第十二話:生徒会室の円卓と盤上の怪物たち
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聖アークライト暦九九三年、六月中旬。
王立アカデミーの最上階に位置する生徒会室は、この学園における「もう一つの王宮」と呼ぶに相応しい重厚さを備えていた。
壁一面を覆う古文書の棚と、中央に鎮座する黒檀の円卓。
私、生徒会長のルードヴィヒ・ド・ラ・マルクは、眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、手元の報告書に冷ややかな視線を落としていた。
ジュリアン・ダラスの失脚と、男爵令嬢クロエ・バリントンの追放。
表向きは「学園の規律を乱した者の自滅」として処理されているが、私にはその裏で糸を引いていた蜘蛛の正体が痛いほどに分かっていた。
私のいとこであり、この国の次期王妃、セレフィナ・ド・ラ・マルク。
かつて公爵家の屋敷で見かけた彼女は、ただ無邪気に笑うだけの、どこにでもいる貴族の少女だったはずだ。
だが、いつの頃からか――。
成長とともに、彼女の瞳からは子供らしい揺らぎが消え、代わりに底知れぬ静謐さと、他者を畏怖させるほどの怜悧さが宿るようになった。
今や彼女が「怪物」であることを、私は誰よりも近くで感じている。
あの『新緑の夜会』での鮮やかな手口は、完璧なまでの情報統制と人心掌握の賜物だ。
ダラス家という長年の政敵を葬り去り、同時にアルフレート殿下の心に「政治的孤立の恐怖」を植え付け、自身への絶対的な依存を完成させた。
「……恐ろしい女だ。だが、盤面が彼女の思惑通りに静まるほど、この学園は甘くはない」
私は報告書を伏せ、深く息を吐き出した。
ダラス家の崩壊によって生じた権力の空白を埋めるべく、すでに二つの厄介な「異物」が動き出している。
一つは、ロズワール侯爵家の長女、ベアトリクス。
「沈黙の毒薔薇」と呼ばれる彼女は、セレフィナの強権的なやり方を「恐怖政治」として水面下で批判し、自らを「慈悲深き理解者」として殿下に売り込もうと画策している。
もう一つは、バルカ帝国からの留学生、カイン第三皇子。
彼はこの国の政治的均衡など意に介さず、ただ己の野心と欲望の赴くままに、セレフィナという「至高の獲物」を狙って露骨な介入を始めている。
「……秩序を乱す者は、誰であれ許すわけにはいかない」
私は生徒会長としての責務を果たすため、それから彼らの腹の底を探るため、本日の午後に『生徒会主催の茶会』という名目で、この円卓に主要な四人を招集した。
静寂が支配する生徒会室の扉が、定刻ちょうどに重々しい音を立てて開かれた。
「……お招きいただき、感謝いたしますわ、生徒会長」
最初に足を踏み入れのは、氷の女神と見紛うばかりの冷たい美貌を湛えたセレフィナと、彼女に寄り添うように歩くアルフレート殿下だった。
セレフィナは部屋に入った瞬間から、その完璧な古儀礼の所作で空間を支配し、己のテリトリーへと変えてしまう。
続いて、背後に控えていたベアトリクスが、しずしずと頭を下げた。
「生徒会長様。このような栄誉ある席にお招きいただき、ロズワール家として光栄の至りに存じます」
彼女の言葉には、一片の嫌味も感じさせない完璧な「謙譲」が込められていた。
最後に、扉を乱暴に開け放って入ってきたのは、燃えるような赤髪のカイン皇子だ。
「はっ、堅苦しい部屋だな。帝国のテントの方がよっぽど気が休まるぜ」
彼は不敵な笑みを浮かべ、誰の許可も待たずに円卓の椅子へと身を投げ出した。
四人の怪物が、ついにこの円卓に揃った。
私は眼鏡の奥の目を細め、静かに口を開いた。
「……よくお集まりいただいた、皆様。本日の茶会は、先日の『新緑の夜会』以降、学園内に蔓延している不穏な空気を払拭し、各派閥の代表者たる皆様と親睦を深めるために設けさせていただいた」
私は生徒会役員に合図を送り、最高級の茶葉で淹れた紅茶をそれぞれの前に配らせた。
「……親睦、ですか。生徒会長も冗談がきついですわね」
ベアトリクスが、青い瞳を憂いげに伏せながら、静かな声で口火を切った。
「夜会での一件以来、学園の生徒たちは常に監視の目に怯えております。少しでも不作法があれば、男爵令嬢のように社会的に抹殺されてしまうのではないかと。……秩序を守ることは重畳ですが、慈悲を忘れた厳格さは、やがて反発を生むのではないでしょうか」
彼女の言葉は、明確にセレフィナの「恐怖政治」を非難するものだった。
同時に、アルフレート殿下に対して「私は貴方の民を憂いている」という慈悲深いアピールでもある。
アルフレート殿下はベアトリクスの言葉に微かに眉をひそめ、隣のセレフィナを見た。
だが、セレフィナはカップに触れることすらなく、ただ冷ややかな笑みを浮かべていた。
「……慈悲、ですか。ロズワール侯爵令嬢、貴女は『慈悲』という言葉の意味を履き違えておいでですわね」
セレフィナの澄んだ声が、ベアトリクスの言葉を鋭利な刃のように切り裂いた。
「無知なる者に罰を与えず、野放しにすることのどこが慈悲なのでしょうか? それはただの『怠慢』であり、やがて彼ら自身を、そして王家を破滅へと導く猛毒となります。わたくしは、その毒を未然に排除したまで。……貴女は、殿下の御名が汚されるのを黙って見ていろとおっしゃるの?」
「そのようなことは申しておりません。ただ、導き方にはもっと……温かい方法があったのではないかと」
「温かい方法で国が守れるのなら、我が父が『鉄の宰相』と呼ばれることはありませんわ。……綺麗事は、お茶菓子の砂糖だけで十分ですわよ」
セレフィナの正論は、ベアトリクスの「慈悲」という名の偽善を完膚なきまでに叩き潰した。
ベアトリクスは屈辱に唇を噛み、アルフレート殿下に救いを求めるような視線を送ったが、殿下はセレフィナの絶対的な論理に深く頷き、完全に彼女に同調していた。
「……はははっ! 最高だな、君は!」
その凍りついた空気を打ち破るように、カイン皇子が手を叩いて大笑いした。
「生温かい貴族のままごとを一刀両断にするその冷酷さ、まさに俺の好みだ! なあ、セレフィナ。そんな甘い男の隣なんて窮屈だろう? 今すぐ俺の腕の中に来い。帝国なら、君のその毒を存分に振るえるぜ?」
彼はアルフレート殿下の存在など無いかのように、セレフィナに熱を帯びた視線を向ける。
「……カイン殿下。私の婚約者に対するその不敬な態度、これ以上は看過できない」
アルフレート殿下が立ち上がり、王太子としての威厳を纏ってカインを睨みつけた。
だが、カインは全く動じることなく、牙を剥き出しにした獣のように笑い返した。
「不敬? 笑わせるな。女一人自分の力で守れず、彼女の正論の陰に隠れて震えているだけの男が、威厳を語るなよ。……俺なら、彼女を背中で守り、共に世界を蹂躙できる」
一触即発の空気が、円卓を支配する。
私は、この均衡が崩れる前に介入すべきだと判断し、口を開きかけた。
だが、それよりも早く動いたのは、他でもないセレフィナだった。
「……カイン殿下。貴方のその『力』への妄信は、蛮族の宴では称賛されるでしょうけれど、ここは格式高き王立アカデミーの生徒会室ですわ」
セレフィナはゆっくりと立ち上がり、扇を音もなく広げた。
その紫水晶の瞳には、カインの野性など一顧だにしない、完璧な淑女としての冷ややかな光が宿っていた。
「わたくしは、腕力で守られることを望むような脆弱な女ではございません。……わたくしの生涯は、次期王妃としてアルフレート殿下をお支えし、共にこの国の未来を盤石にするためにございます。貴方のような、盤面を力任せにひっくり返すだけの野蛮な駒に、わたくしをお誘いになる資格などございませんわ」
セレフィナの言葉は、カインのプライドを抉り、同時にアルフレート殿下への究極の忠誠を公に誓うものだった。
アルフレート殿下は、彼女の揺るぎない献身に深い感動を覚え、その手を強く握りしめた。
「……そうかよ。だが、俺は一度狙った獲物は絶対に逃がさない。君がどれほど冷たい牙を剥こうと、いつか必ず俺の腕の中に堕としてみせる」
カインは憎まれ口を叩きながらも、その目にはより一層深い執着の炎を燃やしていた。
私は、沈黙してこの喜劇を見つめていた。
ベアトリクスの陰謀も、カインの野性も、結局はセレフィナの掌の上で転がされているに過ぎない。
彼女はこの茶会を利用して、ベアトリクスの偽善を殿下の前で露呈させ、カインの暴走を殿下への「忠誠の証明」のための舞台装置として利用したのだ。
「……どうやら、親睦を深めるには少し時間が足りなかったようだな」
私は眼鏡の位置を直し、冷静な声で茶会の終了を宣言した。
「本日はお集まりいただき、感謝する。……この学園の秩序が、皆様の良識によって保たれることを切に願っている」
四人が円卓を去った後、私は冷え切った紅茶を見つめながら、背筋を這い上がるような悪寒を感じていた。
この学園の、いや、この国の真の支配者は、アルフレート殿下でも、国王陛下でもない。
あの美しく残酷な、銀髪の怪物なのだと。
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