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追憶のソルフェージュ〜永久より長い一瞬の中で~  作者: 益川屋兵右衛門


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第十四話 ― Nocturne ~月下の告白~ ―

夏休みも中盤に差し掛かっていた。


毎日暑かった。


朝から蝉が鳴く。


青空が広がる。


入道雲が浮かぶ。


どこを見ても夏だった。


だけど。


わたしたちの時間は少しだけ違っていた。


夏を楽しんでいる。


笑っている。


遊んでいる。


それなのに。


心のどこかで常に不安を抱えている。


そんな夏だった。


     ◇◇◇◇


その日。


わたしたちは秋帆さんの家へ集まっていた。


名目は勉強会。


夏休みの課題を終わらせるためだ。


リビングには参考書や問題集が並んでいる。


けれど。


開始から一時間もしないうちに。


「無理」


奈津実さんが机へ突っ伏した。


「早いです」


わたしが言う。


「脳が拒否してる」


「まだ英語ですよ」


「だからだよ」


秋帆さんが苦笑する。


兄さんも笑った。


「奈津実らしいな」


「ヒロに言われたくない」


「俺はちゃんとやってる」


「三十分前から同じページ見てたけど」


「細かいな」


部屋に笑い声が広がる。


その空気が好きだった。


みんなが笑っている時間が。


     ◇◇◇◇


昼休憩になった。


秋帆さんがお茶を淹れてくれる。


窓の外では蝉が鳴いていた。


兄さんはソファに座っている。


少し疲れているようにも見えた。


だけど本人は気付かれたくないのだろう。


いつも通り笑っていた。


「そういえば」


秋帆さんが言う。


「今週のお祭り、みんな行くよね」


「もちろん」


奈津実さんが即答する。


「行かない理由がない」


「兄さんは?」


「行く」


「即答ですね」


「屋台あるし」


「食べ物目当て」


「否定できない」


そんな会話が続く。


誰も病気の話をしない。


自然と避けている。


でも。


避けているからこそ分かってしまう。


みんな同じことを考えているのだと。


     ◇◇◇◇


数日後。


夏祭り当日。


夕暮れの空は茜色だった。


神社へ続く参道は人で溢れている。


提灯の灯り。


屋台の匂い。


祭囃子。


夏そのものだった。


     ◇◇◇◇


「待たせた!」


奈津実さんが駆けてくる。


浴衣姿だった。


紺色の生地に朝顔の模様。


よく似合っている。


「遅いです」


わたしが言う。


「五分だけ!」


「遅刻です」


「厳しい!」


兄さんが笑った。


「相変わらずだな」


「ヒロが言う?」


「俺は時間通り」


「奇跡だね」


     ◇◇◇◇


秋帆さんも浴衣だった。


淡い水色。


落ち着いた色合い。


委員長らしいと思った。


「似合ってます」


わたしが言う。


秋帆さんは少し照れたように笑う。


「ありがとう」


その横顔を見ながら。


ふと思う。


秋帆さんも。


きっと兄さんのことが好きなのだろう。


     ◇◇◇◇


参道を歩く。


兄さんは焼きそばを買う。


奈津実さんはたこ焼き。


秋帆さんはりんご飴。


わたしはみたらし団子。


前のお祭りと変わらない。


だけど。


心だけは違っていた。


     ◇◇◇◇


奈津実さんは兄さんを見ていた。


ずっと。


気付かれないように。


でも。


わたしには分かる。


長い付き合いだから。


幼馴染だから。


きっと奈津実さん自身も気付いている。


その感情が何なのか。


     ◇◇◇◇


奈津実視点


――好きなんだと思う。


昔から一緒だった。


当たり前みたいに隣にいた。


だから気付かなかった。


幼馴染だからだと思っていた。


家族みたいなものだと思っていた。


でも違った。


病院で。


先生の話を聞いた時。


怖かった。


失いたくないと思った。


それは幼馴染だからじゃない。


もっと特別な感情だった。


     ◇◇◇◇


秋帆視点


――好きになってはいけないと思っていた。


委員長として。


友達として。


それで十分だった。


だけど。


気付いてしまった。


放課後の教室で。


ピアノを弾く姿を見た時。


病院で笑う姿を見た時。


自分の心が動いていることに。


だけど。


言えるはずがなかった。


奈津実さんもいる。


陽香ちゃんもいる。


何より。


今はそんな時じゃない。


     ◇◇◇◇


陽香視点


――わたしはもっと駄目だ。


誰にも言えない。


兄さんが好きだなんて。


家族としてじゃない感情だなんて。


絶対に言えない。


言ってはいけない。


だから笑う。


妹として。


今まで通り。


ずっと。


     ◇◇◇◇


祭りは続く。


射的。


金魚すくい。


くじ引き。


どこへ行っても人が多い。


みんな笑っている。


兄さんも笑っている。


その笑顔を見るたびに。


三人とも同じことを思っていた。


失いたくない。


ただそれだけを。


     ◇◇◇◇


夜。


花火大会が始まった。


河川敷には大勢の人が集まっている。


空には満月。


川面には提灯の光。


夏の夜だった。


     ◇◇◇◇


最初の一発が上がる。


ドン――


大輪の花が咲く。


赤。


青。


金。


夜空が染まる。


歓声が上がる。


     ◇◇◇◇


兄さんは空を見上げていた。


子供みたいな顔で。


純粋に花火を楽しんでいる。


その横顔を。


奈津実さんも。


秋帆さんも。


わたしも見ていた。


     ◇◇◇◇


誰も言葉にしない。


できない。


言った瞬間。


何かが変わってしまいそうだったから。


     ◇◇◇◇


花火は次々と打ち上がる。


夜空を彩る光。


消えていく光。


まるで。


人の想いみたいだった。


綺麗で。


儚くて。


手が届かない。


     ◇◇◇◇


「綺麗だな」


兄さんが呟く。


「うん」


奈津実さんが答える。


「綺麗ですね」


秋帆さんも言う。


「はい」


わたしも頷く。


その瞬間だけ。


四人の気持ちは同じだった。


     ◇◇◇◇


夏の夜風が吹く。


花火の音が響く。


誰も知らない。


この胸の奥にある感情を。


誰にも言えない想いを。


     ◇◇◇◇


人は時として。


伝えないことを選ぶ。


傷付けたくないから。


壊したくないから。


守りたいものがあるから。


わたしたちもそうだった。


     ◇◇◇◇


好きだった。


みんな。


それぞれ違う形で。


同じ人を。


だけど。


その想いは月明かりの下に沈んでいく。


夜空へ消える花火みたいに。


静かに。


誰にも届かないまま。


     ◇◇◇◇


そして夏は続いていく。


残された時間を刻みながら。


少しずつ。


少しずつ。


運命の旋律を進めながら。


夜空では最後の大輪が咲いた。


眩しいほど美しく。


そして。


胸が痛くなるほど儚く。


――第十五話「Requiem ~告げられた期限~」へ続く。

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