その男は未来を知っている
指示通りに動けばこちらの大勝利と決まっている。
グワラニー司令官のこの言葉は傲慢以外のなにものでもないだろう。
新しく加わった兵の多くはそう思った。
なにしろ、敵は四万に対し、味方が鉱山労働者を加えても五千程度。
人間側の算定では魔族の兵は人間の兵の三人分、魔族自身の言葉を借りれば五人分。
だが、本当に五人分の力があったとしても、戦場に残るのは敵。
それでどうやって勝つのか?
計画の詳細を聞かされていない大部分の兵士たちはその答えを掘と柵に求めた。
この砦に籠り、そこで戦う。
これによって数倍の敵と対等に戦える。
たしかに理に適っている。
だが、戦いが始まると、彼らはその考えが間違い、というより、とんでもない見当違いであったことを悟る。
そう。
グワラニーは本当に勝つ算段をしていたのだ。
しかも、多くの道を用意し、どのようなルートを辿ろうとも。
そして、ノルディア軍による包囲から始まるその戦いは、グワラニーにとって一番望ましいものだった。
「始めろ」
グワラニーの視線を感じた魔術師長アンガス・コルペリーアのその言葉と共に霧が発生する。
魔法で天候操作は不可能。
これがこの世界における魔法の理のひとつとされている。
だが、理は絶対ではない。
なにしろ技術は進歩し続ける。
そして、現在は特別な才を持つ者限定ではあるものの、霧の発生が可能となっていた。
ただし、天候操作の魔法の現在までの到達点はそこまで。
それ以上に到達した者はまだいない。
そして、霧を発生させるこの魔法であるが、戦場で使用されたことは殆どなかった。
むろん、それを扱える者が少数であることや、その有効的な使用方法が確立していないということもその理由であるのだが、その霧が覆うことができる範囲が極めて狭いということが戦いの場で使用されない最も大きな理由となる。
だが、五千人ほどが立て籠もる陣地の広さであれば十分に覆うことができる。
むろん、霧の発生にノルディア軍将兵は驚く。
だが、その時には魔族軍の陣地の包囲は完成し、さらに、クアムート城におこなったものと同じように陣地周辺に魔法を張り、転移魔法による移動も封殺している。
つまり……。
「ただの悪あがき」
ノルディアの兵たちは口々に嘲りの言葉を口にする
そして、その勢いのまま、霧に包まれた魔族軍陣地へ突入する。
四方から一斉に聞こえるノルディア軍兵の怒号のような声を聞きながら、グワラニーはニヤリと笑う。
「かかった」
そう短い言葉とともに隣に立つバイアを見やると、相手はこう応じる。
「これで第一段階での我々の勝利が確定しました。ですが、このような状況で我々が霧を発生させたことに何かしらの罠の存在を考えなかったのでしょうか。ノルディア軍の上層部は」
バイアの問いにグワラニーはこう答える。
「奴らに我々の陣地をしっかり見せている。当然奴らは堀と柵を見た。そして、それこそがこちらの強みだと理解した。そして、あの程度の堀も柵も抜くのは簡単と言うのだ。だが、それこそがこちらの狙い」
「まあ、それがどのようなものかは奴ら自身の身をもって知ってもらうことにしようではないか」
霧の中に突入したノルディア軍。
その濃さは尋常ではなく、少し離れてしまうと前を歩く者も見失いそうになる。
だが、それでも進む足を止めない彼らの前に堀が現れる。
その先にうっすらと見えるのは柵の中で待ち構える魔族の兵士たち。
「この程度の堀と柵で我らを止められると思ったか」
「すぐにそこに行くぞ。待っていろ。魔族の馬鹿ども」
魔族の浅はかさを口々に嘲り、堀に躊躇いなく飛び込んだノルディア兵たち。
彼らはそこでようやく敷き詰められた藁の下に黒く粘りのある液体が溜まっていることを知る。
そして、そこから異臭が漂ってくることも。
もちろん彼らはその匂いが何かを知っている。
それは意図的に流さなければ、ここにあるはずのないもの。
「燃える泥。それに油か?」
「つまり、これは火計……」
「ま、まずいぞ……」
ようやく本当の罠の存在を気づいたものの、彼らは戻ることはもちろん、立ち止まることもできなかった。
まだそれを知らぬ後続の者たちが次々に堀に飛び込んできたのだ。
目の前で挑発する魔族の首を取ろうと目を血走らせながら。
だが、真っ先に堀に飛び込んだ彼らの不幸はここでは終わらない。
前に進むしかない彼らは油まみれのまま、どうにか堀から這い出したものの、今度は柵の手前から先に進めない。
これはアンガス・コルペリーアが展開させている結界の魔法の効果。
そして、ここでも油から逃げることに精いっぱいで先客が見えない壁に阻まれていることなど思いも寄らない者は次から次へと押し寄せる。
お互いの怒号が飛び交う大混乱の中、それはついにやってくる。
その始まりが魔族からやってきたものだったのか、それとも金属が擦れた時に偶然起こった火花から始まったのかはわからない。
だが、きっかけはどうあれ、溜まった油に火がついてしまえば、あとは一気に燃え広がるだけである。
荒れ狂う炎の中、火だるまになったノルディア軍兵士が次々と倒れる。
さらに、混乱のなか、「霧に紛れて魔族が多数自陣に紛れ込んでいる。注意しろ」という誰のものともわからぬ言葉があっという間に広がったノルディア軍は黒煙の中から現れた油まみれの味方を敵と間違え斬りかかるという凄惨な同士討ちも多数発生する。
そのような状況のなか、強靭な肉体を誇る人狼の中には霧の外に逃げる味方を斬り倒しながら逆に進み、炎の中に果敢に飛び込み、さらにグワラニーの指示によりアンガス・コルペリーアが意図的に緩めた結界を突破し魔族の陣まで到達出来た者があらわれる。
だが、そこで待っていたのは数多くの魔族の戦士だった。
普段なら魔族の戦士たちとも対等な勝負ができる人狼軍の兵士だったが手ひどい火傷を負っているうえに強力な結界を強引に通りぬけた代償をたっぷりと支払っている。
さらに多勢に無勢。
当然勝負になるはずもなく、簡単に斬り倒されていく。
むろん、魔族側に戦死者はいない。
霧が完全に晴れたとき、残されていたのはやってきた人狼軍の二割、その他も含めて二千ほどの死体とそれと同じくらいの数の動けぬ負傷者。
なんとか脱出できた者も大部分は何かしらの傷を負うという惨憺たる状況。
ノルディア軍の攻撃は完全な失敗に終わった。
つまり、魔族軍の圧勝。
いや。
完全勝利。
それは戦いが始まる前にグワラニーが口にした通りのあり得ぬほどの結果。
それからしばらく経った魔族軍陣地。
「死体は埋めるとして……」
予想外の大勝利に沸く兵たちとは対照的に渋い表情を崩さぬ将軍の地位のある男は隣に立つ若い男に呟くようにそう問いかけると、話しかけられた男がそれを遮るようにすぐさま言葉を返す。
「ちなみにペパス将軍は彼らをどうされるべきだと考えていますか?」
「もちろんすべて殺すべきでしょう。我々も、そして、相手もこれまで捕らえた敵はそうやってきたわけですから」
「……ですが、この様子ではグワラニー殿はその気はないということのようですね」
「まあ、最終的なことは決めていませんが、とりあえずはせっかく捕らえたのですから有効利用したいと思います。更なる勝利のために」
「更なる勝利?ですが、まずやることがこれなのですか?」
ペパスはそう言いながら疑わしそうに眺め直したのは、負傷した敵兵士を治癒魔法で次々に治していく人間種の少女の姿だった。
「いいのですか?本当に」
「もちろん。捕虜の処置を決める権限は指揮官にあるということが我が軍の軍律にありますので、法的に問題ありませんし、死んでしまっては利用価値がなくなりますから。それに、治療する前に拘束しているので恩を仇で返したくてもできません。ご安心を」
自らの疑念を晴らすその言葉に大きく頷いてからペパスは話を変えるように再び口を開く。
「それにしても魔術師長のお孫さんは本当に優秀ですな。戦場に女性、しかも、あのような幼い方を連れてくるのはいかがなものかと思っていましたが」
「そうですね。ですが、あの治癒魔法の能力は捨てがたい。今は敵に対しておこなっていますが、あの力は我々の今後に大いに役立つでしょう」
もちろんその言葉は嘘ではない。
治癒魔法。
この世界において、それは特別な魔法であった。
専門的な知識と経験がなければ、魔力を持っている者であっても使うことができない。
それがこの魔法に関する誰も逃れようもない理。
そして、現在負傷したノルディア軍将兵の手当をおこなうデルフィンは、祖父であるアンガス・コルペリーアによれば「医術に関する大いなる知識と経験がある。『死者を蘇らせろ』などという馬鹿げた要求でなければ大概の願いは叶う」という能力者だった。




