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追憶のソルフェージュ〜永久より長い一瞬の中で~  作者: 益川屋兵右衛門


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2/5

第一話 ― Andante ~告げられた旋律~ ―

夢を見ていた気がする。


桜が舞っていた。


春の空の下。


誰かが笑っていた。


だけど、その顔だけはどうしても思い出せない。


遠ざかる。


少しずつ。


音も。


景色も。


何もかもが。


やがて。


白い光だけが残った。


     ◇◇◇◇


目を開ける。


真っ白な天井が見えた。


知らない天井だった。


消毒液の匂い。


機械の電子音。


カーテン越しに差し込む夕陽。


そこでようやく気付く。


病院だ。


「……あれ」


喉が渇いていた。


身体も妙に重い。


起き上がろうとして、すぐに諦める。


力が入らなかった。


「裕亮くん」


聞き慣れた声がした。


視線を向ける。


ベッドの横には倉沢秋帆が立っていた。


制服姿のまま。


心配そうな顔をしている。


「秋帆?」


「良かった……」


秋帆はほっとしたように胸を撫で下ろした。


「突然倒れたから」


「俺、倒れたのか」


「覚えてないの?」


「途中から全然」


正直、自分でも驚いていた。


確か授業中だったはずだ。


そこまでは覚えている。


だけどその先がない。


まるで記憶が切り取られたみたいだった。


「奈津実は?」


そう尋ねると、秋帆は少しだけ視線を逸らした。


「高野さんなら、さっきまでいたよ」


「さっきまで?」


「先生に呼ばれて」


何だか歯切れが悪い。


その反応が少し気になった。


「大げさだな」


冗談のつもりで言う。


だが秋帆は笑わなかった。


「みんな心配したんだよ」


「悪い悪い」


「そういうところ」


「え?」


「無理するところ」


秋帆は少し怒ったような顔をした。


珍しい。


普段は温厚な人間だ。


だからこそ余計に意外だった。


「最近、顔色も良くなかったし」


「そうだったか?」


「そうだったよ」


即答だった。


俺は苦笑する。


自覚はなかった。


多少疲れているくらいの感覚だったからだ。


「とりあえず検査だって」


「検査?」


「うん」


そこで会話が途切れた。


秋帆は何か言いたそうだった。


けれど結局何も言わなかった。


     ◇◇◇◇


同じ頃。


診察室。


奈津実と陽香は椅子に座っていた。


向かい側には担当医。


机の上には何枚もの検査結果。


部屋の空気は重かった。


異様なほどに。


「先生」


陽香が小さな声で言う。


「兄さんは……」


その続きを言えない。


医師は静かに息を吐いた。


そして言う。


「まず、落ち着いて聞いてください」


奈津実は拳を握った。


嫌な予感がしていた。


病院へ運ばれてからずっと。


胸の奥で鳴り続けていた警鐘。


それが現実になろうとしている。


「現在の状態ですが――」


医師の説明が始まる。


聞き慣れない専門用語。


難しい検査結果。


だけど。


最後の一言だけは。


二人にも理解できた。


陽香の肩が震える。


奈津実は唇を噛み締めた。


言葉が出なかった。


出せなかった。


あまりにも突然だったから。


あまりにも残酷だったから。


     ◇◇◇◇


病室へ戻る途中。


陽香は涙を堪えていた。


泣いてはいけない。


そう思った。


泣いたら。


認めてしまう気がした。


兄の現実を。


「陽香」


奈津実が声をかける。


「……うん」


「ヒロにはまだ言うなってさ」


「分かってる」


「言えるわけないよね」


その声は震えていた。


奈津実も必死だった。


陽香は知っている。


幼い頃から。


奈津実がどれだけ裕亮を大切に思ってきたのか。


全部知っている。


だからこそ辛かった。


二人とも。


まだ高校生なのだ。


こんな現実を受け止めるには若すぎた。


     ◇◇◇◇


病室の窓から夕焼けが見えた。


赤い光が街を染めている。


俺はその景色を眺めていた。


綺麗だと思った。


ただ、それだけだった。


まさか。


この時の俺は知らない。


自分の未来(あした)が。


少しずつ終わりへ向かっていることを。


知らなかった。


病室の扉が開く。


振り返る。


そこには陽香と奈津実がいた。


二人とも笑っていた。


いつも通り。


本当に。


いつも通りだった。


だから俺は気付かなかった。


その笑顔の奥に隠された感情(おもい)に。


そして。


その日から。


俺たちの季節(じかん)は静かに動き始める。


まるで誰にも聞こえない旋律のように。


ゆっくりと。


確実に。


終わりへ向かって。


――第二話「Moderato ~帰れない放課後~」へ続く。

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