未来シコウのチートデータガール 73
何はともあれ、教室に逃げ込んだ。ここは――窓の外を見るとおそらく五階。
間に合わない。一目散に階段に走ればギリギリで間に合ったかも知れなかったのに、教室に入ったためにタイムロスが発生している。
もとより、階段への道は鬱船達に塞がれていたが……。
このままでは、灼熱に炙られる。
カツカツカツ。足音。
焦燥しつつ、音に対して振り返る。
静夜を追ってのんびりと教室に入ってくる鬱船の姿。
その体の周りに黒と赤の揚羽蝶を纏わせて、陰気な瞳を眼鏡の奥から覗かせて。
「ちっ」
死体となっているスキンヘッドの姿を見る。
自分の未来に重ねて舌打ちをする。
――ジュ。
静夜の体が熱に覆われた。
燃える。
ただの熱で、肉体の発火点を超え、燃えあがる。
「カッ……あっ……!」
目玉は萎み、皮膚は火膨れを超えて焦げる。
少しだけ、吐き気よりも美味しそうなんて感想が出てしまう匂いは、まさに自家毒。
このタイミングで、鬱船に続き、和装の二人が入ってくる。
二人の顔に『封』と『呪』の文字の札。
さらに鬱船の揚羽蝶は二人を置き去りにして部屋中に勢力を広げ、静夜に迫ろうとしていた。
このままでは……これから何が起こるかは目に見えている。
だがまだ意識が刈り取られる程のダメージではない。行動不能になるほどのダメージでもない。
ならばまだ手はある。
「痛てぇのは、やなんだけどなっ!」
静夜だけが知っているルールが存在する。反則だ。いわゆるチートである。
いや、単に何度となくここに通ってきたから知っているバグ技か。
アナウンスの移動指示があり、発動までのその間、この時だけは窓の外に出る事が出来るのだ。
飛び跳ねた静夜が窓を突き破り、宙に躍り出る。
大量の蝶も一緒に外へと溢れ出る。
逃げた所で熱は静夜を襲い続け、宙にあっても体は焼かれ続けている。
ただし、落下し、肉体の高さが二階付近に差し掛かると熱が嘘みたいに消える。
――このタイミングだ。
手に握られた折れた妖刀が、呼応するように体の動きを支配し、校舎の外壁へとその刀身を突き立てる。
こうして静夜は最悪のタイミングでの追い打ちをやり過ごす――ずるり。
「は?」
今までそんな事がなかったのに、刃を握りしめる五指の内、親指を残して全てが、その勢いに耐え切れずに切断された。
「嘘だろっ!?」
バラバラになった四本の指。落下する静夜はそのまま背中から校舎前の芝に激突する。致死のダメージに呼吸困難になり、パラパラと落ちてきた四本の指の一本が静夜の顔に当たり、そして灼熱は引き続き静夜をローストする。
嗚咽まみれに転がり、出来もしないのに熱を散らそうと無駄に足掻く。
やがて灼熱の時間は終わり、そして肉体は回復のターンを迎える。
予定とは随分違ってしまった。無理をして飛び降りた甲斐もあり、追い打ちはない。あの状態で拘束されていたらと思えば、まだ今の状況の方がだいぶマシだ。
『弓代さん。ジュウサツの時間です。校長室へ急いでください』
急いでくださいとは、すなわち執行猶予は殆どないと言う事だ。
大慌てで駆けだし、窓ガラスに体当たり。あっという間に血塗れになりつつ、校舎に入る。
校長室は――何処だ?
廊下から左右を見渡して、間に合わずに、心臓が音もなく打ち抜かれた。
「……はぁ、くそっ。なんで俺だけ……」
ジュウサツが一発で完了したのだろう。倒れていた静夜は十数秒で再び起き上がる。
なんで自分だけが。なんて嘆きはしたが、もうわかっている。
あれが鬱船カフクの特別な能力なのだろう。
百花が言っていたのを思い出す。きっと運命を操っているのだと。起こりうる運命を引き寄せているのだと。
この紫鏡の内部において、この能力は猛威を振るう。
静夜だけが一方的に嬲られる、恐ろしい状況が今ここに完成していた。
「……舐めやがって」
怒りとも恨み言とも言える呟きは、ある種静夜の本性だ。
大人しく留置所に居ただけなのに、気が付けばぼこぼこに叩かれている。しかも静夜でなければ死んでいるし、静夜だったとしても今追い詰められている。何もしなければ、他人になるか死人になるかの二つに一つだ。
これに怒りを抱かない訳がない。
だから、反抗する手段を――あるいは死に際の嫌がらせを考える。
思いつかなくとも、死に際に相手が笑っているのが許せない静夜は、自分の手札を考える。
つかつかと歩き、辿り着けなかった校長室を見つけ、なるほどここかと脳裏に刻む。
二度、三度と同じ場所が指定されるのは決して珍しい事ではない。
このまま一階の校長室、教室、トイレ、教室がある場所に留まるのは悪手ではない。体育館や校庭にも間に合うのだから、待ち受けるならば本来正着だ。
が、きっと、今後一階にある施設はアナウンスされない。
これは自分に優しい未来が待っていないと言うネガティブな確信に依る物だ。本来ならばするべきではない考察だが、今はこれを正しいと想い、判断は間違えていないと確信めいている。
鬱船の運命を操る力とやらがどれほどのものかは不明であるが、少なくとも静夜に襲い掛かる物は、『静夜にとっての絶望的不幸』ではない筈だ。
静夜は強気に顔を上げる。
その物差しが示すものが多くの他人にとっての不運であっても、静夜が避けたいと願う不運であるとは限らない。幸運も不運も捉え方によって違うのは自明の理である。自分の命が失われても、大切な物が永遠に守られるなら充分幸運だと考える人間がいるならば、死すらも別に不幸とは限らない。
幸運、不運を及ぼす能力ならば、必ずそれには何らかの基準が存在する。そしてそれは、能力のリソース的に、対象の禍福ではなく、能力者の物差しの禍福になるだろう。
大怪我も、肉体の欠損も、殆どの他者かは、多大な不運だ。しかし一部の人間にとってそれは不幸ではない。静夜に至っては痛いのは嫌だが受け入れられる程度の不運である。静夜にとっての不運が降り注ぐならば、怪我ではなく生き埋めや拘束などが真っ先に候補に挙がる。健康のまま動けなくなるのが静夜にとっては一番困る事である。
だが、鬱船が招く不幸によって、それは起こっていなかった。
これを静夜は冷静に考察する。
齟齬があるのだ。モノサシに。
不幸が起こる能力であるならば、それは誰かから見ての不幸と定義される。つまり不幸を起こす者――取りも直さず、鬱船から見た不幸しか、起こり得ない。
事実。
『弓代さん。キョウサンの時間です。二階に移動してください』
一階の指定はなく、二階への移動が指示となる。
聞きながら、静夜は階段を上る。
一歩一歩登りながら、どのようにして相手を始末するかを考える。
実際の所手がない訳ではない。
鬱船の、運を操るという能力は無敵に見えるが、百花やハジメと言った圧倒的強者には能力が通じない。そして静夜の様に鬱船と静夜の不幸が噛み合わない場合も、効果はそれなりに薄い。
二階に上がり、一つ嘆息。
左右を目視確認で、一時の安全を確保したと判断。
鬱船達が現れるまであと数分か、数十秒か。
静夜は再度今持っている武器を確認する。
対抗手段は気が進まない物も含めていくつかある。
折れた刃の暴走に身も心も任せる事や、大量出血による強力な悪魔の疑似召喚。
耳のピアスの『大飯喰らい』の利用。
この迷宮のアナウンスをどうにかうまく誘導する方法。
背中の刺青の無謀な活用。
呪物と化した静夜のアクセサリーの再利用。
この世を滅ぼしかねない呪物も、この紫鏡の中なら問題ないだろう。
様々な活用方法を考え、実行可能な物を取捨選択する。
この状況で一番あり得る結末は、静夜が抱えた数々の精神体や呪物が暴発する事。これが起きれば鬱船もあの二人も流石にただでは済まないだろう。そして、静夜がその時どうなる物かも判らない。
普段なら、それでも静夜が生き残ったというだけの現象に終わるのだが、今回ばかりは話が違う。
静夜は今日までにいくつかの異世界の精神体を失っている。今のこの状態は非常に不安定で、下手をすればあの老人の目論見通り、静夜は一時的に他人に成り代わる可能性がある。
多くの事情通が、静夜以上に訳知り顔で言う通りならば、静夜はどうやら最強の転生者である。
今の死なない静夜を殺せないと判断した上で、最強の転生者も殺すのは無理と思うならば、この一時的に成り代わっている時を狙うのが選択するべき判断だ。
静夜は転生したという状況を作り出せば、この世界の認識を誤魔化せるかもしれない。
非常に強力な異世界の精神体たちではあるが、最強の転生者を相手にするよりはずっと楽なのだろうと、想像は難くない。
可能性があると思うなら、これが良いと静夜でも判断する。
何が言いたいかと言えば、ここで生きのこった所で、その先はきっと絶望的なのだろうという事だ。
「……まだ暴れ足りねぇだろ? 戻ってきやがれ」
呼びかければ、再び手元に収まる、刃毀れだらけの折れた刃。
これが果たして役に立つかは判らなくなってしまったが、これほど使い勝手のいい武器はないので手元に置かない手はない。
「次ァ俺の指まで切り落とすなよ」
そんなつぶやきをしてから、思考を切り替える。
考えるのは、鬱船を含むあの三人を迎え撃つ方法だ。
いろいろ考えたが、自分の被害を最小にしようとする試みは、きっとうまくない。
ならば少し、こちらも痛みを伴う方法が最適解だろう。
つまり、どうせこのままでは全部のアクセサリが剥がされるならば、この盤面をひっくり返す為に、最初からある程度の犠牲を払ってしまおうと言う結論に至ったのだ。
「はぁ……冗談じゃねぇや」
独り言ちて、握りしめた掌の中の指輪を弄ぶ。
これは一週間前まで、花の妖精がとり憑いていたものである。比較的穏やかだった妖精が、この世から去るときに残した無念はどうやらすさまじいものだったらしく、静夜が指輪をはめ続けようが、有能な悪魔祓いに頼もうが決して効力が弱まる事はなかった。
これは、静夜が持っているからこそ、他者に効果を及ぼさないが、その身から離れれば、その時は猛威を振るう。あの時ハジメが助けてくれなければどうなっていたか解らないあの現象の再現が起こるのではないかと、静夜はそう予測していた。
「それなりに期待しているぜ?」
マジックアイテムの専門家の知り合いに聞いたところによれば随分な物に仕上がっているようだ。
この指輪がマジックアイテムとして起動した場合、東京を丸呑みにする樹海を作り出し、人類の生存を許さない胞子や花粉が舞う領域を展開する。なんて、この世の終わりの様な事を言っていた。
聞いた時は冗談だと思って笑ったが、ちょうどバイトで事務所にやってきたハジメが、真剣な顔で『あ、それ絶対に雑に扱わないでね』と言ってきたので本物と信じることにした。
そんな曰く付きのマジックアイテムを使うのは今この場面をいて他にはないだろう。
指輪を種に見立てて、水をやる。水をやるという意思がトリガーとなる。それだけでいい筈だが……水はないから血で代用できるだろうか? そんな事をするから手が付けられない事態になるのだが、どうせここは鏡の世界だ。ここがどうなろうが、知った事ではない。
そうと決意して指輪をポイと捨てる様にして床に落とし、手首を切ろうとした。
その時目の前に赤と黒の蝶が舞い、視認と同時にハラハラと消える。
人間以外がいない筈のこの世界にいるこの蝶は、鬱船の攻撃の証だ。
「……きやがったな?」
邪魔がはいるより前に動く。
慌てたり出所を探ったり、そんな事をしてきり札を切れないなんて言う間抜けは晒すつもりはない。
躊躇わずに深く、皮膚を刃で切り裂く。
ぼたぼたと、締りがわるい蛇口の様に血が手首から溢れ、滴り墜ちる。
指輪は血に濡れて、そして何も起きなかった。
「……」
そんな馬鹿な話があるか? 血では芽吹かないという事だろうか。
冷や汗が溢れる。足りなかったのかと疑問に思うが、既に手首の血は止まってしまった。
顔を上げれば、廊下の角から姿を現してばかりの三つの人影が。
「クソったれ過ぎだろ……」
悪態を吐き、再び水をくれようと刃を握りしめ、手首を切ると見せかけて握りしめた刃が食い込むその血を利用しようとした所で、鬱船達に動きがあった。
『封』と『呪』の内の、線の細い方。
『呪』のベールの人物が前に出る。シルエットは女性で、白く冷たそうな手には血管が浮き出ている。彼女単体を見れば、決して強そうではない。静夜をしてそんな気持ちになるのだから、本当にひ弱そうに見えたのだ。
それがあたかも尖兵であるかのように突出したのだから当然、逆に警戒する。
糸のバランスを崩したマリオネットの様に、肉体の節々を起点にしてコマ送りに動かすような動きをする。
その動きにいい知れない不気味さを感じて、絶対に止めなければならないという焦燥感に身が動きたがるが、その行動を起こす前に、事は起きた。
女が、自らの首を、その手で絞め始めたのである。
「あっ? ――がっ、あ……!?」
静夜が目を瞠った時。
女はその細い骨ばる青白いては、そのまま首を圧し折った。『呪』の白いベールを吐血に染めながら崩れる女。
この瞬間に、静夜の体中の骨が折れた。致命傷こそないが、両手両足があらぬ方向に曲がる。
当然右手に握った折れた刃も取りこぼすし、再び物を握れなさそうな程に指も折れた。
自分の首をささげて、静夜の体に傷を負わせる。典型的な呪いの方法だ。それは静夜の命に届かない。届かないように調整したのだろう。致命傷ならすぐに回復る。が、これは今も静夜の四肢の骨を継続して負っているのだ。
「我等の命をもって楔となす。封じるは転生素体」
小さい声ではあるが、はっきり聞こえる声で唱えつつ、『封』の文字の男が寄ってくる。
女の死体を置き去りに、つかつかと。
静夜の動きを止める為だけに女は命を捨て、そして男はこれを当然と受け入れている。
静夜がやろうとした事を、やはり止めたかったのか。あるいはそもそも静夜の動きを完璧に止めるためには、向こうも出し惜しみなしの命懸けを選んだ可能性もある。
静夜を封じる為にどれだけの人間が命がけなのだ。
ここまでして封じられたり命を狙われたり――本当に無駄な事をする。
静夜の事なんて、放っておけばそれでいいのだ。意地でも静夜は他人にならないし、他人にならない静夜は、殺し屋共が全滅覚悟で追い詰める価値など無いのだから。
これが偽りなき本音だった。
まったく同情の余地もない相手だが、それでも心苦しさを覚える。きっと死ぬ事にデメリットを感じていないからこそできる行動なのだろう。それでも目の前で命を投げうった攻撃をされるのはきつい物があった。
その足音すら儀式の一環なのか、靴の音をわざと大きく立てて、『封』の男は静夜の元へ寄ってくる。
『かけもくもかしこき檻の支配者よ、鎖の案内人よ。かしこみかしこみ謹んで申し上げます。この者、死なず、呪はれず、狂はず、されど厄災溜め込めり。一度にも溜め込めし厄災洩れれば、数多の人が不幸になる。すなわちこの者は厄神名に連ねるにつきづきし。ならば人の世にて暴るるはいとわろき事なり。人の為にならず』
――日本語喋れクソが! 静夜が内心で悪態を吐く。
謎の言葉が進むにつれて静夜の周りは赤黒いベールが下りたように暗くなる。ただでさえ紫鏡によって造られる異空間は明かりを感じないのだから、これ以上暗くなってどうするのだ。
男の足が止まるのが、倒れてエビぞりに悶絶する静夜の顔の一歩前。
丁度、人の為にならずという文言を言い終わる。
『なにとぞなにとぞ。天と地と現の狭間にて、この者の裁定をしたまえ』
それが呪文の最後だったのだろう。
静夜の体の周りの空気が一気に重たくなり、視界が薄暗くなり、空気の粘度が桁違いになった。小さな呼吸は不可能で、深呼吸の意識でなければ酸欠になりそうだ。
体中に何かが絡みついていく幻覚を非常にリアルに感じる。何も体を縛る物がないと聞いたらそれを信じられない程に……。
「これで、封印は完了だ。おい異世界人フォビアよ。封印の強化を」
「ふむ。やっているとも。見ての通りであるな」
蝶が黒いベールの中に入り込み、静夜に触れては赤と黒の光になってベールに溶けていく。
静夜の視界は暗転し、外の音は水越しに聞いているかのようになる。
体の傍から、何かが離れていくような感覚。また一つ、どれか何かを失ったのかもしれない。
「封印期間はどれほどを予定しているのであるか?」
「他力本願の封印だ、本来なら千年……なっ!?」
「どうしたのだね?」
「そんな……なぜ……牢やぶりかっ!? そんな。まて! 何を……何を言っている!? 俺が有罪なんて……神を踏みにじってなどいなっ……そんなつもりは、待って! あがぁああああ……あっ、あっ……あ……」
「……ふむ? 呪い返しというものか……恐ろしいものあるな」
鬱船が、小さな感嘆を漏らす。
静夜には何も見えなかった。何も聞こえなかった。
静夜を覆っていた、温くて重たくて酷い物がなくなった事だけは実感としてある。
体が動く様になって視界も開ける。顔を上げれば、大きく後退した鬱船。静夜の右隣りにあるのは、目口鼻耳そして両手五指、植物の枝を生やしたオブジェの様な死体が一つ。
植物は静夜が目視した瞬間に蕾を膨らまし、瞬く間に花開く。
そのままハラハラと散り始める花弁は、薄紅色である。
「まだ抵抗する手段が残っていたとは、驚きであるな」
「……知らねぇよ」
距離が空いた事で立ち上がる。
本当に、どんなに辛くて、もういいと思っても、少し経てばまた立ち上がってしまう。気が狂えなくとも、諦める事はできるのに。
ここで諦めればどうなるものか、想像する。
殺されるだろう。もう不死身ではなくなるだろう。死なないだろう。生き残るだろう。
どれをとっても、静夜は他人になるだろう。
誰にとっても、話はそこからだ。
それがやっぱり許せなかった。
「さてっと、てめぇで最後だつってたな?」




