伝説の始まりは
さて、ここからは別の世界からやってきた「彼」ではなく、彼のこの世界の名であるアルディーシャ・グワラニーとして進める。
あの戦いが起こったときから、時間を三十年ほど遡る。
わざわざ語るまでもないのだが、魔族軍の将軍アルディーシャ・グワラニーは、元の世界では戦闘経験などなかった。
いや。
それどころか、戦闘を行う組織に所属していたわけでなく、元々の職業は公務員。
ただし、その部分をもう少し詳しく説明をしておけば、その国の最高位の大学を卒業し、国家公務員となったいわゆるエリート官僚である。
そして、そこで得た知識と経験はこちらにやってきてからも保持している。
そうなると、一番の問題となるのは、言語ということになるわけなのだが、これは赤子からやり直しているので問題などない。
そうなれば、どうなるか?
言うまでもない。
三十歳。
人間換算で十歳ごろにはグワラニーは神童として周りは一目置かれる存在になっていた。
人間種。
そして、魔法適正がないため、この国で最高位の職業である軍人になれないが、それ以外なら選び放題だったといえるだろう。
せっかくだ。
魔族の国の職業について説明しておこう。
軍人。
それが魔族の国における最も尊い職業であり、純魔族の男は迷うことなくその仕事を選ぶ。
むろん国を護るという名誉と誇りもある。
また、純魔族の男は兵士になるという伝統もある。
だが、それだけではない。
魔族の国の軍人は驚くほどの高給。
これは同じ兵士でも徴兵によってかき集められた人間の国の平民や下級貴族出身の兵士などとは比べようがないくらいのものである。
さらに多くの報酬も桁違い。
そこになんと税金の免除という特典もつく。
もっとも、最後の部分については単純な軍人優遇策というだけではなく、「彼らが気前よく市中に金を流すための方策。つまり、公共事業的側面もある」というのがグワラニーの、いかにも元役人的見方であるのだが。
一方、国民の大多数となる人間種。
魔術師以外は軍人になれないわけなのだが、基本的に職種は自由。
ただし、多くは親と同じ職業を選ぶ。
彼らについては収入の四分の一が税金となる。
そして、神童として有名だったグワラニーだが、彼が選択したのは……。
文官。
つまり、この国の官僚である。
むろん、前職を考えれば当然であるのだが、実をいえば、グワラニーの選択を好意的に捉えた者はそれほど多くなかった。
魔族の国において、文官は最低の職業。
つまり、この国が軍人の次に高位に置かれる職業となる各種職人、農民、収入はともかく尊敬されるという点はやや劣るとされる商人よりもその地位は低い。
他の職業に就くことができない無能者がなる職業。
それが文官だった。
そして、その言葉どおり、文官組織は無能者の集まりだった。
所謂「お役所仕事」を極めたようなその仕事ぶりは常に嘲笑の対象となるのだが、当然対価もそれにふさわしいものとなる。
この国で最低の賃金。
その非効率かつモラルのない仕事ぶりを考えれば当然なのだが、同じ国から報酬を支払われている軍人とは雲泥の差だった
同類の職種とはいえ、元の世界で高給を得ていたグワラニーが選ぶべき仕事とは言えないだろう。
それが俯瞰的に状況を見た者の感想といえるだろう。
だが、グワラニーはそれを選んだ。
それはなぜか?
むろん、ほぼ同類の職種である元官僚だったこともある。
そして、人間換算で十歳ほどである三十歳という年齢は本格に就業するにはさすが早すぎであり、いわば小遣い稼ぎのという意味もあった。
だが、少なくても後者に関しては理由としては非常に小さい。
グワラニーが卑下される存在である文官を仕事として選んだ理由。
ひとつ。
元官僚であったこと。
つまり、その経験が生かせる。
ふたつ。
これは一つ目の理由の続きということになるのだが、国を正常に動かすにはやはり文官組織は必要であり、その整備をおこなうことは将来的に必要と考えた。
さらに、完成された組織に属していた自分ならそれがおこなえるという自信もあった。
むろん、法務や財務は自分の専門外ではあるのだが、それでも現在の文官よりは知識がある。
三つ。
文官は国の組織である王都を動く必要がないので安全が担保されている。
そして、最後であり最大となる四つ目の理由。
国の組織ということは、当然市井にいては知り得ない情報を知ることができる。
それによって自分の目的に関する情報を知ることができる可能性が高くなる。
そして、その目的とは……。
自分がなぜこの世界にやってきたのか?
そして、元の世界に帰る方法はあるのか?
そう。
あの日から三十年の月日が経っていたのだが、グワラニーは元の世界に戻ることを諦めてはおらず、その手段を探していたのだ。
ただし、これは誰にも言えぬことであり、当然協力も得られない。
つまり、ひとりでおこなわねばならない。
そのためにはまずは情報収集。
そして、それをおこなうにはやはり国家機関に身を置いた方がいいというわけである。
だから、早くから国の組織、その中でも腐りきっている代わりに入り易いという利点がある文官団に狙いをつけていたのである。
そして、その門が開いたのは三十歳を少しだけ過ぎたときのことだった。
神童の噂を聞きつけた腐れ組織の末端文官アレックス・オルランドが安く便利な小間使いとしてグワラニーを誘ったのだ。
むろん、グワラニーはその申し出を受ける。
「精一杯やらせていただきますのでよろしくお願いします。オルランド様」
殊勝を何重にも纏った言葉。
だが、心の中でグワラニーは別の言葉を呟いていた。
……こいつは私をこの組織に招き入れるだけにしか役に立たない男。それ以外には全く使い道がない。まさに雑魚。
……そして、ありがたいことにこの国は極端なまでの実力主義。それはたとえここがコネや裏取引が公然と罷り通る腐った組織あっても同じ。
……踏み台になってもらう。
もちろんその心の声は実際に口にした言葉、そして、表情、そのどこにも滲み出すことはなかった。
そして、その言葉どおり、グワラニーは百日も経たずオルランドを追い抜く。
さらに立ち止まることなく、グワラニーは昇進の階段を上り続け、十五年後には、無駄なくらいに肥大化したその組織の半分ほどに到達する。
むろん、これは数年に一度の昇進が基準となる文官のものとしては異例という言葉でも片づけられないくらいのスピードとなる。
つまり、グワラニーはそれくらいの成果を見せていたということになる。
ただし、それでもグワラニーにとっては遅いものだった。
「実力第一主義の魔族の世界では珍しくコネと賄賂がよく利くこの組織でなければこの半分の時間でここまで来られた」
それがグワラニーの率直な感想だった。
そして、この頃に自身のこの世界にやってきたことにまつわるものと思われる情報を初めて手に入れた。
紙。
しかも、それは元の世界で見慣れた「A4」と呼ばれたサイズのもの。
「……この国で生産される紙は、いわゆる羊皮紙。つまり、紙といえば羊皮紙を指す。それは人間世界でも同じ。それにもかかわらず、王宮から支給されるのは洋紙。いや。これは間違いなくコピー用紙」
「サイズを含めて考えれば、これはつまり、誰かがこの世界に紙を持ち込んでいるということだ」
「そして、それをおこなっている可能性が高いのは……」
「『天空の大海賊』という二つ名を持つ大海賊ワイバーン。ただし、その海賊の誰がそれを持ち込んでいるのかはわからない」
「調べたい。だが、今の地位ではそれは難しい。そのためにはもう少し地位が上がり、ワイバーンと直接交渉できるようになるしかない」
そう呟き、口惜しさを滲ませたグワラニーだったが、それから何年か経ったところで、そのチャンスが到来する。
突然の王宮への呼び出しである。
相手は摂政の地位にあるアルガルヴェ・ブルガンツ。
魔族の国は王政を敷く。
ただし、人間の国、そして、元の世界の国と違い、王位は血によらない。
具体的にいえば、次王は現王が指名することになるのだが、その条件として自身の息子、親族は指名できない。
そうなると、実際の国政を担っている宰相の男が次の王位に最も近い。
……コネづくりの絶好のチャンス。
グワラニーは密かにではあるが、鼻息荒く王宮へ赴く。
そして、宰相の前へ。
そこで問われたのは、経済の停滞、この対策についてだった。
むろん、問いは予告されたものではない。
つまり、この場でその対策をひねり出さねばならないということだ。
だが、数瞬の沈黙後、グワラニーは口を開いた。
そして、そこでいくつかの案を示す。
もちろん、それはすべて元の世界の経済政策を基にしたものであり、有効かつ実現可能。
ただし、それを聞いた多くの者の反応は鈍かった。
そう。
その効果を理解できなかったのである。
だが……。
「……なるほど。噂通り有能だな」
唯一と言っていい、その案の理解者である宰相であるその男はそう呟くと、ただちにそれを実行するように命じる。
むろん、その功により、グワラニーの地位はさらに上がる。
そして、急死した王に代わり王位に就いたその男によってグワラニーは文官組織の実質的な最高位を与えられる。
それはグワラニーがこの組織に加わって二十一年目のことだった。




