悪魔の光 幕を開ける惨劇
十ドゥア後。
フランベーニュ軍の攻撃が始まる。
むろん魔術師長アンガス・コルペリーアが展開した渾身の結界はびくともしない。
魔法攻撃、見えない壁の体当たりや投石、さらに剣での攻撃。
繰り返しおこなわれた攻撃はすべてが跳ね返されたところで、フランベーニュ軍の大部分が後退する。
フランベーニュ軍がいくつかの部隊を結界に張りつけたままにしていたのは、結界が緩んだ場合、突破するためであるのだが、魔族軍に対して全面攻勢に転じることは許さないというアポロン・ボナールの意志表明でもある。
むろん、グワラニーもそれを察する。
「さすが名将。隙がないですね」
「まったくです。兵を残すことによって結界の強度を維持させる。それによってこちらの攻撃もおこなわせない。あれはそのような意図があるのですから」
同じように相手の意図を察したタルファの感嘆の言葉にそう応じたところで、グワラニーが視線を動かしたのはタルファではなく、彼の妻であった。
「アリシアさん」
「あれでこちらの反撃の芽を摘み取ったと思っている『フランベーニュの英雄』の次の手はどのようなものだと思いますか?」
そう。
これがこの軍におけるアリシアの立場。
もう少し踏み込めば、この軍の特殊性。
人間、そして、女性。
さらにいえば、戦いの素人。
本来であれば、このような場に立っていることすらあり得ない者にフランベーニュ軍最高の戦術家と呼ばれる将軍アポロン・ボナールの手を読めと言うのはお門違いの極み。
だが、それをグワラニーはおこなった。
しかも、その場にいる者はその言葉を咎めるどころか、期待を込めて視線をアリシアに向ける。
それがアリシアの立場と能力。
そして、信頼。
数瞬後、アリシアの口が動く。
「むろん、このまま延々と攻撃を続けるということもあり得ます。そして、こちらの希望としては、フランベーニュが攻撃をあきらめ撤退を始めてくれるというものではあります。ですが……」
「おそらくそうはならないでしょう」
「フランベーニュ軍最高の知将と呼ばれ、自身もおそらくそう思っているボナール将軍の矜持がそれを許さない」
「その彼が指す次の一手は、こちらの攻撃を誘うもの」
「もう少し言えば、こちらが攻撃をおこなわなければならない状況に追い込む一手となります」
「もちろん、それによって滅びの階段を上るのはボナール将軍なのですが、彼の思考の中ではそれによって結界が緩む。そして、その隙を突き結界を突破しこちらを殲滅するという手順が出来上がっていることでしょう」
「なるほど」
「具体的には?」
「キドプーラへの進軍。大部分の兵をそちらに向けます。ですが、それは囮。本命は結界を抜くことですので、先陣は貴族軍。そこから長い隊列でキドプーラに向かうことになるでしょう。そして、まだ一部の部隊が結界に張りついたまま、または、離れた直後に先陣がキドプーラへの攻撃を開始するということになるでしょう。そして、ボナール将軍が最も信頼を寄せている最強部隊がその最後方となる者たちでしょう」
「……タルファ将軍」
グワラニーはアリシアの言葉が終わると、今度は彼女の夫を指名する。
「アリシアさんの意見について見解を」
「ありません。そして、その手で来られたら不本意でも動かざるを得ないでしょう」
「まあ、そういうことであれば、手向けの意味を込めて彼らの策に乗ってやろうではないか」
タルファの短い言葉に続いたのは老魔術師だった。
「さて、その宴であるが、始める前にもう一度確認する」
「アポロン・ボナールは消さずに残すのだな」
「ええ」
「もし、包囲軍に含まれているのであれば、彼の部下たちとともに葬ります。ですが、ありがたいことに彼はクペル城にいます。せっかく離れているのですから生かし活用しましょう」
「グワラニー殿の言い分は理解した。だが、ボナールのすぐ近くには魔術師がいる。むろん、連絡のための者であろうが、第一段階で魔術師を消し去る際に巻き添えになる可能性がある。ボナールを生かしたのであれば、傍らにいる魔術師は残すのが無難だと思うがどうかな?」
「いいえ」
「攻勢の第一段階においておこなうのは魔術師殲滅。これが最優先事項。そのためにボナール将軍が巻き添えになってもやむを得ません」
「了解した」
そう言った老魔術師は視線を送ると、デルフィンは小さく頷く。
その直後。
「敵に動きあり。前方の敵軍、貴族軍が移動を開始しました」
見張りが上げたその声が本陣へと届くと全員が苦笑する。
「……アポロン・ボナールが『フランベーニュの英雄』なら夫人はなんと呼べばいいのだ?」
「一応、兵たちは『国母』という肩書をつけているようですが……」
「それは私も知っている。だが、それは他の部隊と同様空腹を満たすことだけが取り柄だった我が軍の陣中食が王都の食堂以上の味になったことへの賛辞だろう。今回はボナールの上に行く軍才を示すものが対象。当然それとは別の肩書をつけるべきだろう」
「では、『フランベーニュの英雄』と対比させて、『魔族軍の英雄』にしましょうか」
「想像力の欠片もない。却下だ」
「では、北方の才女というのは?」
「ギリギリ及第点だが、もう少し気の利いたものであって欲しいな」
「なるほど。では、魔術師長には何か代案があるのですか?」
「あったのなら、とっくに示している。それがないから『枯れない知恵の泉を持つ神童』として名高かったグワラニー殿に振っているのだろうが」
「そういうことであれば、その泉は枯れたようですね。残念ながら」
「私は今の身分だけ満足です。そのような肩書など不要です。それに、そのようなつまらぬことに時間をかけるほど余裕はありませんよ。戦いに集中しましょう」
グワラニーとアンガス・コルペリーアによる出来の悪い笑劇をそのひとことで終わらせたアリシア。
この様子に立ち会った当事者たち以外の者は心の中でこう呟いた。
グワラニー軍の女主人。
そして、その言葉とともに、一瞬緩んだ空気が再び厳しいものへと変わっていく。
「魔術師長。それから副魔術師長。では、手筈どおりに」
「承知」
「頑張ります」
そして、ふたりの魔術師がグワラニーたちから少しだけ離れた場所に移動する。
「まず魔術師を掃討するわけなのだが……」
「デルフィンよ。キドプーラに残るベメンテウが転移避けの魔法を展開し終わっている。フランベーニュの奴らは転移魔法で逃げることはできない。その条件で最初に攻撃すべき相手は?」
「正面にいるふたりの魔術師」
「そのとおり。むろん、我々よりも遥かに劣るとはいえ、相当な実力者。この結界を弱めればすかさず攻撃してくるだろうし、現在対魔法に重点を置いている結界を物理攻撃に寄せれば抜かれる可能性が高い。次に進むためにはあのふたりを排除せねばならない」
「そして、それに続いて魔術師たちの排除に入る。むろん注意すべきはボナールの傍らにいる魔術師の排除」
「グワラニー殿はあのように言ったが、本音は生かしたいと言う気持ちが強いことは間違いない。そういうことで……」
「杖を使うしかあるまい」
魔法の依り代である杖。
高位の魔術師はたいていの魔法は杖なしでおこなえる。
だが、自身が持つ最高レベルの魔法の行使、または特別な精密さを必要とする魔法を行使する場合はやはり杖が必要となる。
ただし、そうなるとその魔法の行使者があきらかになる。
デルフィンがこの部隊最高位の魔術師であることを知られぬようにしていたグワラニーやアンガス・コルペリーアにとってそれは避けるべきもの。
だが、優先順位を間違える愚は犯さない。
すべての魔術師を消し、さらにアポロン・ボナールは生かす。
そのためには杖を行使にともなう危険は甘受すべき。
そして、始まる。
「まずは例のふたり」
「はい」
祖父の言葉とともにデルフィンは指をそっと動かす。
「いきます」
その直後、敵陣に火の手が上がる。
「次。周辺にいる魔術師どもを排除せよ」
魔力を頼りにフランベーニュ軍の魔術師たちを捕捉と排除を繰り返すデルフィン。
「……最後に難関の魔術師だな」
その言葉とともにデルフィンは杖を顕現させる。
そして、目を閉じ、呼吸を整える。
数ドゥアほど経ったところで、目を開いたデルフィンは、杖の先を遠くに見えるクペル城の物見櫓へ向ける。
杖を握る手に力が入った次の瞬間、物見櫓の屋上に火の手が上がる。
一瞬後、残った魔力反応がないかを探る。
撃ち漏らしはない。
「終わりました」




