未来への布石
覇道への道。
だが、グワラニーの最初の一手はその言葉からは想像できないものだった。
グワラニーが誰もいない場所で「伏せカード」と呼んだそれは一見するとつまらぬ嫌がらせ。
よく言っても奇抜な小細工と言ったところであろう。
むろん、敵味方双方が困惑、そして嘲笑した。
だが、後年の評価は違う。
「グワラニーの初手。これひとつをとっても、アルディーシャ・グワラニーは、ただの戦争屋とは違う視野の広さと指向の奥深さを持っていることを示していると言っていいだろう」
この時代の出来事の概要を俯瞰的に見ることができる後世、その世界に存在する「統一戦史研究学会」の重鎮でフランベーニュ王国の大歴史家ショボニー・プラティエの言葉となる。
「すぐにでも動き、できるだけ多くの兵を狩る。それがほぼすべての将が初めて軍を率いるときに考えること。だが、グワラニーは、その先、いや、戦いの最終段階の道筋まで見据えてその初手を放った」
「そして、その初手がまさに最終的に決定的な一撃となった」
「しかも、その手が決定的な一撃になるということはその全貌が姿を現して初めてわかったもの。当然、当時の者は誰もその意図を誰もわからぬ。敵だけではなく味方である魔族の将も」
そう言ったショボニー・プラティエは大きく息を吐き、苦みの濃い笑みを浮かべた。
その言葉を直に聞いた弟子のひとりがそう記述している。
むろん、その苦みの核はこれから自国に次々と降りかかる悲劇と、その悲劇に自身が賞賛した男が深く関わっていること知っているからにほからならない。
そして、プラティエは自身の言葉をこう締めくくる。
「大国から現在のような矮小な国家に転落したフランベーニュにとっての最大の不幸は、アルディーシャ・グワラニーがフランベーニュではなく、魔族の国に生まれたことだ。もっとも、極端なまでの実力主義である魔族の国に生まれていなければ、アルディーシャ・グワラニーの才は開花しなかったのだろうが」
そう。
これは最高級の絶賛である。
そして、その戦争の全貌を知る者たちにとって共通の思いでもある。
この時代を振り返るとき、すべての者が最後にこう呟く。
グワラニーが自国に生まれていれば……。
さて、前段はここまでにして、後年の歴史家たちが感嘆するその驚くべき一手について述べよう。
現在は各国の軍に占領されているが、少し前まで魔族が支配していた地域。
そこに入植を始めた人間たちの間である噂が流れ始めたのは、グワラニーが行動を起こすと宣言してからしばらく経ってからのことだった。
曰く、この地で殺された魔族の幽霊が集団で現れる。
しかも、その噂は一か所ではなく多くの場所で同時進行的に起こる。
だが、為政者たちは当初その噂に関わることを避けた。
相手は邪悪な存在である魔族。
それくらいのことがあってもおかしくない。
それがその理由だった。
もっとも、それは表向きのことであり、本当の理由は別にあった。
自分たちが行動を起こせば話が大きくなり、せっかく軌道に乗り始めた入植事業に支障を来たす。
それは、進軍の足枷となっている物資輸送、その際たるものである食料を本国からの送り届けなくても済み進軍速度の大幅な改善が可能となる画期的な現地調達計画に影響する。
もちろん入植計画の遅延が悪影響を及ぼすのはそれだけではない。
それはもう少し先の、国家にとって非常に大事な話についてだ。
入植者がいるということはそこがその国のものであることを証することになり、魔族との戦いが終了後おこなわれる領地分配交渉時に有利に働く。
逆に言えば入植者がいなければ必ずしも自国のものになるとは限らないということだ。
つまり、入植事業の失敗は魔族領に侵攻しているライバルたちに多くの意味で後れを取ることと同義語であり、絶対に許されないことなのだ。
そのような口には出せない事情により、とりあえず聞こえなかったふりをして放置することにした為政者たちが幽霊の行動に不審を抱き始めたのは、幽霊たちがかなりの距離を歩いて移動しているという報告を受けてからである。
しかも、次々と入る報告を注意して眺めれば、その幽霊たちは間違いなく各国の王都に向けて進んでいる。
「これは形を変えた魔族の反撃かもしれない」
そう主張する者も出始め、念のためという言葉をつけて渋々討伐を兼ねた調査に乗り出した。
だが、相手は……。
その存在が確認できるかどうかわからぬ段階で消えてしまう。
まさに幽霊。
当然有効な対処はできない。
結局これまでと同じように幽霊の動きを注視するということで決着することになった。
それからしばらく経ったある日。
魔族の国の王都郊外の屋敷。
その執務室でグワラニーがバイアに言葉をかける。
「どうやら奴らは幽霊を放置することにしたらしい」
皮肉をたっぷりと利かせてグワラニーが聞かせた妙な噂として人間たちが支配する各国の都で流れているというその情報にバイアは大きく頷く。
「それは大海賊ワイバーンからの情報ですか?」
「……その通り。情報料は高かったが、その速さと内容を考えれば、支払うだけの価値はあるだろう?」
敵国の王都に流れる噂話。
それをグワラニーがこうも早く手に入れている。
それが得られるルートである、魔族の唯一の交易相手で、魔族の国で産出された金や銀で人間社会の貨幣がつくられ経済が回っているというこの世界の歪な現象を成立させている組織の名をバイアが口にすると、グワラニーはそう応じた。
「まあ、捕まえることができず、そうかと言って失敗を認めるわけにはいかない以上、奴らとしてはそうするしかないだろう。だが……」
「私の計画の根本となるこの作業の最中に邪魔が入ったらどうしようかと少し心配していたというのが本音だ。だが、どうやら気づかれずにすべてが完了できそうだ。もちろんありがたいことではある。だが、これだけ盛大に祭りを開催しているのにこちらの目的に辿り着く者がいないとは人間側も案外できる人材がいないようだな」
「そうですね。つまり、勇者がいるかいないか。それが人間と我々が置かれた状況の原因というわけですか?」
「どうやらそうなるな」
楽しそうに会話する人間の姿をしたふたりの魔族。
そう。
もちろん、このふたりこそ今回の幽霊騒動の張本人。
そして、ふたりがこの幽霊騒動を起こした目的。
それはこれから始まる戦い、その多くの場面で核となるある上級魔法を有効にするための準備だった。
転移魔法。
その名のとおり、この魔法は、ある場所から一瞬で他の場所へ移動できる便利なものである。
だが、その代償として多くの枷がつく。
そのひとつがそれを発動させるために絶対にクリアしなければならない条件の存在。
術者が転移先の地に足をつけたことがあること。
それはすなわち未知の場所への移動にはこの魔法は使えないことも意味し、強大な魔法を使える魔術師を抱える勇者一行が時間をかけて魔族領を徒歩で移動しているのもこのためである。
旧魔族領だけではなく元からの人間領、それどころから魔族領に侵攻している四か国の都周辺にまで多数の印がつけられたグワラニー謹製の大きな地図をテーブルの上に広げたバイアがもう一度口を開く。
「各地を放浪した経験を持つ老魔術師たちの協力もあり、まもなく我々が抱える魔術師は旧魔族領にある町の大部分に転移できるようになります。人間領のすべての地点も同じようになるにはもう少し時間がかかりますが、まあ、予定通りといえるでしょう」
「結構だ」
バイアの言葉にグワラニーは満足するように頷き、それから少しだけ言葉を添える。
「我々の部隊は規模も小さく実績もないため将軍たちにとっては員数外中のそのまた員数外的な存在。しかも、王に提案した策も嘲笑されるだけで見向きもされない。だが、戦力と見なされていないため訓練と準備に十分な時間が取れる。皮肉なものだが、その利点は大いに活用させてもらおうではないか」
そして、さらに時間が過ぎ、彼らが必要としていた準備がすべて終わった日の二日後。
遂に始まる。
それが。




