長旅の始まり 快適の終わり
◇◇◇◇◇
「……もう出てしまわれるのですか?」
「ええ、大変お世話になりました」
「魔法都市を訪ねる際は必ず立ち寄ってくださいね」
今までの人生で一番実行したであろう忘れ物チェックを終わらせた僕は、夜遅くまで酒を飲んでいたヤードさんが起床する前に出発する事にした。
わざわざ寒い中、都市の出入り口まで見送りに来てくれたベルさんと数十人の使用人に別れを告げながら、僕は次の目的地に向けて歩み進めた。
次の目的地は、人間以外の種族が集う集合都市アクアコット。
各地で急激に増えた魔物に対抗する為、散らばっていた集落が集まってできた超巨大都市。
そこの長であるエルフに話を聞きに行くだけの、今までの旅で1番簡単で、それでいて簡潔な旅の目的になる予定だ。
唯一の問題といえば"人間が近づいたら問答無用で殺される"というあまりにも無視できない深刻な1点のみ。
何故人を毛嫌いしているのか、理由は単純で、世界に魔物が溢れかえった時に勇者率いる援軍が人間の住む都市のみに限定されており、異種族の村には一切寄越さなかった事が起因しているみたいだ。
よって、ここから歩いて7日間かかるであろう道のりには人の住む村が存在しない。
そりゃそうだ、そんな危険な場所に向かう人なんていないし、わざわざ危なっかしい所に村を作る利点が無い。
たぶん、おそらく、きっとだけど僕は片道7日間は少なくとも野宿と不味い保存食で生活しなければならない。
昨日今日と豪華な料理を味わってしまったおかげで、ますます苦労をしそうな旅になりそうだった。
野生動物を調理して食事を豪勢にしよう、なんて考えもこの世界に辿りついた初めの頃は持っていた。
……だがダメだ、僕は料理なんてろくにしてこなかった人間だ。
血抜きも内臓の取り出し方も解体手順も何もかも全てが微塵たりとも分からない。
適当に切って焼いただけでは、生臭さと血の味がこってりとへばり付いてしまい到底食べる事なんかできなかった。
カップラーメンやコンビニ弁当を主食として生活してきた僕にとって、料理とは想像以上に難易度が高い技術だった。
馬を購入してさっさとこの苦難の旅を駆け抜けようという考えもあった。
試しに乗ってみたがアレは無理だ、お尻が物凄く痛くなるしそのうち下半身の筋肉が大変な目に遭遇してしまう。
乗馬も乗りこなすには高い技術が要求される、騎乗スキルがギリギリ自転車に乗れるレベルの僕には、とてもじゃないけど扱えない代物だった。
乗り心地が最高で、大人しくて優しいくて、隣で凶悪な狼が付き添っていても決して恐れる事のないユニコーンのような存在が僕の目の前に現れる事を祈りながら、繰り返すが片道7日かかる道のりを乗り越えなくてはならない。
……なんともまあ、気が重い憂鬱な1日の始まりだ。
思い返せば、今まで軽い気持ちで過ごした1日なんてなかったんじゃないだろうか。
ファンタジー異世界の移動といえば、空飛ぶ箒とか、ドラゴンとか、怪鳥に乗って世界を駆け巡るのが当たり前じゃないのか。
料理が上手な美少女や、快適空間な寝床を作ってくれる魔法少女とか、知識と経験が豊富な熟女とかが無条件で僕に好意を寄せてくるはずじゃなかったのか。
比べてしまえば元の世界のほうがよほどファンタジーしていたような気がする。
魔法みたいな電子機器はあるし、少し歩けば自動販売機やコンビニだって存在してる、野生動物に襲られる事なんてほとんどない。
移動手段は車があるし、電車があるし、飛行機だってある、ついでに言えば宇宙船だって存在する。
この世界には魔法を扱える事以外にファンタジー要素なんか無いじゃないか! どういう事だ! 話が違うじゃないか! 話は一切されなかったけれども!
……これ以上この話題を頭の中で膨らませるのは止めておこう。
どれだけ弱音を吐いたとしても、この先7日間も歩き続けねかればならないし、美味しいご飯は食べられないし、ふかふかの布団は当然無い。
更に目的地は近づいたら殺される物騒な場所に向かわなければならなく、おまけに命を刈り取る死神とやらがこの世界に出現している。そんな現実と無理矢理にでも向き合わなければならないんだ。
この最高に最悪な状況に、現実逃避という最強のカードを叩きつけたい。
「この臆病者が! 腰抜けめ!」なんて無責任な言葉を投げつけてくるかもしれないが、よく考えてみてほしい。
この世界に召喚されて24日目の一般人が、この先何が待ち受けているかも分からない無法地帯に向けて歩き出す。
この状況で「へっへっへ! オラなんだかワクワクしてきたぞ!」なんて言い出す奴がいたとしたら、そいつは間違いなく半年くらい精神病院にぶち込まれる必要がある人間だと僕は断言したい。
「マスター、おはようございます」
右の頬を強めにつねりながら暗い考えを払拭しようとすると、暗い影からこっそりと明るいオーラを放ちながらリリーが姿を現した。
深紫色のドレスふわりと宙に浮かばせながら歩み寄ってくる立ち振る舞いはまるで一流のモデルみたいな姿だった。
そんなお嬢様が数日前は幼女だったんだからこの世界は間違いなく元の世界よりもファンタジーだ、という結論を手のひらをくるくる回転させながら思っていると、1つ重要な事に気づいた。
……リリーはシャドーウルフ、つまりは人間じゃない! という事は異種族と交渉できる余地があるという事だ! なんてこった! 逆転サヨナラホームランだ!
絶望という未来に光が差し込んだ状況に歓喜しながらリリーに事情を離すと、彼女は申し訳なさそうにこう言った。
「シャドーウルフは群れで生活をしませんので、残念ながら彼等とは交流は一切ありません。基本的に他種族は食料と見なしていましたので、逆に嫌われている部類に入るかと……」
僕の今までの経験を辿ると、朝から不運が続いた日というのは大抵ろくでもない事が1日中続くハメになる。
この不運が都市に到着する頃には幸運に反転している事を、目に涙を浮かべながら心を込めて神に祈る事にした。




