第十話 ― Intermezzo ~静寂の前奏~ ―
ゴールデンウィーク最終日。
その言葉だけで、少しだけ胸が重くなる。
長かったようで短かった連休。
でも確かに、たくさんのことがあった。
病院から戻ってきて。
地元のお祭りへ行って。
買い物をして。
勉強会をして。
そして今日。
最後の日。
◇◇◇◇
「ヒロ、遅い」
玄関を開けると、奈津実が腕を組んで立っていた。
「まだ約束時間前だろ」
「十分前行動」
「それもう癖だな」
「いいじゃん」
奈津実は笑う。
その顔を見ると、少しだけ安心する。
今日は奈津実の部屋で過ごすことになっていた。
特に理由はない。
ただ「ゴールデンウィーク最終日だしダラダラしよう」というだけの提案だった。
それが奈津実らしいと思った。
◇◇◇◇
部屋は相変わらず散らかっていた。
「片付けろよ」
「無理」
「即答かよ」
「生活スタイル」
「開き直るな」
俺は床に座る。
奈津実はベッドに寝転がる。
天井を見上げる。
何もしていない。
本当に何もしていない。
それなのに。
妙に落ち着く時間だった。
◇◇◇◇
「ゴールデンウィーク終わるの早かったな」
奈津実がぽつりと言う。
「長かっただろ」
「いや、体感」
「まあ分からんでもない」
窓の外では、風が揺れていた。
少し曇った空。
連休の終わりにふさわしいような、曖昧な天気だった。
「ヒロさ」
「ん?」
「退院してからさ」
奈津実は天井を見たまま続ける。
「ちゃんと戻ってきた感じする?」
少しだけ間があった。
「分からん」
正直な答えだった。
「前と同じなのかも分からんし」
「うん」
「違うのかも分からん」
「うん」
奈津実は何も言わなかった。
ただ静かに聞いていた。
◇◇◇◇
部屋にはテレビがついている。
でも音は小さい。
意味のないバラエティ番組。
誰も見ていない。
ただ流れているだけ。
「なあ」
俺が言う。
「んー?」
「こういうの、悪くないな」
「何が?」
「何もしない時間」
奈津実は少しだけ笑う。
「ヒロらしい」
「どういう意味だよ」
「褒めてる」
「本当か?」
「多分」
曖昧な返事だった。
でもそれでいい気がした。
◇◇◇◇
しばらく沈黙が続く。
時計の音だけが聞こえる。
カチ、カチ、と。
やけに大きく感じる。
「ねえ」
奈津実が突然言う。
「ん」
「もしさ」
「うん」
「ずっとこういうの続いたらどう思う?」
「何が」
「こういう日常」
少し考える。
答えはすぐに出なかった。
「悪くはない」
それが本音だった。
「でもさ」
俺は続ける。
「ずっとは無理だろ」
「なんで?」
「飽きる」
「即物的」
「現実的と言え」
奈津実は笑った。
その笑い方は少しだけ寂しそうだった。
◇◇◇◇
窓の外を見る。
雲が流れている。
ゆっくりと。
確かに時間は進んでいる。
止まっているようで。
ちゃんと動いている。
「ヒロ」
「ん?」
「今日さ」
奈津実は少しだけ声を落とす。
「何かあったら言ってね」
「何もねえよ」
「そういうのじゃなくて」
「じゃあ何だよ」
「……なんでも」
その言葉の意味は分からなかった。
でも。
深くは聞かなかった。
◇◇◇◇
夕方。
外が少しだけ赤くなる。
そろそろ帰る時間だった。
「じゃあな」
「うん」
「また明日」
「うん」
玄関の前。
奈津実は少しだけ黙る。
「ヒロ」
「なんだよ」
「別に」
「なんだそれ」
「呼んだだけ」
「意味わからん」
それでも。
そのやり取りがいつも通りで。
少しだけ安心した。
◇◇◇◇
帰り道。
風が強かった。
五月の終わり。
ゴールデンウィークが終わる音みたいだった。
街はいつも通り。
人は普通に歩いている。
何も変わらない。
でも。
どこかだけ違って見えた。
◇◇◇◇
人は日常を繰り返す。
何も考えずに。
何も疑わずに。
でも時々気付く。
その日常が永遠ではないことに。
だからこそ。
何気ない時間が少しだけ愛おしくなる。
奈津実の部屋で過ごした時間もそうだった。
何もしていない。
ただ話して。
ただ寝転がって。
ただ笑っていただけ。
それだけなのに。
妙に残っている。
◇◇◇◇
夜。
空を見上げる。
雲が流れている。
星は少ない。
でも確かにそこにある。
ゴールデンウィークは終わった。
日常が戻る。
学校が始まる。
いつもの生活に戻る。
そして。
何かがまた少しずつ動き出す気がした。
理由は分からない。
でも確かに。
静かな前奏が終わりを迎えようとしている。
そんな気がした。
◇◇◇◇
――第十一話「Crescendo ~崩れ始める日常~」へ続く。




