掃きだめの鶴
もちろん、もうひとつのノルディア軍であるクアムートを包囲していた二万の軍勢も他の陣地の攻撃されるのとほぼ同じ頃、魔法攻撃に晒されていた。
まず、八か所に分かれて建てられていた魔術師たちの休憩小屋や防御魔法を維持するための魔術師が立つ見張り台を至近距離に発生した巨大な火の玉が押しつぶすようにして焼き尽くす。
続いて、軍に同行してきた多数の魔術師の訓練兼憂さ晴らしである火球や氷槍攻撃がノルディア軍将兵を襲う。
もし、この後に剣士たちの掃討戦がおこなわれれば、包囲軍も全滅したことであろうが、ノルディア軍にとって幸運なことに、グワラニーにはその余裕がなかった。
だが、魔術師が全滅した時点で転移魔法の無効化が消え事実上包囲は解ける。
そのような状況でこのまま漫然と包囲を続けていては、目的が果たせないどころか、背後から強襲されるおそれが十分にある。
「おそらく他も我々と同じくらいの被害は受けていることだろう。不本意ではあるが、ここは一時撤退をして軍の立て直しをする必要がある」
「ベーシュ殿もそう考えているのは間違いない。そういうことであれば撤退命令が来てから右往左往し、他の部隊の足を引っ張ることがないように準備をしておくべきだろう」
包囲軍指揮官アーネスト・タルファが自軍の状況からすぐさま撤退の準備を開始させた。
だが、このときには肝心のベーシュはすでにこの世の住人ではなくなっており、幕僚たちも残らず司令官につき従っていたため、いつまで待ってもその命令はやってこない。
「やむを得ない。命令違反の咎は私が引き受ける。撤退を始めろ。先鋒はベルガ将軍。殿は私の直属部隊が引き受ける」
「撤退開始」
こうして、ノルディア軍の残存部隊はタルファの指揮で後退を始めた。
このような場合、通常、包囲戦を乗り切り勢いに乗った魔族軍の追撃戦が始まるものなのだが、今回はそれが起きなかった。
いや。
できなかったと言う方が正しいのかもしれない。
「隙だらけのようで実は隙が無い。撤退はまちがいなく本気だろう。だが、それが擬態と思わせるくらいの秩序と陣形が整っている。調子に乗って攻めに出たら籠城中の努力と苦労が無駄になりそうだ」
城内からノルディア軍の退却の様子を眺めていたプライーヤがそう言ってあっさりとは追撃を諦め、グワラニーとともにノルディア軍の退却を眺めていたペパスもこう呟き、追撃を戒めた。
「攻めは数さえ揃えれば勢いだけでも成功することもあるだろう。だが、このような不利な場面からの後退戦は違う。それこそ軍の率いる将の能力が如実に表れる。そして、あの軍を指揮するノルディアの将軍は相当優秀だ。そのような者が家に帰りたいというのなら、余計な手出しなどせずさっさとお帰り頂くべき」
だが、その直後、事態は一変する。
少し前に姿を現したパラトゥード将軍が率いる魔族軍クアムート増援部隊の本隊が荷駄隊の護衛をグワラニーたちに押し付けノルディア軍に追撃に移ったのである。
当然のように、グワラニーの部下たちは上前を撥ねるようなパラトゥードのおこないに怒り狂い、自分たちも追撃戦をおこなうべきと怒鳴りこむ。
だが、グワラニーはその要求を蹴り飛ばし、上官であるパラトゥードの指示どおり、彼らが放置した荷車とともに城内に入る。
むろん、損得を天秤に乗せるまでもなく、どちらにより利があるかを理解して。
そして、それは正解だった。
半ばあきらめていた援軍。
それが、やってきただけではなく、圧倒的多数のノルディア軍を目の前で粉砕してみせたグワラニーの部隊を城内の者たちが歓喜の声で迎える。
「救援感謝する。ペパス将軍」
その先頭で出迎えた守備隊長将軍プライーヤがまず手を差し伸べた相手は顔見知りのペパスだった。
当然である。
なにしろやってきた者の中で将軍の地位にあるのは、彼ひとり。
さらにいえば、例の事件が起こったとき、プライーヤはすでに籠城中であり、そのようなことが起こったことなど知らなかった。
だが、その事件の当事者であり、そのすべてを知っている相手は、「はい、そうですか」とそのままそれを受けとるわけにはいかない。
差し出された手を握り締めながらもペパスは苦笑いする。
「プライーヤ将軍。この部隊の指揮官は私ではない」
「もちろんパラトゥードということだろう。だが……」
「そうではない」
城主の言葉を遮ったペパスはさらに言葉を続ける。
「勅命も忘れて森に狩りに出かけたあの馬鹿などどうでもいい。私が言っているのは……」
そう言った将軍が視線で指し示したのは現在の彼の上官である騎士団長の地位にある男だ。
「現在は騎士団長の地位にあるグワラニー殿。彼が今回の策を立案しただけではなく、この部隊を率いて今回の驚くべき成功に導いた者。つまり、今回の戦いにおける一番の功労者。そして、現在私の上官にあたる人物でもある」
ペパスの簡素な紹介に続き、グワラニーが口を開く。
「お初にお目にかかります。この部隊の指揮官グワラニーです。プライーヤ殿の長期間にわたる粘り強い戦いぶりに感服しておりました。さらに助けを求める同胞を見捨てることなく受け入れたことは我が国の歴史に残る美談として語り継がれることでしょう。その閣下のお役に立てたこと、このグワラニー大変名誉に思います」
お世辞の域から一ミリたちともはみ出ることのないグワラニーの言葉。
そして、それから続く短い状況説明後、プライーヤが再び口を開く。
「とにかく助かった。たいしたものは出せないが歓迎の宴を開きたい。そして、グワラニー殿が今回使った策についてたっぷりと……」
「もちろんお話するのは構いません。ですが、その前に……」
最後の晩餐のためにとっておいた干し肉や酒を振舞うという城主のありがたい言葉を遮らなければならないほどグワラニーと彼の部下が必要としていたもの。
それは睡眠だった。
兵たちには輪番に仮眠時間は与えられてはいた。
だが、いつ敵が来るかもわからぬ戦場の真ん中で堂々と爆睡するウビラタンやバロチナのような神経の太い者は魔族の戦士といえどもそう多くはいない。
目的が完遂し満足感を得られたと同時に緊張の糸が切れ、先ほど追撃戦をおこなうなどと息巻いていたことが嘘のように急激に睡魔の虜となり倒れこむと、そのまま眠り込む兵士が続出する。
もちろんそれは最高幹部たちも同じである。
転移してからこれまで一睡をせず指揮を執り続けたグワラニーとバイアはプライーヤとの会話を最低限の報告で切り上げ用意された部屋に向かったものの、辿り着くことができず廊下で倒れ込む。
「やはり元文官。我々とは鍛え方が違う」
その様子を眺め、睡眠中のふたりに逆説的な皮肉を言ったペパスだったが、直後自らも電池切れを起こして誘われたように彼らの隣に座り込む。
さらに、威厳という言葉を具現化したような魔族の国最高の魔術師も用意された椅子に座ったとたんに人目を憚らずだらしなく寝入るという失態を演じる。
結局寝室で優雅に眠りについたグワラニー隊の幹部は副魔術師長である最年少のデルフィンただひとりであったという報告を受けた城主である男は思わず苦笑いする。
「ノルディア軍の奴らがこの様子だけを見たら涙を流して悔しがることだろうな。俺たちはこんな奴らに負けたのかと」
グワラニーの部隊による決定的な勝利によって別の意味での睡眠不足から解放されることになるプライーヤの言葉を待つまでもなく、それはまさにノルディア軍の指揮官ベーシュの見立てどおりの状況だった。
言い方を変えればベーシュは勝利を手にする目前まで辿り着いていたともいえる。
もっとも、あと半日でも戦いが延びればというその前提条件は、そうならないためにグワラニーは策を講じていたので起こるはずのないことではあったのだが。
その半日後。
つまり、その日の午後遅く。
もう少しだけ寝ていたいという欲求に打ち勝って起き出したグワラニーは改めて城主に面会する。
もうひとつの欲求である空腹の解消を兼ねて。
そして、それは城内の各所で起こっていた。
あちらこちらで催された小さな宴から聞こえる心地よい賑わいのなか、城主の男が口を開く。
「ところで、グワラニー殿」
プライーヤが食事に勤しむグワラニーに問うたのは狩りに出かけたまま戻らない者たちのことだった。
すべてを聞き終えたグワラニーが食事を中断して言葉を紡ぐ。
「……そうは言っても、将軍は私の上席。戻って来いとは命令はできません」
「だが、敵が逃げた先にあるオコカはノルディア軍の一大駐屯地となっているらしい。さすがに魔術師も連れずに出かけた三千の兵ではそれを打ち破るのは難しい。不必要な被害が出る前にこちらから声をかけ、パラトゥードが戻るきっかけを与えるべきではないのか?」
「いや。放っておいて構わん」
ふたりの話に割って入ったのはそのテーブルの先客でもある肉に食らいついていたその場にいたもうひとりの将軍だった。
「そもそも我々が王から与えられた任務はクアムートに食料を運び込むこと。そして、そこに加わっていたのは可能であれば民を連れ帰ることであり、奴らがおこなっている敗残兵を追い回すことなど王の命令にはない。それをあの愚か者はもっとも大事な荷物を放り出して……」
命令違反を犯した者は痛い目を見るべきだ。
ペパスの言葉はそう続いていたのはまちがいない。
「もっとも、オコカにどれほどの兵が駐屯しているのかは知らないが、敗走の勢いに飲み込まれ一緒に逃げだすかもしれんが」
「なるほど。たしかにそうですね」
……やはり物語と現実は違う。
……味方は皆優秀で、敵は皆無能。これが物語内の設定だ。だが……。
……あの敵将はかなりの者とのこと。それはペパスやプライーヤの言葉を聞けばわかる。
……こうでなければならない。そう。こうでなければ。
……掃きだめの鶴はいるのだ。




