6-3 一緒に行こう
「ここに置いて行ってほしいの」
全く意味が掴めず首を傾げた僕。
拳を作って力説しようとするリイ。
「……置いて行くって、何を?」
「わたし」
――何言ってるんだこいつ。
どうやっても台詞は耳を素通りした。
深く考えるまでもない。馬鹿馬鹿しいからだ。
――ここまでの僕の説明、聞いてなかった?
もはや取り合う価値もないのだが、僕を話に引き込もうとリイは熱弁を振るっている。
曰く、楽しい思い出が多いほど別れが辛いんだそうだ。だから今のうちに、というわけである。
呆れるより驚いた。
幼稚で利己的。これが、大の大人の言い分だとは。
基礎学校に通う子供だってもっと利口だ。魔王を職業にする僕でさえ、敢えて教えられる必要はない。
「随分とまあ、保守的というか……」
別れの辛さを厭うなら、一歩たりとも前へ進めないじゃないか。
「それで僕は、新婚早々に離婚を切り出されるんだ? ひどい話だと思わない? 新手の結婚詐欺?」
思い遣りも過ぎれば余計なお世話だ。
男なら誰だって僕の肩を持つ。間違いなく持つ。たとえ種族が違おうと、この、表現し難い苛立ちは共感を得られるはず。
喧嘩腰になった自分を、僕はそうやって正当化した。
「魔王に向かって大した度胸だね」
「そんな! 私はただ……!」
「ただ、自己満足なだけでしょ。いつ別れたって結果は同じだよ。むしろ君を迎えに行った労力に報いるべきとは思わないの?」
「でも……!」
「魔王は博愛主義じゃない。手を差し伸べたのは善意じゃないんだ。いや、今どき人間だってそうだよね。まったく、君はまだ寝ぼけてる?」
意図したとおり、リイはさすがに静かになった。
何が悲しくて、しかも本人の口から、二人が分かたれる未来を聞かなければならないのだ。
「君を迎えに行ったのは一緒にいるためだし、最期を見届ける覚悟もある。楽しいことも悲しいことも全部僕のものだ。それを取り上げようなんて傲慢に過ぎるでしょ」
もうこれ以上、リイの御託には付き合わない。拒絶のオーラをまとった僕は、投げやりに言い捨てて視線を外した。
海へ。
太陽は天高く昇り、青か緑か、一言では表現しがたいクリアな水平線がゆるやかな弧を描いている。波打ち際から続く白砂の海底は、僕たちの位置からでもくっきり透けて見えた。
幾度となく水面が光を放ち、そのたびにゆらゆらと景色が揺れる。
この疲労感を癒やすには大自然の力を借りるしかない。僕は、何か言いたそうなリイを頑なに無視して、時間が過ぎるのを待った。
やがて、諦めてくれたのか。
リイの黒い眼差しは、渋々と言わんばかりに僕から逸らされた。
しばらくすれば平常心が復活して、優しい幼なじみモードの僕が戻る。
「これが、リイに見せたかった海だよ」
「すごいわ。噂どおりね……」
眩しさに目を細め、リイは溜め息を漏らした。
先ほどまでの重苦しい空気はどこへやら、南の海にすっかり魅了されたらしい。ひどくあどけない表情は、今にもよだれを垂らしそうにうっとりしている。
その様子に、僕も安堵の息をついた。
「この世界にはね、もっともっと多くの美しい景色がある。それを二人で見に行こう。年をとってリイの視力が駄目になってもね、歩けなくなっても、僕は諦めないから」
リイは何も反応を返さない。
――聞いてない? いや違う。これは、邪魔をしないという意思表示なんだ。
「魔王の花嫁」に決まった頃、リイが持ち出したいくつかの心配事。懸念や不安を少しでも取り除きたい僕は、ひとつずつ潰していく戦略に出た。
会話が成立している時点で言語問題は解決済みだ。意思疎通がはかれない点については、根本的に別の問題なのだから。
優しい魔王様が良いという希望は、一応合格点だと信じている。
絵画のような横顔に向けて、僕はなおも言い募った。
「リイは、僕が普通に食事をとるって知ってるよね。鮮度抜群の生肉を食べるところなんて、見たことないよね」
健気な僕は、ちょっとだけ可愛い嘘を混ぜた。
生まれた時からこの世界にいる僕は、人間の振りに慣れただけで、本来は食料を摂取する必要がない。
でも人間は、共に食卓を囲むということに意義を見出す生き物だから、無駄な真似っこを止めるつもりもない。
「魔王には心臓がなくて、汗も涙も出ない。血液もなくて、体には黒い液体が満ちている。でも、目の前にいる僕はこれが本当の姿だよ。怖いと思う?」
血の色どころか機能面の違いは色々とあるのだが、目に見えなければ平気だと語ったリイの言葉に嘘はないだろう。
その程度で怯えるような可愛い神経ではない。
目に見える違いといえば影がないことを伝え忘れたが、これには蓋をして放置した。
居酒屋で管を巻く客の話では、こういうとき、マイナスポイントについて一切触れてはいけないそうだ。
子供は誉めて伸ばせ。
女はおだてて落とせ。
それで下心を見透かされたら、安心安全を猛アピールしろ。
「リイはね、安心して、僕の隣で好きなだけリュートを弾いていればいいんだよ」
――あ、自分で言ってしまった。
安心と、ずばり言葉に出したのは減点だろうか。
人間を口説くという、恐らく魔王界初の試みをやり遂げた僕は、出来映えを冷静に分析した。ぺらぺら喋りすぎても逆効果だそうだから、ちょうど黙りどきだったのだ。
誰かの助言どおり、僕は真摯に見つめ続ける。
耐えきれず、リイの口が開いた。
「人間は、釣った魚に餌をやらないって聞くけど……私はもう「魔王の花嫁」なのに、魔王様は手を抜いたりしないのね」
すごいのねと続けるリイは、苦笑と微笑の間で迷っているようだった。
「君の側に張り付いて秘密を暴いたし、花嫁にもした。これで最期を看取れば完璧でしょ」
「……それって口説いてくれてるの?」
信じる者は救われる。
居酒屋にいた男たちは、べろべろになりながらも魂の底からそう叫んでいた。
だから僕は、天秤は必ず僕に傾くと一貫して信じていた。
「僕はね、死ぬことを待ちわびるんじゃなくて、君に、もっと生きていたいと思わせるよ」
「じゃあ、その願いも叶えてくれるの?」
「本当にそれを望むなら」
冗談ぽい言葉にも真剣に返して、安心安全を更にアピールする。
手に入れるにはリイの同意が必要不可欠で、僕はとにかく我慢した。やろうと思えば力業で解決できる場面で、粘りに粘った。
そして。
ここぞというタイミングで決め台詞を繰り出せと聞いていた僕は。
「僕と一緒に来る?」
リイの躊躇いのど真ん中に向けて、甘く、その誘いを投げた。
甘く、なんて言ったところで見よう見真似だが、間違ってはいなかったようだ。
喋りかけては唇を引き結び、リイらしからぬ落ち着きのなさで目が泳いでいる。そんなリイの方こそ砂糖菓子のように甘く、可憐で、本当に初々しい……という風に見えるのは、馬鹿な子ほど何とやらなのだろうか。
僕は、リイの外見も好きだけれど、中身とのギャップも気に入っていた。
もっとも、リイの音楽以上にリイ自身が好きだとは、つい最近まで僕も知らなかったのだが。
「ねえ、一緒に行こうよ」
とどめを刺すと、リイははっきり頷いた。
「行くわ」
そんな仕草まで愛らしいくせに、だって「魔王の花嫁」なんでしょうと、可愛くないことを苦笑いで続ける。
――普通、ここは満面の笑顔をくれる場面じゃないの?
それとも、リイに普通を求めようとする僕が間違っているのか。
言いたいことは多々あれど、全てをぐっと飲み込んだ。
調子に乗ってはいけない。何せ、時間はたくさんある。今日も明日も明後日も、神の迎えが僕たちを引き離すまでいくらでも話ができる。
――そうだ、焦らなくていい。
「魔王の花嫁」だと、リイは自分で言ったのだから。
僕は、不満なんておくびにも出さず手を差し伸べた。
僕の花嫁の、白い手を取るために。
お付き合いいただき、ありがとうございました!




