アリシア・タルファ
王の意向はできるだけ早く動き出すこと。
だが、それとともに準備が不十分なまま虎の子のグワラニーの部隊を前線に送り込み得るところがないまま消耗させては元の子もなくなることも王は理解していた。
だから、期日を指定せず、「準備ができ次第」などというあいまいな表現を使ったのだ。
むろん、グワラニーは王のその意図を察した。
そして、それを最大限利用しようと目論む。
「本当なら、命令があったところで策を練り準備をするものだ」
「十日や十五日出向かなくても文句は言われない」
「たしかに習熟訓練はやればやるほどいいものです。ですが、肝心の渓谷の戦況はいつ急変するかはわからないのですから、やはり準備ができたところで速やかに前線に移動すべきでしょう」
自分たちを生贄にしようとした王やガスリンにお返しをしようと嫌がらせをしようと考え始めたグワラニーにバイアはそう言ってクギを刺す。
そして、ここがグワラニーとバイアの関係性を示すものといえるのだが、年齢はともかく軍の階級的には上位であるグワラニーがその言葉を素直に受け入れる。
もちろん、それはバイアの言葉が正しいという前提があるのだが。
「わかった。とりあえず幹部クラスには今回の戦い方の概要を説明しておくか」
実をいえば、グワラニーがこれから向かうマンジュークでどのような戦いをするのか、その全貌を話していたのは、最側近のバイア、戦いの肝となる魔法を使う魔術師長と副魔術師長となるアンガス・コルペリーアとデルフィン・コルペリーア、そして、幕僚となったアリシア・タルファのみであった。
最初の三人は当然として、加わったばかり、さらに戦闘経験のない女性にペパスやプライーヤと言った幹部にさえ明かしていないことを話したことについて傍目から見れば若干に違和感はある。
だが、グワラニーにはそれに見合うだけの十分な根拠があった。
出会った直後に見せた、人の心情を読み取れるかのような驚くべき洞察力。
もちろん軍事的素養がないために、その点についてはいかんともしがたいものはあるのは事実。
だが、彼女を傍に置くこと。
それによって相手の思考がわかる。
それは相手を罠に嵌める者にとって非常に重要なこと。
その日、誰の目にも止まる天蓋の下にアリシアを呼び出したグワラニーは、まず、大海賊ワイバーンを通じて手に入れたフランベーニュ軍とアリターナ軍の陣容、これまでに経緯、さらに指揮官たちについて話し、さらにこれまでの戦況をそこに加えた。
そして、最後にそれに対する自身が用意した策を披露する。
「さて、この策は成功するかな」
すべてを話し終わったグワラニーはアリシアにそう尋ねると、その女性は一瞬後、こう返す。
「グワラニー様がお聞きしたいのは、こちらがその策を実施したときにフランベーニュがこちらの思惑どおりに動くかどうかということだと私には思えたのですが、それでよろしいしょうでしょうか……」
「もちろん」
なにしろ、そこまでは間違いなく成功する。
その策の唯一の不安こそがその部分だったのだから。
グワラニーが左手で先に進めるように促すと、アリシアは言葉を続ける。
「もし、その状況が目の前に展開されていたら、フランベーニュの前線指揮官は余程の人物でないかぎり、誰であっても同じ行動をすると思います」
「すなわち、グワラニー様がお望みの状況になります」
つまり、策は成功する。
むろん、グワラニーは安堵する。
だが、それとともにそこにあったある言葉に興味がそそられる。
「それはよかった。ちなみにあなたの言う余程の人物とは?」
アリシアに対してフランベーニュ軍の情報を提供したのはグラワニー。
つまり、この問いに関してグラワニー自身も回答を用意していた。
そして、グラワニーが想定していたのはフランベーニュ軍でもっとも有名な将軍で「フランベーニュの英雄」という非公式ではあるもののフランベーニュ国民なら誰もが知る称号を持つアポロン・ボナール。
だが、アリシアは彼とは別の人物の名を上げる。
「フランベーニュ軍でいえば、一番に注意すべきはやはりアルサンス・ベルナード将軍」
「理由をお伺いしましょうか?」
「話を聞くかぎり、アルサンス・ベルナード将軍は正統派の用兵家であるとともに、用心深く、さらに、保守的な性格であるため、目の前にどのようなエサを撒かれても食いつかないと思われますので」
「ですが、彼は別の戦場の指揮官。除外してもよろしいでしょう。そうなれば、残りはアポロン・ボナール将軍とエティエンヌ・ロバウ将軍。このふたりはベルナード将軍に比べれば確率は下がるものの、罠の存在を疑い食いつくことに躊躇するかもしれません。そして、このうちロバウ将軍はこの戦場に立っている指揮官。彼が前線にいないときを狙い攻撃を始めることが肝要かと思います」
「ついでに言っておけば、前線にいてほしい人物は……」
「ドミニク・アンジュレス将軍」
「こちらについても理由をお聞きしておきましょうか」
「その名を聞いた時点でグワラニー様もわかっていらっしゃると思いますが……」
「アンジュレス将軍は現在アリターナが進んでいる渓谷入口奪取に失敗し、降格処分を受けたうえで、本来同格だったロバウ将軍の下で働いている。しかも、アンジュレス将軍は爵位持ちの貴族で自らの上官になったロバウ将軍は平民。その心情は手に取るようにわかります」
「こちらが示したものを目にしたら、名誉挽回または失地回復の絶好の機会と考えることでしょう」
「ですから、こちらはわざわざロバウ将軍を前線から遠ざける策を講じなくても、アンジュレス将軍が前線にいるときを狙って動きだせばいいわけです」
……ノルディアの失敗。
……それは彼女を手放したことだ。
……それに対して、私は大量のノルディア金貨を捨ててタルファ将軍と彼の妻を手に入れたわけなのだが……。
……どう考えても収支は黒字だな。それも大幅な。そして……。
……タルファ将軍には申しわけないが、こうなってくると捨てた大金の大部分は彼女に対して払ったようなものだな。
グワラニーはアリシア・タルファに笑顔で一礼しながら、誰にも聞かれぬ声でそう言った。




