第十四話:王妃の庭園と黄金の鎖
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聖アークライト暦九九三年、六月下旬。
王宮の奥深く、限られた者しか足を踏み入れることのできない「白百合の庭園」には、初夏の柔らかな風が吹き抜けていた。
私、この国の王妃であるアンリエッタ・フォン・アークライトは、白磁のティーカップを静かに傾けながら、目の前に座る少女を見つめていた。
「……本日は、素晴らしいダージリンをお持ちいただき、感謝いたしますわ、セレフィナ」
「もったいないお言葉でございます、アンリエッタ王妃殿下。殿下のお口に合いましたならば、至上の喜びに存じます」
銀の髪を完璧に結い上げ、氷のようなアメジストの瞳を伏せて微笑む彼女は、どこから見ても非の打ち所のない「未来の国母」であった。
ラ・マルク公爵家の一人娘、セレフィナ。
彼女が幼い頃、我が家のアルフレートと並んで遊んでいた姿を覚えている。
当時はただ母親に似た、愛らしいだけの少女だったはずだ。
だが、いつの頃からだろうか。
彼女の振る舞いから幼さが消え、代わりに得体の知れない「凄み」が漂い始めたのは。
今やその眼差しは、まるで百戦錬磨の政治家のように冷徹で、相手の魂の底まで見透かすような洞察力に満ちている。
アルフレートの母として、またこの国の王妃として、私は彼女の完璧すぎる振る舞いに、時折背筋が凍るような恐ろしさを感じていた。
「……セレフィナ。貴女、最近王都の商会に、ご自身の個人資産から多額の『投資』を行っているそうね」
私は探りを入れるように、ゆっくりと話題を切り出した。
「平民向けの安価な保存食を製造する工房や、東部街道の物流を担う新興の馬車組合……。公爵家の資金ではなく、貴女個人の財産で、随分と手広く事業を支援していると耳にしましたわ」
貴族の令嬢が慈善活動にお金を出すことは珍しくない。
だが、彼女が行っているのはただの施しではなく、明確な利益と権益を伴う『投資』だった。
「……王妃殿下のお耳にまで届いておりましたか。お恥ずかしい限りですわ」
セレフィナは扇を広げ、一切の動揺を見せずに微笑んだ。
「ですが、全てはアルフレート殿下の御代が豊かになるための『種まき』でございます。安価な保存食は冬の餓死者を減らし、物流の効率化は国全体の血の巡りを良くいたします。民が豊かになれば、それは巡り巡って王家の盤石な支持へと繋がるはずですわ」
「ええ、その通りね。素晴らしい国想いの行いです」
私は微笑みを返しながらも、内心で冷や汗を流していた。
彼女の言葉は、完璧な正論だ。
だが、その実態はどうだろうか。
平民の「胃袋」を支える食糧の製造元と、物資を運ぶ「物流網」を、未来の王妃が『個人的に』掌握しつつあるのだ。
もし万が一、彼女がその気になれば、王都の食糧を操作して暴動を扇動することも、逆に瞬時に鎮圧することも自由自在となる。
彼女は慈善という名目で、王家の預かり知らぬところで、この国の経済の心臓部を握り始めている。
「……お母様! セレフィナ!」
庭園の入り口から、弾んだ声が響いた。
私の息子であり、次期国王たるアルフレートが、満面の笑みでこちらへ歩いてくる。
「アルフレート。公務の合間ですか?」
「ええ。セレフィナがこちらにお邪魔していると聞いて、顔を見にきました」
アルフレートは私の隣ではなく、自然な動作でセレフィナの隣に立ち、彼女を愛おしそうに見つめた。
「……お母様。セレフィナの王都での事業のこと、聞いていただけましたか? 彼女は自分の私財を投げ打って、民の生活を豊かにしようと尽力してくれているのです。これほど国を想う慈悲深い女性が、私の婚約者であることを誇りに思います」
息子の言葉に、私は目眩がする思いだった。
アルフレートは、彼女の行いを純粋な「献身」だと信じて疑っていない。
かつて、男爵令嬢に心を奪われかけたことで政治的危機に陥った彼は、自分を救ってくれたセレフィナを「絶対的な正解」として盲信している。
「ええ、アルフレート。……セレフィナは、本当に頼もしい王妃になるでしょうね」
「もったいないお言葉でございます。わたくしはただ、殿下をお支えするための影に過ぎませんわ」
セレフィナはアルフレートを見つめ返し、慈愛に満ちた聖女の微笑みを浮かべた。
その二人の姿は、一枚の絵画のように美しい。
だが、私には見えていた。
アルフレートの首には、すでにセレフィナが紡いだ「正論」と「献身」という名の、決して断ち切ることのできない黄金の鎖が繋がれていることを。
(……マルクス公爵。貴方は、自らの娘を制御不能な怪物に育て上げてしまったのですね)
私は紅茶を飲み下し、喉の奥に広がる微かな苦味を噛み殺した。
もはや、王家が彼女を支配することはできない。
この国の未来は、あの美しく残酷な少女の掌の上で、どのようにでも転がる運命にあるのだ。
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