未来シコウのチートデータガール 72
教室から出て、直ぐに立ち止まった静夜は億劫そうにため息交じりに呟く。
――探す。
絶対に遠くに行っていない。逃げられるわけがない。あの出血の量だ。
視線を泳がせる。
逃げた先に回復役がいたら台無しだ。
存在感を消すという事に特化しているという可能性があるとはさっき至った可能性だ。殺し屋にうってつけの能力と考えてみれば、的を射た考察だ。
……あった。血だ。影だと思った黒い物が、血だった。それに気付けば、恐ろしい事に床に落ちている影の殆ど全部が血であると気が付かされる。
見ている世界が一つの気付きで一瞬で違う物となる事にホラーじみた恐怖を感じるが、しかし今はそんな事より、その、廊下の出っ張り、柱の陰に蹲る老人に止めを刺す事が重要だった。
「……尻尾を巻いて逃げたかと思ったぜ?」
煽ってやれば、苛立たしそうに長く深い吐息をして老人はぎろりと睨み返す。
「この場においてどこに逃げると言うんじゃい」
「そんじゃ、まぁ次ァお前さんだぜ?」
小柄で猫背で、怯える様にして、ただそこにいた。濃い血の匂いを漂わせて、隠れる事にすらつかれたかのように。
喘鳴の様な呼吸音。静夜からは見えないが、間違いなく酷い重傷を負っているのだろう。
「……特殊魔法空間の具現。リスクはお主にはないような物。なるほど、時間さえかければ我々の負けか……いや、時間を掛けてもらえるならばば勝ちか」
「……お前らの勝ち負けってなんだよ?」
気怠そうに静夜は呟く。
老人は唇を歪める。
「……もう勝ってはいる。お主を狙ったのは、事のついでじゃい」
「事のついでで俺を殺そうとしないでくれよ」
「……一人の女を追い詰める為に、全員を排除せよ。ただし、『お前等ごときには無理だから弓代静夜はチャレンジでかまわねー』だそうじゃ」
「……まさかプライドが傷ついたかい? 俺ァ……ワンダフルワールドっつういかれた奴等に呪われてるんだぜ。死にゃしねぇよ」
「ふん。行きがけの駄賃……いや、思いついてしまったからの。やらん訳にはいかんじゃろうて」
「へぇ? それを語ってくれるんかい?」
虫の息の老人は、しかし今も静夜の体に致命傷を与えられそうな目付きをしていた。
「殺し屋は、他人が殺せんものを殺すから殺し屋だ。だから……お主を殺せる所を見せて、依頼主の鼻を明かしてやりたかったのだ」
「いい迷惑だな」
本当にいい迷惑だ。お陰で思いついたそれを、聞いてみたくなっている。今後、どのようにして静夜を殺そうとする人間が現れるのかと。
「……お主のアクセサリーは、異世界人の魂が詰まっとる。そ奴等がいるからお主は転生者にならん半端者じゃ……そして半端者だからこそ不死身なんじゃろ……」
じわじわじわ……老人の足元は血と影が入り混じった黒い物が広がっていく。
「そして、半端者でなくなったら不死身ではなくなる代わりに、手の付けられない転生者へとなる。何が何でも転生者にはするな。とは聞かされておるよ」
「ありがてぇことだが……まるで俺がどんな転生者になるか知っている見てぇな口ぶりじゃねぇか」
「知っとるよ。知っとるんじゃ……。あのお方は知らしめた。だからこそ、去り行く我等はお主を始末しなければならんのじゃ。正しく優しいばかりが救いではないとしれ……」
静夜には良く解らない事を言う。ただ、まぁ、そりゃそうだとは思った。救いなんて、個人個人にオーダーメイドする物だから。
良く解っていない静夜に対して、老人は続けた。
「……お主に言っても仕方あるまい。だが、被害を被るのは今のお主だ。いや、乗っ取られたお主じゃよ」
「……そう言う事かい」
「そう言う事じゃい……お主のアクセサリー、あと何個残っとるかの?」
静夜が転生者になるのを阻害しているのは、静夜の体を乗っ取ろうとしている異世界の精神体である。その精神体は互いに睨み合っている訳だが、その敵対的存在がいなくなった――最後の一人になった――その瞬間、静夜の体を乗っ取るだろう。
この殺し屋達の狙いはそこにありそうだ。
「俺を転生者にしてぇようだな? けどよ――」
「世界を森に変える妖精であれ、蟲の王国をつくる王であれ、迷宮の支配者であれ、一切救世の現人神であれ、どれであろうと、奴等が用意した転生者よりマシじゃ。ずっとずっと、何が何でもマシじゃい」
静夜の言葉を遮り、老人は強く言葉を発する。
「何より、どのような怪物であろうとも、この世界の住人ならば、いつかは殺せる」
「……」
「殺せぬのは、異世界人の覇者となったお主のみ」
「そんなに殺したいかい? 転生した俺を」
「悪いがな。最強の転生者の善行は……小さな我等には眩しすぎる」
なんでそんな、未来の話をされているのだろうか? 不確定要素が強すぎるのに、静夜がどんな性格の転生者になるかも予想出来ているかのような口ぶりだ。
単なる妄信だと切り捨てたくもなるが……。しかし少しは相手の威勢を削ぎたいとは思ってしまうのだった。
「そんなつもりもねぇが……行き場のねぇ悪党にも気を遣うって約束してやったら変わらねぇかい?」
「無駄じゃの。何か一つの高級品を助けるために、等価値分の命が死んでいく。それに気付かず、何を踏んだかも知らないで生きていく。そう言う類の怪物じゃよ、お主は」
「なんでそんなに知った風に言えるかねぇ……」
「知ってしまったからの。でなければ、殺せぬお主の為に命がけになんぞならんわい」
「殺せねぇってのに命がけかよ、よくやるぜ……」
「ふむ……確かにほかの誰かに任せるつもりではおるが……殺せるならば我等で殺してしまうぞ?」
「その有様でかい?」
「死なんお主には解らんじゃろうがの。助からんと解ったら、後は悔いを残さんように動くのが人間じゃい」
その眼には諦めはない。動く事もままならないだろうに、本当に静夜を殺そうとしているのだと理解させられる。
静夜が本来の目的以外の転生者に乗っ取られたらどうなるか。
静夜の予想では致死のダメージを受けた時と同じ現象が起こる。つまり、瞬く間に元の静夜、この人格に戻るという物だ。
しかし一瞬は確実に別人になる。
それは想像しかできない。静夜の予想通りになるだろうと思っても、老人たち殺し屋が期待する結果が訪れる可能性は否定できない。
そして、疑似的にでも転生者になった後の生き死には、静夜には解らない。
転生者になる時に完璧な肉体であるようにと、存在の在り方が固定されているのが静夜である。では、その転生者はワンダフルワールドが用意したものであると決められているのか。それを静夜は知らない。知らないから、条件が満たされた後なら静夜を傷付けたらどうなるか。解らないのである。
「……ワシでは無理だが……ワシら全員で、貴様を殺す。殺さなければ……ならんのじゃ」
「……知らねぇよ」
吐き捨てて静夜は一歩踏み出す。
この老人は静夜を殺せると信じている。
信じているなら、それは危険だ。
「来世は人にやさしくしろよ?」
嫌味に取られたかもしれない。案外本音を多く含めて言ったつもりだったが、老人は険しく静夜を睨む。
その睨みは静夜にとって糠に釘だ。
刃を握りなおして、逆手に持つ。武器の扱いに慣れていない静夜が思う、一番威力を発揮するのはこの持ち方からの振り下ろしだ。
「……まぁ、ここまでじゃの。が、もらっていくぞ」
振り下ろされる刃。鎖骨から一気に心臓までが貫かれる。
致死の一撃を受けた老人が、刃を叩きつけたその腕をからめとっている。老人とも死にかけとも思えない力で静夜の腕は掴まれて、一瞬動けない。
ぎょっとした静夜の腕は、足元から伸びあがる黒い杭に突き上げられ切断される。
それだけにとどまらず、花火が破裂するかのような勢いで、静夜の体全体にも杭が刺さり、一気に背後へと拭き飛ばされる。あれほど死にそうだったのにと驚くのもあるし、相手の実力を正しく理解できていなかった自分が情けない。
背後の掲示板に叩きつけられ、釘づけにされた静夜には目もくれず、老人は切り落とした腕から指輪を引き抜く。あっという間だ。指の根元を切り落とし、そこからぽろぽろとごついアクセサリーを振り落とすだけなのだから。
五指の全ての指輪を抜かれた所で静夜の腕は黒く炭化し、脆い灰へと変わって指輪ごと消える。
消滅、粒子、光化、様々あれど、今回の演出はそうなったか。
その軽い感じで腕は静夜の腕に舞い戻る。灰が寄り添い、静夜の腕と生まれ直る。ただし、その親指の指輪はなくなっていた。
「……」
老人と目が合う。睨み合う。
老人は五つの指輪を飲み込み、そして鼻と耳と目から血を吹き出したかと思えば、白目を剥き、倒れ伏した。
そんな事をされても、腹を掻っ捌けば――思った瞬間、老人の体が黒い茨に包まれた。呪いに多く触れてきた静夜には、その見た目だけでそれが非常に厄介な物だと悟る。あそこから指輪一つ取り出すのに静夜は何度殺され、どれだけの時間を要するのだろう。
普段なら間違いなく、病的なまでに回収に固執するだろう。アクセサリーの一つは命の一部だ。既に七つも失っている。今後にどれだけ敵が襲ってくるか解らないが、これ以上失うのはありえない。
目には見えない異世界の精神体が、もうきっと何体かは消滅した事だろう。
心底うんざりするが、しかしまだ静夜は自分が侵害される気配を予感していない。
残念ながら、今はこの事態よりも警戒するべきものは他にある。
今まさに、その警戒するべき存在が静夜の前に現れたところである。
三人の人間が廊下を悠々と歩き、静夜の元へと向かってきていた。
二人の人物を引き連れるように歩いてくるのは長身で白髪の目立つ男。
その後ろに付き従うように二人。和装に近いが、現代的な動きやすさを意識した服で揃えている。顔を隠すようにしたベールは恐らく和紙で出来ていて、これに文字が書かれている。
『封』と『呪』の一文字ずつ。
露骨なまでの役割の主張だ。これに静夜は絶句する。
趣味の悪さにではない。この世界のルールを正しく理解しているからこその格好をしている事に戦慄したのだ。
たとえ実力がなくとも、それらしい恰好をしていれば能力に上方補正が入る。これを『ロールプレイバフ現象』と言う。
その恰好に本当に意味がなくとも、行動が伴っていれば意味が後付けで用意されてしまう。この『ロールプレイバフ現象』は馬鹿げて強力だ。強制力のある一人称補正や語尾補正ですら二割ほどの上昇率が観測されるという統計があるのだから、ワンダフルワールドの意に沿うように恰好や言動を合わせるのがどれほどの効果か。
下手をすれば才能皆無であっても魔術が使えるようになると言われている。
無が、有になるのだ。これがどれほどの意味を持つか、静夜よりも専門家たちは恐れ慄いている。
そして、ここにいる二人が実力がない訳がない。実力者の実力が上昇するのだからたまったものではない。
当然、これを引き連れる長身の男の不気味さも増す訳だ。
「……見計らったようないいタイミングじゃねぇかい。もしかして爺の花道でも飾りたかったかい?」
すでに肉体は限界……などとは言わない。
痛いし、肉体も欠損したしたし、心底もう嫌だとも思ったが、それでも今となっては無傷である。
敵対的人物が何人増えようとも、静夜が嘆くにはまだ早い。
「依頼主ではあるからな。無下にはしないとも」
ちらりと、どこか馬鹿にしたような目で茨の塊を一瞥する中央の長身の男。
そしてすぐに視線を静夜に向けなおした。
「確認であるのだが、君が転生者の素体で――君を殺せばここから帰れるかね?」
「……その喋り方……短髪、眼鏡、顔の傷……。不景気なツラ。お前の話ぁ聞いてるぜ? 鬱船だな」
だとしたら、静夜がこの場で始末するのは必然だ。
ハジメの目の前に死体を並べ、彼女の心を追い詰めた大量殺人者。
ハジメが非常に憤り、許さないと息巻いた相手だ。
ハジメから逃げきれるだけの実力がるという事は、ハジメの手加減が難しい相手という事。
人殺しに少々過剰な反応を示すのがハジメだ。彼女が手加減出来ない相手とは、つまりは彼女に相手をさせたくない存在である。
――静夜が始末するのが理想だろう。
「あの転移者のお嬢さんからの情報であるな。あの時殺せなかった事は悔やまれるものだ」
心底残念そうに肩を竦める。
「……それで? 君を殺せば、良いのであるかな?」
「答える訳ねぇだろ。馬鹿じゃねぇの?」
「で、あるか。まぁ、どの道小生の仕事は君を殺す事であるからね、事のついでだ。殺して確かめるとしよう」
あの二人を倒した静夜が、無傷でここに立っている。なのに目の前の鬱船は余裕の表情だ。
何か自信の根拠があるのか……。
その余裕が不自然過ぎて、無意味に鬱船の存在を強そうに感じてしまう。
しかし強大な存在であるならば、この空間から出る事も可能だろう。条件を満たせば生きて出られるのは、確かな事だ。鬱船が静夜の知る中で五体満足とは言えないだろうが。
いや、鬱船が本当に実力者なら、あるいは無傷で脱出もできるかもしれない。現に今も、鬱船は無傷で――。無傷?
脱出方法すら見当が付かないような男が、初見殺しのこの迷宮で無傷? その違和感に訝しむ中、鬱船は静夜に静かな視線を向ける。世の中に諦念したような、不機嫌な瞳で。
「異世界人もこれから異世界人になる人間も、あまねく死ね。ただただ死ね。ひぐらしが鳴くように、理解が出来ないままに死ぬのだよ」
ぶわぁ。
オノマトペにすればこれが最適だ。鬱船の体から夥しい量の蝶が生まれ、宙に舞う。
赤と黒の模様をもつ、揚羽蝶の亜種の様な蝶だ。
人間以外がいない筈のこの空間に蝶が現れた。
その蝶は静夜に向か一直線に襲い掛かってくるが、どういう訳か、触れて部分は痛くもかゆくもない。いったい何の攻撃か、果たしてこれは攻撃なのか――
『弓代さん。シャクネツの時間です。二階へ移動してください』
そして放送。
――静夜だけを、名指しして。
「……は?」




