可哀そうな吸血鬼さん
紅騎士の背後から黒い翼が現れ、そのまま上空へと飛び上がる。
月を背後にしたその姿は、まさに想像していた吸血鬼そのものだった。
伝記で伝わりそうな伝説の存在は、そのまま両手に凄まじい量の魔力を集め始めている。
そんな冗談で済まされないような力を冗談で僕に放とうとしているんだから、この人とは一生分かり合いそうにない。
キマイラと対面した時とは比較にならない威圧感を感じつつ、僕は蛇口を閉める感覚を想像しながら魔王の紋章が刻まれている左手をゆっくりと握りしめた。
そこに栓をするように、勇者の紋章が刻まれた右手で左手を覆う。
瞬間、伝説の吸血鬼は紅い鎧が消えたと同時に殺虫剤で殺されたハエのように地面に落ちていった。
高い所から受け身をとらず地面に衝突したセバストさんは腰を曲げ痛みを訴えかけるように僕の方へ視線を合わせて来る。
「顔色が随分と変わりましたね。顔が引きつっているように見えますけど?」
「そ、それはいささか卑怯ではありませんかな、アキ殿」
「卑怯? 僕はただ不覚にも敵に流れ出てしまっていた魔力を止めただけなんですけどね」
残念だが、紋章が無ければろくに動く事すらできなかった事を僕に教えてしまったのが運の尽きだ。
光の剣を肩に乗せながら、息を切らしているセバストさんに一歩一歩ゆっくりと近づいていく。
「今気づきました。今日このタイミングでセバストさんが合流してきたのは偶然だと今まで思っていましたが、違いますね? 僕から流れ出ている魔力量が上がったのが原因ですよね?」
「そ……それ……それは違いますぞ!」
致命的なまでに嘘がへたくそなセバストさんの声が、要するに僕がダンジョン奥で手に入れた魔力の塊目当てに近づいてきたのだと反応で教えてくれた。
きっと移動能力が無い人間なんかと一緒では効率的に魔力と血を収集できないからと、今まで別行動をとってきたんだろう。
という事は、出会った時から失った魔力を供給する道具のような扱いをされていた事になる訳だ。
なんだかもう憎しみを通り越して逆にワクワクしてきて仕方がない。
「シャーァヴァアアア……」
「さっきからうるせえ!」
剣の側面をバットに見立て、そのまま魔力を込めて思いきり振りかぶる。
弱々しくなった巨大な蝙蝠は僕の視界に入る一番高い建物の中層に打ち込まれた。
ホームランを放った光の剣を、そのままセバストさんに向けて切り放つ。
ギリギリの所で後方に避けられてしまうが、避けるって事は少なくともこちらの攻撃が効くという事だ。
勝てそうになかった試合にようやく光が差し込んできた。
「魔力に頼らずとも人間の1人くらい簡単に殺せるのですぞ!」
「魔力に頼れば吸血鬼の1人くらい簡単に殺せるんですよ!」
ようやく本気になったかのように瞳が黒から紅く染まったセバストさん。
束縛トラップを3個重ねて、光の剣で斬りかかろうとした ……その時だった。
「うるさいわ馬鹿共!」
轟雷と共に、今まさに決闘を始めようとしていた僕達の間にエルフの偉い人…… 名前は確かアリディラさん、その人が突然姿を現した。
……というか瞬間移動!? まーた僕だけの特別だと思っていた転移も一般普及している品物だったりするのかな!?
「何をどう考え、どういう道理があれば魔物を飛ばして儂の家を壊していいと算段がついたのじゃ?」
瞼をピクピクさせながら怒っている。怖い。低い声が逆に怖い。僕はたぶんこの世界に来て一番の恐怖を感じているに違いない。
逃げようとしても瞬間移動が使えるんじゃ逃げようもない。
……僕はなんて所に場外ホームランを打ち込んでしまったんだ。
「どうせお前が悪いんじゃろうが!」
――雷光の導き
そう言い放ったと同時に一瞬視界が白くなり「ぐぎゃああああ!」という死に際に放つような悲鳴を闇夜に響かせながらセバストさんは再び地面に倒れ込んだ。
何が起きたのか見当もつかないが、少なくとも僕はなんとか助かっており、仮に僕が攻撃を受けてたら目の前で痛みに耐えながらうずくまっているセバストさんのような酷い目に遭っていた事だけは理解できた。
この騒ぎを説明せんか! というこの場を一瞬で支配したアリディラさんの言葉で、先ほど僕達を囲んでいた動物四天王が息を荒くしながら目前に集まり、頭を低くしながら経緯を説明し始めた。
そうすると不機嫌メーターが振り切れてそうな顔から一変、新しい玩具を見つけた大人のような顔つきになったアリディラさん、僕はそれを見て嫌な予感しかしなかった。
「ほお、コイツと渡り合う人間が存在しよったか。理由は分からんが確かに盛り上がりそうな戦いじゃな」
観客席の一番前にいつのまにか用意されていた豪華な椅子に腰かけ、こちらを見下しながら彼女は言った。
「儂は眠い。だがここで中断させたら締まりが悪い。一発じゃ。全力を込めて一発で決めよ。安心しろ、儂は手出しはせん」
有無を言わさず手を出してから言うセリフかよそれ。恐ろしい、この世界の住民は本当に恐ろしすぎる。
僕も大概攻撃的な行動を取っている自覚はあるが、その上空を遥かに上回る攻撃性を持つ生き物が多すぎる。
「賛成です。セバストさん、誇りをかけて次の一撃で決めましょう」
「……いいでしょう」
口から煙を吐き出しながら、生まれたての小鹿のように体をプルプル揺らしながらなんとか立つ事ができた吸血鬼。
先ほどまで格好が良かった紅い目がただの涙目になっているように見えるのだけれど、それは気のせいだと思っておこう。
――血の固定砲台 苦痛の魂
周辺に潜んでいたコウモリがセバストさんの体に導かれるように吸収されていく。
傷だらけになっていた体が回復し、最初に放った物と同等の魔力が込められた魔法が作られる。
「安心してくだされ、死にはしません。死にたくなるような激痛が全身を狼のように駆け巡るだけです」
物騒な事を言ってくれるセバストさんから50メートル程離れた所で、闇の剣を盾のように構える。
「僕はここから動きません、転移もしません。その一撃を闇で飲み込んでみせ、僕は更なる高みを目指します。全力で撃ってきてください」
「こんどはそちらが痛みに耐える番ですぞ!」
――発射
バレーボールサイズの紅く禍々しい魔法弾が、絶妙なトスから放たれるアタックのような速さでこちらに撃ち放たれる。
ここから動かないとは言ったけど、この速度だと避けようとしても完全に回避することは難しかっただろう。
少しでも触れればただじゃ済まされない魔力が込められたその弾を見て、僕は予め一歩前の距離に仕掛けた魔法陣に向けて素早く魔力を込める。
――復讐者の転移
確かに僕はここから動かないし、転移もしないって言ったよ。
……"僕は"だけどね。
作戦通りに僕の目の前の転移したセバストさん、背後からでは今どんな表情を確認できないが恐らく今日一番驚いているに違いない。
想定外の状況に陥った無防備なその背中を闇の剣で斬りつけ、全身に纏っていた魔力を全て取り除く。
無防備になったその体に更に追い打ちをかけるように、至近距離から三重の束縛トラップを丁寧にお見舞いする。
自身に何が起きたかを理解できる前に、セバストさんの体には死にたくなるような激痛が狼のように駆け巡るらしい一撃が撃ち込まれた。
本日二度目の「ぐぎゃああああ!」という絶叫を響かせ、まるで真夏のコンクリート上で暴れるミミズのように地面でもがきだす。
「カッカッカ! カーッカッカ! 人間なんぞに負けるその姿、実に心地よい! 落ちたのうセバストよ、今日は実に気分よく眠れそうじゃ!」
背中に生えていた翼はいつの間にかなくなり、目の前にはいい年した爺さんが地面を激しく転げ回る非日常的で奇妙な恐ろしい光景が広がっている。
そんな幼馴染の姿を見たアリディラさんは涙が出るくらいに大笑いし、腹がよじらせるくらいにこの状況を楽しんだ後、満足そうな表情をしながら瞬間移動で自宅に帰って行った。
「人間が勝ちやがった! クソッ! 俺も大穴狙いにしておくべきだった」
「アリディラ様の介入があったんだから無効試合にしてくれよ!」
「がっはっは! 人間が勝ちだとアリディラ様がハッキリと仰ったんだぞ! よっしゃー! 明日から美味い酒がしこたま飲めるぜ!」
「お前3日前の決闘でも賭けに勝ってたじゃねーか! 俺に少し分けてくれよ!」
好き勝手いいながら帰っていく観客たち、その中からリリーが満月のように明るい笑顔でこちらに近づいてきた。
「マスター見てください! 美味しそうなお肉をこんなに貰っちゃいました! ついでにファイトマネーも貰いました!」
どう考えてもついでなのは肉のほうだよ、なんてツッコミは無粋だと思ったのでしなかった。
「アキ殿ぉぉぉぉ! 助けてくだされえええぇぇ!」
ついでに決闘した相手をすぐに助けるのも無粋だと思い、僕は無視してメイド服のようなかわいい格好をした侍女さんに部屋を案内して貰うことにした。
なんともまぁ、長くて大変な1日だった。
そんな厳しい1日を耐えきった自分を褒め称えながら、僕は用意された敷布団に晩御飯の時間まで倒れ込むようにして眠りについた。
◇◇◇◇◇
約1時間後、トイレに行くついでに様子を見に行くと、体育座りをしながら痛みに耐えるという、なんとも言えないシュールなセバストさんの姿を確認してしまった。
今までの悪行がチャラになるどころか過払い金が支払われるくらい酷い目にあっているセバストさんを見ていると、さすがの僕も良心に何か例えがたいものが訴えかけて来ているような気がしてならなかった。
「……もう二度としないでくださいね」
左手でセバストさんの背中に触れ、止めていた紋章からの魔力を開放する。
誰にも聞こえないような、小さくかすれた声で「ありがとうございます」というその弱々しい声は、別に悪い事をしていないはずの僕の心を大きく揺さぶった。
今日はなんだか気分よく眠れそうにない。僕の直感が、理不尽にもそう囁いているように感じた。




