3-2 王都の刺客
森のそこかしこから、突如として獣の雄叫びが上がった。
と同時に、目の前すぐのところで爆風が巻き起こり、直撃を受けた祭壇が木片を散らす。
貧相な造りだから壊れるのも一瞬だ。
風の音に紛れてばきばきと聞こえたが、それもすぐに飲まれて消えた。
僕の辞書に加減という文字はない。
少なくとも僕自身に害はないはずだから、真後ろのリイも安全に違いない。風に煽られながらそう結論付けた僕は、再び手のひらを開いた。
すると、嵐はぴたりと止まり。
祭壇だったものは、今、自然の摂理に逆らって宙に留まっている。
――次は火か。
僕は、役者のように気障ったらしく指を鳴らした。
次の瞬間、空中に躍り出たのは真っ赤な大蛇だ。龍のような巨体には炎がはぜ、胴体をくねらせるたびに火の粉が降りそそぐ。
蛇のくせに野太い咆哮を轟かせるから、空気どころか僕たちの体までびりびりと震えた。
大地を覆う草や苔に赤い星がいくつも落ちる。
その光景を前に。
知らず、僕は首を傾げていた。
――間違えた?
僕の隙は、顔前すれすれまで迫る火炎を許した。咄嗟に払いのけても勢いを殺しきれず、吐き出された熱風がリイの肌を撫でる。
背後で悲鳴を飲む気配がした。
――加減を覚えないと。
本当は、人魂くらいの小さな火種を呼んだつもりだった。
それが、何がどうなったのかこの有り様だ。
――イメージ不足? 指示が漠然としていたせい?
抵抗を失った物体は音を立てて落下する。
火に包まれた木片も、異様にゆっくりと旋回しながら木くずのてっぺんに着地した。
初めての荒技はとても成功とは言い難く、吐き出した息は苦い。
僕は、今後の課題を厳粛に受け止めた。
可愛らしい炎は軽やかな音を立てて木片を舐め、積み重なった全ての木材に燃え移った。
一応、イメージどおりの焚き火である。散乱する木片を順にくべれば、一晩でも二晩でも維持できるだろう。
――さて、どういう反応を見せてくれるかな。
意識を切り替えると、いたずらが成功した子供のようにわくわくした。高鳴るはずのない胸もどきどきしている。
人外の力をここまで見せ付けたのだから、いかなリイでも、せめて泣くくらいの反応は見せるはず。
期待を抱いて振り向けば、大きく見開かれた黒い瞳にぶつかった。
――これは、もしかして?
今までにない表情だ。
自然、僕の喜びは加速する。
何と切り出せばより効果的か、欲を出して必死に考えを巡らせた。
そんな僕は、らしくもなく浮かれていた。
結果。
「すごいわ。王都の刺客は何だってできるのね!」
僕の興奮は、僕以上に興奮したリイの一言で台無しにされてしまった。
リイは少食なので、そのリイが明日の朝までしのぐ程度の食料なら容易く確保できた。
水もだ。
僕は、ある特徴を思い出して樹木を探した。傷付けた表皮の隙間からぽたりと伝う透明な樹液は、人間が口にしても害がない。
大きな葉で即席のコップを編み、不思議そうなリイに手渡してやる。
その間、僕は一言たりとも喋らなかった。
だって、さすがに雰囲気で分かるだろう。樹液を水代わりにすることも、僕がひどく怒っていることも。
幹にコップが添えられたところを見届けて、僕は焚き火に戻った。
準備は整った。
辺り一帯は薄闇というより完全な夜だが、実際にはまだ夕方で、リイが眠くなる時刻には程遠い。
だから、焚き火を挟んで向かい合うリイが伏し目がちなのは、彼女なりに何かを考えているということだ。
待ってやりたいが、僕にはあまり時間がない。
もうすぐ、本来の居場所に呼び戻されてしまうから。
――仕方がないな、本当に……僕は。
僕の長所は幼なじみに甘いことだ。
怒りの理由を知らないリイに苛々しても意味がないと、荒れた感情は地底深くに封印する。
いいかな、と。
声をかければ、リイの顔が緩慢に上がった。
「今まで、ずっと、何年も、僕を刺客だと思っていたの?」
王都の刺客。
言葉の響きもその正体も、物騒さを比べれば「魔王の花嫁」と良い勝負だろう。
不名誉な誤解に驚いた僕は、次に、自分の身の上をリイが知っていることに驚いた。
出会った当初、僕が記憶を覗いた時のリイにその情報はなかったから。
「……他に考えられないでしょう。どこからどう見て色々考えたところで理由がないもの」
他に、私の側にいてくれる理由がない。
監視されていると警戒しながら、他に親しい人間もいなくて友人関係を続けてしまったのだと、懺悔するように言われた僕。
――おい、小娘。
何だろう、この感じ。
怒りたいんだか泣きたいんだか。人間じみた感情の高波が頭から僕を飲み込んだ。
リイが、僕といた七年間を否定する。僕たちが過ごした時間を、まるで悪いもののように言う。
その言い方はあまりにも。
――哀れじゃないか、僕が。
たったの七年間。
僕にとっては、何十倍もの月日にも勝るかけがえのない時間なのに。
「……君が言う刺客かどうかは分からないけれど、王都の使者ならとっくに引き揚げたよ」
王都の刺客とは、きっと、六、七年前に大金を置いてロンバルトを出た年寄りのことだ。年がら年中リイにべったりの僕による情報では、あれ以来、リイを狙う刺客などいない。
年寄りが唯一接触した相手は叔父で、金を受領したのも叔父だから、本人が知らないのも無理はなかった。
「嫌々なのに付き合ってくれていたんだ、七年間も。我慢させて悪かったね。じゃあ僕はこれで……」
「私の勘違いなのよね、刺客じゃないのよね! ごめんなさい! だからもう少しゆっくりして行って!」
立ち上がった僕を引き止める、精一杯伸ばされた細い腕。
もちろん、リイを置いて行くつもりはない。
数拍ほどもったいぶった後で渋々座り直す僕は、そんな演技までもお手の物だ。




