リリーの初体験
寄り道をし過ぎて凄く不安だったけれど、なんとか日が落ちる前に目的の村に辿りつく事ができた。
どれも年季の入った古い木造の建物しかなく、聖都のように大きくて派手な建造物は一切存在しない。
貧富の差が分かりやすい構図で描かれており、なんとも言えない哀愁が漂っていた。
唯一、二階建ての建物でできている宿屋に入ると、嬉しそうに店主が歓迎してくれた。
「狼騒動でここ最近客足が途絶えてたんですよ。本日はサービスさせていただきますよ!」
ここの所、不幸な出来事の連続だったので、こういう些細なラッキーは本当に嬉しい。
「2人部屋をください。もう1人は後できますので」
本日の収入が2倍になると聞いた店主はさぞ大喜びだったに違いない。
なるべく奥の部屋がいいとお願いすると、希望通りに2階奥の部屋を案内してくれた。
装備を床に放り出し、そのままベッドに倒れ込む。
一安心するのと同時に、思い出したかのように足が悲鳴をあげ始める。
まるで今日はもう一歩も歩きたくないと脳に訴えかけながらストライキをしているようだ。
「もうでてきてもいいよ」
僕の影から、ニョキっとあらわれるリリー。
このファンタジーな不思議光景もようやく見慣れる事ができた。
物珍しそうに辺りをキョロキョロ見渡すリリーは目を輝かせながらこう言った。
「……はじめて!」
凶悪なシャドーウルフが宿屋に宿泊するなんて機会、いままで無かったんだろうなという事は容易に想像できる。
なんの変哲もないこの部屋も、彼女にとっては全てが初めて見る新鮮な物に見えているに違いない。
ふかふかのベッドに笑顔で飛び込むリリーを見て、僕は笑った。
いつも硬い地面だったのだろうし、今日は気持ちよく眠ってほしいと思った。
しばらくすると晩御飯が2名分運ばれてきたが、肉しか食べられないリリーは緑が目立つ料理がお気に召さなかったようで、一気にご機嫌ななめになった。
おかげでサービスとして山盛りでいただいた料理を2人前も食べる羽目になってしまい、僕のお腹は限界までパンパンになった。
寝る前に、周辺にトラップを仕掛けておく。
もし野盗の仲間、つまり事情を知っている者がこの村にいたとしたら無傷でここに来た僕、そして帰ってこない野盗に気づけば疑問を抱くだろう。
そう考えると食事に毒が入ってた可能性もあった。残さず食べたのは軽率だったのかもしれない。
十分警戒していたつもりだけど、やっぱりどこか抜けてしまう。
アニメや漫画のような理想通りにはなかなか上手くいかないようだ。
僕達は明日に備えて少し早めに眠りにつくことにした。
聖都と違い夜中に騒ぐ人がいないからか、不気味に感じるくらいに外は静寂に包まれていた。
怪しい物音を立てればすぐに気づけるだろう、もしもの時に備えて枕元に剣を隠しておくことにした。
隣のベッドで横になったリリーからは、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。
この子の野生は一体どこにいってしまったのだろうかと苦笑いしながら、僕も後に続く事にした。
◇◇◇◇◇
何事もなく、この世界にきて8日目の朝を無事に迎える事ができた。
野菜中心の朝ごはんを美味しくいただいている僕の横では、不機嫌そうにその様子をリリーが眺めていた。
この世界に来て一番食べ心地の悪い朝食だった。
昨日とは打って変わって、外では何やらお祭りのような騒ぎが始まっていた。
なんだか嫌な予感がする、そして僕がこの世界にきて嫌な予感をした時って言うのは必ず嫌な事が起こっている。
出された料理を完食する精神にサヨナラしながら朝食を切り上げ、急いで宿屋を後にする事にした。
「勇者殿。昨日から村人が数名行方不明になっているのですが、ここに到着するまでに誰かとお会いしませんでしたかな?」
まるで僕を待ち構えていたかのようなタイミングで老人が話しかけてきた。
"いたかのような"ではなく"いた"と表現したほうが正しいだろうか。
次の目的地まで一歩も進んでいないにも関わらず、既に疲労感のある体にこれ以上鞭を打つような真似はしたくない。
「いえ、誰とも会いませんでしたよ」
「……本当ですか?」
突然横から現れた女性が、僕を疑うように質問をしてきた。
「……あー、関係ないかもしれませんが突然弓で攻撃してきた野盗とは遭遇しましたよ。かなり手慣れた野盗だったので、ここの住人では無いと思いますが」
「この辺りも物騒になりましたな。儂が若い頃はもっと治安がよかったものですが、なんせ婆さんと出会った時なんてのはこの先にある小屋で――」
「野盗は! 僕が撃退しておきましたので! ご安心ください!」
話が長くなりそうなお爺さんの話を一刀両断する。
昨日までの僕だったら付き合ってたかもしれないが、本日の残り体力は既に余裕が無い。
その貴重な体力をここで消耗させたくはなかった。
「それでは出発します。もし見かけたら皆さんが探していたとお伝えしますね」
影にリリーを潜ませたまま町を出発。
魔法都市まで4日かかる道のりのまだ2日目、なんて余計な事を考えないように前へ前へと歩みを進めた。
10分くらい歩いた頃、後ろから1人の気配が近寄ってきた。
僕が立ち止まっても、隠れるつもりがないのかどんどんと近づいてくる。
現れたのは、先ほど僕に質問してきた1人の若い女性だった。
「勇者様、少し、お聞きしたい事が、あります……」
町から急いで走ってきたのだろうか、肩で息をしながら僕に言葉を投げかけてくる。
20代前半くらいの、背丈が僕と同じくらいで胸の大きい美しい女性だった。
「どうしたんですか、大丈夫ですか?」
僕は心配して彼女を気遣うふりをする。
息を整えながら、彼女は僕の目を見ながらこう言った。
「勇者様が撃退したと言っていた野盗なのですが、どの辺りにいたのか教えていただきたくて」
殺したか逃がしたか、はっきり明言させる必要はないと思い、あの時わざと"撃退"という言葉を使った。
野盗を生業としている事を知っている奴等なんかに情報を与えたくなかったし、安心もさせたくなかったからだ。
生きているか死んでいるか、仲間や遺族は一生そのまま心配して悩んでいればいいと思っていた。
「……難しいですね。何しろ、必死で追いかけていたものでして」
彼女は大きく目を開いて驚いていた。
あの場で追撃した、だなんて説明してないから当然といえば当然なのかもしれない。
「……それで、その後は!?」
「僕が隠れ家を見つけた時、ちょうど彼らは狂暴な魔物に襲われていましてね。なので、遠くから様子を見ていたんですよ」
僕はにっこりと笑みを浮かべながら彼女の疑問に答えた。
「そ、その後はどうなったんでしょうか!?」
顔を真っ青にしながら何度も質問を繰り返す彼女に、僕は優しく答えてあげる。
「いえ、さすがに見捨てるのは人としてどうかと思いまして、魔物を殺して助けましたよ」
彼女は大きく息を吐きながらホッとした表情を見せた。
「そうですか、ありがとうございます」
「――ん? 野盗を助けたのに、なぜ感謝するんですか?」
しまった! とわかりやすい焦った表情をしていた。
嘘が隠せない、優しい性格の女性なのかもしれない。
まあ最初の反応を見ていれば薄々気づいた事だけれど、これで確信が持てた。
こいつは事情を知る仲間、つまり野盗だ。
あの時殺した野盗の親族か何かかもしれないけど、さして状況に変わりはない。
「――リリー、でておいで」
僕の影が大きく蠢いた直後、リリーがピョンと元気よく飛び出す。
小さな獣耳をぴょこぴょこ動かし、褐色肌を光らせながら目の前の女性をじっと見つめた。
「まわりに誰かいそう?」
「……いない!」
普段なら多くの旅人が行き交っていただろう時間帯。
シャドーウルフ騒動がこんな所でも役に立つとは思わなかった。
「リリーもそろそろ1人で狩れるように練習しなきゃいけないと思ってさ」
この場で一体何が起きているのか理解できずに絶句している彼女を指しながら、僕はこう言った。
「彼女を狩ってごらん」
リリーは察したかの様に、人から狼の姿へと変貌する。
「ひっ……!」
彼女は小さく悲鳴をあげて後ずさるが、リリーは既に小さな牙をむきだしにして彼女に襲い掛かっていた。
子供といえど凶悪な狼、女性1人がどうにかできるものではなかった。
機動力を奪うために足に噛みつく。
バキッ! という痛そうな音を立てた瞬間、右足が曲がってはいけない方向に向いていた。
悲鳴を上げながら使い物にならなくなった足の代わりに両手を使いその場を離れようとする彼女に、今度は左腕に鋭い牙を突き立てる。
今度は勢いよく血が噴き出し、近くに咲いていた綺麗な花を紅く染め上げた。
攻撃手段と逃走手段、全てを奪われた彼女ができる行動は命乞いくらいなものだが、その願いが叶うことは絶対に無い。
彼女は既に食料であり、人間ではないのだから。
首に後ろから噛みついた瞬間、彼女からは助けを求める声すら聞こえなくなった。
最後に人の名前を発していたように聞こえたが、家族の名前か飼い犬の名前か、まぁ今となってはどうでも良い情報だった。
緑豊かな美しい自然の光景を失った場所から、動かなくなった彼女を森の中へと引きずっていく。
さすがに道の真ん中で堂々と食事をされると、誰かに見られるんじゃないかとヒヤヒヤして僕が落ち着かない。
仮に見られても殺せばいい。
僕達が去った後にこの悲惨な現場や小屋を誰かが見つけたとしても問題はない。
誰が見ても凶悪な魔物による行為としか見えないのだから。
爽やかな自然の香りを死体が血の臭いで上書きしていくが、今となってはそんな匂いもさほど気にならない。
気になるのは、まだ歩いて10分しか経っていない場所に僕達はいる、という辛い現実だけだ。
朝からこんなに神経を使って疲れているのに、まだ今日は始まったばかりという厳しい事実。
リリーの楽しそうな表情とは裏腹に、僕の顔は苦難に満ちていた。




