未来シコウのチートデータガール 65
浸食した部分を全部灰にする。それはハジメにならきっとできる大魔法だ。
けれどそれをしたとき、他に被害が及ぶだろう。ハジメの魔法はまだ、威力は出せるが精密な物を作り出すには時間がかかるのだ。
他に被害が出ない魔法を作るから、少しだけ時間がかかる。
そして短時間で構成するなら魔法の指向性は一方通行が良い。イメージは漫画のエネルギー砲のように放射線状の熱だ。
上から下に向かって打ち放つと、地面を焼く事になるので、放置以上の被害が起こる事になるだろう。ハジメが想定する魔法を使うなら下から上に向かってだ。
つまりここでは使えず、移動が必須である。最上階から最下層へ。移動距離は途方もない。
これらの説明の全部を飛ばして百花はハジメのやりたい事を理解していた。
そして、そこからの行動がとにかく早い。
「落下では少し遅いですね。少し飛ばします。間に合わせますから、他の全ては気にせずに準備を」
「えっ? あ、任せるよ」
百花の言葉とハジメの返事の間に、行動は起こっている。
流れるような動作でハジメの腰に手を回す百花。雰囲気が変わっていなければ単なるセクハラ扱いだが、今この瞬間は、ハジメは百花に全幅の信頼を寄せている。
腰に手を回され、足を掬われ、普段王子様とか言われてしまうハジメが、お姫様のように抱き上げられた。
ハジメは新鮮な感覚を覚えつつ、言われた通りに魔法を準備する。
ふわりと、百花が高度千メートルオーバーから飛び降りる。
重力加速度に身を任せるのは確かに早いだろう。だが、それでは間に合わない。ハジメが怖い思いをするだけである。
そんな思考は邪魔だから今はしない。
事実、百花が何か、風にあおられながら口を動かした後に状況が一変する。
落下を始めた直後に、百花がとっていた部屋の階層の、ガラス部分に該当する肉壁を突き破る物が複数あった。それは禍々しさや清らかさを纏った白銀の筋だった。
銀閃は落下する百花に一瞬近寄り我先にと追い越していく。
そして残った一筋が落下する二人の落下方向の少し先で角度を変え、そのままの速度でホテルの壁に激突する。
通り過ぎざま、天地さかさまになった百花が壁に突き刺さった刀の峰を蹴り付け、大地に向けて飛ぶ。
加速する速度と、その先駆けとなり、自ら百花の為の杭となり足場となる刀の数々。次から次へと肉と化したホテルに突き刺さり、百花の踏み台へとなっていく。
いくつもの刀剣を踏み台にして二人は真っ逆さまに落ちていく。
自由落下にさらなる加速を加え、百花はとてつもない速さで地面に向かう。ハジメの想定する数段上の加速は、意識をブラックアウトさせるのではないかと心配する程である。
「――まだですよ」
百花が言った瞬間、ハジメを抱えていた両手が放され。ハジメは百花の保護から外れる。
百花の意識の向いた先をそうてしてみてみれば、数千に及ぶかという程の触手がハジメ達を迎撃するように隙間なく迫りくるところだった。
一瞬これらに対処したくなるが、百花がまだだと言うからには、それを信頼するのみだ。
その無駄な思考の間に百花の手には、刀の鞘が一つ。
おそらく先ほどから百花の足場になり続けている刀のうちの一本だろう。
抜刀され、しかしすでに納刀まで済まされたその刀は、この世界に来てから見てきた物の中で一番と言っていいほどの魔力を帯びていた。
触手の本流は竹を割るように真っ二つに裂けていき、そして切り口から細胞が連鎖的に死に絶えていく。こうして悍ましき迎撃は僅かにも二人に近づけなくなった。
「お役目御免」
百花はその魔剣を酷く雑に投げ捨て、少し離れたところで無重力状態で錐揉みになる寸前のハジメの服をつかみ、再び抱き寄せ、腰を抱くような体勢をとる。
すでに刀を使っての加速は終え、地面ももうすぐそこである。あわや激突というところで百花が腰から全く魔力を帯びない短刀を引き抜き、まだ浸食されてないコンクリートの壁に短刀を突き立てる。
数メートルを割り砕くように壁と摩擦しながら減速していき、百花が壁を蹴り、手を放すと同時に刃は折れる。真横に飛んでその勢いを独楽の回転のような動きで殺しきると、百花はハジメを隣に降ろす。
視線を上げたハジメは、蒸気か魔力かで出来た雲を視認する。快晴だった頂上は全く見えず、地上は淀んだ灰色だった。
「時間の余裕は十分さ。あとは任せて!」
あとは魔法を――と、ハジメはびくりとして動きを止めてしまう。
巨大な生命反応に隠れて気が付いていなかった。しかしこうして近くから見上げて見れば一目瞭然。ここから少し上の階層に、人がいた。
作り上げた魔法のイメージがぐにゃりと歪むのを感じた。
あの人をよけた魔法を組み直さなければならない。大至急に、絶対に失敗せずに。できないという可能性を自己から排除した思考で作り出せと思考はフル回転する。
「時間は稼ぎました。間に合わないようでしたら実行してください」
言い残した言葉に反応する頃には、すでに飛び跳ねた百花は看板を踏みしめ砕き、高くジャンプしていた。目にも止まらならない勢いで車、電線、ドローンと踏み台にし四階部にあたる部分のガラスをみじん切りにし、再びホテルの中へ。
一瞬だけぎょっとするが、即座に理解する。百花は時間を作った。
間に合わないといって落下速度を更に早めた。その理由はこのためだっただけの事。
「感謝するけど、説明が足りなくないかい?」
もう姿が見えない百花に対して口を尖らせてぷんぷんと。
百花が助けに行かなければ、ハジメは取り残されている一名を避けるような魔法を構築していたはずだ。酷くタイトで神経を使う魔法になるし、絶対に成功させるけれど。そんな無理ゲーなクソゲーにならなかった事を小さく感謝する。
摩天楼にはびこる不気味な肉と血管と酩酊の香り。すべてを視界にとらえる。
落下時に百花が切り裂いた触手の残骸が落ちてくる。それらすべてを着地前に燃やし尽くす。
――まだだ。
ついに見て取れるほどに傾き始めたホテルに焦れるが、まだハジメは耐える。
浸食が地面に届いていないからにはまだこのホテルを消滅させれば間に合うのだから。
――まだだ。でももう――
コップからあふれた水がつたうように浸食は進み、百花が飛び込んだ階層が飲み込まれた。
奥歯を噛みしめ、砕きそうなほどに歯を食いしばる。それすなわち死ではないのはすでに体験済みだ。けど、だからと言って心中穏やかではいられない。
――でも、まだ……だ。
このままだと根元まで浸食が進み、地面にまで到達するだろう。地面に向けて強力な魔法を撃つなんて論外なのに。そしてそのころにはこのホテルは倒壊して被害は拡大、完全に手遅れになる。
そうなったらハジメが戸惑ってしまったせいで、この街に壊滅的な被害が出る。万に近い人が死ぬかもしれない。その重圧は決して耐えられるものではない。
――……限界だ。
遅すぎる決断かもしれない。でも、ハジメがホテルを消滅させるという事は、百花ごと打ち抜くことに他ならない。その前提が思考を鈍らせた。今になってやっとそれでも百花の実力なら無事である可能性は高いと思考がたどり着いたのだ。もしかしたら言い訳の思考なのかもしれないが、その可能性から目をそらす。多くの命を救うためには仕方がな――ぐしゃり。
ホテルは自重に耐えきれないで少し潰れた。百花がいたあの階が。
悲鳴すら上がらない。絶句。一気に血の気が引き、手足が痛くなるほどの寒気が走る。
百花なら無事かもしれない思い至るも、今までの人生が知性を上回って恐怖心をたたきつけてきていた。
混乱の極致に体がフリーズしてしまい、最悪なほどに何も出来なくなったその時、ハジメの感情は絶望から一転する。
すさまじい斬撃が肉と化したホテルの内側から外側に向けて放たれたのだ。それと殆ど同時にその切り口から飛び出してくる素早い影が――。
目視した瞬間、あらゆる迷いが晴れたハジメは大地を踏み込む。
地面が陥没する程の速度で跳んだハジメは、ホテルの正面エントランスのガラスを破って中央ロビーへと。
ロビーやフロント、その他持ち場に待機していたホテルスタッフ達が瞠目する中、ハジメは最速で魔法を構築していく。
事象。対巨大物質の完全消失魔法。
効果範囲。魔法陣方向に対して垂直。放射線状にして半径百メートル。
熱量。タンパク質の瞬時炭化――却下。コンクリートの瞬時プラズマ化――一万度オーバー。分子加速のイメージによる熱確保。
範囲外効果抑制。魔力による対熱対放射能被膜作成。疑似的完全真空。
その他――面倒っ! 解っているのは加減不要って事だ。
「――グッドバイ」
渦巻く光子の数々。ハジメの眼前一メートルに現れる幾何学模様。
直径二百メートルの円状の大魔法陣はホテルの壁を貫通して宙に投影された。
余計な成分を混ぜるとかえって危険だからと、ただ力いっぱいの熱魔法が解き放たれる。
シュワッと炭酸が景気よく抜けるような音と共に。
速度と熱量だけに力を入れたそれは解き放たれる。
熱だけで光を放ち、触れた物質を瞬時に蒸発させていく。
膨大な熱が通り過ぎた後には肉塊となったホテルはもう存在せず、光の奔流が斜めに伸びて、雲にまで届いた様子が見届けられた。
気圧変動で風が吹き荒れる。酩酊を誘うような魔力の残滓も、じめっとした湿気さえも掻き消えて、放った魔法に追従する様な上昇気流が額に張り付く髪を払いのけて梳いていく。
上空を覆っていた靄も晴れ、真っ青な蒼穹が一気に広がる。周囲のスカイスクレイパーは空を縁取る装飾品だ。
この有様を、なかなか良い光景だと言えば不謹慎だが。初めて全力で魔法を使ったハジメとしては、少しすっきりした気分である。
吹き飛んだ構造物より下の柱や壁は崩れるなりひび割れるなりしているが、一階の天井から上がすべて消し飛んで上階由来の瓦礫は欠片一つも落ちてこない。
焼けた空気の臭いはするが、風が吹きさらすにつれて臭いも熱気もどこかに流れて掻き消える。
天井を支えていた柱が倒れる音がする。夏の風にひび割れた壁からコロコロとコンクリートの欠片が落ちる。
剥き出しになった配管や配電。水や放電を垂れ流している。
日本指折りの高級ホテルは見る影もなく、後始末をした爆心地のような光景になっていた。
この状況を作ったハジメは空が見える事に満足そうである。それを遠巻きに見守る、ホテルの従業員たちは、一部を除いて怯えているように感じた。残りの一部は、毅然とした態度でハジメの様子を見ていて、隙あらばおしぼりでも持ってきそうな雰囲気があった。
こんな有様では下手をすれば廃業だろうに、しかも人によってはホテル上階が巨大な内臓お化けになっていたなんて気付いていなかったかもしれない。その視点に立ってハジメを見てみれば、圧倒的魔力とオリジナルの破壊魔法でホテルを消し飛ばしただけのテロリストと認定されそうなものなのに。一流ホテルのスタッフは平均して理性的だ。
はたと。これ損害賠償とか私に来たりしたらどうしよう。なんて恐ろしい妄想が過ったところで、ハジメは百花の気配を感じ取って振り返る。
百花がゴミ袋のように黒いものを引きずりながらハジメの元へとやってくるのが見て取れた。
「百花ちゃん無事でよかった!」
「ええ。ハジメさんが戸惑ってくれたおかげで命拾いしました。ありがとうございます」
「えっ!?」
「ふふっ、冗談ですよ。切り札を切らないで済んだくらいの話です。ハジメさんが頑張ってくれて本当に助かりました」
ニコニコと、百花はハジメを愛でる様に労いを述べながらハジメの前へ。
「たっ、たっ、助かった。この礼は」
「いりません。黙りなさい」
「そんな事を言わずにだ。こっ、今度食事でもどうだ!?」
そういえば百花の手には襟首を掴まれた、身なりの良いスーツの男があった。ゴミ袋に見えたのは、百花が雑に軽々しく扱っていたからだった。
男性を引きずる百花はハジメの前を通り過ぎ、ホテルのスタッフたちが集まる一角へと歩いていく。
その小柄な中年男性はまだ何か言っているが、百花はホテルのスタッフと一言二言話して微笑んでいる。かと思えば直後、百花は心底汚らわしいものであるかのようにその男性をスタッフたちの前へ投げ捨てる。助けられた男性が追いすがるようにはいずり、なんだか下劣な言葉を叫ぶが、百花は一顧だにせずハジメの前へ戻ってくる。
「事態を解っていなかったので少々説得したのですが、やり過ぎましたね」
「あ、そういう事か」
「ハジメさんもわかるでしょう? 強すぎる能力は逆に弱く発動するのが難しいんです」
「わかるっ!」
と、そんなやり取りを少しする。
やっと落ち着いたという気持ちがハジメにも訪れたのを感じ取ったのか百花も気を抜いたような表情になり、周囲を見渡した。
「……どうやら死者が出る前に片付きました。奇跡に近いと言っていいでしょうが……この状況は呆れますね。ハジメさんの対処がなければどんなことになっていたことか」
ハジメに向かって言っているというよりも、それは独り言である。
苛立ちとは違う。もっと軽蔑と落胆が入り混じったような独り言。
こんなに暑くてからりとした熱風吹き荒れる夏なのに、百花の表情は冬に降る雨の様にすぐれない。
「真っ新に生まれ変わっても心がそのままならやり直しとは言えないというのに。深刻なお馬鹿さん達ですね……」
空のかなたに何かを見て、百花は言う。
そんな百花を見てハジメは思う。
ああ、たぶん憐れんでいるんだ。と。




