第十六話:星祭りの夜と踊る愚者たち
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聖アークライト暦九九三年、七月。
王宮の最も豪奢な大広間『星空の間』にて、他国の王族や使節団をも招いた大規模な舞踏会『星祭りの夜』が華々しく幕を開けた。
天井に描かれた満天の星空のフレスコ画と、それを取り囲むように配置された数千の魔石の灯りが、広間全体を幻想的な光の海へと変えている。
「……素晴らしい夜だね、セレフィナ。君の美しさは、この星空すらも霞ませてしまうよ」
ワルツの軽快な調べの中、アルフレート殿下が私の腰を抱き寄せながら、優しく囁いた。
「もったいないお言葉ですわ、殿下。本日は諸外国の賓客が多くお見えです。殿下の輝かしいお姿を、世界に示す絶好の機会ですわね」
私は夜空を思わせるミッドナイトブルーのシルクドレスを翻し、殿下のリードに完璧に合わせてステップを踏んだ。
一曲目が終わると、私たちは次期国王夫婦として、他国の使節団への挨拶回りを開始した。
「東の商業連邦には、先日の関税交渉で我が国が示した譲歩を、恩として印象付けておく良い機会ですわね。南のファルサス王国には、秋に控えた共同軍事演習に向けて、殿下から直接、連帯と労いの言葉をお掛けくださいませ。……そして、バルカ帝国には一切の隙を見せないように」
私は扇の陰で、殿下に手短に国際情勢の要点を耳打ちした。
バルカ帝国は近年、国境付近での軍事演習を活発化させ、我が国への圧力を強めている。
彼らがこの夜会にカイン皇子を送り込んできたのも、単なる留学や親善ではなく、我が国の内情と弱点を探るための明確なスパイ活動の一環だ。
殿下は私の的確な助言に深く頷き、使節団に対して王太子としての堂々たる態度で挨拶をこなしていった。
「……殿下、セレフィナ様。素晴らしいご対応でした。陛下がお呼びですので、殿下は少しお時間をいただけますか?」
挨拶が一通り済んだ頃、宰相である父、マルクス公爵が私たちに近づき、殿下に声をかけた。
「分かりました。セレフィナ、少し待っていてくれるか」
「ええ、殿下。いってらっしゃいませ」
殿下が父と共に国王陛下の元へ向かったわずかな隙間。
すかさず私の元へと歩み寄ってきたのは、純白のドレスに身を包んだベアトリクス・フォン・ロズワールだった。
「……諸外国へのご挨拶、お疲れ様でございました、セレフィナ様。殿下を完璧にお支えするお姿、感服いたしましたわ」
彼女は非の打ち所がない完璧なカーテシーを見せ、憂いを帯びた青い瞳で私を見つめた。
「ありがとうございます、ロズワール侯爵令嬢。貴女のその純白の装いも、伝統を重んじる貴女らしくてとても素敵ですわ」
「お褒めにあずかり光栄です。……ですが、この華やかな光景を見るにつけ、私はどうしても、ここにいるはずだった哀れな少女のことを思い出してしまうのです」
ベアトリクスの声が、周囲の貴族たちにも聞こえるよう、絶妙に計算された「悲痛なトーン」へと変わった。
「クロエ・バリントン男爵令嬢……。彼女は確かに無知で不作法でした。ですが、果たして社交界から永久に追放されるほどの罪だったのでしょうか。もっと温かい教え導きがあれば、彼女も立派な淑女になれたのではないかと……私は今でも、胸が痛むのです」
広間の空気が、微かに凍りついた。
彼女は『慈悲』という名の武器を使い、私がクロエを排除したことを「冷酷な独裁」として大衆に印象付けようとしているのだ。
(……やはり、その角度から攻めてきますか。分かりやすい偽善ですこと)
私は扇をゆっくりと広げ、毅然とした態度で彼女を見据えた。
「……ベアトリクス様。貴女のお優しいお心は、この国の美徳ですわ。ですが、真の慈悲とは、国家の危機を見逃すことではございません」
私の凛とした声が、静まり返った広間に響き渡る。
「彼女は王太子の御名を騙る陰謀に、自らの意思で足を踏み入れたのです。もしあの場で彼女を庇い、王家に泥を塗ることを許容していたならば……それは『慈悲』ではなく、国家に対する明確な『背信』ですわ。貴女は、王家が反逆の火種を優しく抱きしめるべきだとおっしゃるの?」
「そ、れは……決して、そのような意図では……」
「貴女の温かさは素晴らしい。ですが、王の隣に立つ者に必要なのは、時に涙を飲んででも国と秩序を守り抜く『覚悟』です。……哀れな少女の末路を酒の肴にして慈悲を語る前に、国家の安寧についてもう一度深くお考えになることですわね」
私の冷徹で隙のない正論は、ベアトリクスの言葉をただの「無責任な感傷」へと切り捨てた。
彼女は屈辱に唇を震わせたが、周囲の貴族たちが私の言葉に深く頷いているのを見て、無理やりに作り笑いを浮かべるしかなかった。
「……セレフィナ様のその強きお心、感服いたしましたわ。どうか、その『覚悟』が、いつかご自身を追い詰めることのないよう、お祈りしております」
ベアトリクスは捨て台詞のようにそれだけを言い残し、足早に去っていった。
彼女の背中を見送りながら、私は密かに溜息を吐いた。
私腹を肥やすためならともかく、無責任な感情論で国政を揺るがそうとする彼女の態度は、看過できるものではない。
「相変わらず、舌鋒鋭い女神様だな。あのロズワール家の娘が、すっかり萎れて逃げていったぜ」
ベアトリクスと入れ替わるように、不躾な足音を立てて近づいてきたのは、バルカ帝国のカイン皇子だった。
彼は漆黒の軍服を着崩し、野性的な黄金の瞳で私を見つめている。
「……カイン殿下。ここは神聖なる星祭りの会場ですわ。帝国の宴とは違いますので、少しお声のトーンを落とされてはいかが?」
「ははっ、冷たいね。だが、その氷のような瞳で睨まれると、余計に燃え上がるのが俺の性分でね」
カインは私の言葉など意に介さず、強引に私の手を取ろうと手を伸ばしてきた。
「さあ、俺と踊ろうぜ、セレフィナ。あんな人形みたいな王太子とステップを合わせるより、俺の腕の中で本当の夜を……」
「無礼だぞ、バルカ帝国第三皇子」
カインの手が私に触れる直前、氷のように冷たく、しかし威厳に満ちた声が割って入った。
陛下との話を終えたアルフレート殿下が、私の前に立ち塞がるようにしてカインを睨みつけていた。
「彼女は私の婚約者であり、この国の次期王妃だ。貴殿のその振る舞いは、我が国への明確な侮辱と受け取るが?」
殿下の放つ王気は、以前の彼からは想像もつかないほど鋭く、圧倒的だった。
カインはそんな殿下の変化にも動じず、獣のように凶悪な笑みを浮かべた。
「侮辱? 笑わせるな。俺はただ、至高の宝に相応しい男が誰かを、証明しようとしているだけだ。……お前みたいな温室育ちの王子に、この女の抱える知略と毒が御しきれると思っているのか?」
「……カイン殿下、そこまでになさいませ」
一触即発の空気を断ち切るように、私が静かに告げた。
私はアルフレート殿下の腕にそっと手を添え、彼をなだめると同時に、カインへと氷の視線を向けた。
「カイン殿下。貴国と我が国は、現在重要な貿易協定の真っ最中のはず。貴方個人の軽率な振る舞いが、両国の友好関係にどれほどの亀裂を生むか、帝国を背負う皇子としてよくお考えになるべきですわ」
外交問題という現実的な壁を突きつけられ、カインはわずかに目を細めた。
「……いいぜ、セレフィナ。そうやって国という盾に隠れていろ。だがな、俺はお前が想像しているよりもずっと強欲だ。……いずれ必ず、お前のその余裕をひっぺがし、俺の足元に跪かせてやる」
カインは私にだけ聞こえる声でそう囁くと、くるりと踵を返し、闇の中へと消えていった。
「セレフィナ……すまない。私がもっと力を持っていれば、あんな男に君を侮辱させはしないのに」
殿下が悔しげに拳を握りしめる。
私はその拳を両手で包み込み、優しく微笑んだ。
「殿下。野犬の遠吠えに、王が心を痛める必要はございません。……わたくしたちは、ただこの国を守るために、前だけを見て歩めばよろしいのです」
私は殿下を見つめながら、内心で冷徹に思考を巡らせていた。
ベアトリクスの嫉妬と、カインの執着。
彼らの野心がこの国の秩序を脅かすというのであれば、私は次期王妃として、その根を完全に断ち切らなければならない立場にある。
星祭りの夜は、まだ終わらない。
きらびやかな音楽の裏側で、国家の存亡を懸けた知略の戦いが、いよいよ本格的に始まろうとしていた。
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