やってきた朗報
その日。
「……状況は理解しました」
クアムートの北方に開設した非公式なノルディアとの交易所の一室でグワラニーはそう言った。
そして、テーブルの反対側に座る中年の男を見やる。
「ですが……」
「そちらの要望を即答するのはさすがに難しいです」
「ホルム殿」
そう。
その場所に現れ、グワラニーと案件の面談を求めたのはノルディアの外務省の交渉官で捕虜返還を成功させた功により男爵の爵位を手に入れたコンラード・ホルムだった。
そして、ホルムが要請し、グワラニーが即答を避けた案件。
それは、小麦の融通。
いや。
小麦の提供だった。
この世界の主食はパン。
これは魔族、人間も同じである。
そして、その材料は当然小麦となる。
当然そうなればどの国でも小麦は生産されるわけなのだが、気候や土壌、それに土地の広さなど様々な理由ですべての国が自給できているわけではない。
この世界でいえば、フランベーニュ王国とアリターナ王国が輸出大国となり、反対にブリターニャ王国とノルディア王国が輸入大国となる。
だが、アリターナ王国が輸出を停止しただけではなく、フランベーニュの小麦に手を出した。
そこからフランベーニュ産の小麦の争奪戦が始まったわけなのだが、金のないノルディアは必要な小麦を手に入れられなかった。
ただでさえ、魔族との戦いで大敗して評判が悪い。
ここで主食が手に入らないとなれば国民の暴発は避けられない。
そうならぬよう、その不足分を安価で提供してもらいたい。
それがホルムの要請となる。
「窮状は察しますが、さすがに我々にそれを頼むのはどうかと思いますね。なにしろ我々は公式には現在も戦闘状態、少なくても敵対関係にあるわけですから」
「それは十分に承知している。だが、建前など言っていられない状況なのだ。我が国は」
「尽力願いたい。少なくても、国王陛下への取次だけでもお願いしたいのだが」
哀願である。
……まあ、美人の頼みなら即OKするとことなのだが、頼んでいるのがこの中年男ではやる気も半減だ。
「とりあえず三日ほど待ってもらいましょうか」
「概要を説明し、それが可能かどうかだけでも確認してきますので」
愛想の欠片もない言葉を口にし、とりあえずホルムを帰した。
だが、その直後、グワラニーは黒い笑みを浮かべた。
「……これはいい」
「これでノルディアは我が国の支配下に入る」
「どういうことですか?」
ホルムとの交渉に同席していた交渉担当の軍官アドリアーノ・カベセイラがそう尋ねると、グワラニーの笑みはさらに深くなる。
「ノルディアは小麦を提供する我々の意向に逆らえなくなるということだ。問題は……」
「小麦騒動がいつまで続くのかということだ」
「彼らに提供するだけの小麦があるかどうかではなく?」
「むろん、これを我々だけおこなおうとすれば無理だ。だが、それこそ陛下の許可を取ればその問題など些細なものになる。なぜなら……」
「我が国は小麦の在庫に困っている。その処分先があるのならこれ幸い」
「そういうことだ」
「毎年小麦を貯め込む倉庫を王都近郊につくっているのだ。陛下も古い小麦の処分先が見つかったうえに多少なりとも金が入り、さらにノルディアを支配下に置ける。間違いなく承知する」
「だから、問題はその支配が半永久に続くのが、今年限りなのかということになるのだ。後者だった場合、当然要請は却下となる」
魔族の国では生産された小麦はすべて国が買い取ることになっていた。
その後、市場に安く流されるのだが、そうなれば当然買い取り価格も安い。
だから、農民たちはできるだけ多く生産しようとする。
その結果、国は在庫を抱えるというわけである。
ただし、魔族の国には多数の金山、銀山があるため、財政自体はびくともしないのだが、その在庫の処分には頭を悩ませていた。
元文官のグワラニーは当然そのことを知っている。
「とりあえず、大海賊ワイバーンに状況を確認させる。陛下に話をするのはそれからだ」
そして、その翌日には小麦騒動の概要が判明する。
その理由はわからぬものの、アリターナが小麦の輸出を停止したことからその騒動が始まったのは確かなのだが、おかしいのはアリターナが凶作ということでないにもかかわらず、その決定を下したこと。
さらに、それだけではなくフランベーニュ産の小麦も高値で買い始めた。
当然フランベーニュの農家はアリターナの商人に小麦を売り渡す。
そこにこの世界の商売を支配する商人国家アグリニオンの辣腕商人たちも参戦する。
大量の小麦を買い、アリターナへ売り渡す。
慌ててブリターニャの商人も高値をつけ必要量の確保に乗り出したのだが、ノルディアの商人たちはそれを見守るだけだった。
そう。
高値で買ったのはいいが、それに見合うだけの支払いを受けられる保証がなかったのだ。
「それで……」
「その喜劇は今後も続くのか?」
「アリターナはその気のようだと。そして、その中心にいるのはアリターナの辣腕交渉人アントニオ・チェルトーザと『アグリニオンの女傑』と呼ばれるカラブリタ商会を率いるアドニア・カラブリタとのこと」
「この騒動はアリターナだけではなくあの守銭奴どもも噛んでいると?」
「そのようです」
「つまり、金儲けか?」
「それがそうでもないようです」
グワラニーの問いの言葉にバイアは困惑の表情で応じる。
「状況から察するにアリターナは小麦を蓄えること自体が目的。ですが、なんのためにそれをおこなっているのかがわかりません。そういうことで」
「アリターナは抱えられるだけ抱え込む。しかも、大急ぎで。その結果、小麦が急騰した」
「それが現状でわかることであり、その結果、金のないノルディアは小麦が変えず我が国に泣きついてきたということになります」
「なるほど」
「とりあえず状況は理解した。うまくやる方法などいくらでもあったにも関わらずあのような手段を使用した。つまり、やらなければならない理由があったわけなのだが、それは不明。だが、今の我々にとってノルディアが当分小麦不足に陥ることがわかれば十分。では、明日陛下のところに談判にいくことにしようか」
むろん、グワラニーの予想通り、王はその説明に何度も頷く。
「悪くない」
そう言って。
「ただし、最も古い小麦から渡せ。そうであれば、奴らが支払えるというはした金で売ってやってもいい」
「むろん。今後も安く売り渡すことも約束してやる」
「もっとも、我が国の命運があとどれほどあるかはわからぬが」
「とにかく仔細はおまえに任せる。こちらへは取引の報告と支払われた金を納めればよい」
そう言って驚くほどあっさりとノルディアへの食料援助を認める。
敵国のひとつが食料不足に陥っているのなら放置し、自壊させればいい。
それなのに助けるのだ?
多くの軍幹部は疑問に思う。
だが、それは王の決定。
居並ぶ軍幹部たちも何も言えない。
……一瞬でこの策の有用性を理解したか。
……やはり、王は要注意人物だな。
グワラニーは自身の感情を読み取られぬように床を眺めながらそう呟いた。
……とにかく、まずはこの朗報をホルムに聞かせてやることにしようではないか。




