帰りたいという強い意思
「お前がアキで間違いないな?」
徐々に光が姿を形成し、そこには初めて会ったのにも関わらず、既に見慣れてしまった聖女が現れる。
「……いや、たぶん人違いだと思いますけど?」
身体が震えている事が伝わっていないか、全身から汗を滝のように流している事が悟られていないか。
不安と共に吐き出せた言葉は、お世辞にもこの場ではあまり相応しいとは思えなかった。
「そうか、お前がか。クックック、なるほどなるほど、確かに勇者だな。今この世界でお前ほどその称号に相応しい者はいないだろうよ」
「……それはどうも」
「一応聞いておこうか。何故お前がソレを使った? 我に居場所を教えたのは何故だ?」
数秒前「聖女を黙らせてやる!」と息巻いてた自分を可能であれば三重トラップでガチガチに縛り上げながら絞め殺してやりたい。
だけど今全身で感じているモノは、ダンジョン最下層のキマイラで味わった、ガレンさん達で感じた、具体的で分かりやすい死の直感。
上空から、足元から、森の中から、身体の中から。お前の命は既に射程範囲内だ、なんて言葉が世界中から僕に向けられているような、そんな威圧感、そう、そんな最悪に最悪を重ねたような空気しかここには存在しなくなった。
心の準備が完成する前にラスボスが現れるなんて…… いやほんと、このファンタジー異世界ってのは成分の9割くらいは残酷でできているに違いない。
「……せっかく勇者として生まれ変われたんでね。漢ならやっぱり一番を目指すべきじゃないですか」
急に星々が輝きだし夜空が明るくなる。
その1つ1つが僕に向けられた攻撃魔法陣だと理解するのに、もはや思考は必要なかった。
「神を殺して世界を支配してやろうかと思ってね。だけどもアンタは強いわ。今の僕じゃあ倒せない」
「その通りだな。猿にしては頭が回るじゃないか」
指先一つであの世行き、ギロチン台に首を固定される前に全力全開で――
――「逆にしよう! 先に魔王を殺して、その力を奪ってからのほうが良さそうだ!」と宣言する。
宣言、そう、これは宣言だ。これから僕は全力で貴方から逃げますという宣言、だからどうか穏便に事を進めましょうという提案でもある。
――転移罠の星座!
空を映し出すように描いた星座から、この命懸けの鬼ごっこはスタートした。
◇◇◇◇◇
――|全ては神の導きのままに《セイント・ネメシス》
それは流星の如く、大地へと突き刺さる。
周りに仲間であるはずの、信者になるはずの人間が大勢いるのにも関わらず、それらは広範囲にわたって繰り広げられる。
神の前では命は等しく、全ては神の気まぐれ次第で奪われる。故にここには救いは無く、当然ながら慈悲も無い。
「少しは抵抗する姿勢を見せたらどうだ?」
今まで聞いたことのない絶叫、爆発音、そして命乞いをかき消しながら声の主はそう言った。
じゃあ反転して攻撃してやるぜ! なんて思う気持ちは微塵も無く、僕は呼吸を乱しながら走る事しか選択肢は無い。
1秒前に通っていた場所がごっそりと空間ごとえぐり取られるような状況では、そしてはるか上空を飛んでいる相手では、更に神の力を持つ自称神が相手では、ただただ逃げる事しか許されない。
否、逃げる事すら本来であれば可能ではなく。魔王によって創られた鎧、そして魔力供給がなければ僕は最初の一発で死神に捕まっていただろう。
奇跡的と例えるべきか、聖女の攻撃は丁寧とはとても表現できなかった。
狙いが甘いというか、命中率が悪すぎた。
300年ぶりの戦闘だからか、大きな力を持ちすぎてまだ扱いに慣れていない為なのか。
もしそうであればソレは幸運と例える他は無く、神の慈悲である以外に例えようがない。
――全てを打ち滅ぼせ、神の鉄槌!
命中率とか丁寧にとか、そんな要素は必要ネェんだよ! とでも訴えてきそうな、高層ビルをそのまま持って来たかのような巨大な何かが、まるで隕石のように降り注ぐ。
全てを諦める事しか許されない回避不能の攻撃。
その圧倒的な力に対して、切り札とも言える魔王の剣を投げつける。
斬りつけるのではなくて、投げつける。
「死にそうになったらこれをぶん投げるといいぞ」だなんて縁起でもない事を教えてくれたトランさんに今は感謝しか感じない。
できればこちらが聞かずともその威力も教えてくれたら100点だったのに、なんて思いながら空で展開された莫大な魔力爆発と共にあらぬ方向に身体が吹き飛ばされる。
痛くない場所なんて何処にも無い、逃げる場所も何処にも無い。
粉塵でもはや自分がどこに居るのか、今自分がどんな格好をしているのか、果たして生きているのかどうかすら把握できない。
心臓から最大ボリュームで奏でられるリズムが聞こえる所を見ると、僕は一応生きているという事だけは確認できる。
火属性の罠を仕掛けようとも張り付く気配すら見せない聖女に対し、僕は唯一の攻撃手段を失っている。
あとは、逃げる事しかできない。走る事しか許されない。
ただの鬼ごっこであれば鬼に黙って家に帰る所だが、そんな単純で冷酷な事も残念ながら許されない。
捕まったら殺される単純明快なルールの鬼ごっこ、ここから数キロ離れている魔王城まで逃げ道がない鬼ごっこ。
そんな残酷なごっこ遊びを強制的に再開させられる事以外に未来は無く。
「……まったく! このファンタジー異世界とやらは、どうしてこうも僕に酷い事ばかりしやがるんだ! さっさと元の生活に返しやがれ!」
元の世界で自殺していた事を忘れた僕は、既に限界寸前の身体に鞭を打ちながらそう叫んだ。




