マンジューク防衛戦
グワラニーが配下の将たちに作戦概要を説明してから二十日後。
渓谷地帯の南部にあるふたつの出入口キドプーラとベンティーユに掲げられた魔族軍を示す真っ黒い軍旗。
そして、そこに混ざるのは、それとは対照的な七色に染め上げられたグワラニーの部隊旗。
そう。
魔族軍、いやグワラニー率いるわずか二万人の部隊はその十倍の敵を殲滅しその目標であった渓谷の完全開放に成功したのだ。
魔族と人間との戦い。
その長い戦いの中にはその分岐点となる場面はいくつも存在する。
だが、渓谷地帯からアリターナ、フランベーニュ両軍を叩き出したグワラニーの戦いはその中でも特別なものといえるだろう。
なにしろ、渓谷地帯を完全に把握しマンジューク銀山をはじめとした鉱山群を死守したことにより、魔族の国は経済崩壊を継戦能力は維持され、一方占領を目指していたアリターナ、フランベーニュ両軍はおびただしい死体を残して渓谷から叩きだされ、大損害を出しただけで何も得ることなく終わったのだから。
特にフランベーニュ軍はその日一日だけで十五万人も兵と魔術師、さらに三十八人もの高級指揮官を失った。
むろんこの結果だけでもこの戦いを指揮したグワラニーは歴史的偉業者と称えられるだけのことをおこなったといえるわけなのだが、純軍事的に絞った場合、さらに輝きは増す。
まず、グワラニーがこの戦いの肝としたアリターナとフランベーニュの同士討ちともいえる噛み合わせ。
その場にいたアリターナ軍とフランベーニュ軍にはわからなかったこの戦いの仕掛けの概要を知ることができるようになった後の時代の多くの将がこの戦いに憧れ模倣した。
だが、その大部分は失敗。
残った者もその戦果は僅かなものしか得られなかった。
そう。
グワラニーは簡単にやってのけたように見えるが、実はこの仕掛けを成功させるのは簡単なことではなかった。
たとえば、フランベーニュ軍の「バルクマン・コーナー」到着がアリターナ軍より早くてはあの状況は起こらない。
むろん、逆に遅すぎてもダメ。
それこそ、あのタイミングでしかあそこまでのことは起こらなかったといえる。
さらに戦線の大幅後退。
一見すると、ほとんど後退していなかった三年間の味方の努力を無にするような決定である。
むろん、分散していた味方を一か所に集めて戦えるという利点はある。
だが、彼我の戦力を考えた場合、それによってその比率が十対一近くまで大幅に悪化したのだから、本来これは暴挙中の暴挙。
むろん、それは相手も気づく。
アリターナ、フランベーニュ、ともに共闘する気などないので後者に関して魔族軍の利はとりあえず存在する。
だが、前者に関しては戦線の後退単独で利になるところはない。
それどころか、そのマイナス要因は戦力を集中による僅かな利など一気に吹き飛ばすくらいのもの。
その判断ミスを突いて一気に優勢になれる。
いや。
マンジュークを落とせる。
その条件を提示されたら誰でもそう思う。
これに関して、この戦いの前にグワラニーはこのような言葉を語ったとされている。
「我々は絶対的な力を有している。傲慢に聞こえるかもしれないが、戦えば必ず勝てるのだ」
「そうなれば、我々の策の中心は、単純に勝つための方策ではなく巣穴に引きこもる相手を自分たちの前に引きずり出すことへと移る」
「そして、そのための具体的な肝。それは……」
「相手に勝てると思わせること。相手も軍人。絶対に勝てる条件を見せられて戦場に現れない者はいない。そこまでいかなくても、命を賭けるに十分だと思わせる利を目の前に見せる。むろん、それは見せかけだけの餌であるのだが」
「そう。これはいわば詐欺。だが、それも策のひとつ。そして、それによって勝利への代償を減らせるならば、後世の者から浴びせられる汚名などいくらでも買ってやろう」
「それに、昔からこのような格言もある」
「うまい話を軽々しく話す奴などいない。それが誰であろうとそのような話には必ず裏がある。つまり……」
「詐欺はうますぎる話に乗り不当な利を得ようとして騙された奴が悪い」
圧倒的な戦力の保持。
それを活かす策と準備。
そこにターゲットとなったアリターナとフランベーニュの歴史的関係や相手の心の内まで利用する。
ここまで仕込まれたら、もう相手に逃れる術はなく、グワラニーの掌の上で踊るしかない。
さらに言えば、グワラニーはこの戦いの後の布石も合わせて打っていた。
魔術師排除と仕込みのためにおこなった戦いが始まった直後の攻撃を除けば、最終盤までアリターナには手を出さず、一方のフランベーニュ軍に対しては容赦ない攻撃を加えた。
そして、最後にはフランベーニュ軍の攻撃によって窮地に陥ったアリターナ軍を救いの手を差し伸べた。
表現上ではなく、物理的に。
むろん、武器を捨てることに条件ではあるのだが、これによって協定違反をしたフランベーニュ軍への反感を強くしたアリターナ軍将兵の魔族に対する敵対意識を低下させノルディアに続いて対魔族協定からの離脱を進める。
それとともに魔族に救われているアリターナ軍将兵を見たフランベーニュ軍の将兵は密約を確信し、アリターナへの不信感が増大する。
まさにグワラニーの言う、小さな罅を修復不可能なまでに広げるものであり、単なる戦争屋ではできない行為と言えるだろう。
「完勝だ」
「まあ、予定通りではあるのだが」
その夜、ささやかな祝勝会の席上、グワラニーはそう呟いた。
たしかにここまではグワラニーの言葉どおり、予定通りであった。
だが、深夜になり、グワラニーも想定していない事態が発生する。
なんと、フランベーニュ側の出入り口となるキドプーラの先にある平原地帯にあらたな敵軍が現れたのだ。
むろん、それはフランベーニュ軍であるのだが、その軍旗から、すぐにその指揮官が判明する。
「フランベーニュの英雄」という異名を持つ将軍アポロン・ボナールだった。




