絶望の光 希望の闇
◇◇◇◇◇
――ギィィオオオガルァアァアア!!!
体の芯を恐怖で響かせるその雄たけびは、周囲の空気を激しく震わせた。
大きな空間を紫色の照明がうっすらと照らす、そのおかげでなんとか恐怖の正体を薄っすらと確認できた。
中央にはその場に存在するだけでこの場を支配する王者の風格が漂う獅子
左には如何なる物も全てをかみ砕き、そして燃やし尽くす破壊の竜
右には心だけではなく未来をも見通す紅い瞳を光らせる山羊
1つの体から3つの脅威が仲良く顔を並べている。
例えるならばキマイラ…… そう、その言葉しか頭に思い浮かばない。
全長10メートル以上あるその巨体が再び大きな空間に響き渡らせるように咆哮を発した。
呼応して、部屋の照明が勢いよく不気味に輝きを増す。
徐々に暗闇に目が慣れ、はっきり見えてしまったキマイラがドラゴンのような翼を羽ばたかせて周囲の何かを吹き飛ばした。
僕の足元に転がってきた物は骨で、大半が人骨のように見えた。
この世界に来て、多くの経験をしてきたつもりだったし、それなりの強敵にも挑んできたつもりでもいた。
――初めてだ。
――初めて、恐怖で体が動かない。
……本当に勘弁してほしい、僕はギリギリで命がけの状況が嫌いなのだから。
帰還の鈴も効果が無い、暗くて出口も見えない、逃げも隠れもできない絶望の空間。
あぁ、あの時こうしてれば…… なんて後悔は何の役にも立たないが、考える事で逃避する事しかできない状況だった。
◇◇◇◇◇
10分ほど前の出来事だ。
この辺りの魔物では満足できなくなった僕達は、考えも無しにどんどんと森の奥に入った。
そこで見つけたのがファンタジーっぽいダンジョン。
その入り口の前には看板が刺さっていた。
『この先、危険 死者多数』
なんともまあ、ふりがなさえ振っていれば低学年の小学生でも分かる警告だった。
その看板の端っこには『うるせー馬鹿!』『よけいなお世話だ!』『俺は絶対に帰ってみせる 嫁が待ってるからな!』等々、冒険者が書き残した多数の落書きが書かれていた。
本来であれば絶対に入らないダンジョンだ。
だけども、この日は新しく強い装備を入手して浮かれていた僕は――。
「この辺じゃ手ごたえ無くなっちゃったし、少しだけ入ってみよっか」
「うん!」
さぁいくぜ! 出てきた魔物は全部切り裂いてやるぜ! はっはっはー! と意気揚々な気分でダンジョンを一歩、踏み込んだ。
瞬間、辺り一面が白く輝きだす。
いや、正確には僕達の体だけが光っていた。
「まずい!」
そう言葉を発した時点で、既に手遅れだった。
体が軽く浮かんだ後、視界が白く染まり空中に浮遊している感覚が神経を襲う。
怒涛の展開に思考がピーマンのように空っぽになってしまった数秒後、僕達は真っ暗闇の空間に勢いよく落とされた。
――ギィィオオオガルァアァアア!!!
こうして僕達は今、まんまと転送トラップにはまり、こうして恐ろしいキマイラと対峙しているのである。
……冷静になれば分かった事なんだ。
あの看板には帰還報告の文字がなかった。
それだけで、このダンジョンがいかにヤバイかってのが理解できたハズだった。
破壊と恐怖と絶望を具現化したような存在は相変わらず6つの眼でこちらをギロリと見つめている。
全身から汗と一緒に生命エネルギーも流れ出てしまっているような感覚が全身を包み続ける。
その場に生えた木のように動かなくなった2人を、容赦なく踏みつぶそうと勢いよく前足をこちらに向かわせてきた。
まともに当たれば一発であの世行き直行便の切符が受け取れそうな一撃を目の前に、全力を尽くして視線を床に向ける。
――火属性の罠!
目の前で発せられた爆発音で、ようやく体が我に返ってきてくれる。
新しい装備の性能を頼りに、僕とリリーは左右に分かれ、紙一重で死を免れた。
……ついさっきまで立っていた場所の石床は、まるでクッキーでも割っているかのように粉々に粉砕されていた。
――ガガアアアアアア!!!!!
左右に逃げる僕達を、2つの脅威がそれぞれを追っていた。
龍は火炎を吐き続けながらリリーの方へ。
山羊は僕に向けて雷の息を放ってくる。
いくら身体能力が上がったとはいえ、稲妻のように放たれる雷撃を完全に防ぐ事なんてできない。
魔法の鎧によっていくらか軽減されているみたいだが、左腕からは自分の肉が焼ける嫌な感覚が伝わってきた。
「なめてんじゃねぇ! ――業火の罠!」
山羊の開いた口に罠を3つ仕掛け、殺す気で出し惜しみなく魔力を練り上げ爆発させる。
天井一面が夕焼け空を描くように染め上がる。
一瞬明るくなった視界で首の根元まで黒焦げになり動かなくなった山羊の頭を確認する事ができた。
炎を吐きながらリリーを追っていた竜に対しそのまま流れるように爆発させる。
「燃えるのはてめーだ! ――業火の罠!」
顎の下から衝撃を与え、強制的に口を閉じた竜は自分の吐いた炎で首元から全てが纏われた。
天井に頭をぶつけた衝撃で角は折れ、王の風格を身に纏っていたキマイラは見るも無残な姿になった。
「ざまあみ…… ろ?」
……幻覚でも見せられているのだろうか。
たしかに炎で炭になるまで燃やし尽くした山羊の顔が、恐ろしい速さで皮膚を再生させながら僕を見つめていた。
そのままニヤリと笑い、壁が壊れるほど甲高い遠吠えを張り上げる。
馬鹿の一つ覚えのように吠え続ける隙を、リリーは見逃さなかった。
人型に変身し、マーキングを付ける準備を闇に紛れて開始する。
……しかし、それを待ち構えていたように、今まで微動だにしなかった獅子が目を見開き、咆哮をあげながらリリーに突進した。
――こいつ、シャドーウルフの能力を知っている!?
「とまれえええ!!!」
束縛の罠を全力で発動させるが、キマイラの猛撃をほんの一瞬緩めただけで止める事ができない。
そのまま突進したキマイラの跡には、右肘から先が無くなっている血まみれのリリーの姿が無残にも転がっていた。
……ここで殺せなければ殺される。
出せる限りの力を全身に巡らせ、横を向いたままのキマイラの腹に閃光の如く斬りかかる。
1撃、2撃、そして3撃目に深く斬りつけた所でキマイラの咆哮が僕に向かって放たれる。
右手に束縛のトラップを貼り付け、地面に叩きつけてなんとか壁まで吹き飛ばされる事を回避する。
1度大きく深呼吸し、すぐさま体制を整えキマイラの方角へ剣を構える。
「……は?」
せっかく吸い込んだ酸素が、腑抜けた声と共に吐き出される。
獅子も、竜も、山羊の顔も。
何故、全てが最初に出会った時のように完治しているのだろうか。
まったく意味が分からない最悪の現実に追撃するように、先ほど深く斬り付けたハズの傷でさえ殆ど完治している所を目撃してしまう。
――どうすればいい? どうすればアイツを殺せるんだ?
斬りつけても回復する。消し炭にしても回復する。折れた角でさえ元通り復元する。
どこかに核があるのか? それを壊せばなんとかなるのか? 僕より知性がありそうな動物相手に死の危険を回避しながらそんな急所を探せと?
無理だ。僕は結局ただただ普通の平凡な日本人、剣も魔法も使えないただの人間なんだ。
勇者でもないし魔王でもない、だから自分の攻撃手段が全て通用しなくなった今の僕はただの無力な人間なんだ。
懺悔と後悔の時間すら与える程、相手はお人よしでは無かった。
僕が迫って来ない事を確認すると、竜と山羊の首がリリーの方角に大きく傾いた。
呼吸のリズムが乱れた体でリリーの元へと駆け走る。
奴等の顔面を爆発させるも、耐性ができたからなのか、それとも今まで本気では無かったからなのかは分からないが、首から上はこれっぽっちも動いちゃくれない。
炎と雷の吐息を人型のまま瀕死になっているリリーの回避は間に合わない。
とっさにカバンに入れていた魔法障壁の魔法具を投げつけ、数秒の時間を稼いでいる間にリリーを守るように剣を左手に持ち替える。
闇の剣はキマイラの吐息を吸収していくが、全てを吸い込む訳ではなかった。
炎による熱気が剣を持つ左腕をじわりじわりと焦がし始める。
まるで「次はお前達が消し炭になる番だ」とでも言っているかのように。
「……マスター」
このまま耐えていてもなんの解決にもならない。
「……あいつの後ろに、扉あるから」
だから、なんとしてでも打開策を見出さなければいけないんだ。
「……マスター1人なら、逃げられるから」
「……お願い、逃げて」
ったく、どいつもこいつも。
――ギィィオオオガルァアァアア!!!
僕が不機嫌になる声を出しやがって。
「うるっせーんだよボケが!!!」
左手に剣を握り、力の限り床に突き刺す。
何故、そうしたかはわからない。
左腕がそうしろと全身に命じたからそうした。
辺り一面が闇に包まれる。
一筋の光すら侵入する事を許さない暗黒の闇。
僕の体から這い出た闇が、この空間全てを飲み込んだ。
僕はこの光景をよく知っている。
何百年と封印されていたこの光景を、僕は知っている。
だから創れる。
簡単な事だ。もともと闇だった場所を自分の闇に塗り替えただけ。
――魔王を封印する光の棺を闇で浸食するのに比べたら、訳のない事だ。
「よくも好き勝手にやってくれたな」
――ガィィオオオグルァアァアア!!!
「こんどはこっちが遊ぶ番だよこの野郎」
キマイラの口が大きく開いていくが、そこからは何も出る事はない。
全てを飲み込む闇の霧は、全ての属性攻撃を無効化する。
壊れた玩具のように口をパクパクさせているキマイラを、右足に魔力を込めて思いっきり蹴っ飛ばす。
「最初から最後まで舐め腐りやがって」
右手に持ち替えた剣が、この空間で唯一光を放つ物体となり周辺を眩く照らしていく。
倒れたキマイラを束縛トラップで縛り上げ、そのまま龍の首を切り落とす。
燃えるように熱い血と共に、残った頭から断末魔のような雄たけびが木霊する。
――ギィィオオオガルァアァアア!!!
「うるせーんだよ」
特別な感情を持たずに山羊の首を切り落とす。
粘着性の無い乾いた血液が、勢いよく壁へと衝突する。
傷口に触れる空気が魔力による超回復を阻止し、斬り離された頭はそのまま動かなくなった。
残った獅子の額に剣先を突き付ける。
「本当は無限に苦しめたい所だが、お前は運がいい。何処かの馬鹿が傷つけたリリーを今すぐ治療しなくちゃいけねぇんだよ」
――グルィィギガギガルァアァアア!!!
全てを闇で覆う空間で、全てを照らす光の剣を頭上に構える。
闇は負けじと濃度を高め、対抗するように光は更に力を増す。
「何言ってるかわかんねーよ 死ね」
巨大な大剣と化した光の剣をそのまま振り下ろし、巨体のキマイラが倒れていた真っ暗闇の空間を切り裂いた。
……しばらくすると部屋中の闇が晴れていき、部屋に残ったのはボロボロの僕と瀕死のリリー、そして真っ二つにされ絶命したキマイラが一体。
改めて自分の姿を見てみると、本当に酷いありさまだった。
両手はボロボロ、あちこち傷や火傷だらけ、おまけに最高級品の装備が初日から半壊してしまっている。
とりあえず、キマイラの死骸を食べやすいサイズに切り刻み、リリーの元へと向かう。
彼女を優しく抱き寄せながら、僕は聞く。
「リリー、大丈夫?」
「……うん」
「全然大丈夫そうじゃないね」
右肘から先が無くなり、絶え間なく血が流れていて大丈夫だったら、それはそれで困ってしまう。
服を破り止血をし、鞄の底で眠っていたポーションをゆっくりと流し込む。
「ほら、キマイラの肉だよ。食べられそう?」
食べられそう? と聞きながら、僕は半ば強制的に口へと押し込んだ。
食いしん坊のリリーなら食べてくれると思ったが、どうやら噛む力すら残っていないようだった。
……あんまりこういうのは柄じゃないんだけど、仕方がない。
僕はキマイラ肉を自分の口に入れる。
ゲロまずい! 吐き気がする! 無意識に涙が出そうだ! 今まで食べた物の中でギネス級で嫌悪感!
砂のような味がするポーションより遥かにまずいソレを、僕は無理矢理かみ砕く。
そしてそれを、ゆっくりと優しくリリーにそのまま口移しをした。
リリーは驚きながらも、そのままソレを飲み込んでくれた。
「……僕にここまで辱めを受けさせたんだから、死ぬのは絶対に許さないからね」
それはこっちのセリフと言わんばかりのオーラを出しているリリー。
お互い、きっとポーションのように顔が真っ赤になっている事だろう。
「……おかわり」
「はいよ」
体の震えと涙が自然に止まるのまで、どれくらいの時間を要するかは分からない。
今はただ、生きている事に感謝をしながら心を休める事にしよう。
キマイラの肉よりはマシな味がするポーションが飲みながら、僕は自然と笑いながらそう思った。




