未来シコウのチートデータガール 74
踊る様に戦う。
不死身にかまけて攻撃を受けるままだった体が、このままでは一方的になぶられると理解した。
折れた刃は直進しか知らない訳ではない。多少の致命傷を無視しても突き進み相手を串刺しにし、切り裂き、時に殴りつけるのが最終的に最高効率だと憶えてしまっているから防御と回避を捨てていた。
ところがだ。
『弓代さん、アッシの時間です。学食へ向かってください』
これがある。アナウンスが静夜だけを狙い撃つ。
まさか回避方法があるとは思わなかった。が、刃に操られる静夜は皮膚に傷を感知した瞬間にその場から離れ、時には体を捻じり、回転させ、宙を舞い、この致死の攻撃を躱していく。
今も、皮膚に小さな違和感、気圧の変化の様な物を感じ取り、静夜の足は足首の骨を砕きながら飛びのいた。
解放骨折に見舞われ、そこに血が残り、その血が空中で縦の筋に伸びる。
何があそこで静夜を殺そうとしたのか、今もって解らないが、こうして静夜は今回の致死ダメージも回避した。
回避したからには、ここから攻勢に戻らなければならない。折れた足が回復する傍から再び折れる程の踏み込みで、鬱船との距離をつめる。
刃が逆袈裟懸けに振るわれ、これを鬱船が自身の実力で躱す。
鬱船は武器を持ち歩いていないのか、防ぐではなく躱す。襲い掛かる静夜に対しての反撃は、全てが自らの肉体を駆使した物である。
さまざなな敵と戦い、様々な武器で攻撃されてきた静夜にしてみれば、拳はありふれている。武道を極めた人間の拳は極めて危険だ。だが、素人目に見ても鬱船の動きは素人の様な物だ。静夜が少し努力をしたら辿り着きそうな、実に普通の人間じみた動きだ。
その拳が、静夜の顎に入る。ダメージは避けると意識した刃なら、本来躱せる筈の一撃は過たず静夜をうつ。
ただの拳が、静夜の顎を振り抜き、脳を揺らす。
「あっ……!?」
一瞬意識が跳ぶ。
『――キシの時間です。プールに向かってください』
戻った意識が、世の中を悲しむような鬱船の瞳を覗き込む。
次から次へと繰り出される拳は、自動的に躱されるのだが。時折静夜の体に当たる。そして、その当たった時が恐ろしく重たい。
鬱船の体からは、青と黒の蝶が生まれては舞う。
一方的にやられる訳でもなく、静夜の振るう刃は鬱船を襲う。これのほどんどは躱されるが、前蹴りや拳は決まる。しっかりと、手応えを感じる。鬱船の顔は拳に叩かれ、唇を切って血を流している。追い詰められると確信して刃も振り下ろされる。
が、これはどういう訳か、鬱船の服を掠めるだけ。上手く刺さろうという時、今回は鬱船が足を滑らせて後ろへとたたらを踏んだ結果武器は空ぶる始末。
「……厄介な奴だぜ」
「こちらの台詞であるよ。成り損ない」
言葉を交わしている間にも鬱船の体からは赤い蝶と青い蝶が生み出される。もうこの廊下は蝶で満たされてしまった。
状況は絶望的にみえるが、鬱船自身が言うように実際のところは勝負になっている。
鬱船の近接戦闘能力は存外低い。静夜本人では全く足元にも及ばないが、刃に身を任せた静夜は鬱船に有利になる。
鬱船の攻撃は常に当たり所が悪く、静夜の攻撃は運悪く躱される。
これがあって静夜と互角。シンプルな殺し合いは静夜に軍配が上がっていると考えられる理由だった。
これは恐らく、鬱船がこのような戦い方をする事が滅多にないからだろう。そもそも、対人格闘が必要になる場面があるとは、とても思えないのが、鬱船の能力である。
それでも、あの金槌スキンヘッドや指輪五つを飲み込んだ老人より長く戦っている。
今の静夜では、鬱船が生き残る運命を変えられないでいるのだ。
それは、このままではジリジリと追い詰められていくことを表していた。
何度目かの攻防。ついに鬱船がどう逃げようとも殺せるタイミングが訪れる。
今度こそはと刃が振られたが、それもうまく行かない。攻撃が決まると言うその瞬間、静夜の喉の奥から水があふれ出した。凄まじい量の真水は口も鼻も埋め尽くし、気管支を壊滅的に痛めつける。尋常じゃない胸痛と苦しさが静夜を襲う。
このままでは溺れ死ぬ。そうと解る。このままでは――アナウンスが再び。
『弓代さん。レキシの時間です。至急図書館に向かってください』
まだ溺れ続けているのに、絶望的なアナウンスだった。
呼吸困難に酸欠、四肢はコールタールで濡れたかの様に動きが鈍い。思考はまともに動かない。苦しいという気持ちだけが思考の全てを覆い隠しそうになっている。
頭に残った図書館という単語は、当然この状態で辿り着けるものではない。至急というからには逆立ちしたって間に合わない。
鬱船は相変わらず世の中に諦めたような目だが、勝負がついた事を確信したかの喜色を確かに浮かべる。
「……苦労させられたものであるな。誇りたまえ、小生にここまで使わせた。君もまた、異常な化け物である」
「……がぢほごっでんじゃ、ねぇぞ?…」
「――むっ!?」
振りかぶった血まみれの刃。
静夜の喉には風穴。静夜が自らの喉を突き刺して気道を作った痕だ。
その穴からは血と一緒に水が漏れる。
鬱船は無防備。
間合いは確殺距離。振り下ろされれば殺せる筈。
今度こそ。
その筈だった。
この時天井が崩れ、静夜が圧し潰されなければ、勝負は決まっていた。
ドゴッと静夜の勢いを殺しつくしてコンクリートの塊が床と激突する。
さらに追い打ちをかける様にアナウンスが再び。
『弓代さんホウラクの時間です。大至急校庭へ向かってください』
大至急とは、間に合わさせるつもりがない文言。
「まったく、一々、ひやりとさせられる物であるな」
依然として落ち着いたままの鬱船。
下半身が潰れた静夜を見下ろす。
数秒と経たず、足元が崩れ、多くのコンクリート瓦礫に巻き込まれながら静夜は落下した。
鬱船の足元を線引きしたように、つま先数センチ先に大穴が出来ていた。
「さて、これでも……まだ転生していないようであるな。重畳重畳。小生でも殺せる転生者が残っていると、良いのだがね」
鬱船の足元の断絶した床。そこには静夜の親指から落ちた指輪が残っており、鬱船はこれを持ち上げ、その輪を覗き込むような素振りを見せる。
「ふむ、そろそろだとは思うのであるが……」
鬱船の目は、軽蔑すべきゴミを見るような色をしていた。
鬱船が最後に残ったのには理由があると、コンクリートから飛び出した鉄筋に串刺しになりながら理解する。
静夜は身動ぎも出来ない。それでも、鬱船は降りてこない。ただ、無常にアナウンスが途絶えず響く。
『弓代さん、クシザシの時間です。教室へ入ってください』『弓代さん、キョケツの時間です。保健室へ向かってください』『弓代さん、フショクの時間です職員室へ入ってください』『弓代さん、ノコビキの時間です。工作室へ入ってください』『弓代さん、ダボクの時間です。視聴覚室へ入ってください』
――弓代さん。
正直気が狂いそうである。巻き込まれた全員を区別なく攻撃するのがこの紫鏡の迷宮を武器として選んだ理由だったのに。
いかさまサイコロのように静夜だけが狙い撃ちされる。それは露骨であり、もはやこの場は静夜を拷問にかける為だけの空間になっていると言っても過言ではなかった。
その一方で鬱船は、絶対にこのアナウンスに呼ばれない。どれほどの確率かは不明だが、無限に試行回数を稼げば偶然鬱船がまったく選ばれないパターンが存在するのだろう。
カラン。
また一つ、本来そう簡単に脱落しない筈の左手のアクセサリが落ちた。
鉄筋が腐り、折れて静夜も倒れる。
転がってどこかに行ってしまいそうな指輪をなんとか掴もうとして、瓦礫の隙間に消えていくのを見送るだけに終わる。
「……はぁ……ふぅ……ままならねぇったらねぇな……」
こんな惨めな気分は久しぶりだ。
乾いた血や、濡れた血や、汗や汚れが妙に小汚く感じて、自分の体がみすぼらしいまでにボロボロだと自覚する。
「人生は、思い通りにならないのが常であるよ。憶えておくと良い」
「……テメェだけにゃ言われたかねぇよ」
鬱船は待っている。静夜が、鬱船でも殺せる転生者になる事を。
だから降りてこない。王者の様に見下ろすだけだ。
鬱船は確信しているのだ。
自分が運命を操る限り、静夜が成り下がるのは、並みいる異世界の精神体の中でも最弱な物だと。
「何もかも思い通りなら、この世に異世界人などいないのである」
「そんなに異世界――」
『弓代さん。セツダンの時間です。朝礼台に立ってください』
「……そんなに異世界人が嫌いかよ? 親でも殺されたかい?」
「その状況で、その質問かね?」
「……こんな無茶苦茶出来るなら、金にゃ困んねぇだろ?」
「時間稼ぎかなでありま。何を狙っているのか。それは知らないが、稼ごうが、稼がなかろうが。君の終わる時間は変わらない筈である」
その通り。もうこうなったら出来る手段は少ない。
静夜は、だから時間を稼ぐ。
時間稼ぎが本当に意味がなくとも、だとしても一秒でも伸びるならば稼ぐ。
そろそろだと思った。本当は使いたくない、最後の最後の奥の手が仕えるようになるまで。
あと少し。
「人殺しなんて、効率わりぃ稼ぎじゃなくて、競馬でもやってりゃいいんだからよ」
「ふむ? 転生者の成り損ないにこれだけは答えておこう。小生は、異世界人殺ししかしないし、これを商売と考えていないので金銭も受け取った事がない」
「……マジかよ、趣味で人殺しとか、頭おかしいんじゃねぇの?」
「口が悪い男であるな。まぁ、小生は君が壊れるまでここで眺めるだけだ。良いだろう。話してあげようではないか」
ザン。
鬱船が離す前に一度、静夜の頸は切り落とされた。




