黒き色をしたアリシアの提案
「……つまり、戦う前に降伏勧告を出せということですか?アリシアさん」
アリシアが話し始めてから五ドゥアほど経ったところで、グワラニーは呻く。
むろん、バイアとアンガス・コルペリーアも。
「それによって三十万の将兵が助かるかもしれません。ですが、それはあくまでこちらの勧告を『フランベーニュの英雄』が受け入れた場合のこと。実際のところ、三十万の兵を自身の予定通りに配置した彼が降伏勧告に応じるなどあり得ぬ話」
「そのとおり。勝つ気満々のボナールが受け入れることはあるまい」
「まあ、そうでしょうね」
「ですが、それは相手が決めたこと。その後に何があろうが、彼らは単純な被害者とは言えなくなります」
バイアとアンガス・コルペリーアからやってきた否定的な言葉に対し、アリシアはそう応じた。
むろん、その意味はすぐに全員が理解する。
「……彼らはこれまで見たことがない惨劇に見舞われる。そして、それはもはや戦いとは呼べない一方的なもの」
「だが、それは生き残ることができたはずの選択を放棄した彼らの判断の結果というわけですか」
「そうなります。それに……」
「それを提示すること自体が罠になりえます。そして、それは軍才のある者により効果的に作用するでしょう」
「つまり、彼らは戦場に現れた瞬間、敗北が決定するということです」
「な、なるほど」
苦り切った表情のバイアの言葉にそう応じたアリシアはバイアに視線を向ける。
「バイア様」
「バイア様がフランベーニュ軍の将軍だったとします」
「敵は奇策を使って渓谷地帯からフランベーニュ軍とアリターナ軍を叩き出した者という情報を手に入れたとします」
「そこにその敵が二万で現れた。そして、予定通りこちらが三十万の兵で反包囲したところで、『戦いが始まればこちらが圧勝し、おまえたちは全滅する。そうなりたくなければクペル城を捨て退却せよ』という侮辱的な提案がなされたとします」
「どう考えますか?」
「彼我の差があまりにも大きい。当然即座に拒否する。と言いたいところなのだが、その条件が加われば、立ち止まる。相手は奇策の達人。この状況でそのような勧告が出してきたのであれば、本当に何かあるのではと考える」
「……並みの策士であれば」
「だが、洞察力に長け深読みできる者はさらに一歩踏み込む」
「これは幻影を見せて退却を誘う策。つまり、策など何もないにもかかわらず、前日の大敗と二万対三十万というとんでもない戦力差でもかかわらずおこなった降伏勧告によって何かあるように見せている」
「つまり、ここは却下こそ正解」
「そして、改めて相手の陣容を確認する。フランベーニュ最高の将が率いる軍だ。当然魔術師もフランベーニュ上位に位置する者が同行している。そうなれば、上位者のみが可能という相手の魔力を推し量ることも可能。魔族が展開した結界の強さも」
「ただし、むろん、フランベーニュ軍が探知した強い魔力は結界を展開した魔術師長のもの。魔力を封じたデルフィン嬢の魔力には気づかない。そうなったときにフランベーニュ軍の指揮官はどう考えるのか?」
「こちらの攻撃は通用しないが、それと同時に敵である魔族も結界の内側からは攻撃などできない」
「つまり、こちらの攻撃も通らない代わりにこちらも攻撃されない。そして、魔族軍はどこかでおこなう反撃のために結界の強さを弱めねばならない。その一瞬を狙えば、勝てる」
「そして、小躍りする。敵の策を看破したと」
「まあ、相手の力量がこちらの想定どおりであればこれから起こる筋書はバイアの言葉どおりになるだろう」
バイアの推論が終わったところでグワラニーはそう応じる。
そして、アリシアに一礼する。
実をいえば、グワラニーは悩んでいた。
敵とはいえ、三十万の将兵を消し去ることが本当に許されるのかと。
むろん彼の胸のうちにあるのは、元の世界に存在したあの忌まわしき兵器。
この世界には兵器の使用に関する規制はない。
さらにいえば、現在の自分の立場は、自身だけではなく多くの部下、そしてその家族に対しても責任を持たねばならぬ立場。
そして、圧倒的多数の敵と対峙することになる戦いでそれを使用しなければ、自分たちは敗れ、死ぬ。
自分や部下の命を失わないためには圧倒的な勝利が必要。
そのためにその武器、いや、デルフィンの究極魔法の使用は不可欠。
使うべき。
いや。
使わなければならない。
理論上ではわかっている。
だが、同等の量の躊躇いがある。
それは遠い昔に培った道徳心から来るもの。
……生きるか死ぬかというこの場面でそのような情けない感情が湧き出すとは私もまだまだだな。
グワラニーは自嘲気味に呟く。
だが……。
……やはり、何かそれを使用するだけの根拠が欲しい。
……いや。ここは言い訳にできるものが欲しいと言うべきか。
……生き残るためとはいえ、三十万の兵を一気に殺すのだ。地獄行きは確定しているのは承知しているが、せめて閻魔大王に対する申し開きの一項は欲しいからな。
……何かないか。
アリシアの言葉は、まさに、グワラニーが探し回っていたもの。
「……同じやられるにしても、自分たちの判断という結果であれば少しは納得できることであろう」
「彼らの説得を試みる。精一杯の努力で」
「それが強者の務め」
「強者の務め?なんだ。それは」
グワラニーは自身の呟きに反応した老魔術師を見やる。
「言葉どおりです。魔術師長」
「強者は強者らしくふるわなければならない。そして、我々のように圧倒的な力を持つ者はそれが義務となるのです」
そこまで言ったところでグワラニーは目を瞑る。
そう。
それはグワラニーが描く理想的な強者の姿。
そのひとつ。
強者は弱者に対して寛容ではなくてはならない。
強者は弱者を騙してはいけない。
だから交渉の場で対峙したら強者は弱者へできるかぎり譲歩すべき。
強者は弱者から必要以上のものを奪ってはならない。
間違っても強者がその力で弱者からすべてを奪うようなことはしてはならない。
そのようなことをすれば、やってくるはずの終わりは遠くなるのだから。
むろんグワラニーは知っている。
それが、弱肉強食を体現する現実世界ではありえないこと。
そして、それを要求するだけの対価を強者も支払っていることも。
……だが、今の我々はそれをおこなうだけの絶対的な力を有している。
「こちらは最大限の譲歩をする。だが、それを受け取るかどうかは彼ら次第。当然その結果についても彼らは相応の責任を担ってもらうということです」
……それにしても……。
……一見すると、敵に対する優しさだけで出来上がっているように思えるその勧告であるが、その真なるものは、敵を逃がさぬ罠。しかも、この時代はもとより後世の批判に対しても対応できる攻撃の根拠と正当性を持たせるもの。
……しかも、それは偶然の結果ではなく、明確にそれを意図しているところがなんとも。普段のやさしさからは想像できないこの冷徹さはどう表現すればいいのだろう。
……硬軟……いや、清濁。……それも違う。言葉がないな。まったく。




