動き出した時の歯車
目を覚ますと、元の世界にいた記憶を刺激するように畳のいい香りが辺りに漂っていた。
まだ起ききっていない目を細めながら窓の外を眺めると、和風と呼ぶべきか京都風と例えるべきか、それらを足して2で割ったような幻想的な街並みが明るく照らされているのが見える。
昨日は暗くてよく見えなかったが、山と谷の全てを利用して都市と成り立っているこの絶景を改めて眺めると、僕の眠気を一瞬にして降参させる事ができた。
着崩れた浴衣を整えながら、両手両足が何不自由なく動く事を確認する。
どうやら僕は、このファンタジー異世界に召喚されて25日目を無事に迎える事ができたようだ。
体の節々で怒っている筋肉痛のような痛みが無事ではない事を訴えかけているようだが、その抗議はひとまず頭の片隅にでも追いやっておこう。
「おはようございます。つい先ほどリリー様が食事に向かわれました。よろしければご案内致しますが」
背筋を伸ばしながら声が聞こえた方向に体を向けると、扉の近くでエルフの侍女さんがこちらをじっと見つめていた。
起きるまで待っていてくれたのかなと一瞬悪い気がしたが、立派な刀を腰に携えている所を見ると待っていたのではなく、単に監視していただけなのかもしれない。
ありがとうございますと返事をし、周囲にトラップを張り巡らせながら彼女の案内についていく事にした。
◇◇◇◇◇
「最初は個室に案内していただいたのですが、ここだとメニューを自由に選べるという事でしてな!」
大勢が集う大型の大衆食堂のような場所で、セバストさんは鉄分が豊富そうな真っ赤な料理、リリーは限界まで積み上げた肉の山を美味しそうに食べていた。
明らかにあちこちから敵意がズバズバと突き刺さってくるのを感じるけど、この2人はお構いなしにその空気すら食事の一環として楽しんでいるようだった。
「マスター、体は大丈夫ですか?」
「問題はないよ。これで周りからの冷たい視線が無ければ体調バッチリなんだけどね…… ってやめなさい! 周囲を睨んで脅すはやめなさい! 冗談だから! 悪かったから! お願いやめて!」
一瞬の威圧で戦闘態勢を取った100の魔獣達を無理矢理排除しようとするリリーをなんとか制止し、止めずにその光景を楽しんでいるセバストさんを睨みながら僕はようやくバイキング形式の朝食を選ぶことができた。
本日の朝食は白米と焼き魚。なんとも日本的で味気ないなと一ヵ月前の僕なら思っていただろうが、今は事情が違う。
まずこの世界にお米がある事に驚愕、そして感動しているんだ。
毎日毎日パンパンパン。いくら肉と野菜が有ろうともお米が食べられなければ体にエンジンがかからないような日本人気質な体質の僕にはとてもありがたい食事だ。
これに味噌汁を加えれば完璧なんだろうけど、無いのだろうか。たまたま今日だけ無かったのかな? いや、そもそも味噌が無いのかもしれない。
作り方が分かれば広めたい所だが、味噌汁ならまだしも味噌そのものの製造工程なんて知っている訳がない。
異世界に行ける事が1年くらい前に予告されていれば、料理から各種調味料までの作り方を徹底的に勉強しておくのに…… まったく、運命の神様って奴はなんて自分勝手なのだろうか。
自分勝手なのはお前だろと言われそうだが、唯一の楽しみになりつつある食事に関しては神様相手だとしても徹底抗戦してやってもいい気分だった。
なんて今更考えてもどうしようもない事を頭に浮かびながら魚の骨を丁寧に取り除いていると、元々ざわざわしていた食堂が何だかさらにざわつき始めている事に気づいた。
隣のリリー、目の前のセバストさんに不審な行動が無い事を確認し、僕はあえてそのざわつきを無視して朝食を楽しむ事に決めた。
「いけません! アリディラ様のようなお方がこんな庶民の場所に足を運ばれるなど!」
「五月蠅いわ! 文句があるなら人間を王宮に入れるなとしか言えない能無し共に言わんか!」
……今このタイミングで聞きたくない声TOP3くらいにランキングしそうな声が聞こえてしまったような気がする。
いや、気のせいだ、気のせいに決まってる。
僕は自らに気にするなという暗示をかけながら、美味しそうな脂がのった魚の身を箸でつまみ、口の中に放り込んだ。
「すまぬのう皆の者、こ奴らと少し話したい事があるのでな、少し席を外してはくれんか」
忘れもしない緑色の長髪、そしてエルフっぽい長い耳をした気品溢れる女王様が僕の隣に無許可で座り始める。
お願いという名の命令を受けた周囲の魔獣達は、頭を下げながら濁流のように食堂から姿を消した。
……神様、確かに僕の心に突き刺さるような視線が少し鬱陶しいとは思っていたし、食事に関して徹底抗戦してやるとも言った。
だけど、代わりに取り扱いを間違えば爆発してしまうような危険物を要求した覚えはない。
頼みますから、今後一切逆らいませんから、この後発生するイベントを無事に乗り越えさせてください。
そう願いながら、僕はゆっくりとアリディラさんの方向へ体を向けた。
「セバストに事情は聞いたぞ。魔王ミクトラントが生きている事、そして記憶を共有化した事も。ここに殴り込んできた事もそうだが、まったく驚きの連続じゃな」
「その節は大変申し訳ありませんでした」
先ほど口に放り込んだ魚の味がしない。僕が緊張しているからなのか、それとも元々味がしない魚だったのか。
間違いなく前者に違いない、僕は目の前にあったお茶で口内にある物を流し込みながら、次の言葉を待つように姿勢を整えた。
「魔王の最後を聞きに来たようだが、何も知らんぞ。コイツが知らなくて儂が知ってる訳がなかろう。故に、どうしても知りたければ今存在している偽りの魔王に直接問いただす以外に道はないぞ」
この世界に来て苦労しながら25日間頑張って積み上げてきた物を、こちらに土足で踏み込みながら金属製ハンマーを使用してぶち壊してくれたアリディラさん。
残っていたお茶でその言葉を無理矢理流し込みながら、僕は気持ちの切り替えスイッチを自分自身で足で蹴り飛ばし続けた。
精神的ダメージを代償にしてもなかなか切り替わらないスイッチを諦め、僕は湯飲みを机に置きながらアリディラさんに質問した。
「……偽りの魔王とは何者なんでしょうか?」
「儂らが魔王と呼んでいるのは代々絶大な力をもって魔族全てを統率していた一族の事。いくら圧倒的な力をもって魔族の頂点に君臨したとしても、姿も見せず王座の後ろで隠れ続ける存在を誰も魔王とは呼んでいない。故に偽りじゃ」
「誰も姿を見た事がないんですか?」
「少なくとも儂は知らん。偽魔王の軍勢はどこから現れたのか分からん上に意思疎通ができない殺戮者ばかり。誰も情報をもっておらん」
先ほど飲み干したお茶が胃酸と共に口から飛び出そうになる。
ひょっとしたらこのまま自然に任せて吐き出したら何か名案が浮かんでくるかもしれない。
やってみようか? やってみるしかないだろ、人間何事もチャレンジ精神が必要ってどこかの偉い人が言ってたような気がするよ。
「名前はアキじゃったか? 魔王の紋章があるとはいえ、ただの人間が短期間でよくここまで力を付けたな。たいした魔力量じゃ」
「自分じゃそこまで実感がないんですけど、セバストさんの行動を見るに皆さんが感じている魔力の殆どがダンジョンの一番奥で手に入れた魔力っぽいんですよね。そうだ、これも聞きたかったんですけど厳重に封印されてた魔力の塊って何なのでしょうか? 死んだ魂と魔力が固まったような感じはしたんですけど」
「……お主、あの封印を解いたのか!?」
300年生きているとは思えない程若々しくて綺麗な顔が、突然僕の顔を覗き込んでくる。
「え、ええ。魔王の紋章に反応しながら扉が自動的に開きましたよ」
その言葉を聞き一瞬難しそうな顔をしたと思うと、突然アリディラさんの周りに光の円がいくつか浮かび始めた。
何の魔法かは分からないが、その円の1つから一冊の本が取り出された。
「その扉はどんな光り方をしておった? これか? これか? それともこれか?」
「えっと…… これにちょっと線を加えた感じでしたね。こんな感じです」
食べる前に取り除いた魚の骨を箸で動かし、記憶を辿りながら模様を描く。
魚の骨をただ弄ってる様子を吸血鬼、シャドーウルフ、そしてエルフの王女が眺めている、傍から見ればなんともシュールな絵面だったに違いない。
可能であれば、二度とお目にかかれないであろうこのシーンを動画で保存して欲しかった。
「寒気がするのぉ」
「……あの扉って開けちゃいけないものだったりします?」
背もたれに全身を預けながら天井を見上げるアリディラさんに、僕は恐る恐る聞いてみた。
「これはな、魔王だけが解除できるようにしている封印じゃ」
「それはなんだか、大変な物を開けちゃったみたいですね……」
椅子ごと体をこちらに向け、アリディラさんは真剣な目で僕に説明を続ける。
「封印に関する魔法はな、術者本人にしか解除できない物であればそこまで強力ではない。いくら魔王クラスの魔力で封印しようとも、それなりの知識と時間さえあれば大抵の術者なら解除できるんじゃ」
僕の左手をそっと両手でつかみ、魔王の紋章を観察し始める。
その見つめる緑色の瞳は、復讐で燃え上がる炎のように揺らめいている様に見えた。
「ただし、ここに契約を組み込むと事情が違ってくる。契約とはリスクを背負うという事。例えば"絶対に開けられたくない"相手を封印の鍵に指定すれば、その度合いによって鍵を持たない相手への封印はより強固となる」
「……という事は"魔王を鍵にする"という契約がリスクに繋がらない存在、少なくとも魔王の配下である魔族がこの封印を施しても何の効果も持たないって事ですか?」
「ここに殴り込んできた人間にしては、ずいぶんと頭がまわるようじゃの。その通りじゃ。では300年もの長い間、誰からも封印を解除されなかった強力な封印、絶対に開けられたくない扉の鍵を魔王に設定できる存在といえば何じゃ?」
「この世界で魔王を恨んでいる存在って人間くらいしか思いつかないんですけども」
「……アキ殿、それだけの話で済むのであればまだマシのようですぞ」
先ほど現れた本を読みながら、セバストさんも同じような難しい顔をしながら大きくため息をついていた。
「何ですか? 正直、今の話を聞いてもまだピンと来ないんですけど」
いつのまにか勇者の紋章のある右手を隈なく観察しているアリディラさんは、声のトーンを低くしながら言葉を重ねた。
「術者が死ねば、リスクを背負うという契約は破綻する。つまりはな、生きてるんじゃ。300年前、突如各地に現れたダンジョンの奥に存在している封印の術者が、少なくとも300年経過した今でも何処かで生き続けているという事になる」
「……そういえば、戦闘中の魔王様を封印したとんでもない人間達がおりましたな。それもちょうど300年程前でしたか。なんとも面白い偶然ですな」
「あぁ、まったく面白い話じゃ。偽りではあるがようやく平穏を手に入れたかと思っていた。魔物の巣食うダンジョンが現れたのは単に魔王の死が影響していると思っていた」
――「この悪夢が人間側の手で行われていたとは思ってもみなかったぞ」
訪れたのは無言、ではなく、無音だった。
先ほどまで聞こえていた鳥の囀り、風の音、子供たちの遊ぶ声。
それら全てが一瞬にして消え去ったかのような感覚と息苦しい空気が、僕だけでなくここから遥か遠くまで離れた場所まで広がっていた。
その発生源は、遠く離れた場所にいる魔獣でも理解できだろう。
集合都市アクアコットの王、この残酷な世界で300年間生き続けた最強のエルフ。
彼女の静かな怒りが、この都市全てを飲み込むほどまでに大きく膨れ上がっていた。
「マスターって魔王だったんですか?」
「リリー、空気を読まずにとてもいい事を言ってくれたね。だけど違うよ、僕は魔王じゃないよ」
重苦しい空気を破壊するように、空気を読まないリリーは元気よく明るい話題を振ってくれた。
誰に似たのかは分からないが、こんな彼女に育ててくれた両親には感謝しかないな、いや育てたのは僕なんだけれどそれでも感謝させて貰いたい。
「でも記憶を共有したんじゃろ?」
「ええ」
「アキ殿、自分の全てを無意識な場所までさらけ出す。そんな行為、肉親相手でもできませんぞ」
「いやまぁそうだと思いますけど、トランさんの記憶は勇者と対決した所くらいしかハッキリしてないんですよ。家族を溺愛してたとか、勇者を絶滅させたいくらいに憎んでいるとか、感情的な部分は理解できていますけど。共有って重要な記憶だけじゃないんですか?」
2人仲良く肩を上げながら「やれやれ」と呆れたような様子でお互い顔を向き合っていた。
今となってはどうでもいい事だが、この2人が幼馴染だなんて嘘なんじゃないかって思ってた。だけど、これは間違いなく幼馴染、もしくは兄弟か何かだ。
息が合うようなモーションをお互い自然にやってのけた所をみると、それなりに長い時間を過ごしたと見える。
攻撃的で恐ろしい幼馴染達だ。その関係に僕が混ざっていたら、きっと子供の頃にいじめられて死んでいただろう。
「記憶が無いのはアキ殿がまだ力の無い人間だからですな。その内はっきりと思い出すでしょう」
「自覚していないようだから言っておくが、そもそも魔王クラスの知識がなければこの場にいる全員と会話ができないんじゃぞ? ただの人間がエルフと魔族、特にシャドーウルフの言葉を理解できると思うなよ」
そうなの? と首を傾げながらリリーに聞いてみる。
「マスターと繋がってから他種族の言葉が理解できて喋れるようになりました。この事は当然ご存じだと思っていましたが」
「当然ご存じなかったよ」
当然のようにファンタジーを語らないで貰えるかな!? こちとら剣も無ければ魔法もない世界で生まれ育ったただの人間なんだよね!
なんて文句も言いたかったが、図書館で難しそうな本を片っ端からスルーしていた僕は反論する権利すら持ち合わせていないと思い、白米と一緒にそれを飲み込んだ。
「とりあえず儂とセバストはこの件について調べ上げる。お前はとりあえず今日は休め。よく見れば体の内も外もボロボロじゃぞ。もう少し自身の体を大切にせい。ここの温泉はよく効く、許可してやるから入ってくるがよい」
お、なんだ。なんだなんだ? 突然のことに動揺しているが、僕はひょっとして今、体の心配をされたのか?
なんだろう、ここ最近酷い目に遭ってばかりだから少し優しい言葉をかけられただけで物凄い勢いで心に浸透しちゃう気がするぞ。
なんだかんだで女王様なんだし、アリディラ様って実は思いやりのあるメチャクチャ優しい人なのかもしれないな。
「そうですぞアキ殿、魔王様を救出するのですから体調には気を付けていきませんとな」
「お前にも言ってるんじゃ馬鹿者が! 人間相手に少しは手加減せんか!」
何処からともなく放たれた雷撃が、完全に油断していたセバストさんの全身を襲う。
……至近距離の明るい場所で確認してハッキリしたが、これ完全に殺す気で撃ってる威力だ。
なんでこの威力の魔法をツッコミで撃てるんだよ…… 怖い。ものすごく怖い。メチャクチャ怖い。
この人にだけは、このエルフにだけは、絶対に逆らわないようにしよう。
僕はこの時、ナイフで直接皮膚に刻み込むレベルでこの言葉を忘れないよう何度も心の中で復唱した。
手慣れたように倒れたセバストさんを引きずりながら、アリディラさんは食堂を後にした。
姿が見えなくなったと一安心すると、驚かせるようにひょこっとアリディラさんが出口から顔を出した。
「アキ、ここの施設は自由に使ってかまわんからな。そこのシャドーウルフもな。温泉はいいものだぞ」
どうしても温泉だけは堪能してほしそうなアリディラさんは、それだけ言うとそのまま何処かに行ってしまった。
「……マスター大変だね」
「ほんとだよ。メチャクチャ大変だよ」
なんだか大変な事になりそうだが、ようやく止まっていた歯車が動き出したような感じがする。
とりあえず難しい事は後回しにして、何も考えずに散歩でもして汗を流した後に温泉にでも浸かろう。
休める時に休む。そう、休むのもまた戦いの1つなんだ。
いつの間にか聞こえるようになった環境音を聞きながら、僕は少し軽くなった体で明るい太陽の下へと足を踏み入れる事にした。




