いよ。」
「じゃあ、今日は塩先生で。」
と言って、またキスをする。
はだけたシャツの間から見える彼の白い肌がとても好きだ。
「先生、気持ちいい?」
「ふふっ、うん。何かのAVみたいだけど。」
とすごい笑ってる。
「あはっ、雰囲気壊さないでくださいよ。」
と不覚にもその発言に僕も笑ってしまう。
「ごめんね、ちょっと可笑しくて。」
「もっとおかしくしてあげますよ。」
んん、日差しが眩しい。鳥が鳴いている。
僕の腕の中には愛しの彼がいる。
でも、この気持ちいい朝に浸るのは今の僕にはできない。
「…やらかした。」
と憂鬱な気分で起き上がった。
スマホを手にすると何件も電話とメッセージがきていた。母からだ。
とりあえず電話しないと。
「もしもし、母さん?」
「貴方、今どこいるの?何してたの?」
と怒りがこもった声で聞かれる。
「えーっと、怒らないで聞いてくれる?」
「それは場合によるわ。」
ごもっともな返事を聞かされた。
「昨日の打ち上げの帰りに、友達に家に誘われて、泊まることになって。」
と第一の嘘を話してみる。
「それなら、連絡くらいできたでしょう。なんでしなかったの?」
「ちょっと遊ぶのに夢中だったから。携帯見てなかった。」
「何して遊んでたの?」
どう返事してもボロが出てしまう。
「…ごめんなさい、正直に話します。昨日は恋人の家に行って、やって、寝落ちしました。」
というと隣に居た恋人が少し吹き出した。
「え、どういうこと?」
「申し訳ないけど、そのまんまだよ。」
「貴方ね…はあ、もういいわ。ところで、避妊はちゃんとしたのよね?」
「うん、そこは安心して。」
「わかった。あと、その彼女に代わって。話ししたいから。」
「嫌だよ。どうせ別れろとか言うんでしょ?」
「だってその方が貴方の為なのよ。貴方が今までどれだけ我慢して頑張ってきたのか、母親である私が一番よく知ってるの。それをそんな一時期の感情で壊されたら、たまったもんじゃないわ。散々、言ってきたわよね?遊ぶのは大学生になってからにしなさいって。」
「じゃあ、母さん。この気持ちはどうすればいいの?好きで好きで堪らなくて、人生を賭けて愛したいって思うこの気持ちは、どうすればいいの?」
今にも泣いてしまいそうな、そんな気分。
「馨は何もわかってないわ。馨はまだ子供なの。子供だからそうやって遊びを本気にしちゃうのよ。恋愛なんていつだってできるの。そんなもので人生を棒に振ってどうするつもり?」
「母さんだって、何一つわかってない。何もわかってないよ。」
涙を数滴流して、目的語が抜けたこの言葉しか言えなかった。
僕の脚の傷だって見たことないくせに。
「とにかく、代わってちょうだい。」
と冷たい声が受話器から聞こえる。
背中をさすってくれているみかちゃんに目配せをすると、「大丈夫」といった風に携帯を受け取った。
「もしもし、お電話代わりました。塩 蜜柑です。お久しぶりですね。」
「色々と驚かしてしまってすいません。何処から話しましょうか?」
「私は教師や生徒といった立場は恋愛において、関係無いと考えています。学校では一生徒として接していますし、特に恋人だからといって贔屓することもありません。」
「ええ、それは承知の上です。ですが、私は真剣に馨くんとお付き合いしているんです。だから、例えどんなことが起きようと愛し続けますよ。」
「お母様にとって、幸せとは何ですか?馨くんが良い大学、良い就職先に行くことですか?…ええ、確かにお金、名誉、地位。どれも重要ですよね。」
「しかし、恋愛は人生を豊かにしてくれると思います。私はもう死ぬだけの人生だったのですが、馨くんと出会った今になって、やりたいことがたくさん見つかるんです。皮肉ですよね。」
「お母様も馨くんが好きなんじゃないですか?ああ、そういう事じゃなくてですね。馨くんって、私の叔父、塩 馨琉さんにそっくりじゃないですか。」
「愛していらっしゃったんですよね?だから、馨琉さんの影を重ねて、大切に育てられているような気がしてならないんです。それゆえ、過干渉になってしまっている。そんな気がします。いま一度、馨くんの幸せを考えてみてはいかがでしょうか?」
「私といることが馨くんの幸せに繋がるか、繋がらないかは本人が決めることです。ですが、私は馨くんをずっと幸せにしたいとは思っています。こんなダメ人間な私ですが。」
と言って、笑った。そして、携帯を僕に渡した。
「もしもし、母さん。」
「なんで貴方、よりにもよって、あのいかれ男なのよ。もっと良い人他にたくさんいたでしょう?ああ、やだやだ。お願いだから、あの男だけはやめてちょうだい。」
「え?なんで?」
「あんな男、貴方にとって悪影響だわ。あっ、さてはあの男に弱み握られてるんじゃないでしょうね?それで、付き合わされて…」
「そんなことないよ。僕が告白して付き合ったの。」
「え、馨が告白したの?馨、貴方、見る目無いのね。あの男の何処がいいのよ。顔だけよ、あんなん。」
「母さん、僕の恋人をそんなに悪く言わないでよ。」
「まあ、とりあえず良いわ。早く帰ってきなさい。」
と電話が切れた。帰ったらお説教かな、これ。
「俺、凄い嫌われてるでしょ?」
「はい、何したんですか?」
「ふふっ、内緒。それより、馨があまり聞きたくないこと言っちゃったね。ごめん。」
と頭を撫でてくれる。
「大丈夫ですよ。でも、知ってたんですね。僕の実の父親のこと。まあ、母親もですけど。」
「うん。幼いときによく会ってたからね。」
「どんな人でしたか?」
「頭が良くて、真面目で誠実で、でも、ユーモアもあって、どんな人にも優しい人だったよ。俺の父親とは正反対。」
と笑顔で答えてくれた。
「なんでそんな良い人が僕を見捨てるんですか?」
「ん?覚えてないのかい?馨、随分と小さかったからね。」
「何の話ですか?」
「お葬式だよ。馨のお父さん、癌で若くして亡くなったんだ。本当、惜しい人を亡くしたね。立派なお医者さんだったのに。」
「何歳の時に亡くなったんですか?」
「二十七歳だよ。馨は確か二歳くらい?」
「全然、覚えてないです。その時に、僕はみかちゃんと会ってたんですね。」
「そうだね。馨、その時から良い子だったよ。静かに座ってて。」
「そうなんですか。ああ、なんで思い出せないんだろ。」
と幼い頃のみかちゃんを必死に思い出そうとするが無駄だった。
「ねえ、馨、ここで一緒に住もうよ。」
と後ろから可愛く抱きついてくる。
「あはっ、できたらいいですね。でも、僕の母が絶対に許してくれませんよ。」
「…直談判する。」
「どうやってですか?電話でも凄い嫌われてたのに。」
「ああ、馨とずっと一緒に居たい。」
「そんな可愛いこと言われたら困ります。」
「だって、おはようもおやすみも全部馨に言って欲しいし、キスだってもっとしたいし、こうやって抱きしめるのだって、まだまだずっとしてたい。」
「みかちゃん、僕が高校卒業したら一緒に住みましょうか。」
「それじゃあ、遅いよ。今すぐがいい。」
「どうしたんですか?今日は一段と我儘ですね。」
「…ごめん。困らせた。ちょっと不安になってね。何か変に焦っちゃった。」
「良いんですよ。僕もできることならば、貴方とずっと一緒に居たいです。」




