世の中は予定外でできている
これはかなり後になってからわかることなのだが、撤退したノルディア軍を追ったパラトゥード率いる三千の魔族軍は、オコカへの途中の町バベロ手前で全滅する。
実はその町には勇者一行が滞在していたのだ。
そして、そこまで逃げてきたノルディア軍から魔族軍接近の情報を得ると直ちに迎撃に出向いたというわけである。
魔族軍にとっては、その地に勇者一行がいるとは予想外の出来事であったろう。
ただし、道の真ん中に立っている者たちが勇者たちとわかった瞬間、逃げるという選択肢があったにもかかわらず、彼らに向かって攻撃態勢に入ったのは間違いなく魔族軍指揮官パラトゥードの判断。
そう言う意味では自業自得と言えるのだが。
ついでに言っておけば、一晩死の恐怖に晒され疲労困憊だったノルディア軍がそこまで逃げ切れたのは司令官タルファの命令により全員が甲冑を脱いで身軽になったからである。
むろん、甲冑は高価。
そして、甲冑を脱いで行軍するのは軍人として非常に恥ずかしい行為。
だが、タルファはそれを命じたのは、より多くの兵を本国に返すことこそ敗軍の将である現在の自分の責務と信じたから。
一時の汚名を甘受しても生きて帰りさえすれば、次戦で屈辱はいくらでも晴らせるという。
そして、それは正しい判断だった。
もし、この命令がなければノルディア軍はバベロの遥か手前で魔族軍に捕捉され全滅の憂き目に遭ったことは容易に想像できるし、パラトゥード隊が勇者に出会うこともなかったのだがから、色々な意味でタルファのこの命令は大きかったといえるだろう。
さて、翌日からグワラニーは周辺地域の探索を開始した。
むろん、ひとつは行方不明となっているパラトゥード隊の捜索なのだが、もうひとつの目的が敗残兵の捜索である。
グワラニーはすでに二千人のノルディア軍将兵を捕虜としていた。
そこに多少でも上乗せしようと考えたのである。
だが、探索の結果、とんでもない事態が発生する。
周辺を探索していた部隊があの晩恐怖のあまりクアムート城包囲軍から逃げ出したものの疲労と空腹で動けなくなった兵士を見つけたのだ。
その数はなんと三千人。
以前なら全員なぶり殺しにしているところだが、抵抗しない者はすべて捕虜にせよとグワラニーに厳命されているうえ、捕らえた捕虜ひとりあたり金貨一枚という報酬もある。
当然のように彼らは司令官の言葉どおりすべてをクアムートまで連れて帰り、結果として魔族軍が捕虜としたノルディア兵は一気に五千人を超えるまでに膨れ上がることになったのだ。
誇らしげに大量の捕虜を連れ帰る部下たちを遠くから眺めながらグワラニーは後悔の念とともに大きなため息を漏らす。
……さすがにこれは多すぎる。
だが、生きて連れ帰るよう命じたのは自分であり、いまさらそれを取り消すわけにもいかず、また、捕虜とした者を理由もなく処刑にするわけにもいかない。
「魔術師長の間者検査に引っ掛かった者以外はすべて先客と同等の扱いにせよ」
連れてきてしまったのだからやむを得ない。
前につくはずのその言葉を心の中で咬み砕き、そのすべてを捕虜とし好待遇でもてなすようにグワラニーは指示を出した。
そして、それから十五日が過ぎたその日。
「実際のところ、客人たちには一刻も早くお帰りいただきたいというのが偽らざる心境だ。彼らが逗留を始めてからこれまでグワラニー殿の指示どおり好きなだけ飲み食いさせているわけだが、とにかくその費用が馬鹿にならない」
「その中でも三人の王族を含む賓客たちは酷い。ノルディア産の食材だっておこがましいというのに、フランベーニュ産の最高級葡萄酒だの、アリターナで流行している聞いたことがない名の菓子だのを躊躇いなく要求してくる。彼らは自分たちが捕虜ではなく、客としてここにいると本気で思っているのではないのかと疑いたくなる」
捕虜たちを見回るグワラニーの横を歩くクアムート城主プライーヤが口にしたその言葉は聞きようによっては冗談に思えるが、実際に起こっていることである。
捕虜に対する待遇の良さも降伏する者を増やし、また融和策としても有効であることはグワラニーの説明でプライーヤも十分に理解していた。
だが、城内に入れているわけではなかったものの、城を預かる者としては自らの配下にある兵とほぼ同じ数の捕虜を長期間抱えていることは好ましいことではない。
しかも、あの待遇だ。
当然経費も莫大となる。
その不安と不満は、その手の計算はプライーヤの数万倍得意なグワラニーもそれは痛いほどわかる。
……さすがに五千という捕虜の数は我々が抱えるには多すぎる。プライーヤ将軍が心配するのも理解できる。
……そうかと言って、食費がかさむという理由で間引くわけにはいかない。
……まあ、あれだけ吹っ掛けたのだ。
……どのくらい値引かれてもこちらの損ということはないだろう。
……武辺の者たちの不満が爆発しないうちに早いとこ手打ちにすべきだな。これは。
実を言えば、この時すでに捕虜返還をおこなう準備をしていた。
三人の捕虜にその意思があることを伝えるノルディア国王宛ての手紙を持たせ解放し、王族の返還を熱望するノルディア国王もそれに対し返書をその捕虜を使い送り返してきていた。
グワラニーは「紙」といえば羊皮紙を指すこの世界には存在しないはずの、元の世界で慣れ親しんだサイズの真っ白い紙でつくられたリストに書かれた捕虜の詳細と自らがノルディアに示したその身代金額を眺め直す。
その一枚目には三人の名しかない。
王弟エーシェン・エルベルム公爵と、ふたりの王子エーナルとフィーゲン。
その身代金はノルディア金貨三兆枚。
これは南の商人国家の交換レートではこの世界でもっとも純度の高い魔族金貨三千億枚に相当する。
もちろん大国ノルディアであっても払える金額ではない。
いや。
国中どころか世界中のノルディア金貨を掻き集めてもその枚数には遠く及ばない。
そうなれば、国内にある金をすべて回収して金貨に換え、自国通貨と等価とされるブリターニャ金貨ややや価値の低いフランベーニュ金貨やアリターナ金貨も加えればいいわけなのだが、そのためには自国の最高の輸出品である高品質の貴石を大量に放出せねばならないうえに、そんなことをすれば足元を見られ買い叩かれるのが見えている。
そもそも、要求通りに金貨を支払えばこの世界の金貨の大部分が魔族領に流れ込むことになる。
ノルディア金貨三兆枚とはそのような数字である。
続く一枚に載るのは二十四人の爵位持ちの貴族の名で、要求額は同じくノルディア金貨三兆枚。
最後はあまりの多さに嫌がらせのような小さな字でその名を書くことになった下級貴族と平民出身の兵士たちで約五千人の捕虜の大部分を占める。
彼らに対する要求額はノルディア金貨十億枚。
……ひとりあたりノルディア金貨二十万枚。
……王族の身代金から考えれば雀の涙だが、この世界では平民出身の兵士の身代金は銀貨数枚ほどが相場らしいから圧倒的に高い。
もちろんその心の声はどこにも漏れだすことはなく、グワラニーが実際に口にしたのはこの世界に関わるものだった。
「それで、我々が出したささやかな要求に対して、やってきたノルディアの使者はどれほどの額を提示したのですか?」
「……こちらの百万分の一」
「ということは、金貨約六百万枚か」
グワラニーの言葉にプライーヤが答える。
「まあ、彼らが普段おこなう身代金の相場、それから値引き交渉のやり方を考えれば、その千分の一くらいから始めたかったのでしょうが、交渉決裂は避けなければならないという彼らの事情があります。しかも、交渉相手は同じ人間ではなく我々。まあ、彼らにとっては不本意ではあるでしょうが、支払い可能な最高額を提示せざるを得ないというところでしょうか。ですが、その言葉には続きが……」
「続き?」
プライーヤは微妙な場所で言葉を切り、不審に思ったグワラニーがそう問うと、クアムート城主は表情を厳しいものに変え、再び口を開く。
「身代金は王族三人の分だけを支払うとのこと」
もちろん予想していなかったわけではない。
だが、実際にその言葉を聞くとやはりその衝撃は大きかった。
さすがのグワラニーもすぐには言葉が出ない。
ようやく口を開いたのはそれからしばらくしてからだった。
「……残りは?」
絞り出すように口にしたグワラニーのその問いにプライーヤは相手の返答を過不足のなく答える。
「そちらにお任せしますと」
「……つまり、捕虜の大部分を見捨てると……」
「言葉を飾っていましたが、端的にいえばそうなりますな」
「王族三人には大金が出せるのに、残る者たちのために払う金はないというのか?ノルディア国王は」
「……クズだ。もっともこの世界の人間の国を統べる者はどこも変わらないのだろうが」
「だが、為政者のやり方が気に入らないと言って、身代金を受け取ることなく五千人以上を解放するというのは、今後のこともあるので絶対におこなうわけにはいかない。さりとて、身代金の支払いを拒否されたからという理由で、その五千人を殺してしまえば、その後ノルディアは自分たちが金を出し渋った結果であることを隠し、我々を悪役に仕立て、戦意高揚に使うことは見えている」
「……それでは、当初の目的から外れる」
「さて、次の一手は何がいいか」
グワラニーはそう言って黒い笑みを浮かべた。




