異世界へ飛ばされた者
一杯の酒で異世界転送の実験台にされた彼。
そして、その理どおり、この異世界で生を受けた彼は赤子から人生をやり直す。
だが、実を言えば現在の彼は人間ではなかった。
つまり、人生という言葉は少々違うと言える。
では、彼は何になったのか?
魔族。
ただし、この世界の人間にそう呼ばれているその種族は、彼が元いた世界の多くの英雄譚に登場する魔族のような肌が緑で角があり、腕が六本ある無知な生き物などではなく、元の世界風に言えば、その外見はエルフまたはハーフエルフだった。
むろん、言葉を解し、知的である。
ただし、そのすべてが元の世界のエルフの基準に合致しているかといえば、違うと言わざるを得なかった。
この世界の魔族は外見がそっくりなエルフ特有の繊細さはまったくなく、どちらといえば、筋肉質で戦闘スタイルも大剣や戦斧を振り回すドワーフに近いものであった。
つけ加えていえば、この世界には魔法はある。
ただし、魔法は魔法使いの素質がある者だけが行使できる。
そして、残念ながら、彼にはその素養はなかった。
それからもうひとつ。
この世界には言語を扱う種族としての人間も存在する。
ただし、魔族は人間をひ弱で卑しい生き物と軽蔑しており、実際にほんの少し前まで魔族の国に住む人間は例外なく奴隷という身分だった。
そして、彼は前述したように人間ではなく魔族であったのだが、純魔族の比べて低い位置に置かれる人間と混血となる人間種であり、目が赤いという魔族の特徴こそ持ち合わせているものの、外見上はほぼ人間と言っていってよかった。
むろんその肉体的な強度も人間と変わらない。
そして、最後に最大の重要項目。
現在戦場に立っている彼が対峙している彼ら魔族の敵。
それは人間。
具体的にはこの世界で一番の大国である魔族の国は周囲を取り囲むように存在する人間の国と戦闘をおこなっていた。
いや。
現状をより正しく表現すれば侵攻されていた。
圧倒的な数を頼りに。
そして、ブリターニャ王国、フランベーニュ王国、アリターナ王国の三勢力が当面の敵であった。
さて、おおまかにここまでの状況を説明したところで、現在の彼に戻ろう。
魔族領南部の渓谷地帯。
そこが現在の彼がいる場所となる。
そして、そこは半円状の高台。
その眼下には池。
実際には意図的に水が張られた元々は平坦地であった場所であり、そこで腰まで水に漬かりながら、激しい戦いには魔族軍の兵士は参加していない。
そう。
つまり、戦っているのは人間同士であり、魔族である彼と彼の配下はそれを冷ややかな視線で眺めていたのである。
「グワラニー殿」
「三年にわたる血で血を洗うこの渓谷での戦いに終止符が打つ。その場に立ち会うことができるのはこの上ない名誉。この軍に属する将兵を代表してお礼を言わせてもらおう」
彼に話しかけてきたのは、彼の倍ほどは生きている純魔族の将軍であるアンブロージョ・ペパス。
ちなみに、この世界の魔族は人間の約三倍の寿命がある代わりに、その成長は三倍遅い。
つまり、この世界で約六十年過ごしている彼の姿は二十歳にも満たぬ若造。
ペパスも人間換算すれば四十歳前後ということになる。
つまり、この軍は二十歳にも満たぬ人間種の者に指揮された軍ということになる。
しかも、その配下はペパスをはじめ、歴戦の純魔族の者たちが配置されている。
ついでにいえば、魔族軍はほぼすべて純魔族の者たちで構成されており、人間種の者は魔術師以外には彼を除けばいないといっていいだろう。
どのような形であってもすべてが劣る人間種などの力を借りるなどありえないという純魔族の矜持。
さらに肉体的に劣る人間種を加えると、そこを突かれ窮地に陥るという順軍事的側面もある。
それにもかかわらず、魔法も使えない人間種の若造である彼が軍に加わっているだけではなく、純魔族で構成されている大軍を率い、さらに、歴戦の勇者たちもそれを受け入れている。
さらにいえば、この軍には本物の人間も加わっている。
ふたりばかり。
しかも、そのうちのひとりは将軍格の地位にあり、もうひとりに至っては人間というだけではなく女性でもある。
これは保守的で男尊女卑の思想が蔓延るこの世界の理から大きく逸脱している。
そこに加えれば、この人間の女性は、そこにいるというだけではなく、ある意味でこの軍の中心であり、最終的には魔族の国の中心になり「国母」という称号を得ることになる。
むろん、それは前述したことと矛盾している事実。
なぜそのようなことが起こったかについてはいずれ語ることにして、話を先に進めよう。
すでに勝利したかのようなペパスの言葉に彼は苦笑する。
もちろんここまではすべてが順調。
なにしろ、この方面の魔族軍がいわば二正面作戦のような戦いを続けていたフランベーニュ王国軍とアリターナ王国軍を一か所に集め、さらに対魔族軍において共同歩調をとる協定を結んでいたものの、実は不仲だという事実を利用して同士討ちを演じさせるという策を見事に成功させていたのだから。
ただし、それでも仕上げとなる部分はまだおこなわれていない。
つまり、勝利はまだ確定していないのだ。
「さすがにその言葉はすべてが終わってから口にするものでしょう。ペパス将軍」
彼がそう言うと、歴戦の勇者である将軍はこう返す。
「いや」
「ここまで来て失敗するなどありえない話だ」
「相手を圧倒的に凌駕する戦力。そして、高台からの反包囲態勢。各所に配置した有能な指揮官。そして、完璧な戦術。我々にはそのすべてが揃っているだけではなく、完勝できるだけの準備もおこなった。つまり……」
「あとは戦いを開始する号令をかけるだけ」
「そのような状況でどうやったら失敗できるのか教えてもらいたいものですな。グワラニー殿」
そう言った直後、ペパスの口元が緩む。
むろん、彼も。
「失敗できるか、ですか。たしかに、ここから負けるのは勝つよりも数段難しそうです。ですが、やはり油断は……」
「禁物。もちろんそれは十分に承知している。だが、その言葉に対してはグワラニー殿の口癖で応じることにいたしましょう」
そう言ったペパスはニヤリと笑う。
「常に勝者になりたかったから、負ける戦いはおこなわず、絶対に勝てると思うまで戦場に出ないことが肝要。そして……」
「戦いの成否。それを決める大部分は戦場の外にある。絶対に勝てるだけの戦力を揃え、手に入れられるだけの敵の情報を手に入れ、それに基づいた入念な準備をする。それだけのことをして戦いに臨めば、相手にどれだけ有能な指揮官がいても勝敗を逆転されることはない。彼ができるのはより自軍の損害を減らすことだけ」
「実態的な数はともかく、質と言う点では敵の一万倍はある圧倒的な戦力の保持。情報収集と入念な準備。我々はそのすべてをやりきったうえでここに来ている」
「さらに言えば、今回の戦いで一番の難関であるフランベーニュとアリターナの咬み合わせはすでに成功している。しかも、魔術師の排除も終わっている。残りは我々の前で仲間割れを演じるあの馬鹿どもを殲滅することだけ。しかも、その一方については自ら進んでおこなっている。あとは残り半分の掃除」
「この状況になれば私でなくても、勝利を確信するでしょう。もっとも……」
「グワラニー殿だって内心そう思っているのでしょう」
さすがにここまで言われてしまえば、彼も相応の対応をしなければならない。
「そうですね」
「そのとおり。ここから逆転を食らうにはとんでもない慢心と大いなる奇跡とありえない偶然が束になってやってきたときしかない」
「むろん奇跡と偶然は防ぎようがない。だが、それでもこちらの盛大な慢心がなければ敵の勝利はない。ということで……」
「間違って奇跡と偶然のとんでもない波となってやってこないうちにケリをつけることにしましょうか。なにしろ我々の目標は単なる勝利ではない。自軍に損害を出さないで敵を葬る完璧な勝利なのですから」
「全軍に通達。いよいよ狩りの時間だ」
「勝利は確定している。あとは我々が目指す完璧な勝利になるか、それだけだ」
「始める」




