悪魔の光 前哨戦
悪魔の光。
フランベーニュ軍四十万を一撃で消し去ったその魔法はそう呼ばれる。
違う。
その言葉はそのことだけを示す固有名詞。
そして、これから始まり、悪魔の光によってフランベーニュ軍将兵四十万が戦死した戦いは、フランベーニュにおいては自国の没落を象徴する「三大厄災」のひとつとされる。
ついでに言っておけば、「三大厄災」とは、後に「クペル平原の戦い」と呼ばれるその戦い、その戦いより少し前に大陸南方海上でおこなわれた八大海賊とフランベーニュ海軍が戦いで、戦いに参加した海軍将兵全員が戦死しフランベーニュ海軍が半壊した「第二次タルノス海戦」、そして、最後は栄光ある大フランベーニュ王国の落日の象徴「王都炎上」となる。
「では、草原に出る」
「敵の意図が我々を草原地帯におびき出すことである以上、陣を整えるまで攻撃は始まらない。だが、お調子者はどの国にもいる。ボナール将軍の命に反して我々が姿を見せた途端に攻撃を始めるかもしれないが、こちらは魔術師長の結界によって完璧に守られている。何があろうが慌てずに行動するように」
グワラニーのその言葉はもちろん軍全体に徹底されたわけなのだが、「こちらが配置に着くまで敵は攻撃してこない」ことなど戦いの常識からは絶対にありえない。
万全の体制で待ち構え、やってきた敵が体制を整える前に攻撃することが勝利への近道。
先に着陣したほうが有利というのはそのような意味も含まれている。
だから、敵が待ち構えているところに出向くというのはこちらの不利。
当然、それは相手から見れば絶対的有利な状況。
それなのに、有利なはずの敵が攻撃してこないことなどあり得るのか?
だが、起こったのはグワラニーの言葉どおりの状況。
つまり、グワラニーの言葉を完全に理解していなかった中級指揮官や末端の兵士たちにとってはあり得ない状況が起こったわけである。
「さすが『フランベーニュの英雄』。尊大な貴族たちも完全に掌握しているようだな。だが、これで敵十万と対峙するように陣を敷いた。ここまでは予定通り」
グワラニーは動かぬ敵を眺めながら皮肉を込めてそう言うと、その隣に立つ純人間の男がため息をつき、それに続いて口を開く。
「ですが、着陣と言っても、これは行軍体形のまま。横陣を敷く十万の敵に対し、二万のこちらが縦陣というのはいささか問題ではないでしょうか。むろん、突撃体形に変更はしやすいとも言えますが」
そう。
フランベーニュ軍はこの世界では「横陣」と呼ばれる十万を横広がりの陣形に部隊を並べていた。
それに対し、魔族軍は二万の部隊を行軍のままの陣形である「縦陣」で応じていた。
少数。
さらに両軍のこの陣形では簡単に包囲されてしまうので、このままでは戦う際に非常に不利。
まして、圧倒的な数の差がある中では。
だが、それは通常の戦闘をおこなう場合の話。
グワラニーは数瞬後、その言葉にこう応じる。
「タルファ将軍の言うとおり、この陣形は通常戦闘ではありえぬもの。それは私も知っている。だが、今回はこれでいいのだ」
「利点はふたつ」
「まず、左右に転移してくる敵にとってこの縦長の陣形は都合がいい。だが、逆に我々にとっても彼らが転移してくる場所を推測できるともいえる」
「第二にこの陣形で戦いに臨む。敵から見れば無能の極み。相手に油断が生まれる可能性がある」
「逆に罠だと思われませんか?」
「ボナール将軍ならそう考えてもおかしくない。それはそれでいい。もっとも、彼は前提が間違っているので真実に辿り着くことはない」
「……彼が抱えるほどならその魔術師は有能だろう。この状況を見て魔術師長の魔力がどの程度が把握する。そして、報告する。あの結界は魔法でも物理的にも破るのは困難だと」
「だが、その強力な結界が負の効果を与えるのは相手だけではないとボナール将軍は気づく。つまり、相手は攻撃されない代わりに攻撃もできないと」
「だが、ただ守っているだけでは勝てない。それではわざわざ十万の敵の前に出てきた意味がない。つまり、どこかで必ず攻撃に転じる。そのためには結界の力を弱めなければならない」
「そこを狙い撃つ」
「状況と報告から彼はそう考える。そして、その可能性の最初は、彼らの部隊が転移してきたとき。魔術師長によれば、勇者を除けばほぼ間違いなく人間界最高位の魔術師が貴族軍の後方に控えているそうだ。おそらくそれこそがボナール将軍の抱える最高の魔術師。彼がその仕事を担う者」
「転移魔法というのは便利だが、その代償も相当なもの」
「他の魔法と非常に相性が悪く、防御魔法が展開された場所には転移できない。これはタルファ将軍もクアムート城でおこなっていたから知っているわけなのだが、それと同様に魔法を纏った状態では転移できない。そして……」
「転移をおこなった場合、それが完全に完了するまで自身は動くことができない。つまり、その間は無防備。だが、相手はその間も攻撃できる。しかも、実態がない空気のような相手だ。魔法攻撃はもちろん、どれだけの甲冑を見つけようが斬るのも容易。そして、その結果はといえば、転移が完了し、完全に実体化した瞬間死ぬ」
「それを踏まえて考えた場合、フランベーニュ軍が左右に転移してきた瞬間というのは、我々にとって絶好の機会というわけだ。何しろ、魔法攻撃一撃で敵の大軍を仕留められるのだから。魔族軍はこの機会を狙っている。だが、最高位の結界の中からでは魔法攻撃はできない。結界を弱めてくる」
「むろん、相手の意図を読んでそれをおこなわないこともある。そうなれば、堂々と転移し、反包囲を完成させればいい」
「どうするのですか?」
「むろん、後者。そのまま見過ごし転移してきてもらう。そして、『フランベーニュの英雄』の子分たちが全部来たところでまとめて仕留める」
「ですが、目の前にいる貴族軍だけで十万。そこに将軍の配下は三十万。合わせて四十万となりますが」
「そう。その全部を仕留める」
「魔法で」
「ですが、そのためには結界を弱めなければ……」
「心配はいらない。そうならなくてもよい方法を見つけてある」
実をいえば、この時点でもグワラニーの幹部でさえ、デルフィンこそこの軍の最高戦力であることは知らされていなかった。
そして、幹部以外に関しては最終段階においても知らされることはなかった。
むろん、それは「自身の手札は晒さず、相手の手札を知る」ことを勝利へ一歩と考えていたグワラニーの方針による情報統制の一環。
そして、それはまさに「敵を欺くにはまず味方から」という別世界の格言どおり。




