魔王
たった数秒前、僕は確かに魔王城にいた。後ろを向けば、今まで歩いてきた廊下が見えるはず。
だけども、見れない。見ることができない。目の前の存在から目を逸らす事ができない。
「ショロトラ様……!?」
セバストさんが絶句するのも無理はない。というか想定外にも程がある。
その場に相応しく、この世に相応しくない存在。
父と共に人間に殺されたハズの魔王の娘。
魔王ミクトラント・カールソルの妹、ショロトラ・カールソル。
軽く舞踏会が開けそうな広さの王の間。
そこに内臓が巨大化して破裂したような歪すぎる物体が蠢き、大木のような肉会に小さな顔だけは綺麗に、その魔王は僕達を見下していた。
「あらセバスト、おはよう。ふふふ、今日は天気がいいわね。空を飛び回る小鳥さんもなんだかとても嬉しそうだわ。そんな日はピクニックに行かなければ損だとは思わない?」
ボサボサの白い長髪に灰色の瞳。
ボコボコと赤黒い液体を吹き上がる体の上から、ショロトラはセバストさんだけを認識して問いかけ続ける。
「ふふふ。お姉さまはお菓子を取りに行ったの。ピクニックに行けないなら、勉強会にはせめてご馳走が必要だと怒っていたわ。だから遅刻じゃないの、許してあげてほしいな」
「……ッ! ミクトラント様がいらっしゃるので!?」
「朝食の時にね、お父様とお母様に時間を守りなさいと怒られたばかりなのにね。ふふふ、本当にお姉さまには困ってしまうわ」
この空間だけ、300年前から切り離されているような、隔離されているような、誰かに創り上げられたかのような――。
1つだけ確かなのか、目の前のナニカは本物ではないという事……いや、それすらも分からない。
ひょっとしたら相手の世界こそが真実で、こちらの世界が偽りなのかもしれない。
「セバスト、紅茶を入れてもらえる? 昨日と同じキーリィの葉がいいかしら」
「――ッ!」
その言葉に目を見開き、セバストさんは血の槍を死んだはずの魔王に対して、コポコポと音を立てる体のようなナニカに撃ち放つ。
「何をするの?」
「……ショロトラ様、貴方様はもう死んでしまわれたのです。旦那様と人間の地へ向かい、そこで不意打ちを受け殺されてしまったのです」
「何を言っているのかしら。朝からそんな冗談はやめてほしいわ」
「魔王様の配下である私がショロトラ様に傷を負わせる事ができた意味がお分かりでしょう!? 貴方様はもう、魔王でもなければ生きてもいないのですよ……ッ!」
ふ~んと、目を細めながらショロトラは視線を移しコチラを認識する。
「あら、よくみれば人間と狼を持って来てくれたのね。ふふふ、お姉さまったら。少し待って居ればこんなにおいしそうなお菓子が運ばれて来たのに」
左手の腕が、魔王の紋章が、今まで見たことが無い程に、まるで命の危険を警告しているかのように色濃く光を発している。
その警告に従おうにも、動けない、動く事が一切できない、圧倒的な力に抗う事が出来ない。
仮に目の前の存在が死んでいたとしても、魔王では無くなったとしても、そんなモノは最早些細な問題にすぎない。
どのような理由であれ、魔王一族ショロトラの顔をした決して存在してはいけないような歪んだ生き物は、自らが許可した相手でなければ動く事が出来ない状況を作り出した存在は、もはやこの世界にとっては紛れもない本物の魔王。
少なくとも、僕にとっては最恐の魔王である事には違いは無かった。
「そうね、本物のセバストが私に攻撃できる訳がないもの。私を傷つける言葉を口にする訳がないもの。つまり、貴方こそが偽物という事かしら?」
ラグボーボールのようにコロコロと話題と視線を跳ねさせながら、触手のような赤黒い何かを、頭上へと集め出す。
「お姉さまが戻ってくる前にパパッと終わらせて差し上げます。この聖域に土足で踏み込んだ事を後悔しなさい!」
――生贄よ今ここに
蠢くナニカから這い出て来た数十のゾンビが1つの塊になり、そこから手足が生え巨大なゾンビへと変形していく。
――三重の火属性罠!
――血の衝撃波!
完成するまで待てばこの状況がより残念な事になると直感した僕達は、3人同時に波状攻撃をぶちかます。
僕が全身を燃やし、リリーが切り裂き、セバストさんが粉々にする。
この世の終わりを告げるような絶叫と共に、巨大なゾンビもどきは何度目か分からない死を迎えながら消え去った。
――癒しの火葬
魔王がそう小さくつぶやくと、高い天井まで届く火柱を纏いながら木端微塵に切り裂かれ消滅したはずのゾンビが、それ以上に強い紫色の炎を纏いながら瞬時に全身が再生する。 ……いや、再生なんて言葉では説明が付かない。
創り上げた。時間を巻き戻した。失った生命を再び呼び戻した。
はっきりと分かる事は、今まで見た魔法とは比べるほども無い程に、次元の壁を越えた反則級の魔法である事。
「なんだか残念な表情をしていますけど、ちゃんと効いてますわよ? 外で彷徨っている人間が身代わりになっているだけなの。 だから安心して、すぐに生き返るからなんの問題も無いわ」
「……ショロトラ様。あなた様がもし本物であれば、花1本折る事が出来なかったお優しい頃からだいぶ変わった事になります」
「命はね、平等じゃないのよ。それに――――――」
こんな茶番を聞きに来た訳じゃないのは分かっている。
この場にいる誰もが深く理解している。
こんな会話をしている最中にも生まれつつある巨大なナニカに攻撃するべきなのは知っている。
だけども、できない。
これ以上攻撃する事ができない。
これ以上の攻撃を魔王の紋章が許してくれない。
……理由は単純。
敵であるはずの、本来であれば天敵であるはずの人間と和平を望んだ魔王一族。
深い愛情で満ち溢れていた魔王の家族一族。
だからこそ、だからこそ殺せない。
魔王トランを救おうという気持ちが、魔王一族を殺めるという行為へ無意識にブレーキをかける。
偉大な魔王の力を手にした人間、そして配下。
魔王の支配を色濃く受けている者は魔王への攻撃行動ができない。
相手を明確に殺そうとしているのであれば尚更。
魔王城のガバガバなセキュリティにも今なら納得できる。
勇者しか立ち入る事ができない結界を仮に魔王の配下が無効化して入る事ができても、最後に待っているのは魔王の一族で魔族は攻撃する事ができない。
……なかなか良くできた、よく考えられた、よく出来過ぎているシステムだ。
もし無事に帰る事ができれば、今後の生活に役立ててみたいものだ。
数分前に平和で話し合いで解決できればいいという考えが、不可能という点を考慮しなければ最善の手段だっただなんて、想定外にも程があると文句をつけたい。
「……あらセバスト、おはよう」
ボサボサの白い長髪に灰色の瞳。
ボコボコと赤黒い何かが吹き上がる体の上から、ショロトラはセバストを再認識して問いかけ続ける。
「ふふふ、今日は天気がいいわね。空を飛び回る小鳥さんもなんだかとても嬉しそうだわ」
漂う腐肉を触手の上に乗せながら、彼女は笑う。
「そんな日は……」
――|ゴミを潰シテ遊ぶにカギルナ《バンクェット・サクリファイス》
刹那、赤黒く染まりかけた部屋に待ったをかけるように。
僕は、左手を前に構え、闇の領域を作り出す。
僕の直感がこれを完成させたらまずいとサイレンを鳴らし続ける。
いや、きっと誰もが同じ状況に立たされれば寸分違わず同じ事を思うだろう。
赤黒い領域はまるで生物のようにぐにょぐにょと不気味に動き出しており、例えるなら空間を内臓に創り上げ直接コチラを飲み込もうとしている戦況。
――全てを奪った人間のクセニ、ワタシに逆らう気ガヴァァア!?
逆らう余裕なんてとっくに無い、現状維持で精一杯。
残り3割の空間を保持する事に全力を尽くしている僕に、少なくとも何かができる余裕はない。
一瞬でも気を抜けば、魔王に全てを持っていかれる。
頼みのリリーとセバストさんも巨大ゾンビの相手で手が空かない。
巨大ゾンビはデカいだけならまだしも、いつのまにか腕が数本増えた上に剣やら爪やらをまるで阿修羅のように身に着けている。
侮っていた訳じゃない。
殺しても殺せないゾンビの存在は想定できても、殺そうと思う事が出来ない魔王が存在するなんて想像すらできない。
故にこの状態は必然で、この城に足を踏み入れた段階でチェックメイトを受けているようなもの。
一か八かでもうゾンビに総攻撃をしかけてみるか? 無理だ、即座に復活するに決まっている。
やるなら外にいるゾンビを全部殺さなければならない。でもどうやって? 倒しても倒しても復活する不死身の存在であるゾンビをどうやって倒すんだ?
大元を殺せばいいのか? その元凶には一切手出しできないじゃないか。
――詰み。抵抗すら無意味に感じる、絶望的な詰み。
……いや違う。まだ詰んではいない。
倒すことが不可能なら、逃げればいい。
逃げに関してなら、31日間を逃げ切った僕なら、そんな才能溢れる僕なら逃げる手段を見出す事ができるはずだ。
そうだ、まずは考えろ、考えるんだ。
今は左腕の出血なんて無視しろ、足元から蝕むナニかなんて気にするな、何処かから発せられる焦げた臭いなんて幻だ。
今は逃げる方法を、手順を、作戦だけを考えろ。
……何も思いつかない。
ここから逃げる手段なんて思いつかない……が、1つ大きな疑問が思いだした。
昨日から疑問だったが、何故魔王はここから離れないんだろうか。これだけ憎んでいるのであれば今すぐにでも人間を皆殺しに向かえるはずだ。
何故だ? 何故外に出ないんだ? ……たぶんそれは体が原因だろう、首から下が内臓のようにグチャグチャになっていて、それでいて大きすぎるからだ。
……じゃあ何故そんな体になっている?
これは絶対にあの魔王本人による意思ではない。絶対に無い。目的もメリットも感じられない。
では僕の知らない誰かが、何か意図してこの状況を創り上げたとしたら、一体何が目的なんだ?
そこまで考えると、偽りの魔王を守るようにして張られていた城の結界は一体何が目的なんだ?
勇者の紋章に反応している所やゾンビの質を見るに勇者しか入れない仕組みになっているのは間違いなさそうだが、何故なんだ?
魔物が入り込むと、何か都合が悪いのか?
――もはや限界だと怒りを訴えかけるように、左腕の紋章が交換したばかりの白熱灯のように、それでいて文句を付けるように強く光を増しながら点滅を繰り返した。
まぁまってくれ魔王の紋章よ。もう少しだ、もう少しだけ考えさせてほしい。
分かっている、分かりきっているよ。長い付き合いだ、君の言いたい事はよく分かる。
アイツが本物の魔王であるトランさんの封印を解くためのカギだとでも言いたいんだろ?
アイツを殺さないと何も解決しないとでも言いたいんだろ?
そんな事、僕でさえ薄っすらと推察できていたし、理解もしていたよ。
だけども今、考えるべき事は、優先するべき懸案事項は、この場からいかに被害を抑えて逃げるこ……と……?
ゴクリと、辺りに響き渡るくらいの音を立てながら心臓が唸り始める。
辺りを照らす魔王の紋章を見て、気づいた。気づいてしまった。
そしてとうとう辿りついてしまった。
「ハハハッ! そういう事か! なるほどね! これが本当の両者にとっての、世界にとっての想定外って事か!」
思わず叫びながら笑ってしまう。
そう、答えは最初から持っていたんだ。
小学生でも分かる問題だった。深く考えた僕が馬鹿みたいに思えてくる。
魔王の紋章がここまで激しく呼応しているのであれば、近くに魔王がいる可能性が高い。
そして、目の前の存在は本物の魔王ではない。
本物の魔王ミクトラントは、一族で唯一の生き残りとなって勇者殺しを手に入れた。
そして、その力を持ってしても叶わず、この場で勇者達によって封印された。
だとすれば、答えは1つしかないじゃないか。
――三重の転移罠!!!
行った事のない場所には転移する事はできない。
だけども、想像できれば転移できる。
紋章で繋がっていれば、遠くにいても転移できる。
300年間閉じ込められたこの記憶、初めて出会った異世界の住人。
この記憶に優るモノはこの世に存在しない。
だからこそ、誰にも想定できない。
これは僕にだけに許された、なんてこともないただの魔法。
――ありがとう、アキ。お前なら必ず意図に気づいてくれると信じていたよ。
紫がかった長髪に、燃えるような紅い目をした真の魔王は、何も無かった空間に現れながら確かに僕にそう言った。




