第二十話:星屑のテラスと毒の誘い
明日も21時に更新します
『星空の間』から漏れ出すワルツの調べが、夜風に乗って微かに届く。
喧騒を離れた王宮の広大なテラスは、魔石の淡い光と月明かりに照らされ、銀色の世界を作り出していた。
私、セレフィナ・ド・ラ・マルクは、アルフレート殿下が再び陛下に呼ばれた隙を見計らい、一人で夜風に当たっていた。
もちろん、背後の暗闇にはマリーが配置した「影」たちが潜み、私の安全を完璧に保障している。
「……お一人ですか、セレフィナ様」
階段の方から、静かな、しかし確かな敵意を孕んだ声がした。
振り返ると、そこには先ほど広間で私に論破されたはずのベアトリクス・フォン・ロズワールが立っていた。
彼女の隣には、いつの間にかバルカ帝国のカイン皇子が、退屈そうに柱に背を預けて立っている。
(……ふふ。想定通りの組み合わせですこと。偽善と野蛮が手を取り合うとは、滑稽な絵図ですわね)
私は扇をゆっくりと閉じ、優雅な所作で二人を迎え入れた。
「あら、お二人とも。このような人気のない場所で、密会でもなさっていたのかしら? ロズワール侯爵家とバルカ帝国がこれほど親密だとは、存じ上げませんでしたわ」
「……皮肉はやめてくださいませ。私たちはただ、貴女の独裁に近い振る舞いに危惧を抱く者同士として、言葉を交わしていただけです」
ベアトリクスは、先ほどまでの「慈悲深い聖女」の仮面を脱ぎ捨て、憎悪に満ちた瞳で私を睨みつけた。
「セレフィナ様。貴女は経済を操り、伝統ある家門を追い詰め、挙句の果てにはアルフレート殿下を呪縛して、この国を意のままにしようとしておいでです。……そんな不浄な野心が、いつまでも許されるとお思い?」
「不浄、ですか。面白い表現ですわね、ベアトリクス様」
私は一歩、彼女の方へと歩み寄った。
「わたくしがしているのは、腐敗した利権を整理し、国家の資産を正しく循環させるための外科手術です。貴女が守ろうとしている『伝統』とは、単に貴族が民の血を吸い続けるための言い訳に過ぎませんわ」
「貴女に何がわかるというの! 私たちは代々、この土地と民を守ってきた誇りがあるのです!」
「その誇りが、市場価格を無視した横暴な取引や、領民への過度な重税を正当化するのですか? ……貴女の言う慈悲とは、自分たちの贅沢な暮らしを維持した上での、余り物の施しでしょうに」
私の冷徹な指摘に、ベアトリクスは顔を真っ赤にして絶句した。
その横で、カインが低く笑い声を上げた。
「ははっ、相変わらず容赦ねぇな、この女は。おい、ロズワールの娘。言葉でこいつに勝とうなんてのは時間の無駄だぜ。こいつは人間じゃねぇ、鋼の塊だ」
カインは柱から離れ、獲物を狙う獣のような足取りで私との距離を詰めてきた。
「セレフィナ。ベアトリクスはな、お前のその鉄の理屈を叩き壊すための『材料』を持ってきたんだぜ」
カインの言葉に呼応するように、ベアトリクスが懐から一通の書簡を取り出した。
「……これは、ダラス伯爵が失脚する直前に書き残した、ラ・マルク公爵家による不当な資金工作の証拠です。これがあれば、貴女がどれだけ汚い手を使って他家を陥れてきたか、議会で証明できますわ」
ベアトリクスは勝ち誇ったように、その書簡を私の目の前で突きつけた。
(……ダラスの残党が持っていた偽造書類ですか。マリー、仕事が甘いわよ。わざと拾わせたにしては、少々時期が早すぎたかしら?)
私は動じることなく、その書簡を一瞥した。
「それが、貴女の切り札ですの? ……ベアトリクス様、一つ教えて差し上げましょう。真の権力者というものは、証拠を隠すのではなく、その証拠を提示した者自体を『虚偽』として葬り去る力を指すのですわ」
「なんですって……?」
「その書簡が本物か偽物かなど、重要ではありません。それを貴女が持ち出したという事実こそが、ロズワール侯爵家が反逆者であるダラスの残党と通じていたという、決定的な『証拠』になるのです」
私の言葉に、ベアトリクスの顔から血の気が引いていくのが月明かりの下でもはっきりとわかった。
「カイン殿下も、ご注意なさいませ。我が国の内政干渉に深く関与しすぎると、帝国の皇子としての立場が危うくなりますわよ。……今夜のこの密会、陛下やアルフレート殿下がどのようにお受け止めになるか、想像もつきませんわね」
「……ちっ、どこまでも食えねぇ女だ」
カインは忌々しげに舌打ちをしたが、その瞳には恐怖ではなく、より一層深い執着の炎が宿っていた。
「セレフィナ、今夜のところはお前の勝ちにしておいてやる。……だが、俺は力で奪うのが専門だ。お前のその完璧な防壁、いつか外側から力ずくでぶち壊してやるぜ」
カインはベアトリクスの腕を強引に引き、背を向けた。
「行こうぜ、ベアトリクス。ここにいても、この女の毒に当てられるだけだ」
「……待ちなさい、カイン殿下! まだ話は……っ!」
ベアトリクスは私を振り返り、呪いの言葉を吐き捨てようとしたが、私の冷徹な微笑みに射すくめられ、言葉を飲み込んだ。
二人が夜の回廊へと消えていくのを見届けた後、私は再び夜空を見上げた。
「マリー、いたのでしょう?」
暗闇から、マリーが音もなく姿を現し、私の背後で膝を突いた。
「……申し訳ございません、お嬢様。ダラスの残党の書類の処理、私の不手際でございます」
「いいえ、構わないわ。あれはあれで、彼らを泳がせるための良い餌になったもの。……それより、今夜の会話は全て記録させましたね?」
「はっ。影の書記官が、一言一句漏らさず記録しております。明朝には陛下と殿下のお耳に入るよう、手配いたします」
私は満足げに頷き、手に持っていた扇をパチンと閉じた。
ベアトリクスは「正義」の名の下に、自ら破滅への扉を開いた。
カインは「力」への過信ゆえに、私の張り巡らせた経済の網に深く絡め取られていく。
「……さあ、戻りましょう。殿下がお待ちですわ」
私は再び完璧な淑女の仮面を被り、光り輝く大広間へと向かってドレスの裾を揺らしながら、暗い愉悦と共に次の一手を練り始めていた。
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