グワラニー 海老で鯛を釣りに行く
ノルディア王国の都ロフォーテン。
「ロフォーテンは随分大きな町なのですね。建物をすばらしいです」
魔族の印でもある赤い目をした少女が囁くように口にした、いかにも田舎から都会に初めてやってきた者が言いそうなその言葉にグワラニーは薄い笑みを浮かべる。
……魔族の王都イペトスートの建物は装飾が殆どないので派手さという点では相当劣る。まあ、あれはあれでいいのだが。
心の中でそこまで呟いたところで、グワラニーは自らがかつて住んでいた場所を思い出す。
……この程度でもこれほど驚くのなら、この世界の住人では絶対に想像できない異様な高さの建物が林立し、見たことがない乗り物が走りまわり、夜も昼間と変わらぬくらいに明るいあの光景を見たら卒倒するのでないか。
……いや。甘いものが好きなようだから、この世界には存在しない様々な菓子が並ぶ店に入ったときの方が卒倒するかもしれん。
少しだけ昔を懐かしみ、それから自らが置かれた現状では起こる可能性が非常に低い未来にも思いを寄せたグワラニーが口を開く。
「せっかくロフォーテンに来たのだ。ここで一番おいしい菓子屋に連れて行ってもらうことにしようか。アリス」
「……はい」
デルフィンをこの世界でもありがちだが、実は元の世界にいたときに好んで読んでいた物語に登場する少女のものから採ったものである偽名で少女を呼んだグワラニーの言葉。
同行していたホルムがすぐさまそれに応える。
「では、王都で一番高級な菓子店である王室御用達の称号を持つ『シャンペゴット』に行きましょうか」
非公式なものであるし、不本意ではあるが、我が国の賓客であることには変わりない。
機嫌を損なうことのないよう精一杯のもてなしをしろ。
それは王から直々に指示を受けたものであり、ホルムがその店の名を即座に口にしたのは少女が同行するのだから菓子を所望するだろうと準備をしていたからだ。
自らの予測が当たったホルムは心の中で大きく頷く。
だが、その直後、ホルムにとって予想外のことが起こる。
いや、ここは予想外の出来事に出くわしたと言ったほうがいいだろう。
彼らが進む先にある高級店とはほど遠い庶民のなかでも貧しい者が利用する店と思われるパン屋の前に人だかりができ、そこから怒号が聞こえてきた。
ホルムの目配せによってグワラニーとデルフィンを取り囲む護衛の兵たちは無言のまますぐさま武器に手をやり、少女は最高級の魔術を発動できるよう袖の中で杖を実体化させる。
「金貨二枚」
「……だが、パン一つに金貨二枚はさすがに高すぎるだろう。だいたい一昨日は銀貨十枚だった」
「悪いな。値上がりした」
「それでも……」
「そうか。そういうことなら特別に金貨一枚で売ってやる、その代わりにここで全裸になれ。得意だろう。人前で全裸になるのは」
あきらかに自らの立場を利用して店主が中年の男を甚振っている。
……パンひとつ買うのに金貨が必要というのはさすがに異常だ。
……しかも、周りの客も店主の横暴を止めることがない。
……まったくもって不快な光景だ。
「……あれがタルファ。つまり、あなたの目的の人物ですよ。そして、あの店主の息子のひとりはクアムートで戦死しています」
厳しい表情で様子を見つめるグワラニーに気づいたホルムは店主がつけている喪章から導き出したその理由を説明した。
……真実を知らされていない者にとって、将軍の地位にありながらわが身可愛さに逃げ帰ったことになっている彼を憎む気持ちが生まれるのは当然だ。
……身内の者があの戦いで死んだとなればなおさらだ。
……だが、そうであってもさすがにあれはやり過ぎだ。
このようなことに関しては特別過敏に反応するグワラニーが救いの手を差し伸べようと口を開きかけた瞬間、男は要求された金貨六枚を置き、少し焦げた小さなパン三つを抱えて去っていく。
冷たい視線と嘲笑を背に浴びながら。
「なんとも御見苦しいものを見せしてしまい申し訳ございませんでした」
予定外の出来事に少々罰が悪そうに言い訳をするホルムの言葉を受け流すと、グラワニーはその店を指さす。
「いや。すべて貴国の事情ですから構わないです。それよりも、まずはあの店で買い物をすることにしましょう。代金はかなり足りないでしょうがこれでお願いしたい」
グワラニーはポケットから取り出しものを放り投げ、受け取ったホルムがそれをチラリと眺めると最上級の渋い表情をつくり、それからその意味を十分に噛みしめるように言葉を絞り出す。
「あれは元々庶民が通う店。通常の買い物でこれを出すのは……」
ホルムが受け取ったのはノルディア金貨。
一方、ノルディアの庶民の中でも最下層の者が利用するその店で売られる質の悪いパンは銀貨ではなく銅貨十枚が相場。
そう。
これはいうまでもなく、胸糞悪い先ほどの一件に対するグワラニーなりの皮肉。
そして、それからしばらく経った王都の外れにある小さな家にその家の主の怒号が響く。
やってきた若い男と少女の目が赤色であることからふたりが自分たちと相いれない存在であることをすぐに気づいたのだ。
そして、大いに後悔する。
帯剣が認められていないだけではなく、武器と名の付くものはすべて取り上げられているこの事態を。
「騒ぐな。タルファ。この方々は非公式ながら我が国の賓客だ。とにかくここでは話ができない。中に入るぞ」
ホルムは自らの背後にいる者の地位、それから多数の武装兵の存在によって男を黙らせると、主の許可もないうちからずかずかと家の中に入っていった。
「ホルム殿。説明してもらおうか。魔族がなぜ王都を闊歩し、あなたがその魔族を丁重にもてなしているかを?そもそも魔族が私に何の用だ?言っておくが、私はどんなに落ちぶれても魔族などに魂を売る気はない」
怒りが収まらぬままに吐き出されたタルファの言葉を「ふん」という一言で隅に追いやったホルムが口を開く。
「この方はおまえを見分にきたのだ」
「見分?」
「そうだ。引き渡されるおまえが本物のタルファかどうかを」
もちろんタルファも自分が捕虜交換の条件になっていることも、クアムートで打首にされ晒しものになることも知っている。
「なるほど。……つまり、私の代わりに身代わりが引き渡されるのではないかと懸念しているというわけか」
そこまで言ったところで、黒い笑みを浮かべ直したタルファは言葉を続ける。
「現在の私は身代わりを立てるほどの価値はない。安心しろ。私は本物のアーネスト・タルファだ」
あきらかに喧嘩を売っているタルファの皮肉たっぷりの言葉に同行していたホルムに緊張が走る。
だが、肝心のグワラニーは気にする様子をまったく見せない。
笑顔のまま口を開く。
そして、お返しのような言葉がそこから漏れ出す。
「それはよかったです」
その言葉によって自らの渾身の一撃が若造に軽くあしらわれた形となったタルファだったが、気を取り直し、もう一度口を開く。
「まあ、いい。私がタルファ本人と理解してもらったところで、実は私からおまえの飼い主に頼みたいことがある」
「頼みがあると言いながらその無礼な物言いはなかなか興味深い。ですが、それについては大目に見ることにしましょう。それで、誇り高きノルディア軍の元将軍が魔族の若造ごときに頼む事とは何でしょうか?」
そうは言ったものの、グワラニーはタルファが何を言うのかはすでに想像はついていた。
そして、外れることなくそれはやってくる。
「もちろん家族のことだ。我々は敵同士。しかも、私はクアムートを包囲していた軍を率いていた将だ。勝者から首を所望されることも致し方ないことだと理解している。だが、家族は関係ないだろう」
「……つまり、家族は助命しろということですか?」
「そうだ」
「そのような戯言。陛下が認めない」
グラワニーの予想通り、ふたりの会話に割り込んでやってきたその言葉。
声の主は目付け役のホルムだった。
「ホルム殿。頼む。目を瞑ってくれ」
「黙れ。勝手なことを言うな」
「あなた。私は構いませんよ」
和やかとは対極にある雰囲気に包まれたその場に流れ込んできたその言葉は、お茶を持って現れたタルファ夫人アリシアだった。




