第三十話:黄金の戴冠と完璧なる箱庭
聖アークライト暦九九五年、三月。
建国当初から続く王立アカデミーの大講堂には、五百年前のステンドグラスから色とりどりの春の光が差し込んでいた。
天井のドームに響き渡るパイプオルガンの重厚な音色は、私たち卒業生の門出を祝う、荘厳なる賛美歌である。
私、セレフィナ・ド・ラ・マルクは、卒業生代表として最前列の赤いベルベットの席に座り、完璧な淑女の微笑みを浮かべて壇上を見つめていた。
「……卒業生代表、並びに次期王妃、セレフィナ・ド・ラ・マルク公爵令嬢。前へ」
進行役を務めるのは、学園を卒業し、すでに王宮で王太子直属の内務補佐官として辣腕を振るっているルードヴィヒだった。
彼の声には一切の私情がなく、ただ私という絶対的な支配者に対する、完全なる恭順の意だけが込められている。
私は立ち上がり、擦過音一つ立てずに大理石の床を歩み、壇上へと進み出た。
「三年間の学園生活を通し、わたくしたちは己の身分に恥じぬ知識と、国を背負うための覚悟を学んでまいりました」
私の澄み切った声が、静まり返った大講堂の隅々にまで響き渡る。
「これより先、わたくしたちはそれぞれの立場でアークライト王国のために身を捧げることとなります。……どうか皆様、この学園で培った秩序と誇りを胸に、輝かしい未来を共に創り上げてまいりましょう」
私が深く一礼すると、割れんばかりの拍手が大講堂を揺らした。
壇上から見下ろす景色は、まさに壮観だった。
かつて私を恐れ、あるいは嫉妬の目を向けていた令嬢や子息たちは、今や一人残らず、私に対して絶対の忠誠と畏怖を抱いて拍手を送っている。
(……ふふ。本当に、美しい景色ですこと)
私は扇の陰で、静かに歓喜の息を吐いた。
ふと、私の脳裏に、マリーから昨夜受けた最新の報告が蘇る。
かつて私の箱庭を荒らそうとした、愚かな「異物」たちの現在の姿。
クロエ・バリントン。
自分の感情だけを正義だと信じ、無知ゆえに王太子に近づいたあの泥棒猫は、男爵家から除籍され、今は王都の片隅の貧民街でその日暮らしをしているという。
彼女がかつて誇っていた「純粋さ」は、日々の過酷な労働と飢えの前にすり減り、今では泥にまみれたただの惨めな娘へと成り果てているそうだ。
ベアトリクス・フォン・ロズワール。
偽善の慈悲で私を非難し、王妃の座を狙ったあの白き毒薔薇は、実家の没落と共に辺境の修道院へと送られた。
一生を祈りの中だけで過ごす幽閉生活の中で、彼女のかつての美貌もプライドも完全に色褪せ、今はただ忘れ去られた過去の遺物として朽ち果てようとしている。
そして、カイン・ド・バルカ。
力で全てを奪おうとしたあの野蛮な獅子は、二年に及ぶ泥沼の内乱の末、ついに異母兄を討ち取り、血塗られた皇帝の玉座を手に入れた。
だが、彼が手にした帝国は、内戦で国土が荒廃し、復興支援という名目で『ラ・マルク基金』に莫大な借金を抱えた、事実上の経済的属国である。
彼は皇帝の冠を被りながら、一生、私が握る見えない首輪に繋がれたまま、アークライト王国の利益のために飼い殺される運命にある。
(誰もが自らの愚かさの代償を払い、わたくしの用意した結末へと美しく収束していったわ)
卒業式の式典が終わり、最後にアルフレート殿下が壇上へと歩みを進めた。
彼は卒業生たちを見渡し、王太子としての威風堂々たる態度で宣言した。
「この三年間、私たちは共に切磋琢磨し、多くの困難を乗り越えてきた。……そして私は、次期王妃となるセレフィナ・ド・ラ・マルクと共に、この国をかつてない黄金時代へと導くことを、ここに誓おう!」
殿下の力強い言葉に、大講堂は再び熱狂的な拍手と歓声に包まれた。
殿下は振り返り、私に向けて愛と信頼に満ちた、眩しいほどの笑顔を向けた。
私はその笑顔に、完璧な慈愛の微笑みで応えた。
彼は、自分がこの国を導いていると信じて疑わない。
私の冷徹な正論と計算によって舗装された道を、ただ真っ直ぐに歩いているだけだということに、生涯気づくことはないだろう。
その夜、王宮のバルコニーから、春の夜風に吹かれながら王都の煌びやかな夜景を見下ろしていた。
「……セレフィナ。君の隣にいられる私は、世界で一番の果報者だ」
アルフレート殿下が私の背後からそっと抱きすくめ、私の銀髪に口づけを落とした。
「殿下。わたくしも、殿下の永遠の伴侶となれることを、心から誇りに思いますわ」
私は殿下の腕の中で、誰にも見えないように冷たく、そしてどこまでも甘美な笑みを深めた。
前世で社会の荒波に揉まれ、この世界で七歳にして過酷な運命に気づいた日から、ずっと歩み続けてきた血の滲むような道。
地獄のような教育、冷徹な経済支配、あるいは愚か者たちへの容赦のない排除。
全ては、この瞬間を手に入れるためのものだった。
「……これで、わたくしの箱庭は完成ですわ」
夜空に輝く星々は、まるで私の完全なる勝利を祝福しているかのように瞬いている。
魔法など存在しないこの現実の世界で、私は知略と権力という名の最強の武器を用い、見事に「完璧なる悪役令嬢」としての生を全うしたのだ。
私の掌の上で踊る、美しい操り人形たち。
国も、王家も、かつての敵すらも、全ては私のために存在する。
「愛しておりますわ、アルフレート殿下。……永遠に、わたくしの箱庭の中で、美しく輝いていてくださいませね」
夜風に溶けた私の囁きは、この世界を支配する絶対的な女王の、最も残酷で、最も幸福な戴冠の宣誓であった。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。




