命を大事に
このファンタジー世界に来てから32日目の朝、つまり二ヵ月目を迎える事ができた。
連日続いていた内臓を締め上げるような鈍痛や思考をぐるぐると暴れまわるような不快感が嘘のように消えた快調な1日の始まり。
そんな久々に訪れた健康を一切の考慮をせずに、後ろからバットを振りぬくが如く不快感を煽る光景が世界では繰り広げられていた。
「……何人くらいいるんですかね」
「昨日は1万程でしたが、今は2万に到達しそうですな」
冗談では済まされない数字がセバストさんの口から出たのと同時に、壁に投影された戦争映画のような光景を見ながら僕もため息が出た。
見えるだけで2万って事は、予備戦力やら迂回ルートでくる人達やらでさらに膨れ上がるって事だろう。
「さっきから勇者の紋章からモリモリ力が湧き出てますよ。あの聖女が勇者の神ってのも案外嘘じゃないかもしれませんね」
そんなパワーアップされた勇者が群れを成して襲い掛かろうとして来ている。
ただでさえ強い兵士が約2万、勇者はだいたい100人くらいは混じっているのだろうか。
この100がどれだけの力を所有しているのかを考えると、2万に対して誤差で済ませられる数字ではなく、むしろこちらに注意しなければならない。
朝ご飯代わりにお菓子、そして紅茶を飲みながら、この日あまり考えたくない事を口にする。
「……聖女はどこに居るんですかね。姿が見えないようですけど」
2万の兵より、数百の勇者より、飛び抜けて厄介な1が見当たらない。
この1に比べれば全てが誤差で済むような力を保有する聖女が、僕には気配すら漂わせていないように見える。
「アキは心配性だな。奴は聖都にいるぞ。他の都市はすぐに撃ち落とされたが、聖都だけは問題なく鳥が潜入できた。自称神とやらの魔力があちこちに降り注いでいるからか、これっぽっちも気づかれていないようだな。舐められているのか、それともただの馬鹿なのかは分からんな」
壁に投影されたもう1つの映像。そこには懐かしく、そして慌ただしい聖都が映し出されていた。
「カッカッカ! ここまで上手くいくと逆に罠なんじゃないかと心配になってしまうがな。もう少し時間をかければ城内の様子も探れるだろう」
この心強い笑い声を聞くと、不思議と、根拠は無いに等しいがなんだか圧倒的な勝利が約束されているような、そんな錯覚に陥ってしまうから不思議だ。
流石は魔王様と言った所だろうか、なんとも頼もしい限りで、本当に敵では無くて良かったと心の底から思えてしまう。
「聖女は私が見張っておく。セバストとリリーは土足で踏み込むゴミの処理を頼む。捕らえなくていい、魔物であろうと例外なく全てを殺せ」
「ハハッ!」
「頑張ります!」
魔王と同じ食卓を囲むなんてとんでもない! と息まき続けて1人立っていたセバストさんと、無我夢中無心状態で未知のお菓子を味わい続けていたリリーは、花マルをプレゼントしたいくらいに元気に声を張り上げた。
昨日の散歩でだいぶ打ち解けてくれたようで、実になによりといった所だ。
「マスターはどうするんですか?」
「……僕はここでお菓子でも食べながらみんなを応援しているよ」
「いや、アキには私の護衛を担ってもらう。正確にはアキは必ず私が守る」
割と真面目にニートを決め込もうとしたいた僕に、鋭い横槍を3本くらい突き刺しながらトランさんは言う。
「敵は確実に私を殺しに来る。私は確実に敵を殺しに行く。これは300年前から決定づけられた宿命だ。私の封印を第三者に解かれた事、これはおそらく想定の範囲だろう。あの言い振りからすると微々たる誤差でしかないようだ。……だが勇者であり魔王でもあるアキの存在は相手にとって完全にイレギュラーだ。そんな存在が各地の魔力をかき集めたとしたらこれはもう想定の範囲外。唯一聖女の目論見から外れたであろうアキは我らにとっての生命線、そして最後の切り札に成り得る」
「……そんな大層なモノではないと思うんですけど」
まるでジョーカーのような扱いを受けた僕は、すぐさまその辺に置かれている花瓶のような存在であると反論する。
彼女は近くのチョコを口に放り込みながらやれやれと言った感じで僕に答えた。
「これまでの出来事を聞いていたが…… アキ、お前は少し自信を持ったほうがいい。この2人を束ね、この地に辿りつき、私を助けてくれた事の重大さをそろそろ理解するべきだ」
体を前のめりにして僕の目に届きそうな勢いでビシッっと鋭く人差し指を差し向ける。
他の2人も、やれやれと言った感じで言葉を続ける。
「アキ殿がいなければ、私が目覚めた頃には全てが取り返しのつかない事態になっていたに違いありません」
「マスターがいなければ、私は魔物のエサか人間の道具になっていました。だから本当に、本当に感謝しているのです」
「そんなに自分を卑下するな、と言いたいだけだよ。自分だけでなく、仲間達の為にもな」
流石は魔王、言ってることがまるで王様みたいだ。2人もなんだかんだで僕に感謝をしているらしい。
照れた表情をコップで隠しながら、僕は紅茶を時間をかけて飲み込み、こう言ってやった。
「だったらもっと大切に扱ってよ……」
心の底から出たこの言葉、たとえ相手が魔族であっても100%伝わったと信じたい。
目の前に映る2万の戦力を眺めながら、僕はそう思った。




