混沌の地へ
マンジューク。
魔族の国の南側の渓谷地帯にある銀山の名である。
ただし、ただの銀山ではない。
魔族の国で掘り出された銀は、大海賊ワイバーンを経由して人間社会にも流れていた。
そして、「最終的には」という言葉の後に続ければ、この世界で流通する銀の七割は魔族産のものであった。
そして、マンジューク銀山は魔族が掘り出す銀の四割を産出する。
つまり、この世界の三割はマンジューク産ということになる。
「露天掘りができる銀山。これぞ異世界という絶景だ。銀で出来ているという話もあながち嘘ではないな。これは」
視察に行き、その壮観な眺めにグワラニーがこっそりと唸ったのも頷ける。
さらに言えば、この山岳地帯の最高高度付近にあるマンジューク銀山の北側、攻め手となるアリターナとフランベーニュから見れば、マンジュークの背後となる場所には、マンドリバリ、ファラボルア、ムハラビエ、ドゥトゥウエ、バガウィーというこれまたこの世界の金の多くの産出する魔族の国の五大金山や、マンジュークの陰に隠れているが、単独鉱山の産出量としてはこの世界第二位を誇るムボエン銀山も控えている。
つまり、マンジュークが落とされた時点で、魔族の国の経済は破綻し、王都陥落前に自壊し終戦、逆にマンジュークを奪った国はこの世界の経済を牛耳ることができる。
この戦いの正念場と言える。
そして、戦況はといえば一進一退。
と言いたいところだが、実はそうではなかった。
南方からマンジューク銀山を含む渓谷地帯へ侵攻するにはふたつ。
アリターナ軍、フランベーニュ軍の順に入口を奪取し、鉱山群を手に入れるために渓谷地帯に入ったのは三年前。
そこから現在まで進んだのは五十アクトほど。
だが、その間の損害はとんでもないものであり、両軍とも三十万人以上の戦死者とその四倍以上の負傷者を出していた。
「この渓谷は一ジュバ進むのにひとりの命が必要である」
これはフランベーニュの准将軍アナトール・ティビアの言葉。
そして、こちらはアリターナの有名な騎士バンドヴィーノ・トーチェが死に際に残した言葉である。
「たった一アクト進むために一万人分の血を代価に望むとはなんと強欲な神が住む場所なのだ。この渓谷は」
ほぼ同一の意味を持つ両者のこの言葉の驚くべきところは、これはまったく大袈裟なものではなかったところだ。
ジュバ、アクトとはこの世界の距離の単位であり、一ジュバは別の世界での一センチメートル。
百ジェバである一ジェレトは一メートル。
百ジェレトで一アクト。
一アクトは百メートルとほぼ同じ長さとなる。
ついでに言っておけば、この世界には別の世界での千メートルに当たるキロメートルに準ずる単位は存在しない。
その代わりとして十キロメートルにあたるものを一アケトと呼んでいる。
つまり、百アクトが一アケトとなる。
そして、両軍が進んだ距離五十アクトとは、別の世界の五キロメートル。
三年間という月日と百万人以上の死傷者を出して進んだ距離がわずか五キロということになる。
だが、たとえ微々たるものであっても、アリターナもフランベーニュも前進していたのは事実。
このままいけば、いつかはマンジュークに辿り着くことはできるだろう。
どれほど血が流れようがやめるわけにはいかない。
いや。
これだけの被害が出ているのだ。
やめるわけにはいかない。
これからさらにどれだけの血が流れようとも。
どんなことをしてでもマンジュークに辿り着く。
フランベーニュ、アリターナ両軍首脳及び為政者たちは心にそう誓い、今日も兵を差し向ける。
もちろん彼らは国全体の利益を考える立場の者。
そう考えるのは当然のことであるのだろうが、彼らの耳には絶対に届かないこのような声があるのも事実である。
「我々をここに送り込んだ者たちも戦いに参加すべきだ」
「国のために奉仕せよ。すばらしい言葉だ。だが、他人に犠牲を強いる者が率先して自らの身を国家のために捧げたことはない。逆に国家を食い物にするときには真っ先に動く」
「絶対に必要というのなら、他人の子供を死地に向かわせる前に自分の子供を戦場に送れ」
「自分が絶対に死なない安全な場所にいれば、マンジュークが命を懸けても手に入れる場所と言えるだろう。だが、そういう奴に限っていざ自分がその場に立ったらすぐに戦いをやめる算段をする」
辛辣な言葉ではあるが、別の世界での現実を見れば真実を語っているともいえる。
しかも、興味深いことにそれら名もなき者の言葉は人間側には存在するが、魔族側にほとんど存在しない。
もちろん攻め手と守り手という差はあるだろう。
だが、そうなるためのもっと大きな理由が存在した。
いうまでもない。
特権階級の存在の有無である。
いや。
魔族の国では、特権階級ともいえる純魔族種のみが戦いに参加していた。
それこそが自分たちが支配者階級であることを示すものだと考え、自ら進んで。
さて、戦況の話に戻ろう。
むろん、微々たるものとはいえ、人間側が前進している以上、魔族軍が優勢というわけではない。
そして、いうまでもなく、魔族軍にも多くの死傷者を出していた。
だが、他の戦場ほどの後退はない。
その理由はいくつかあるのだが、その最大のものは地形といえるだろう。
この渓谷地帯は歩行可能な場所が限られているうえ、道幅が非常に狭い。
多くの場所が十人も並べば道を塞ぐ。
つまり、他の戦場のように数を頼りに戦うことができないのだ。
そして、そうなると個人の力が生きてくる。
魔族と人間の兵士。
魔族軍では自軍の兵士は人間の兵士五人分の強さがあると豪語し、人間側ではひとりの魔族兵士を倒すのに三人の自軍兵士が失われることを想定し四人以上でひとりの魔族軍兵士と対峙するように指示されていた。
だが、それはあくまで平地での戦闘での話。
囲い込みができない渓谷での戦いでは魔族軍兵士の強さばかりが目立っていた。
別世界の言葉を使えば、キルレシオは十対一。
フランベーニュ、アリターナ両軍にとっては笑えぬ数字といえるだろう。
「……だが、人間たちも馬鹿ではない。こちらが想像もしない奇策を用意し、渓谷を一気に抜いてくる可能性はある」
「その前にこの戦いにケリをつける必要がある。そういうことでガスリン」
「こう言ってグワラニーの部隊を送り込め」
「手段は任せるので渓谷内にいる人間どもをすべて排除せよ。絶対に」
それは魔族の国の王の言葉だった。




