第二十一話:枯れゆく白薔薇と黄金の檻
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聖アークライト暦九九三年、十月。
王立アカデミーの広大な庭園は、燃えるような紅葉に彩られ、秋の深まりを告げていた。
私は学園のサロンに設けられた最も格式高い特等席で、婚約者であるアルフレート殿下と向かい合い、香り高いアールグレイの紅茶を楽しんでいた。
「……本当に、君の言う通りだったよ、セレフィナ」
殿下はティーカップをソーサーに置き、私に向けて深く、安堵に満ちた微笑みを向けた。
「東の商業連邦との交渉だが、君が事前に提案してくれた関税の優遇措置を提示したところ、彼らは喜んで我が国との長期的な軍事同盟の継続にサインをした。……君の先を見通す目には、王太子である私ですら感嘆するばかりだ」
「もったいないお言葉でございます、殿下。わたくしはただ、殿下の御代が永遠に豊かで平和であるための、ささやかな道筋を提案したに過ぎませんわ」
私は扇を胸元で静かに広げ、謙虚な聖女の笑みを浮かべた。
殿下は今や、私が進言するあらゆる政策や助言を「国家のための絶対的な正解」として受け入れ、私への精神的な依存を確固たるものにしている。
星祭りの夜、ベアトリクスが提示しようとした「偽造書類」の件も、私が先手を打って陛下と殿下に「反逆の証拠」として報告したことで、ロズワール家への不信感は決定的なものとなっていた。
「……殿下、セレフィナ様」
私たちの穏やかな時間を切り裂くように、力なく、しかしどこか必死さを孕んだ声が響いた。
サロンの入り口に立っていたのは、純白のドレスに身を包んだベアトリクス・フォン・ロズワールだった。
だが、彼女が纏うそのドレスは、以前のような最新の流行を取り入れた豪奢なものではなく、数年前の仕立てを丁寧に直して着ていることが、私の目には一目で分かった。
「……ベアトリクス嬢。何か用だろうか。私たちは今、重要な国政の話をしていたところだが」
アルフレート殿下の声には、かつて彼女に向けていたような「優しさ」や「配慮」は欠片もなく、ただ冷ややかな王太子としての威厳だけが響いていた。
ベアトリクスは殿下の冷たい態度に微かに肩を震わせたが、意を決したように私たちのテーブルへと歩み寄り、深く頭を下げた。
「突然の無礼を、どうかお許しくださいませ、殿下。……実は、我がロズワール侯爵領の民たちが、今、未曾有の苦境に立たされているのです」
彼女は顔を上げ、憂いを帯びた青い瞳に涙を浮かべて殿下を見つめた。
「今年の秋、我が領地の特産品である絹織物と果実が、王都の市場で全く買い手がつきません。そればかりか、流通を担う商会が突如として取引の停止を通告してまいりました。……このままでは、領民たちは冬を越すための資金を得られず、凍え死んでしまいます!」
彼女の悲痛な訴えに、サロンの空気がピンと張り詰めた。
「どうか殿下、王家からの特別救済金と、悪徳商会への指導をお願いできないでしょうか。……慈悲深き殿下であれば、我が領民の苦しみを見過ごすようなことはなさいませんよね?」
ベアトリクスは涙の粒を頬に伝わせ、「慈悲」という彼女の最大の武器を使って、殿下の同情を引こうと必死に訴えかけた。
(……ふふ。随分と見苦しい足掻きですこと)
私は内心で冷たい嘲笑をこぼした。
ロズワール領の特産品が売れないのも、商会が取引を停止したのも、全て私が数ヶ月前から密かに仕掛けていた「経済封鎖」の結果である。
私が投資し、掌握した物流網と市場の価格操作によって、ロズワール侯爵家の資金源は完全に干上がっているのだ。
私は殿下がどのような反応を示すか、扇の陰から静かに見守った。
「……ロズワール侯爵令嬢」
アルフレート殿下は、彼女の涙に全く動揺することなく、氷のように冷たい声で答えた。
「領民が困窮しているのは、誠に痛ましいことだ。……だが、それは王家の責任ではなく、領地を預かる侯爵家の『怠慢』と『無策』の証ではないのか?」
「え……? 殿下……?」
ベアトリクスは、予想外の冷酷な返答に目を丸くし、呆然と殿下を見つめ返した。
「商会が取引を停止したのは、貴家が時代遅れの特権に固執し、市場の適正価格を無視して暴利を貪ろうとした結果だと報告を受けている。……自らの経営の失敗を、王家の『慈悲』という名目で国庫に尻拭いさせようとは、あまりにも虫が良すぎるのではないか」
殿下の言葉は、私が常日頃から彼に説いていた「冷徹な政治的な合理性」そのものだった。
「そ、んな……! 我々はただ、古き良き伝統を守り、適正な価値を……!」
「伝統は、民の腹を満たしませんわ、ベアトリクス様」
私はここで初めて口を開き、絶対的な高位者としての冷ややかな視線を彼女に向けた。
「貴女は『慈悲』という美しい言葉でご自身の無能を隠そうとしておいでですが。……領民を飢えさせるような領主は、慈悲を語る資格すらございません。王家からの救済金を乞う前に、まずはご自身の侯爵家の無駄な虚飾を売り払い、領民の救済に充てるのが貴族の義務ではありませんの?」
私の逃げ場のない正論が、彼女の息の根を完全に止めた。
「セレフィナの言う通りだ。……ロズワール侯爵家には、早急に領地経営の改善計画を提出するよう、宰相を通して命じておく。それまでは、王家からの支援は一切ないものと思え」
殿下が最終的な死刑宣告を下すと、ベアトリクスはその場に糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
「あ、ああ……。そんな……」
彼女の青い瞳からは、偽善の輝きが完全に失われ、圧倒的な絶望だけが広がっていた。
私は、その無残な姿を冷酷に見下ろしながら、極上の愉悦を味わっていた。
剣や魔法など使わずとも、見えない経済の糸で首を絞め、最後は彼らが最も縋りたかった「王太子の口」から絶望を突きつけさせる。
これこそが、私の構築した完璧な盤面なのだ。
「……お引き取りください、ベアトリクス様。殿下の貴重なお時間を、これ以上無駄になさらないように」
私の冷たい声に促され、彼女はフラフラと立ち上がり、亡霊のような足取りでサロンを去っていった。
「……セレフィナ。すまない、私がもっと厳しく貴族たちを統制していれば、あのような無能な真似は防げたかもしれない」
殿下が苦渋に満ちた表情で私を見る。
「いいえ、殿下。殿下は王として、最も正しいご判断をなさいました。……わたくしは、そのような殿下の気高さと賢明さを、心から誇りに思いますわ」
私が優しく微笑みかけると、殿下は救われたように息を吐き、私の手を強く握りしめた。
盤上のゴミは、自らの愚かさによって自滅していく。
私の箱庭は、今日また一つ、完璧な静謐を取り戻したのだった。
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