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5-4 二人の名前

 がめつい叔父から正攻法でリュートを取り返す術はない。

 どうやったのか、何をしたのか。

 そんなことができる僕とは。


 と、リイは一気にまくし立てた。


 ――やっと聞く気になったんだね!


 単純なようだけれど、僕自身へ向けられた興味が純粋に嬉しい。真剣なリイの前で、僕の顔がどうなったかなんて言うまでもない。


「ねえ、誤魔化さないで。何を聞いたって驚かないから、ちゃんと教えてほしいの。あなたのことが知りたいの」

「誤魔化そうだなんて思ってないよ」

「じゃあ笑わないで。あの時もそうやって誤魔化したでしょう。私には聞いておいて、自分の名前は教えてくれなかったわ」


 僕を知りたいと聞いた部分だけが都合良くリフレインする頭を掻き、懐かしい抗議に苦笑する。

 丘の上、名前を聞き間違えて怒鳴り返されたあの日。


「……あれ、僕は確かにレーアと聞こえたんだよ。でも、まあ、嫌な気分にさせたよね、改めてごめん」

 

 レイアではないと怒った幼いリイにも謝りたい。知らなかったとはいえ、あんな娘と一緒にしてしまったのだ。許されない言葉の暴力だった。


「私も過剰反応しちゃったわよね……。それで、あなたの名前を聞きそびれたことも頭から飛んでしまったし」


 リイの名前を聞くだけ聞いて、そのまま終わらせたのは僕の故意だ。

 魔王の名を、人間ごときが知る必要はない。

 これまでずっとそうしてきたし、この七年間も不都合なくきたわけで。

 だからこの先も教えるつもりはないと、独自の見解を表明することは許されなかった。

 そんなことを言おうものなら、膨らんだ頬からどんな非難が繰り出されるか分かったものではない。

 今僕は、僕だけが名乗らないのは不公平だと雄弁な眼差しで責められている。


「それを言うなら、リイだってちゃんと名乗ってくれたわけじゃないでしょ」

「教えたわ!」

「リエナって?」

「そうよ、そう言ったでしょう!」


 ぷんすか息巻く姿に、もしかして本気で忘れているのかもしれないと天を仰いだ。

 神の御許にいるリイの両親を。

 同情を込めて。


「リエナリア」

「……っ!」


 音に触れて、リイの肩が跳ねた。指先を震わせ、目を見開き、息を飲む。

 ほんの一瞬だけ、本人の意思に関係なく、そのままの状態で動きが止まる。

 当然だ。

 魔王がそう意図して呼んだのだから。


「リエナリア、でしょ? リイの名前は」


 トーンを変えてもう一度呼ぶと、金縛りが解けたようにリイの全身から力が抜けた。

 名前はただの記号ではない。

 人間どもはそう思い込んでいるようだが、本当は、魂を縛る強力な呪具だ。使われ方ひとつで相手の傀儡になり果てる。

 まさに、さっきのリイのように。


「私、いま……?」

「何でもないよ」


 困惑には冗談だよと笑いかけて、僕は確信した。

 赤子に贈られた名前はリエナリア。

 ロンバルトの教会にもそう届けられているし、当の本人も知っている。そうでなければ、肉体の主導権を僕に握られるわけがない。

 おかしいと思ったのは、丘の上で初めてリエナと呼んだとき。何ら手応えがないことで、何か裏があると気付いたのだ。

 それで、嘘を告げられた僕は、躍起になってリイの頭を覗いてしまったというわけだ。


「良い響きだよね、リエナリア」


 古い言葉でとても美しい意味を持つ名前は、平民にしては違和感を覚えるほどに格調高い。裕福な貴族の、それもうんと身分の高い姫君に好まれそうな名前だった。

 当然と言えば当然だ。リイは間違いなく王族の血を引くのだから。


 愛称を名前として通すくらいなら最初から無難に名付ければ良かったのに。


 そんな風に呆れてしまったけれど、親の愛情とは厄介なもので、横たわる現実と折り合いを付けるのが難しいようだ。

 墓の下の母親は、名前に負けない女性に育てと、リイの幸せを一心に祈っていた。


 娘の方は、リエナリアねえと苦虫を噛み潰したような顔で呟いている。


「どうして、素敵な名前じゃない」

「ひらひらのドレスを着て、優雅にお茶を嗜むようなお姫様ならね」

「そんな生活してみる?」

「……いいわ、やめておく。名前も知らない殿方に嫁がされて、跡継ぎがどうとか、旦那様の愛人がどうとか、やいやい言われるのは嫌だもの」


 名前も知らない殿方に嫁がされておきながら、なかなかに具体的で面白い想像である。

 年頃の娘なりに、リイもいらぬ情報をちょくちょく仕入れてきた。情報源はあの居酒屋しか思い当たらないのだが、気風の良い女将が何を考えて吹き込んだのか甚だ疑問だ。


 ――……僕かな?


 標的は、領主館に居候中だった僕だろうか。


「世襲制じゃないから跡継ぎは問題ないし、愛人についてはもっと問題ないよ。僕たちは基本的に執念深い種族だから、人間みたいに浮気なんて考えられないんだ」


 リイに、というより女将のふてぶてしい笑顔に向けて反論を投げつけると。

 ふと、リイが唇を噛んだ。


「……人間みたいに?」

「そう、人間みたいに」

「ということは、人間じゃないのね」


 僕は、次の言葉を神妙に待った。


「……あなたは、何なの?」


 僕のことを知りたいと言ってくれたリイが、ようやく、真実に手を伸ばした。

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