深淵を覗き見る者
一度大きく息を吐いたグワラニーは、目の前にいる純魔族の老魔術師を正視する。
「たしかに私とバイアはある計画を準備している」
「そして、それは陛下や総司令官たちには受け入れられないもの」
「そういうことでこれから聞いたことは他言無用でお願いしたい」
「承知した」
コルペリーアの言葉に頷くと、グワラニーは視線をバイアに向ける。
そして、無言の肯定を受けると、もう一度口を開く。
「先ほど師は言った。我々は勇者に勝てないと」
「そして、それについては我々も同意見。だが……」
「勇者に対しては弱者である我々も、それ以外の人間には強者であることは明らか」
「つまり、勇者との戦闘を避け、勝てる相手と戦う。そういうことか。だが、勇者がイペトスートにやってくるのは一年後。それまでにすべての人間の軍を殲滅するのは無理であろう。そもそもその弱い人間たちにも追い立てられているではないか」
「私は現実主義者を自認しております。さすがにそのような妄想を計画の根幹に据えることはありません」
「では、どのようなことかな」
「我々は剣でも魔法でも勇者に勝てない。さらにいえば、勇者一行には小細工使いまでいる」
「小細工使い?」
「年長の魔術師。彼は相当なやり手。こちらのつまらぬ策を逆手にとって盛大に勝利していることからあきらか」
「ですから、正攻法、奇策。そのどちらであっても我々が勇者に勝つことは叶わない」
「ここまでの話を聞けば我々に打つ手がないように思えます」
そこでグワラニーは視線をバイアに向けると、バイアは薄く笑ってそれに応じる。
「老師。我々と勇者一行を比較し、我々が優れている点はあるでしょうか?」
「ない。強いて上げれば数は多い。だが、それも彼我の力関係から考えればさほど有利になるとは思えぬ」
「そうですね」
「あとは?」
「思いつかぬ」
「何かあるのか?」
「はい」
自身の問いに返ってきたその言葉に疑わしそうな表情で応じた老魔術師は返答者の顔を見る。
「聞こう」
「それは……」
「寿命です」
「我々は彼らより三倍の寿命があります。つまり……」
「勇者一行の面々の寿命が尽き、この世を去ってから我々は反転攻勢に出ることが可能です。現状は劣勢ですが、勇者がいない人間の軍隊であれば勝つ手段はいくらでもあります」
「……なるほど。確かに筋は通っている。だが、その策には大きな穴がある」
「勇者の仲間の剣士、さらに銀髪の小娘は二十歳前後だと聞く。一番年長の男も三十歳は超えていないだろう。仮に奴らの寿命が六十歳とした場合、三十年や四十年は必要となる。だが、その勇者は目の前に迫っている」
「つまり、時間が足りないと?」
「そうなるな」
「なるほど。確かに」
だが、その言葉とは裏腹にグワラニーは満足そうに笑みを浮かべる。
そして。こう告げる。
「では、我々が必要としているその時間は自分たち自身でつくればいいでしょう」
「どうやって?」
「むろん、逃げるのです。具体的にいえば逃げ回る。転移魔法を使って」
「もしかして……」
そこまで聞いたところで老魔術師は悟り、呻き声を上げると、グワラニーの笑みは黒味を増す。
「そういうことです。我々が前線の後方に転移先を確保していたのは、現在おこなっている小細工をおこなうためだけではありません。いや。本当の目的は将来の布石。ですが、それに気づかれぬことを兼ねておこなった小細工は予想以上に成功を収め、敵も、そして、味方も我々が意図していたことに気づかない。そして、それはこのままで終わり、我々のおこないは忘れ去られる」
「むろん、我々の逃げる場所はこの世界のすべて。勇者一行がどれだけ優秀でも捕捉は不可能」
「そして、五十年後、やってくるのは勇者が消えた世界。残った同族を束ねて反抗に移る」
「むろん、その時に現在の勇者と同様の力を持つ新たな勇者が存在すれば、この策は失敗に終わります。ですが、人間の歴史を探し回ってもあれほどの力を持つ剣士も魔術師もいない。勝算はあると思います」
「尋ねる」
すべてを聞き終わったところでコルペリーアはそう言った。
自身もその悪事に加担するかどうかを決めるかを思索するかのような表情で。
「逃げ出すのは、勇者が王都に迫った時点ということになるのだろうが、その規模は?」
「我々が抱える魔術師が転移させられる限度いっぱい。千人」
「内訳は?」
「我が軍の兵士から選抜した百人、魔術師八十人。それからその家族。本来であれば、兵士だけで満たしたいところですが、戦意、それから補充の観点という点からも家族の同行は必須と考えます。当然後者を考えれば、選抜される兵士は能力が劣っても若い者。それから、家族に関しては、子供を持つ者を優先させます」
……まるで、ノアの箱舟。
心の中で自分自身の言葉に対してそう感想を呟いたグワラニーをコルペリーアは見やる。
「グワラニー殿が脱出した直後、イペトスートは陥落する。王や軍上層部はどうなると思う?」
「王都の運命をともにすると思います」
「それはグワラニー殿の望みか?」
……問い?いや。これは糾弾に近い物言い。
……だが、ここまで喋ったのだ。最後まで行くしかない。
グワラニーは絶対零度の冷たさを纏った表情をつくる
「……さすがですね」
「そのとおりです。それで、どうしますか?」
むろん、それは自分たちの企みに加わるかを確認したもの。
そして、グワラニーの想定では、保守的な老魔術師の答えは否、良くて中立。
だが……。
アンガス・コルペリーアの表情は明らかに肯定的なもの。
そして、やってきた言葉もそれと同じ。
「まあ、当然だろうな。ここまで周到な準備をしていざとなったところで頭に重いものを載せられたら構わんからな」
つまり、肯定。
さらにアンガス・コルペリーアの言葉は続く。
「つまり、王や軍幹部が全員消えた新生魔族の国の王にはグワラニー殿が就くということだな」
「……悪くない。ああ、悪くない」
「いいだろう。私と私の弟子はその計画に加わることにする」
何が悪くないのか?
もちろんこのときのグワラニーとバイアにはわからない。
だが、自国最高位の魔術師とその弟子の引き込みに成功したのは間違いない。
「では、よろしくお願いします」
「まずはマチンガ行きをお願いします」




