3-4 不思議なお友達
僕たちが囲んでいるこの焚き火は、僕が、手のひらの動きだけで祭壇を砕き火を点けたものだ。
見せつけられた正真正銘の異能を、王都の刺客なら何でもできると片付けたリイ。
でも僕は、王都の刺客ではない。
じゃあ誰なのか。
――と、聞くべきところじゃないの?
リイの場合、ここは「気にならない」が正解のようだ。
王都の刺客に脅える生活が終わり、抱えた事情を全て吐き出したリイに、憂いの陰は全く見られない。焚き火の前で木の実をかじり、案外美味しいのねと呟く顔はすっきりしている。
崖下の下の下まで僕を突き落としておきながら。
「リイは!」
僕は、あやうく流されそうな真剣ムードをひっ掴んだ。
「リイは、僕のことがずっと怖かったんだね」
「え?」
「王都の刺客だと思っていたんでしょ? じゃあ、僕にいつ殺されるのか、生きた心地がしなかったでしょ?」
父親のことをそう言い表したのだから、リイも同じ思いを味わっていたのだ。
僕にしてみれば事実無根で非もないけれど、なぜだか爆発寸前にむしゃくしゃしていた。
「でも、ね、昨日も言ったじゃない? あなたがいてくれたから寂しくなかったし、リュートだってもう一度弾けるようになったのよ。感謝しているのも本当よ、嘘じゃないわ」
信じる信じないの問題ではないのに、リュート以外はてんで駄目な馬鹿娘が無実を信じろと訴える。
無実。
もう、そこから色々とおかしい。
ごめんと言うべきは僕だったが、今言ってしまうと混乱を極めそうで言葉を引っ込めた。
「刺客があなた一人とは限らないもの。あなただけが特別怖かったわけじゃないわ」
「怖かった……」
「さっきだって手も使わずに火をおこしたでしょう、どういうカラクリなの?」
リイにとって他人とは、王都の刺客か否かの二択しか区分けがない。そして、安全な方に区別され、その他大勢に埋没しかけている今の僕。
――僕個人に対する興味はないわけ?
揺れる炎が不自然に渦巻いた。
僕の感情が、理性ではどうにもならないほどに荒れている。
そもそも僕は今、何を考えていたのだったか。
「どうせ便利で羨ましいとか思ったんだろうけど、カラクリなんてないからね」
僕をかき乱す戯言を封じるように、つっけんどんな口調で突き放した。
ゆっくり喋っていたらすっかり夜だ。
過ぎた時間に気付いた途端、呼びもしないのにやってくるのが疲労という招かれざる輩である。
――闇に沈んでしまいたい……。
精神疲労で押し潰されてしまいそうな僕。しかしながら、ここにはリイがいる。
ただでさえ脆い体で、その上朝からイベントが目白押しで、リイの方こそ壊れてしまうのではないか。
僕の不安は、目を開けたままかくんと揺れた小さな頭を見て確信に変わった。
――人の身には限界か。
だけど、ひとつだけ聞いておきたいことがあった。
「で、この後はどうするつもり?」
質問を投げれば、瞳に僅かな光が戻る。
その判断が僕の未来まで左右するとは露も知らず、回らない頭でリイは一応考えていた。
「そうね……夜明けまで待って、行ける所まで行こうかしら。夜が来たら火をおこして……ドレスが邪魔ね……どこかの街に……」
「自分で火がおこせたっけ?」
「……火」
「僕が付いて行く?」
「あなたが? いいわね、楽しそう……」
言いながら、にっこりとリイは微笑んだ。
「魔王の迎えは待たないの?」
「今夜お迎えがなければ、ご所望ではないということだもの」
意識の半分以上が夢の中にいても本当は分かっているだろう。
こんな森では三日も生きられない。
だからリイの言葉は、魔王に救いを求めたところで結果は変わらないと、投げやりになっただけかもしれなかった。
「迎えが来たら、「魔王の花嫁」になってあげるの?」
「もうなってるわ」
「ああ、そうだったね」
ふわあと、小さな欠伸が指の隙間からもれた。
どう見ても眠りの国に旅立つ準備はできていて、引き際を悟った僕はおやすみを言おうと口を開ける。
でも、リイは。
眠気に抗うように目をこすり、ちゃんと僕の顔を見た。
眼差しは変わらずとろんとしていたけれど、そこに見て取れる熱を珍しいと思ってしまった。
リイが人に向ける熱は、あるかないか、いつもその程度のものだったから。
「魔王様が来てくださったら……あなたも一緒に行ける?」
「……僕も?」
魔王が連れて行くのは身ひとつの花嫁だけ。
と、街の連中に散々吹き込まれ、リュートを取り上げられてしまったリイ。
今になってなぜそんなことを言い出したのか、僕の方こそ珍しくも声が上擦った。
「僕は……どうかな。でも、魔王の城で火をおこす必要はないと思うよ」
火をおこす必要性の前に命がない。くだらないことを言ってしまったのは動揺しているからだ。
それなのに、容赦ない追い討ちがかかる。
「一緒にいられたら、嬉しい」
ひっそりした微笑みがあまりに儚くて、僕のひび割れた頭脳に更なる激震が走った。
――嬉しい? 共に死ぬことが?
ここにきてリイの意図がさっぱり分からない。
僕にそんなことをねだるメリットを必死に考えた挙げ句、理解できない僕は、理解できないままに酷い言葉を吐いた。
「道連れになるつもりはないんだけど」
「そうだったわね、旅に出るのよね……」
暴言を受け止めたリイは怒りも悲しみもせず、それどころか、魔王の城まで足を延ばしてみないかと冗談交じりに食い下がる。
非常識な誘いだと認識しているのだろう、顔には苦笑が広がっていた。
でもリイは、必死で。
「せっかくだからあなたも……」
言い募ろうとしたのだが、そこまでだった。
大袈裟なまでに朗らかな声が、急にトーンダウンを始めたのだ。
「でも、あなたは……」
「リイ?」
「あなたは……あなたは……」
僕の呼びかけも聞こえないのか、譫言のような呟きが止まらない。
――時間か。
いつか来るかもしれないし、来ないかもしれない。いや、むしろ来ないだろう。
そう思っていた瞬間は唐突に訪れた。
僕が覚醒して、リイを支配する暗示が切れる。
リイは今、違和感にもがき、正解のない自問自答を繰り返して、自分の記憶と戦っているのだ。
これは誰、と。
僕を知っているはずの自分に、そう問いただしているはずだ。
――眠かっただろうに、可哀想なことをした。
表情を見て、僕は正しく判断を下した。
「リイ、僕を知っている?」
ことさら優しく問いかけると、怪訝そうではあるが当然のように頷きが返される。
「知っている、わ。あなたは……だってあなたとは……」
「僕と一緒に行く?」
「……そうね、一緒に」
「行くんだね?」
行く。
音にはならなかったけれど、確かにそう、リイの唇は動いた。
――いいよ、連れて行ってあげる。
満足いく答えを得た僕は、少しだけ身を寄せて、幼子を誉めるようにリイの頭を撫でてやった。
二度三度繰り返せば強制的に目蓋が下りる。
「よく眠るんだよ。おやすみ、リイ」
「おやすみ、なさい……?」
名を呼ばれ、反射的に呼び返そうとした顔が苦しそうに歪んだ。しかしそれも一瞬で、すぐに深い眠りへと落ちていく。
リイは、僕の名前を知らない。
七年も一緒にいて一度も口に乗せたことがないと、ようやく気付いたのだ。
――ひとつずつ知っていけば良いよ。
寝床代わりは僕の上着だ。細い体を横たえ乱れた黒髪を直し、誰にも傷付けられないよう僕の所有印を刻んで安眠を約束する。
明日は僕の話をしよう。
リイが知らない、本当の僕の。
――さて、リイの荷物を取りに行くか。
眠りの深さをはかるように寝顔を見守っていた僕は、相当な後ろ髪を引かれながら重い腰を上げた。




