お腹がすいた狼少女
――とんでもなく悪い事が立て続けに起こった事はないだろうか。
学校に遅刻し先生に怒られ、宿題を忘れ恥をかいて、お金を忘れてご飯が食べられない、帰りに自転車はパンクするし、家に帰ると鍵がない事に気づく。
ポーションを飲んだら苦くて吐き出しそうになって、口直しに三倍でジュースを買うはめになって、変なヤンキーに絡まれ殺されかける。
そんな感じで、何をやってもダメな日っていうのは、人生の中で一日くらいはあるものだと思っている。
何故そんな事に思いを馳せているかというと、目の前の男を殺した時、つまり憎悪する対象が存在しなくなった瞬間【復讐者の進化】で維持しているようなボロボロの体は崩壊するんじゃなかろうか、という恐ろしい疑問に発展したからだ。
では苦すぎるポーションを飲もうかと収納袋に手を伸ばそうかと思えば、両指が無くなっている状態では残念ながら飲む事はできない。
八方塞がりかと思いきや、逆に一方しか道はなかった。
……拷問せずに、なるべく苦しませずに、一瞬で殺して体力を奪うという不愉快極まりない道だけしか残っていなかった。
こんなにボロボロにされて、大した報復ができないとなるとそれはもうテンションだだ下がりである。
そんなこんなで、命を乞う男の目の前で、僕は血まみれになりながら難しそうな顔をしている。
ぐー とお腹が鳴った。
そういえば昼から何も食べてない。
これ以上僕の幸福度指数を下げると命にかかわる。
悪いが僕は無職の間だって三食キチンと食べていたんだ、こんな所でこの習慣を乱してなんかいられない。
僕はため息をつきながら、男の頭に手を乗せた。
「……いただきます」
一瞬目を大きく開き、男は息絶えた。
その証拠に、僕の体は一瞬光ったと思えば、両手の指はキチンと治っていた。
欠損した部位を優先された為か、身体に付いた小さな傷は治らず、当然衣服も直らないのでボロボロのままだった。
空腹の限界に到達した僕は、男の死体の目の前に腰を下ろし、辺り一面を紅く染めている自分の血の匂いを嗅ぎながらという、最悪の環境で干し肉にかじりついた。
パッサパサの肉は、口の中の水分をごっそり奪い去った。
……水を買うのを忘れていた。
仕方なくポーションを飲む。苦い。めちゃくちゃ苦い。精神をごっそり奪われた気分だ。
何をやってもダメな日っていうのは、人生の中で一日くらいはあるものだと思っている。
今日がきっとその日なのだ。
明日から、きっと幸せな毎日をおくれるんだと思うと、まあ悪い日ってのも悪くはない。
意味の分からない矛盾した考えを頭の片隅に追いやり、周囲にはトラップを設置した。
絶対に、僕はもう絶対に、今日一日誰とも会いたくない。
だから、ここから先は時間との闘いだ。
名前すら知らないチャラ男の死体を燃やして証拠隠滅し、誰とも目を合わさず宿屋に帰り、ふかふかベッドの上から動かなければ僕の勝ちだ。
単純明快だ、さっきの戦いに比べたら笑ってしまうくらいイージーゲームだ。
負けられない戦いが今、ここにある。
そうと決まれば、行動あるのみ。
目の前の男を三重火属性魔法で消し炭にしてやろうと僕は眼を閉じながら構えた。
「……ダメ」
気配のない、誰もいるはずのない背後から小さな声が聞こえた。
口から心臓が飛び出るくらいビックリして後ろを振り返る。
「……もったいない」
どこから現れたか見当がつかない。
目の前には小さな獣耳を生やした、僕の背丈の半分くらいの小さな女の子がいた。
小さな犬を擬人化したようなその姿は、褐色肌にキラリと光る牙がチャーミングだった。
「……きのうも、もやしちゃった」
黒の髪と黒いワンピースドレスをヒラリとなびかせながら、不満そうに僕の顔を見つめてくる。
「……じゃあどうすればいいの?」
僕は呆気にとられながらも、ようやく出すことができた言葉で彼女に応答する。
「……たべていい?」
よくよく見れば彼女は身体はやせ細っているように見えた。
魔物だろうか? それともそういう種族なのかな?
獣人ってゲームでは見た事あるんだけど、この世界ではどういう扱いなのか分からない。
……まったく。
罠を見破るハンタースキルといい、罠を無効化する獣人といい、まったくこの世界は僕の知らない事が多すぎる。
「……いいよ。食べても大丈夫だよ」
僕だって鬼じゃない。
小さい女の子がお腹を空かせてたら、それはもう大金をはたいてでもおなか一杯にしてあげたい。
それにここでおあずけなんてしたら、代わりに僕の治ったばかりの手を食べられてしまいそうだ。
まるで保護者のような眼で彼女を見ていると、急に眼がグワっと見開いたと思えば、みるみる骨格が変化し、あっという間に狼の姿に変化した。
……こわっ! めっちゃ怖い!
ボキボキ骨の音をさせながら変身したよ、なんだよもう。
クルクルって魔法少女のように変身するんじゃないのかよ、というか変身するのかよ。
今日という最悪の一日は、小さな女の子すら信用できそうにないなと思いながら、その光景をただただ見つめていた。
狼の姿をした女の子は、目の前の男を頭からガブリと食べ始めた。
正確には女の子の姿をした狼なのかもしれないなぁと思いながら、非日常の風景を眺めながら僕も干し肉にかぶりついた。
「……ごちそうさま」
自分の体積の2倍くらいあるであろう男を5分程で骨一つ残さず平らげた狼は、再び女の子の姿に戻っていた。
「……きのうは、こげてて、ぜんぜんたべられなかった」
彼女の悲しそうな眼に思わず「すみません」と理由も無く頭を下げてしまった。
こういう反射的に謝る癖は直したほうがいいのかもしれない。
というか、その言葉から察するにどうやら昨日勇者2人を殺した時も近くにいたって事ですか。
全然気づかなかったぞ、欠陥があるんじゃないのか【狩人の罠】さんよぉ!
なーにが探知スキルだよ、僕はお前の事を二度と信用してやらない事にしたからな!
……そんな事を思っていると、女の子の視線は僕ではなく、収納袋に向けられていた。
「……干し肉、食べる?」
「……たべる」
収納袋に入っていた三食分くらいの干し肉を全部彼女にあげた。
こんどは人の姿のまま、もぐもぐと食べ始めた。
狼なのに、リスのように頬っぺたをいっぱいにして食べていた。
黒いワンピースドレスにぼろぼろと食べこぼしている光景を目にして、トランさんを思い出した。
お菓子はまだ残っているのだろうか。半年分くらい用意したつもりだけど既に無くなっていそうで心配だ。
残念ながら、もはや確認する術がないのが残念でならない。
「……これあげる」
干し肉をペロリと食べ終えた少女に、うさぎのしっぽのような物を渡された。
「……毛でつくった、あくせさり」
……何処の毛!? ねえ何処の毛なのかな!? どっちの毛なのかな!?
なんて背丈半分の少女に犯罪まがいの事を聞こうとする悪いお兄さん的思考を全力で理性を使い押さえつける。
「……いのちをたすけてもらったひとに、わたしてあげなさいってパパがいってた」
別に命を助けたつもりじゃないのだが、せっかくのプレゼントを突っ返すほど僕はマナーのなってない男じゃない。
決してこの毛に興味を持った訳じゃないが、ありがたく貰うことにした
「ありがとう」
満足そうな笑顔を見せる少女。
「……ばいばい」
夕日を背に、手を振りながら彼女は森へと消えていった。
結局彼女が何者なのかさっぱり分からなかった。
まあ今はとりあえず1つの危機を回避できた事に拍手を贈りたいと思う。
貰ったアクセサリはせっかくだから首にかけてみた。
我ながらまったく似合ってないと思うが、今日だけはつけておきたいと思った。
狼だったけど、小さくてかわいい女の子がくれたプレゼントなのだから、きっと危険から守ってくれるに違いない。
今日は散々な目にあったんだ。これはきっと神様からのご褒美に違いない。
なんて言葉が数時間後には無駄になる未来なんて知る事もできず、僕はそのまま聖都へと歩み始めた。




